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 最終的にロシア原潜が方位165度、5ノット(時速約9キロ)の速度で航行していることを把握した。「ひりゅう」は艦尾方向から少しずつ、位置を変化させながら追尾を開始した。

 本条は探知報告を書き上げた。自衛艦隊司令官と潜水艦隊司令官宛てに、ロシア原潜探知の事実、その針路、速度、位置、追尾中であることなどを電文に記した。艦長の了解を得た後、いつでも送信できる態勢を整えた。

 沖田は必要な録音ができたことをソナー室に確認する。その後は速力を落とし、敵艦に気づかれないように、少し距離を開けてから露頂を指示した。司令官への暗号電報は海面すれすれの位置まで深度を浅くし、海面上に出した通信アンテナから電波を飛ばす。

 いったん露頂した「ひりゅう」は再び全没してロシア原潜を追尾した。

 やがて音紋解析から、ロシア原潜はNATOコードネーム「オスカーⅡ」であることが判明した。米空母を攻撃するために設計された、水中排水量1万8000トンに及ぶ巨大な巡航ミサイル原潜である。

「ひりゅう」はロシア原潜を半日間、息を潜めるようにして追い続けた。追尾している間、乗組員の食事は全て缶詰とされる。トイレの使用も制限された。「オスカーⅡ」はその動きからして、こちらの追尾には気づいていない様子だった。半日近く追尾しているにも関わらず、ロシア原潜が日本海を潜航している目的は掴めなかった。「オスカーⅡ」の目的が単に日本海を通過するだけではないことは、5ノットという速度にも表れている。原潜としては遅すぎる速度だ。

「発令所、電動機室。現在の速力で電池残量あと3時間です」

 機関長の徳山が報告する。

 本条は歯ぎしりした。ロシアの原潜は艦内の原子炉で自ら発電でき、半永久的に航行可能だが、日本の通常動力式では限りがある。「ひりゅう」はスターリング・エンジンによる半永久的な航行も可能だが、それでは速力に差がありすぎる。

 本当は露頂してスノーケル・マストを出し、ディーゼル・エンジンを起動して蓄電池の充電をしなければならない頃合いだった。だが、吸気する際に大きな音が出てしまう。敵がその音を探知した場合、最高速度30ノット(時速約56キロ)でこちらをまくだろう。

「機関長、電池残量があと1時間になったら教えてくれ」沖田は言った。

 艦長は「ひりゅう」の電池が切れる直前まで「オスカーⅡ」を徹底的に追尾し、相手の手の内を把握しておくつもりなのだろう。

 3度目の交信をした際、潜水艦隊司令官より新たな命令が伝えられる。内容は指定された交代時間に、爾後は対潜哨戒機P-3C《オライオン》による追尾に切り替えよというものだった。悔しいが、命令ならば従わねばならない。本条は艦長にその命令を伝える。沖田は「そうか」とだけ答えた。

 本条は沖田の顔をそっと窺った。その表情は追尾中とあまり変わらず淡々としている。艦長とはかくあるべきなのか。

「ひりゅう」は交代時間直前、「オスカーⅡ」に気づかれないよう、深度200メートルから無音で潜望鏡深度に露頂してアンテナを立てた。本条がUHF波で航空機を呼び出す。ただちに応答があった。哨戒長についていた機関長の徳山が報告する。

「艦長、P-3Cが飛来します」

 沖田は時計を見た。時刻は14時50分だった。本条はP-3Cを誘導するため、規定の周波数で交信を始めた。

「《フェザーライト(P-3C)》、《ドルフィン(ひりゅう)》。航空機、こちら潜水艦。貴機を視認した。方位163度。どうぞサイテッド・ユー・ベアリング163、オーバー

 本条の連絡で「ひりゅう」の位置を知ったP-3Cは低空飛行に入る。しばらく経ってから《ナウ・オン・トップ》と「ひりゅう」の真上を通過したことを伝えてきた。本条がロシア原潜の位置を通信する。自らもその位置を把握したP-3Cは潜水艦捜索用のソノブイ(対潜水艦用音響探知ブイ)の敷設を開始した。

「ひりゅう」の乗組員たちは疲れ切っていた。一刻たりとも気が抜けなかった長い追尾がようやく終わった。本条は無事に任務を引き継いだことに安堵した。任務を達成できた歓びが、艦内の隅々に波紋のように広がった。

「あとは航空部隊にまかせよう。皆、ご苦労。元の任務に復帰する」

 沖田は一同の高揚した様子を眺める。その後は何事もなかったような平静さで艦長室に踵を返した。

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