私が来たのは嘘

merongree

私が来たのは嘘

 掃除機の音が鳴り止んだのが分かった。私は意地悪しているという自覚があるみたいに、そっとチャイムからゆびを離した。なんにも連絡しないでいきなり彼女の日常をこんな風にやぶるのは、なんにも作る気がしない夕飯どきにピザを届けるぐらいサーヴィスだと確信していたので、べつだん彼女はそのことで理不尽だと驚いたりはするまいと思っていた。また、たとい「事前に連絡しろ」とか責められたとしても、そのことで悪びれたりするつもりが私にはなかった。彼女は古臭い扇風機みたいな、生活の油の回った鈍い機械みたいな足音を立ててばたばたと出て来た。「あー、」と彼女は言った。真夏に天気予報をつけたら、最高気温が35度を超えていたのを見たような声。「いたしかたないにしろいい感じがしない」という態度まるだしだった。私は、思っていたより彼女が露骨にいやそうな顔をしたので、思いがけずいたずらが命中したような気分になって、「うそー、私が来たのは、うそー、」と彼女をひどくなやませた、小学生のころに立ち返って笑った。

 私はいきなりの大声のようなものになって、彼女の日常をやぶるだけやぶって、いつまでもやぶ蚊みたいなうるさい存在でもいられまい、と思った。それで、すこし彼女の習慣に取りこまれなくてはまるまい、と思って少し焦った。それで「ジョニデは?」と、彼女が、彼女のコンケでひそかに彼女の姑のことを呼んでいる、内緒のあだ名のことを囁いた。私にしてはじつに、真夏にやるにはじつにうっとうしい、最大限のおもねりと言っていいと感じる。確かに私は、彼女に向かい「ジョニデは?」と、玄関先で言ったのだ。彼女の、性格には彼女のボーイフレンドだった夫の、生まれたときから住んでいる古い一軒家の、玄関先でサンダルを脱ぐような素振りをしながらそう言った。私にはやぶ蚊をうまく潰したぐらいの快挙だったなと感じる。「いまね、プール、」とあいらちゃんは言った。あいらちゃんというのは、彼女の、私にとっての名前だ。確か実際には陽子とか、そんな平凡な名だった。あいらちゃんというのは、愛は良いのだ、と書く。「プールか、いけばな教室の日じゃないの?」と私は、彼女の姑がいくつかの習いごとをしていて、カルチャースクールに通って生き生きと暮らしているのに、あいらちゃんが韓国刺繍にもフラダンスにも、いっこう興味を示さない、若いのに若さの甲斐のないつまらない女だ、と言われてなやんでいたことなどを思い出しつつ言った。かなり彼女におもねって喋っていたなと思う。「きょうはちがう、水曜日だからプールの日。分かりやすいでしょ」と言った。彼女なりに、姑の予定に関心をしめそうとして、曜日についている水とか土とかで考えようとしているあたり、あいらちゃんが生活のスタイルをいっこうに崩していない、まるで豚の貯金箱が豚であるという可愛らしい空洞を保ちつつ、なかにお金をためることも出来るようになった、喉の下をナイフで一文字に抉ることで、そんな小さな快挙をやってのけていることを感じ、「努力してんね」とちょっと褒めた。「そのうえ掃除なのよ、」と彼女は言った。いけばなの日は土曜日なの、土の匂いがするからかしら。水曜日は水の日でプールなの、プールのお友達とは旅行に行ったりするぐらいに仲がいいのよ、と彼女は矢継ぎ早に、自分はこれだけの訓練を出来ているんだ、と子供が難しい野菜を食べられたことを、その野菜の骨をはしの先でつまみながら自慢するみたいに言った。満を持して嫌いなのだな、ジョニデが、と思った。ジョニデ、とせめて呼ぶのは、あいらちゃんがきらいな野菜のようにきらいな姑を、せめて呼ぶときに好きでありたいと思ってわざわざ、海外のイケメン俳優の名前にしたのだ。彼女の努力はつねにそんな感じで、複雑ではなく、毒がない。性格が実にさっぱりとしていて、私たちの良い姉であったことが他人の目にもうかがわれるのではと思う。そして彼女は、嫌いなジョニデがプールに出かけていない間、彼女の嫌いな掃除にまで手をつけている。よほどジョニデがいない間に、自分を良い人間に再生しておく癖がついちゃっているんだな、と意地悪く感じられて、見なければ良かった、と思った。何を? と、そんなことを思ったあとで思った。答えを求めるみたいに「あいらちゃん、」と私が呼びかけると、「待ってて、掃除機のスイッチ抜いてきちゃう、」と、彼女は彼女の生活への闖入者である私をあっさりと優先し、私の肩にかるく触れて麻痺させるような手触りを残したあと、水鳥が水面を蹴って跳び立つみたいなあわただしさでリビングの方へと飛んでいった。彼女が飛ぶまえに、開けていたドアを支えていた腕が落ちる時の、二の腕の熟れた脂肪の白さが目のなかに焼きつくみたいに残った。プールにもいけばなにも掃除にも鍛えられていない、好きこのんで他人の家に軟禁されている彼女の腕は白い果物のように静かに熟れている。これは、他人の家の生活習慣を赤々とひるがえる星条旗のように眺めて、何も抵抗するまいと認めた彼女なりの白旗なんだなとも思った。ああ、見なければ良かったのは懐かしい二の腕だと思った。私が懐かしいと思っていたころは体操着の半袖にかくれていて、こんな子供を産んだあとの乳のように柔らかく熟れてはいなかったのだけれど。

