第四部 再びRMMOB

第九話

 二〇三八年十二月二十三日、協定世界時(UTC)の午前十時――米国太平洋標準時に置き直すと同日午前二時。


 常に手の届くところに置いている端末ターミナルが、ナイトテーブルの上で振動した。

 東雲しののめ龍平りゅうへいは即座にそれを鷲掴わしづかみにすると、暗闇の中でディスプレイに表示されている発信者名を凝視ぎょうしする。

 会社だった。

 病院からの緊急連絡ではなかったことに安堵しつつ、龍平はパスワードを音声入力して端末をアクティブにする。龍平が掴んだ時点で指紋認証と掌紋しょうもん認証を完了していた端末は、速やかに着信したメッセージを表示した。

 その文面を一瞥いちべつしただけで、中に「緊急出撃要請エマージェンシー・ミッション・コール」の文字を三つも見つけたため、龍平の顔はくもった。この文字が二つ以上表示されている連絡に、ろくなものはない。

 前回は、まともな事前説明もブリーフィングもなく、装備を検討する時間すら与えられずに、標準装備のまま現場に直行させられた。だから、今回も似たようなミッションだろう。

 真面目にメッセージを読んでみても、中に細かい説明は一切ない。達成条件と報酬だけが羅列されており、最後に、

「これを読んで任務に参加する意志のある者は、速やかに任務の承認作業を行い、参加が確定したところで急ぎ最寄のシェルに向かうこと」

 という指示が載っている。ということは、詳しい状況説明は殻の中で行われるか、あるいはまったく予定されていないか、いずれかになるだろう。

 そもそも、表示されている報酬金額が通常の三倍という時点で相当キナ臭かったが、この稼業にキナ臭くない案件というものは存在しない。あるのは程度の差だけである。

 それに、あまり目にしない深夜呼出手当まで加算されているという念の入れようであったから、龍平はその律儀さに少しだけ気がまぎれた。

 どのみち、龍平は報酬条件の良い緊急出撃要請を拒否するつもりはない。そこで、召集メッセージに対して「了解」というショートメールを返信した。これで作戦行動に参加する意思表示となる。

 加えて、三秒後に「参加確定」の返信メールが送られてきたので、龍平は、

 ――これは運が良かったと考えていいのかな。

 と考えて苦笑した。報酬条件の良いミッションは、少しでも返信が遅れると定員オーバーで任務に参加出来なくなる。龍平は速やかに準備を行うべく、端末を机の上に置くとバスユニットに向かった。


 ところで、この「端末」というのはスマートフォンの進化系である。

 ウェアラブルの方向に進化すると思われていた携帯端末技術は、日常生活との相性の悪さを払拭することが出来ず、言われていたほどウェアラブルな方向に普及することがなかった。

 それよりもてのひらサイズの筐体きょうたい内部に可能な限りの機能を詰め込んで、その上でダウンサイジングとコストダウンを図ることに企業間の開発競争は集中する。

 今や端末は、日常生活におけるすべての活動を支援する機器として利用されていた。

 商品購入時の決済は端末によるキャッシュレスが常識となり、リアル店舗でも釣銭つりせんすら満足に準備していないところが増えている。

 テレビやエアコンなどの家電を操作することはもちろん、自動航行車も事前に行き先を端末で指定しておけば、自動同期してその目の前まで連れて行ってくれる。

 なにより、龍平が小学校に入学する時点で、昔の教科書代わりに渡されたのが端末とタブレットだった。その当時でも、紙の教科書を配布する手間が省ける上にコストが遥かに安かったからである。

 端末は中のチップを入れ替えれば好きな機種に交換可能だが、高価な端末になると価格の上限がどの辺りになるのか誰にも分からない。

 本体価格がマンションと同じぐらいというのはまだ常識の範囲内であったし、仮に『所有者情報込み』の端末が流出したとなれば、そのオプション込みで闇市場でどこまで価格が跳ね上がるか分からない。

 そのため、端末の起動時本人確認は生体認証バイオメトリクスが中心の念入りなものになっている。

 パスワード入力と、指紋や瞳孔、掌紋などの複合バイオメトリクスによる認証はもちろん、所有者の身体の動きの癖を端末が記憶し、僅かなずれを感知した途端にロック機能を作動させるモーション・ロック機能も標準装備されている。

