見果てぬ夢

第1話 風夢徹

 東京地下都市、それは地上を化物に奪われた人類が暮らす最後の楽園。その名の通り地下に存在するが、高度なテクノロジーによって地上との違いは殆ど無い。森もある、四季もある、空も......見かけだけなら存在する。


 しかし、楽園にも侵略者が時折姿を見せる。南部の森、そう呼ばれる森には化物が時々出没する。森から出れば大事件になるだろう。


 幸い、化物と戦えるだけの力を持つ個人がこの地下都市には存在した。プローディギウム、そう呼ばれる力を行使する彼等は化物が一般市民の目に入らないように隠密のうちに処分する。そうしているおかげで化物の存在を知る一般市民は存在しない。


 これはそんな、不安定な楽園の話である。







 その手紙は風夢徹にとって、まさしく「奇跡」だった。


 最後に付き合っていた恋人と別れてから二年が立っていた。別れた理由は亜夢叶あむと梨絵という先輩にそのことがバレ、その翌日に彼女から別れようと言われたからだ。どうやら先輩はその子を脅したらしい。「徹は色恋沙汰よりもやるべきことがあるでしょ?」と先輩は言った。徹はそれほど怒りはしなかった。すでに恋人との関係は冷えきっていた。後から考えてたぶん先輩がやるべきこと云々の話で別れさせたのではないと気が付いた。なにか思い悩んだ顔をする徹に業を煮やした梨絵がそれを解決させてやろうとお節介で別れさせたのだろう。


 それから徹に恋人ができることはなかった。徹は身長は平均より五センチほど高く、顔もハンサムと言われるほどには整っていた。直に、そう、高校に行けばすぐに恋人ぐらいできるだろうと考えていた。


 しかし、そうは問屋がおろさなかった。すぐに「風夢徹と付き合うと恐ろしい女に吊るされる」というような噂をその元恋人が言い始めた。それは徐々に尾ひれが付いて行って、徹が高校に入学する頃には「風夢徹と付き合うとコンクリで固められる」だとか「風夢徹と付き合うと夜道も歩けない」というものになっていた。


 それでも最初は徹に話しかけてくれる勇気ある女子生徒もいた。しかし、何故かその翌日には顔を真っ青にして登校してくるか、学校を休むのだ。噂は更に苛烈になって「風夢徹に近づいた女子生徒は死ぬ」というものにまでなっていた。そのため、徹が二学年になる頃には、教室で話しかけてくれるの男だけになっていた。


 そんな時、今回の手紙をもらったのである。


 登校中の徹にそれを渡してくれたのは、顔も名前も知らなかった一年だ。少女の長い髪と、真っ黒な縁眼鏡は恐ろしいほどに似合っていた。


「これ......ここに書かれた時間、場所に来てもらえないですか? 話したいことがあるんです」少女が茶封筒を徹の手に当てながら言った。


「はあ、でも、僕がなんというか、その面倒な事情の人間だというのは知っているよね?」


 少女は小さく息を吐いた。「それはさして重要な問題ではありません」


「そう、でも、噂は本当だよ。そりゃあ脚色は当然入っているけど、恐ろしい目に会うのは、それは本当に噂通りなんだよね」


「風夢先輩って意外としつこい性格なんですね。問題ではないと言っているじゃないですか」


「君は問題がないというが、先輩についてどれだけのことを知っている? きっとロクな目に合わないよ」


「知っていますよ。亜夢叶梨絵先輩はこの学校の三年生。所属している部活は討伐部」


 少女が部活まで言ったところで徹はそれを遮った。


「なんでそれを知ってる? ......それは一般生徒が知ってるはずない。まさか」


「それも含めて、お願いしますね。書かれた通りの時間、場所でお待ちしています。絶対に来てくださいね」


 徹がイエスともノーともいわないうちに少女は走り去った。


 徹は親指の爪を噛んだ。もちろんこういう誘いは嬉しい。だがそれ以上に不安が胸を支配した。


 中学時代から徹は、と言うより徹のような生徒の多くは在籍する学校の討伐部に籍を置いていた。討伐部にはプローディギウムと呼ばれる力を持つ少年少女が所属している。化物という存在が一般に知らされていない以上、あくまでも秘密組織の一つとして扱われた。