 それにしても、義理の母という字面は恐ろしいものだな、と感じる。英語では、法律上の母とか言うのだけれど、そのほうがよっぽど理にかなっていてさっぱりしているのに、と思う。あいらちゃんは、義理の母ならば初めてではなかった。私たちの関係にはちょっとした説明が要る。しかし、いくら上手く話したとしても、私たちと実際の知り合いではなく、私たちの夕飯に招かれたりとか、私たちと食後のウノをしたりとか、誰かが誰かを泣かしているところに大人として参加したりした経験でもないと、私たちの関係を「他人なんだけれど、疑似姉妹として寄せ集められた家庭にさまざまな事情のある子供たち」という関係以上に、真実らしく理解することは不可能だろうと思う。そういう前提ですこし雑にせつめいしておきたい。

 あいらちゃんはコンケにいて、結婚しているわけなのだけれど、そこで義理の母というものを正式に持つ前は、お母さんとともに暮らしていた。それはほんとうのお母さんであり、あいらちゃんにとっては法律上も母であり、恩義のうえでも母だし、とにかく産んでくれたひとという意味では間違いなく母というひとである。そして重要なのはその前で、あいらちゃんが産みの母と暮らすようになるまえは、私たちの母と、私と、私と姉妹ということになっていた女の子たちと共に暮らし、私たちのお姉ちゃんという立場で家のなかにいた。私は小学校の高学年にいたるまで、「姉妹」というものが、上から順番に同一の親が産んだ子供、というシステムで組み合わされた子供たちであるという事実を知らなかった。誰もが、自分の家とどうよう、あるとき突然出あわされて、そして姉妹になったのだという風に合点していた。対面の儀式や、その後しばらくは衝突がはげしいので、まあ他人の目には見せないのだろうなという理由で、自分も友達の家のそれは知らないのだと勝手に思い込んでいた。あいらちゃんは私たちの、ゆいいつの姉ではなかった。どうしてそんなことを始めたものか、おそらく本当に最初はただ親と暮らせなくなったよその子供を預かったりしただけだったのだろうけれど、私たちのお母さんは余所から子供を預かって来ては、名前までべつにこしらえてしまい、ほんとうの姉妹のようにして学校に通わせ、ほとぼりがさめると元の家に帰すというようなことをやっていたので、私には一時的な姉というものが何人もおり、また妹や弟も同じことだった。あいらちゃんは、小学校5年の途中で私たちの家に来て、そのころいちばん上だったなっちゃんという子が中学3年で私たちの家を卒業したので、わずか10歳にして私たち姉妹のいちばん上のおねえちゃんとして君臨させられた。誰が置いていったものか忘れたが(なっちゃんのものじゃないかと思うが)、そのころ私たちの家に全巻そろっていた『ときめきトゥナイト』という少女漫画をみんなが読んでいて、とくに最も小さいチビたちは、夕飯まえの待機時間にときめきトゥナイトごっこなどを盛んにやっていた。それに寂しそうな彼女を混ぜるときに、最後のヒロインである愛良ちゃんの役を振った。配役からして、私たちのコミュニティの小さなチビたちが、けっこう彼女を取りこむために気をつかってやさしくしたんだな、ということが感じ取れる。