 龍平が使用している端末は会社の支給品で、更に念入りな本人認証機能と端末保護機能が搭載されていた。なにしろ、殻の攻撃者プレイヤー認証と通信機能の一部を担っている端末である。


 従って、使用者が触れていない時に端末の画面がアクティブになることは、普通ではありえない。

 それどころか――

 最初に受信した緊急招集メッセージの発信元とその発信内容、それに対する龍平の了解メールの送信先、それに対する確定メールの発信元などの宛先及び内容が丸ごとコピーされ、その上で書き換え作業が進行して再送信が行われ、更にそれが削除され、最終的に裏側の履歴にその痕跡が残されたというのは、極めて不可解な出来事であった。

 会社の支給品であるその端末は、紛失したときのことを考えてマスターデータを常に会社のサーバ内に格納している。端末にはその処理結果が情報として表示されているにすぎない。従って、一連の操作は会社のサーバ内で行われたことになる。

 仮にも最先端技術満載の兵器を扱う傭兵派遣会社のメイン・サーバであるから、プロテクトは厳重に施されている。外部からの侵入によって事が成されたとは考えにくい上に、その対象が龍平であることもまた、外部の犯行と考えると奇妙だった。

 彼の存在は、同僚や対戦相手の一部しか知らない。クライアントにも傭兵の個人情報は非公開である。従って、そんな龍平のデータをピンポイントで改竄かいざんする必要は、普通はない。

 それにもかかわらず、彼のデータは何らかの目的で改竄された。実に不可解なことである。

 いや――実はそれ以上に不可解な点があった。

 それは、その改竄作業の一部始終が内蔵されたソフトウェアに記録されて、別な目的に用いるために複雑な経路を迂回して、あるところに送信された点である。


 そして、その事実を知る者は、この世に二人しかいなかった。


 *


 二〇三八年十二月二十三日、協定世界時(UTC)の正午――米国太平洋標準時に置き直すと同日午前四時。

 

 会社のオペレーションルームでシェルに乗り込んだ龍平は、手順通り機器のチェックを進めながら、頭の片隅で奇妙な違和感を覚えていた。

 殻の向こう側には、忙しそうに接続準備を進めている白人男性の姿が見えている。その男が龍平の見知らぬ人物であったならば、サスペンス要素満載の緊張した雰囲気になってもおかしくないのだが、残念ながらそうではなかった。

 彼はたまに見かける「スティーブン」という名前の整備員である。しかも彼は東雲――より正確には日本人全般に対して差別的な態度を隠そうとしないたぐいの、アメリカ人である。

 だから、龍平は彼の顔を見知ってはいても親しく話をしたことはなかった。

 外見からして典型的なWASP(ワスプ)であるスティーブンが、無言のまま殻の扉を閉めた後、龍平はしばらくの間、その違和感の正体を考えた。

 スティーブン個人が違和感の元かというと、そうとは思えなかった。日本人差別はスティーブンの専売特許ではない。他にも大勢、似たようなアメリカ人が龍平の身近なところにいる。

 召集メッセージの着信から殻との接続までに、二時間程度の余裕しかなかった緊急出撃のせいだろうかと考える。しかし、そんなことは今までも何度かあった。

 それに、よく考えてみれば大阪戦のような「紳士的な事前予告に基づく余裕を持った戦闘準備」のほうがおかしいのだ。

 ――ということは、原因は何だ?

 うなじのコネクタから温感が広がってゆくのを感じながら龍平が考え続けていると、「ポン」という着信音と共に管制ターミナルからの個別着信が入る。作戦準備中であるから、これは珍しい。

 管制からの一斉通信や機体同士の直接接触通信ではないので、承認しないと接続されない。そこで龍平は承認アイコンを押す。

(シノン、殻の準備は順調かしら?)