 徹はそのプローディギウムの特徴的に囮をすることが多かった。と言っても部員は徹と亜夢叶先輩と後輩が一人、それだけだったが。一年して亜夢叶先輩が高校に上がると、後輩にも徹にも攻撃的なプローディギウムは持っていなかったから、すぐに活動は下火になった。


 当時の徹はそれでも良いと思った。プローディギウムが同業者に見られれば翌日には殺されかけるということも、徹に限って言えばよくある話だったからだ。


 それでも徹が高校に入ってからも討伐部に入部したのは、部活をたった一人で運営している亜夢叶先輩に「お願い」と懇願されたからだ。徹は亜夢叶先輩に頼まれると、どうしても断ることが出来なかった。その翌年に入学してきた後輩は先輩からの誘いを断ってみせたが。後輩いわく「私がいなくても戦えますしね。必要なときに呼んでくださればいつでも手伝わせてください」ということだった。


 後輩がそういうのもわからない話ではなかった。実際、徹がいなくても、その後輩がいなくても亜夢叶先輩さえいれば活動は満足にできた。それほどに亜夢叶先輩は強力な存在だった。


 だが、それだけだったら今回の少女の誘いを不安に思うことはなかった。プローディギウムを扱う人が一般市民に暴力を働けば「プローディギウム法」に触れて、それなりの罰を受けることになるからだ。プローディギウムは法的に言えば凶器とされている。


 しかし、亜夢叶先輩のプローディギウムは相手に直接的に傷を負わせるものではなく、「プローディギウム法」は先輩の行動を止めてはくれない。だからこそ徹は不安で仕方ない。


 約束の時間、徹は西部にある廃工場にいた。日は傾きかけていて、今はもうガラクタとかした機械からは長い影が伸びている。化物のようだ、徹はそう考えた。


 徹はそんな機械の一つに積もった埃を掃いてから座った。そこからは壁にところどころヒビがはいっている事がよく見えた。


 こんにちは、と背後から少女の声がした。


「ああ、さっきぶりだね」


「ええ、そうですね」少女はぎこちなく頷いた。声は固く、緊張していそうな表情をしているが、眼鏡の奥にあるその瞳は使命を帯びているかのような強い決意が感じ取れた。手紙を渡された時にも感じたことだが、色恋の話のようだ。


「それでお話ですが」少女の手が何気なく腰へ向かった。


「ああ、お話ね。先輩に怒られない程度に頼むよ。さっきも言ったけど噂は聞いているでしょ?」


「ええ、風夢先輩に言い寄った女は原子に返される、というお話でしたっけ。中央から転校してきたばかりですが、一番最初に聞かされましたね」


  噂は更に苛烈になっていたらしい。


「なら分かるでしょ? 今日、僕は君からの手紙をもらっていないし、君と僕はここで話しているのは単なる偶然だ。多分、先輩は僕らがここで会っていることに気がついているだろうけど、それなら君は安全だ」 


「違いますよ」少女は呆れたような表情を作った。「初対面の人に言い寄るって、先輩、少女漫画の読み過ぎですよ」


 少女の手には大太刀が握られていた。どこから取り出したのだと思い少女を凝視すると腰にある鞘から取り出したのだと分かった。では、鞘はどこから取り出されたのだろうか。


「先輩は不死身だそうですね。俄には信じられません」


「ならそれをしまってくれよ。死んじゃったらどうするつもり?」


「私はとても不死身という能力があるとは信じられません。だからテストするのです。もし不死身でなければまた不死身と呼ばれる存在を探すだけです」


「勘弁してくれよ。なんでそんなに不死身のプローディギウムを探すかね?」徹がため息まじりに言った。


「理由なんてどうでもいいんですよ。逃げたければ逃げても構いませんよ。不死身なのに逃げる、というのも体力の無駄遣いな気がしますけど」少女はそう言うと、一歩にして徹のすぐ前にまで近づいた。


 そのままの勢いで徹の首筋に向けて大太刀が振るわれる。徹はそれを一歩下がることによって辛うじで避けた。


 息をつく間もなく、今度は徹を真二つにしようと大太刀が振るわれた。ギリギリのタイミングで体を左に動かすことでそれを躱した。少女の大太刀は地面に綺麗な切り込みを入れただけに終わった。