 でも、元は一人っ子である彼女に、私たちみんなのお姉ちゃんというのはとても荷が重いということは、彼女に背負われている子供の中で、自称してとても聞きわけがいいと思っていた私ににはありありと分かることのように思えた。ほかにも、いきなり長女候補として攫われてきて、私たちがいることに音をあげて、産みの母親に泣きついたり家出したりしてすぐにいなくなってしまう「姉」もいた。私があるときに、「そうか、よその家というのは(どのぐらい全員がそうかは分からないけれど、世のなかの99%ぐらいの家は)、お母さんが、下の子たちの面倒を見る子から産んで、そのあとでチビたちを赤ちゃんの状態で産んで、次第にいっしょにいることに慣らしていくみたいにするのか」と悟ったときは、神様の造ったこのシステムの素晴らしさにひとりで感激した。面倒を見る子からじゅんばんに育て、みられる子を後から産んでいくほうが絶対にいい。いきなりよそから成鳥を攫ってきて、産んだこともない卵を強引に抱かせるというのは、まだ幼い女の子たち、私たちの姉たちにとても酷なことだったろうな、と思う。しかしあいらちゃんはそのなかでも、とびきり上手くやった姉として私の記憶にのこっている。彼女はそう、愛のないことを初めからけっこう自覚していて、自分には愛がないんだからこんなことは出来ないんだ、と途中で気づいてわめいて逃げ出すような幼い姉と違い、そんな自分を利用しながら私たちによく接していた。私は実のところ、彼女の、私たちへの無関心から来る私たちへの際限のない優しさに触れ、その優しさを自らのほんものの優しさと誤認しているような彼女の自然な残酷さというものに凄くあこがれた。彼女は自分を責めず、破壊したりせず、私たちをままならない子供として軽蔑する態度から一線も越えることなく、私たちへの無関心をそのまま、私たちへの抵抗のない従事に仕立てた。自分でもそれをやっていることに、気づいていたのだろうけれど、そのことを自分でわるいと思ったりしていなかったから、あれほど関心のない私たちに従事して、またそのことに無自覚でいるみたいに、他人の目には盲目的なぐらいに献身的であるように見えたのだろう。彼女の何の狼狽もない、実に愛のない、むしろ一欠片でも愛情があったりしたらとたんにしぼんでしまうような、彼女の無条件降伏みたいな優しさが、彼女の小学生にしては大人が描いた絵のように虚ろな色彩の目のなかに、帆を上げるように膨らんでいくのを見るのは、私は昆虫を引きちぎるのと同じく自分だけのひそかな楽しみにかぞえていた。彼女は私の、こんな愚かでとても愛らしくない点を理解していてくれていたらしく、私だけを群れから呼びだしてお菓子をくれたり、何とはない大人軍団の憩いの時間に引き入れてくれたりするようになった。彼女について彼女に警戒されるぐらいに、目のなかに起こっていることを発見していた嫌な子供の私ではあったけれど、こんな優しさのおそらく根拠となているであろう彼女の私への軽蔑を、いつか穏やかな好意に変えたいと願うぐらいに、普通に好きであったりもした。あまりにも母に連なる子供のかずが多すぎて、いつか己の母というより人類の母のみたいな、何やら象徴的でつかみどころのない偉大な女性になってしまった母にあきらめた、私の母性へのあこがれをこのあいらちゃんで満たそうと、私が試みていたなごりがいまだにあると思う。このたびの突然の訪問だとかは、何だかそんなことの象徴のように思われた。