 アルゼンチン出身のアリエータの日に焼けた顔が、FMD画面全体に表示された。彼女は龍平に好意的なほうの人間である。必要以上に好意的な感じもするが、その点を龍平はあまり深く考えないことにしている。

「やあ、アリエータ。こっちは万事順調だよ。それよりも、君のほうこそ何だか疲れているように見えるけれど、大丈夫かい)

 龍平は訳の分からない感覚に悩まされていたところであったから、珍しくアリエータを軽い口調で気遣った。

 アリエータが一瞬、意外そうな顔をする。そして、急に大笑いすると話を続けた。

(これから出撃するシノンに比べたら、深夜に叩き起こされただけの私なんて、まだましなほうよ。あと一時間もすれば正規の皆さんが到着するから、それで御役御免だしね)

 そして彼女は真顔に戻る。

(それから、気を遣ってくれて有り難う。貴方がそんなことを言うとは思ってもいなかったから、凄く嬉しいわ。それだけでもこの臨時勤務には価値があったと思える。他のみんなに自慢が出来そうよ)

「なんだかほめめているようで、実はひどい言われようだな」

(自業自得でしょ。それじゃあ気をつけてね)

「ああ――シノン、了解」

 画面が消え、アリエータの顔が残像として残る。

 彼女はまだ非正規職員で、緊急時の初期対応要員として便利に駆り出されることが多い。当座の対応まで済ませると、実際の作戦行動に移行する前にゆっくりやって来た正規職員に業務を引き継ぐ。

 この時間だと、また自宅に戻って一休みというわけにもいかないから、定時の勤務にそのまま突入することになるだろう。龍平のことを心配している場合ではない。

 だからこそ、余計に彼女の気遣いは嬉しく、ささくれ立っていた龍平の心に沁みた。


 少しだけ気分が良くなった龍平は、殻の機器チェックから『たか』の装備チェックに移行する。

 彼は『鷹』の標準装備を常に近接戦闘専用に調整している。表示されている装備品の一覧は、いつものそれになっていることを示していた。

 まず、ブレード・モジュール――刃渡り二メートルの炭素繊維製ブレードが、左腰の部分に鞘に納めて固定されている。

 そして、ショート・ブレード・モジュール――こちらは刃渡り一メートルのショート・ブレードで、右腰に鞘に納めて固定されている。

 外装は軽装甲モジュールであり、動きの邪魔になるので楯などの追加装甲は一切ない。

 ただ、両手の甲の部分に電極が取り付けられていた。接近戦で相手の電子制御系を混乱させるために使っている装備である。

 そこまでの接近戦を想定してこれを装備する者は誰もいなかったから、人気がなくて設備部が在庫品を廃棄処分にしようとしていたところを、まとめて安く買い叩いた。

 前回の大阪戦では長距離射撃用のライフル・モジュールを装備する必要があり、拳の電装品は照準ユニットと緩衝する可能性があったので外したが、龍平の標準装備の一つである。


 以上、他には何もない。


 気持ちが良いほどの軽装で、隠し玉の電極以外は余計なところにエネルギーを費やす心配はなかった。

 剣は折れない限り使える。だから、他のシルフよりも稼働時間を長く見積もることが出来る。それでも狙撃手よりは短いが、少なくともゲリラ戦では優位にたてる。

 もちろん、そんな限界まで戦闘を継続していたら、『鷹』よりも龍平のほうが先に力尽きることになるだろう。

 続いて外装品のチェックに移る。

 といっても現地到着、空母帰還用のバックパックだけだからそんなに面倒ではない。

 しかし、バックパックと姿勢制御用スラスタ・ユニットとの結合を外部カメラで確認していた龍平は、その途中でスラスタ・ユニットの上部に新たに装備が加えられていることに気がついた。

 スラスタ・ユニットは規格品であるから、そこに追加された装備があっても文句は言えない。特殊ユニットであるはずがないし、規格品は敵味方関係なく全機種共通が基本なので条件は敵も一緒である。

 しかし、龍平は装備の更新リストを呼び出して、その部分が何のために追加されたものであるのか調べることにした。小さなことであっても、戦場では命取りとなる可能性がある。

 場合によっては旧タイプのスラスタ・ユニットに換装するよう、交渉しなければならない。出力が下がるが、得体の知れないものをつけているよりはましである。

 標準装備品の仕様書が表示されたので、龍平は当該部分の仕様を確認した。

 画像中継用ユニット――要するに「車載カメラ」。

 RMMOBをエンターテインメントとして売り出す際、個々のシルフの視点で見た戦闘の状況を一般家庭に映像として供給するための、リアルタイム送信ユニットである。


 龍平は管制ターミナルを個別送信で呼び出した。


(こちら、管制)

「アリエータ、君がまだそこにいてくれて嬉しいよ」

(あら、これはまた珍しいことね。シノンが戦闘準備中に管制へ連絡を入れてくるなんて。これも他の人に自慢できるわね。何、私の声が聞きたくなったの?)