 徹は少女の方に走りこむことで大太刀から身を守ろうとした。すると少女は徹ではなく、徹が走る先の地面に切り込みを入れた。


 少女までの距離、残り三センチといった辺だろうか。不思議な事に、徹はその切り込みを超えることは出来ず、何か目に見えない壁にぶつかってしまった。徹は慌てて右側に走ろうとしたが、二回目の攻撃で作られた切り込みを徹は同じように超えることは出来ず、再び見えない壁に衝突した。


「運動神経は良いんですね」徹の背後から少女はそう言うと、大太刀を振り下ろした。ドサリという音とともに、縦に真二つに切断された徹の体は地面にたたきつけられた。


 不思議な事に、体が真二つになったにも関わらず、徹の体からはほとんど血液が流れ出なかった。それどころか、まるで磁石のように真二つにされた体は引きつけあった。


「痛いなぁ」徹は体を起こしながら言った。服もしっかり治っている。


「やっぱり、不死身だったんですね」少女は少し安堵したように言った。


「まあ、そうだけど、不死身だからといっても痛みは感じるから今みたいのは二度とやめてくれよね」


「それは約束できませんけど、多分しないと思いますよ」


 徹はそれを信じる気にはなれなかった。何か聞き出したい、徹はそう思った。


「そういえば、君はなんて名前?」


「私ですか。須田朱音ですよ」 


「そう、須田さん。うちの部に入らない? そうすれば君に切られたことだって入部のために腕前を確認していたと言えるしね。先輩にはもう気づかれているだろうし、痛い目合わないためにもそうした方がいいと思うんよ。僕も部員が増えるのは嬉しいしね」


「私が入部? それは遠慮させてもらいますけど、討伐部さんの部室には寄らせて貰う予定です。その亜夢叶先輩に用事がありまして」


「先輩に用事? 多分話は聞いてもらえないと思うね。今だってきっと、後輩からの説明を聞きながら激怒しているに違いないし」


「ええ、それで問題ありません。では今日はもう失礼しますね」


 須田朱音はそう言うと、徹の返事も聞かずに工場跡を出て行った。


 徹にとって体を真二つにされることは死ぬほど痛いに違いはないが、少女を嫌う理由にはならなかった。それ以上に須田朱音という少女の目的はなんだろう、徹はそれが気になった。


 徹は再び機械の一つに腰をかけて考え始めた。本当なら去っていた少女を追手でも聞き出すべきだったのだろうが、おそらく何も話してはくれないだろう。それに少女からの心象も悪くなってしまう。明日、亜夢叶先輩に用事あって云々と言っていたのだから、明日になればある程度のことは分かるのだろうか。確固たる根拠があるわけではないが、どうもそうではないように思う。


「これ以上考えても仕方がない、か......」徹はそう言うと機械の上から立ち上がった。


 徹が工場跡から出る頃には日は沈みかけていた。自転車にまたがると、尻のあたりに冷やりとした感覚がした。暦の上では十月だが、冷え具合はすでに十二月辺りになるだろうと、お天気キャスターが言っていたのを思い出した。赤縁眼鏡のよく似合うキャスターだった。


 自転車を無心で漕ぎ続けることは徹にとって苦痛でしかなかった。仕方なしに昨日のことを思い出しながら帰ることにした。前日のことを思い出す事を習慣化すれば、記憶力が上がるというような事がテレビで放送されていたからだ。


 昨日は特に代わり映えのない一日だった。転校生が来たという話はその日に聞いたが、まさか自分がその子に殺されかけるなんて思いもしなかった。社会科の教師は相変わらずつまらなそうに念仏の様にぶつぶつと......。


 徹は社会科教師の事を思い出しながら、混乱に襲われた。徹は果たして教師がうんざりとした風に喋る場所にいたのか。記憶は確かにイエスと言っている。ただ、そこにいたという実感はなかった。記憶喪失となった少女が自分の名前を教えられ、まつわる情報を教えられても、そのことに実感が持てるはずがない。まさしく徹はそういう精神状況に置かれた。


 混乱は次第に恐怖へと遷移して、徹を襲った。自分とはなんなのかということを徹は見失った。これはさっきのことについても同じだった。たしかに須田朱音という少女に殺されかけた事実はあるし、それを記憶していたが、そのことに一切の実感を持つことが出来なかった。


 徹がそのような調子で自転車を漕いでいると、クラクション音が響いた。徹が驚いて後ろを向くと、車から顔を出して「どこ見て走ってんだ。危ないだろうが」と怒鳴る男がいた。しかし、そのことは徹の意識からすぐに消し去られた。

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