 あいらちゃんとの別れの場面は、踏切を彼女が、産みの親に手を引かれて渡るという光景で終わっている。どうしてかお見送りの人数は少なく、私と弟と母の3人ばかりであったと記憶している。位置的なものを考えると、おそらく踏切のそばの中華系レストランで最後の食事して、それでお別れになったのだろうけれど、食事のシーンはぜんぜん覚えていない。まるで8月のカレンダーがひまわりであるみたいに、私と彼女との別れは8月1日であるかのように、その、別れの場面の光景しかあたまのなかに絵がない。あいらちゃんはランドセルを背負っていて、「あっちの学校に行っても、卒業アルバムは送ってもらえるって」と卒業アルバムのことをしきりと言っていた。私は当時小学校2年生だったけれど、小学校6年生というのは、はたちになるぐらいの大事件の年齢だと考えていて、あいらちゃんは6年になったから、この家を出て行くことが出来たんだな、と勝手に合点していた。卒業アルバムなどというものを手に入れられるのも、彼女がじゅうぶんに人生を生きて行く上で、「卒業」を経験できるほど熟れたからだというふうに思われた。あいらちゃんいいなあー、いいなあ、と、アルバムのことをえんえんと言うと「みかちゃんだって、ロクネンになったらもらえるよ」と慰めを言われた。私はあいらちゃんが、他のお姉ちゃんによくあったみたいに私をみか、と呼び捨てにするんじゃなく、全然愛してもいないのにみかちゃん、と執拗なぐらいにちゃん付けするのが良くて、まだ捩子の回転に残りがあるみたいにずっといいな、いいなと口中でアルバムをうらやむ言葉をつぶやき続けた。彼女は、いま自分がアルバムを残している生活から、離脱することを祝福されていることを、それとなく私に当てつけたと思う。いいなあ、と言うのは何重もの意味があり、風邪をひいているひとが咳き込むしか出来ないみたいに、私はそれしか言うことが出来なかったのだけれど、まずアルバムという、思い出を経験した人間に与えられる、賞状みたいなものが手に入る未来がいいなあ、であった。それから、私たちのこのくんずほぐれつの、うっとうしいぐらい多くのひとに満ちた生活から離脱出来る身分になったこと。それから、そのことをさりげなく、あんたもそのうち出来るよと適当な嘘を言って私に当てつけている、その意地悪さの軽やかさとやさしさが、私には賛美すべきものに思えて眩しかった。それでいいなあいいなあと言ううちに、彼女の産みの母と、しばらく預かっていた私の産みの母との間で、大人のまなざしの交換のうちに約束のタイミングが出来、私たちは双方の母親のほうへと引き離された。あいらちゃん親子が踏切を渡るのを見送り、手を振り続けながら私は、あいらちゃんひとりの死をねがった。叶うものなら、つぎに来た電車に轢き殺されてしまえばいいのに、と、まるで信じなくなったサンタクロースが来ればいいのにと思うような気持ちで願った。私が信じていなくとも、その赤い服を着た特別な幸福は、世界のどこかに潜んでいて、まだ私のことを見放さずにいて、場所によっては私のもとにも平等に訪れてくれそうな予感がしていた。あいらちゃんが、最後まで私たち弟妹を嫌っていたのに、またそのことを強いて隠すわけでもなく、淡々と私たちを見捨てながらためらいもなくしてくれたあの献身は、いま私に笑って手を振って去る瞬間に、彼女の珠のような素晴らしい技巧としてみごとな完成をみせようとしていた。彼女は全身を電車に踏み潰されてひかれてしまえばよかった。それは、置いていかれる私の憎悪のせいでそう思ったのではない。