 アリエータの意外そうな声を軽く聞き流して、龍平は本題に入る。

「背中に何か新しい装備がついている。古いのと交換してもらえないかな」

(あら、そうなの? そんな話は聞いてないなあ。ちょっと待ってね、今すぐ確認するから)

 アリエータは目の前の別端末で装備情報をチェックし始める。その顔は口調とは違ってとても真剣で、とても美しかった。

(――ああ、これは駄目ね。そのまま背負って頂戴。スポンサー様のご意向だから外すなんて論外よ。古いタイプも全部廃棄済みだしね。ただ、本当は三日後の御披露目で使う予定だったものだから、まだ社内周知も充分に終わっていないわ)

「参ったな、こんな馬鹿げたものをつけて緊急出撃だなんて。付け髭のほうがまだましだよ」

(御愁傷様。シルフ用の付け髭なんて会社じゃ準備してないし、だからこそ報酬が三倍なのよ。そう思って諦めなさい)


 *


 二〇三八年十二月二十三日、協定世界時(UTC)の午後一時半――米国太平洋標準時に置き直すと同日午前四時半。

 

 画像中継ユニットは、よく見なければ分からないほどの微妙な装備追加だった。龍平が心配していた重量の増加は、スラスタの一部機能変更で相殺されており、機体の稼動に影響を与えることはない。

 それどころか出力が上がっている点に感謝しなければいけないところだ。しかし、そうはいっても明らかに戦闘とは無関係な装備で、それに比べると殻の中にある音楽再生ユニットのほうが遥かに意味がある。

 そんなことを龍平が考えていると、今度は友軍機からの通信音が入った。個別着信を承認する。

(よう、シノン。今回も宜しくな)

 ベルイマンだった。前回のやりとりの気まずさをまったく顔に出していない。

 ――なるほど、こういう人間が隊長向きなんだな。

 龍平は小さく息を吐くと、答えた。

「こっちも宜しくお願いするよ。お前が連絡してくるということは、今回の作戦指揮はお前が取るということだな、ベルイマン。早速で申し訳ないが、作戦について何か詳細は聞いているのか?」

(いや、それが俺もまだ何も聞かされていないんだ。全体の指揮を任せるという通信があっただけだよ)

「出撃の三十分前に作戦指揮官が何も聞かされていない? そんな馬鹿なことが……」

 龍平は会社のあまりの不手際に絶句した。そこまで情報が行き届かない作戦行動は初めてである。

 ベルイマンも同じ気分らしく、困惑した顔でこう言った。

(これは本当に緊急出撃なのか? 俺達が着いた先にでかいデコレーションケーキが置いてあって、中からトップレスの女がサプライズで出てくるというオチじゃないだろうな。そう言った奴がいたぞ)

「そんなことを言いそうな奴というと――シモンだな」

(その通りだよ。ともかく、今日の出撃は何かおかしい。情報が入ったらすぐに連絡するから、お前も何か分かったら連絡をくれ)

「分かった」

 しかし、出撃の時間になっても、誰からも何処からも、新たな情報はもたらされなかった。


 *

 

 二〇三八年十二月二十三日、協定世界時(UTC)の午後二時半――米国太平洋標準時に置き直すと同日午前五時半。


 具体的な任務の内容を知らされないまま、『鷹』はインド洋を航行していた空母から、荒れた空に向かって放り出された。殆ど視界の利かない嵐の中を、飛行ユニットは時折大きく挙動を乱しながら、指定された場所へと『鷹』を運んでゆく。

 前後の友軍機はカメラで捉えることができなかった。画面上の表示では、いつもよりも間隔をあけて飛んでいることになっている。

 殻の中に『マタイ受難曲』が、いつもにもまして陰鬱に響き渡った。それが『鷹』の外部カメラ画像と相俟あいまって、龍平の気分を余計に沈ませた。しかし、彼にとってはそのほうが自然に感じられて落ち着く。

 RMMOG以降の世界は、彼にとっては嵐の中の『マタイ受難曲』に等しかった。


 飛行ユニットの経路を広域地図上で確認すると、どうやら中央アジアのどこかに行こうとしているらしかった。

 現代の戦闘は、例外なく人のいないところで行われる。従って戦闘の八割近くは、放射性物質の漏洩によって誰も住むことが出来なくなった日本列島で行われていたが、他の地域で行われることが全くないわけではない。

 アフリカや中央アジアには同様に人気ひとけのない場所が豊富にあったから、そこに向かっていても特におかしなことではない。それに、いずれも有色人種の土地であるから、白人にとってはどれも同じに見えるのだろう。

 ――そういえば、イエス・キリストも有色人種じゃないかな。

 龍平はそんなことを考える。昔から、白人は有色人種から財産でも文化でも、奪えるだけのものを奪い去って、何も返そうとはしなかった。イエスが白人家庭に生まれていたならば、決してあんな苦難の道を選択することはなかっただろう。

 ――苦難の道。

 そこでやっと龍平は、殻に乗り込む際に覚えた違和感の正体に気がついた。

 午前四時――普通、そんな時間に白人の整備員が殻の接続準備を担当するはずがなかった。夜間勤務や緊急呼出は有色人種に任せて、彼らは昼の決まった時間に働くのが普通である。アリエータの顔を見たときにすぐに気がつくべきだった。

 龍平の背中を冷や汗が伝っていった。このような間違いに、取り返しがつかなくなった時点で気がつくのは、あの夜以来のことである。龍平は管制との回線を繋いで、アリエータを呼び出そうとした。

 ところが、今度は回線が繋がらない。

 ――やられた、これは完全に罠だ。

 龍平は眉をひそめた。会社を信用していたわけではなかったが、こうも大規模な手口で騙されるとは思いもよらなかった。

 彼は殻の所定位置に格納された端末経由で、通信回線を社内から社外の特定回線に割り当て変更する。音声回線への接続を選択するとコール音が聞こえた。そして、三コールしないうちに繋がる。

(もしもし)

 落ち着いた応答が聞こえてくる。

 龍平は笑いを含んだ声でそれに答えた。

「兄さん、見事に騙されたよ」

(龍平か。視覚情報のログを確認してみるから、ちょっと待ってくれ――ああ、こいつだな。これは相手のほうが上手だったな)

 ヘッドフォンから、楽しそうな浩一の声が聞こえてくる。彼はあの夜の爆発以来、現実世界での視覚を完全に失っていたので、画像情報でしか外界を見ることが出来ない。

(事情は把握した。こっちでいろいろと探るから任せてくれ。それから――今回はちょっと面白そうなものを積んでいるな) 


 浩一が電波の向こう側で舌なめずりする音が聞こえる。


 *


 飛行ユニットから切り離された『鷹』は、着陸・帰還用のバックパック・ユニットによって、中央アジアの砂漠地帯に降り立った。


 上空には未だ嵐の雲が居座っている。地表では風が砂を巻き上げていて、視界が利かない。砂によるノイズがセンサの障害になっていた。

 また、この天候では龍平が得意とする「音を使った奇襲攻撃」の出番はない。下手に検知可能音量のレベルを最大値まで上げてしまうと、砂の音だけで鼓膜にダメージを受ける。

 モニターの情報表示では友軍機も周辺に着陸したことになっているが、通信回路が繋がらないので真偽のほどは分からなかった。

 飛行ユニットから切り離されて以降、外部の通信回線すら繋がらなくなっている。

 通常通信回線は、戦闘中の直接通信と違って『鷹』の内部通信ユニットを経由しているわけではない。殻から会社のメインサーバ経由で外部回線に接続している。

 だから、作戦空域に到着した時点で殻から会社への回線が全面的に切断されたことになる。

 現時点でアクティブになっているのは、『鷹』による直接接続経由の音声回線と、殻から『鷹』への遠隔操作回線ぐらいだろう。さすがに機体の回線を切断すると暴走するから、切ることが出来なかったに違いない。


 以上の状況を総合して、考えてみる。


 龍平の敵は少なくとも会社の中にいる。誰かは分からないが、理由は分かる。龍平が存在すると都合が悪いからだ。スポンサーがついたエンターテインメントに、無粋な日本人戦闘員は邪魔なのだ。