 私は彼女というより、彼女が編み出したあの技巧的な性格を尊敬していたから、その仕組みの綺麗な完成に彼女じしんよりあるいはこだわったのだ。私たちを置いて去る、私たちを捨てる、そのときに彼女が笑顔であるのは、何だか彼女の意地悪さとして半熟だった。もし、彼女じしんの白い二の腕でどうにもならないほど重たい、冷たい、よの中の仕組みそのものみたいなものが圧し掛かって、彼女を不条理にとつぜん踏み潰していったのなら、もしかしたら彼女は私たちとまだ共にいられたのに、突然なにものかに、血が繋がっていない姉妹だから起こるさびしい悲劇に、奪い去られてしまっただけなのではないか、と幼い私の胸に、永遠に錯覚させることが出来る。もちろん、そんなことを本気で信じるほどに、幼いころから私は幼かったわけではない。見知らぬ姉たちにされる意地悪のために、ひとの心にどんなばね仕掛けが詰まっているかは、ほかの子供たちよりよく分かっているつもりだった。あいらちゃんは私たちを捨ててしまったわけではなく、ほんとうは戻って来るつもりがあったのに、にわかに電車に轢かれて駄目になってしまったのだ。いや、戻って来るつもりなんか本当はなかったけれど、そのほうが私がよろこぶと思って、自分の身体などやすやすと電車にくれてやってくれたのだ。そのことにまた私が気づいても、私が彼女をより一層好きになって、彼女を恨まずに元気を出すのを見越して笑いながら。そうやって私を支配していることを心のよりどころにし、私に復讐して消えていなくなるのだったら、あいらちゃんは私のあいらちゃんとして最も素晴らしい完成をしたはずだった。でも、あいらちゃんは踏切を渡った瞬間、普通の子供になった。すなわち、私たちに手を振り、普通に転校をした。

 男のきょうだいは彼女と薄い繋がりを保つ、ということが出来ているのかは知らない。私はあんまり、弟組にはあいらちゃんと連絡をしている、とか、その内容について話したことがない。妹組は、ラインで連絡ぐらいはしているようだけれど、あまり歳が離れていると親戚のおねーさん、ぐらいにライトに考えているようだ。私は歳が近かったのと、母にはむしろあいらちゃんと同期の娘に数えられていたようで、彼女についての相談にも参加したりしていたから、姉組であるかのような交流を保っていた。姉組のほかの連中は、あいらちゃんが来る前に卒業をしていたわけだけれど、豪華な食事のときには呼び戻されて泊まっていったりしたので、あいらちゃんと面識がある子も何人かいる。なかでもあいらちゃんは誰にでも優しい子だったから、そのようにたまに会わされる血のつながりのない姉妹たちの間でも、受けがいいほうだったと思う。姉たちの何人かは、私よりも対等なしっかりした立場であいらちゃんと繋がっているだろうとは思う。私は、あいらちゃんにとっては恐らく母に似ている、また母の代理にもなったりする、そのくせ歳がしたの鬱陶しい妹だった。

 出産されるまでチビちゃんは、平穏無事に歓迎されてはいなかった。そのことは我が家における史実として私は15歳のときに目撃している。あいらちゃんは19歳のときに妊娠した。そのことをまず血のつながりのないうちの母のほうに連絡したらしく、中学のブレザーを着たまんまの私も、なんでか分からないうちに母に連れだされて駅前の喫茶店で会ったりした。あいらちゃんはパフェを食べさせられながら泣いていた。私は生理が来たときより、こういう相談に制服のブレザーのまま、その資格があると思われて参加させられている自分に初潮のような女らしい事件が起こっているのを感じた。おそらく泣きだすであろうあいらちゃんを、かばうために歳の近い、繊細なことの好きな、あいらちゃんと割と親しかった私が選ばれて連れてこられたんだろうと思うけれど、いちいちそんな説明などされなかったので、私は動揺しながら黙って彼女のめのまえにいるしかなかった。あいらちゃんは妊娠していると言っているけれど、いきなりお腹が大きくなるわけじゃないんだな、などと馬鹿みたいに思った。母はあいらちゃんに自分の親に説明をすることを約束させ、そして彼氏ともちゃんと話し合うことと、どうにもならなかったらまた自分を呼べみたいなことを言った。あいらの子供だったらうちで預かるよ、と半ば冗談、半ば本気のようなことを言った。「そうだよ」と私もかろうじて言った。「こんどは私が面倒をみるよ」と言ったのが、女として私が出来る精一杯のおせじで、本音だった。あいらちゃんは、私はもののかずじゃないと思ったのか、私が言ったことにはろくに反応せず、生地のやわらかそうなブラウスの胸を軋ませるようにして再び泣くことに陥った。