 しかし、これまでの実績を無視して強制解雇することは出来なかったから、ここで何らかの失点を龍平に与えて、それを理由に組織から排除するつもりだろう。そうに違いない。そこまでは読める。

 そこで龍平は、アリエータやベルイマンの顔を思いうかべた。

 アリエータは、恐らく今回の企みのことを知らされていないだろう。それは彼女は龍平の味方だからではなく、彼女のレベルまで巻き込むと情報統制が難しくなるからだ。

 ――それに、職がかかれば彼女も敵に回るかもしれないな。

 龍平は浩一と葵以外にはおかしな期待を抱かないことにしている。そうでないと足元を掬われた時のダメージが大きい。

 ところで、ベルイマンはどうだろうか。

 逆に彼を外したほうが危険であるから、何らかの形で今回の一件に関与していると考えたほうが正しい。

 そうでなければ、一緒に出撃したベルイマン達も龍平の道連れとして会社から騙されていることになるが、そこまでやったら会社は貴重な傭兵をまとめて失うことになるだろう。

 つまり、ベルイマンは黒――道理でさっきの通信で平然としていたわけだ。

 結局のところ、戦場で日本人である龍平を救うものは、やはり誰もいないのだ。

 覚悟していたことではあるが、ここまで見事に罠にめられると、龍平の心は少しだけ乱れた。

 やはり、変に仲間意識を持たなくて良かったと思う。そんなことをしていたら、また酷く辛い思いをするところだった。


 機体の気象探査ユニットから、風速が次第に弱まっているという情報が送られてきた。

 視界が回復すれば、自分の置かれている状況がさらによく理解出来るようになるだろう。そして、同じく敵にも龍平の置かれた状況がよく見えることになる。そうなれば本格的に戦闘開始だ。

 これだけ周到な罠であれば、周囲を完全に敵で囲まれていることも想定しなければならない。龍平は近くにあった岩の陰に機体を移動した。後方から狙われていたら噴飯ものの姿だが、最善は尽くしておくに越したことはない。

 そう考えている間にも風は弱まってゆく。サンドペーパーのような厚い砂嵐が、次第に布地のように薄まってゆく。周囲の岩や砂山などがシルエットになって現れ、次第に解像度を上げてゆく。

 ある程度のラインを越えると、『鷹』のカメラ画像にメインシステムの補正が加わることになるから、急に画像が鮮明になる。

 そして、その瞬間がやってきた。

 補正された画像が表示される。『鷹』の周囲に友軍機の姿はなかった。途端に画面上の友軍機反応もすべて消滅する。そこまで念入りな欺瞞工作を施すとは、実に用意周到である。龍平は唇を歪めた。

 今のところ、敵の姿もない。四メートルの巨体は、砂の中にでも隠れていない限り、探査用のレーダーから逃れることが出来ない。もっと小さいものならば話は別だが――そう考えていたところで、画面上にアラーム・メッセージが表示された。


「ここは交戦禁止区域です。速やかに退去して下さい」


 龍平は一瞬、その赤い文字を見つめる。

 続いて、『鷹』のセンサを、赤外線による生物探索モードに切り替えた。今までこのモードを使ったことは一度もない。周辺のデータ収集に五秒ほど時間がかかり、メインシステムにより処理された解析結果が画面上に表示される。

 すると『鷹』の左後方、五百メートル先のところに、確かに遊牧民の集落らしき布地の集まりがあった。推定住民数は二十二名。そこで龍平は、この作戦が自分だけに向けられた罠ではないことを知る。

 彼に対する罠であれば、住民がいる地域に彼を導くはずがない。さすがに交戦禁止区域で戦闘を行ったら、龍平ともども会社もただでは済まない。雇用主としての責任を問われる。

 ――雇用主?

 そこで更に龍平は考えた。

 つまり、この絵を最終的に描いたのは会社ではない。会社も騙されて、その片棒を担がされた可能性がある。そのことにやっと気がついた時、戦闘中に割り当てられる友軍回線経由で、音声が出力された。

(よう、東雲シィノノウメ龍平リィウヘイ君じゃないか)

 龍平は、彼の名をおかしなアクセントで呼んだその声に、聞き覚えがあった。


 ラインバッハである。

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