 無事出産が行われたことは、直接に私は聞かなかった。私はそれでいいや、と思ったし、そのことを不服に感じるほど女として自分を成鳥のように感じてはいず、むしろその報告を受ける資格を与えられて、あいらちゃんや母のいる人生に引きずり込まれてしまうことのほうを恐ろしがった。私はただヨカッタネ、と母からの報告を誰かへのメールを返信しながら言ったのを覚えている。無事出産が行われたこと、夫くんも立ち会ったことなどが母の口から矢継ぎ早に言われ、「子供が産まれてしまえば、あんがい家族というものはその子供を中心に回るようになりうまくいく」みたいなことをそのときに言われた。子供は子供で、あまり多く集められると、自らがいるコミュニティを回すために緊張し出すのにという子供側の視点がまるで抜けていることが、いかにも母らしく感じた。そんな愚痴を分かち合えるのがあいらちゃんとかだと思ったが、あいらちゃんにいきなり、子供は子供で迷惑するよねみたいなことを、いまはとても言えないと思った。結局、3カ月ぐらい経過してから、『お子さん産まれたんだねおめでとう!』としらじらしくメールをした。ありがとう、と返信が来た。あっさりした答えだったので、あいらちゃんの性格からして、私のメールで気分を害したものの、それを伝えることを面倒くさがって黙ったのだろうか、などといろいろと考えた。メールのタイトルをみたら『ママになりました』とあった。確かに、あのときおかゆのようにパフェを食べさせられながら泣いていたあいらちゃんは、ただの少女だったけれど、産んだことで変わったんだろうなと思った。それが嬉しいことなのか悲しいことなのか、絵文字も何もない、タイトルのなかにぎりぎりに納められた母宣言からは読み取れなかった。

 それから驚くべきことなのかもしれないけれど、その出産された子供の実物に、私は会っていなかった。メールで写真は送られてきてよく見た。でもまるで行ったことのない富士山山頂がべつに絵はがきや写真でかまわないみたいに、私はその実物を見たいとはまるで思わなかった。彼女が産んだのは女の子だった。猿みたいなくしゃくしゃな顔つきの赤ん坊の写真をみて、私は無感動に「どっち」と母に尋ねた。母は女の子だって、とまた割と無感動にみえる声つきで言った。女の子である時点で、彼女の夫の子供であっても、私たちの系譜につらなる運命のもち主であろうことは確定だった。私はその瞬間から、彼女の娘に一個人としての関心をあまり持たなくなったと言えばそうだ。ずっとチビちゃん、と言った。あいらちゃんもメールやラインで、私とやりとりするときは「うちのチビ」といったし、「チビママ」とか、誰がそう呼ぶんだよというような名称を勝手に自分につけたりした。衝撃的だったのは小学校1年に入学した、ついこの春の写真。まだ二十代で若いあいらちゃんが、薄いピンクのジャケットを着て、あいらちゃんの娘と手をつないで小学校の立て看板のまえに立っている写真が届いた。あいらちゃんの娘は確かに女児で、紺色のブレザーにグレーのプリーツスカート、白いソックスを履いて赤いランドセルを背負っていた。まさに女児ですっかり、猿ではなくなっていた。ポニーテールにした黒い髪の根元には白いリボンが結ばれていて、まるで彼女はこの娘をどこかに贈り物として届けるために装わせたように思った。ぴかぴかの小学校1年生であるのと同時に、チビちゃんは確かに女の雛になって、私たちの系譜に元気よく連なってその母に手を引かれて笑っていた。

 ママー、って階上から呼ぶ声がした。お菓子のあられで出来ているみたいな、可愛い雷といった風にそのときは感じた。ねえママ、終わっちゃった、とかいう言葉が続いた。びーぶいびーが何とか、という声が続いて、どうやらDVDを見ていたのが終わったけれど、再生が出来ないから何とかしてくれ、と言っているみたいだった。「ねえあんたどうする、ママこれからお友達と出かけて来るけど」とあいらちゃんは結構強い調子で言った。娘にというより、普通に友達に向かって喋っているみたいだった。「あんたひとりでおうちにいる? ひとりでしまじろう見ていられる? あんたがそれ出来るっていうんならそうするけど」と彼女が言うと、一緒に行く、と叫ぶ声がしてチビちゃんがばたばたと降りて来る音がした。チビちゃんの本物が来ることに、私の胸がざわめきたつのが分かった。あいらちゃんがまるで急に汗が出たみたいに肩をすくませ、この状況に全身でため息をついたがの仕草で分かった。チビちゃんは私の顔をみて、ちょっと驚いた顔をした。それからすぐにママの方だけを向いて、ママと一緒にお外に行く、と言った。あいらちゃんは「だったら一人で靴履いて」と言い、私の方にだけ向かってごめんね支度して来る、と言ってチビちゃんのいた二階へ上がった。私はチビちゃんに何か言うべきなのかを迷った。お友達、と言われたけれど、ママにかつて自分も育てられていたので、お友達でもないんだということなど。かつての喫茶店のことなど、言うべきでもあるまいが。でもこの、まだ6つか7つにしかならない、女の雛でしかない小さな一年生に、何も言ったりするべきじゃない、もし大人になるまでこの交通が続いていたら、いつか思い出して貰えばいいなんていう風に、念じるみたいに思った。私のしんぱいを余所に、チビちゃんはせっせと羽根づくろいするような仕草で、ピンク色の魚の身体のようなデザインのスニーカーのマジックテープをはがして、自分の甲へと貼りつけた。二階へと行っていたあいらちゃんから、あんた何でこれこれしているのよ、という雷が落ちて来たあと、チビちゃんがちょっと黙って無視したのには驚いた。それから綺麗にスニーカーをはき終わった後で、だってママが来てくれなかったんだもん、とそれなりに大声で言ったけれど、二階の部屋のなかまでは届きそうにないなと思われた。

「見つかったらまずいっていうわけでもないんだけれど、」とチビちゃんの手を引きながら足早に歩きつつ、あいらちゃんは私に言った。「歩きながらでも良い? 誰がどこにいるか、分かんないしと思って」私はうなずいた。姉妹として過ごしたあの時間の成果だった。私との関係をあまり、現在の家族の生活に取り込みたくないという意味なのだということが、言われないでも分かった。私たちは喫茶店で会うべきだった。出来れば、母を介して会うべきで、私はあいらちゃんにライン友達であることは出来たけれど、こんな風にいきなり尋ねてくることを周囲に穏便に説明できるぐらいに、平坦な姉妹でいるわけではなかった。

「分かってる」と私も言った。とつぜん、娘の顔も見ないでチビちゃん、チビちゃんとごまかしていきなり家を襲ったことの済まなさもあったので、「今度来るときは事前に連絡する」と言ったけれど、それにも彼女は黙った。とつぜん来るとか、来ないとかが問題になるのは親しい姉妹の場合にかぎることで、私は、もう彼女とは年賀状だけのやりとりだとか、そんな程度の遠く過去を分かち合っているそれなりに赦している人間の一人として振舞うべきなのだ。言われないでも、あいらちゃんの二つの肺が石になったみたいなこの沈黙に言われて私は分かった。そしてあとは捨てばちになった陽気さがにわかに私の体内をしめ、その陽気さを鼻歌みたいに細く長く吐き出した。私のこの陽気さに、願わくばあいらちゃんが感染してくれたらいいと願いながら。すると、どうしてかあいらちゃんの娘のほうが、アニメのテーマソングらしいものを口ずさみ始めた。「うるさいよ、歩くときは静かに歩いて」とあいらちゃんが言うと、そういう反抗のように、彼女の娘はそれだけでぴたりと黙りこんだ。 

 公園に行こう、とあいらちゃんは、どちらに向かって言うでもなく言った。私はいいね、とか言った。彼女の家に辿り着くことが出来たのは、母宛に来ていた年賀状に書かれていた住所を、携帯のナビに入れて検索してようやくたどり着いたのだった。だから来るときには周りを眺めてみる余裕がなかったけれど、その辺りの商店街は、商店街にしては結構栄えていた。私たちがかつて共に暮らしていた家の周りは、公園ぐらいしか目立つものがなく、商店街のほうがむしろ目抜きとおりの死骸みたいなものになっていたので、この町では公園を探し求めなくてはいけないのだと思うと驚きだった。そのあいらちゃんにだけ分かっていて私は知らない道を、私はあいらちゃんの娘であるチビちゃんの手を握りながらふらふらと歩いた。チビちゃんはあいらちゃんの手に重心をかけたり、また彼女に命令されたみたいに私の手のほうに寄り掛かったりして、「捕らえられた宇宙人」みたいになっていた。「私、何が苦痛なのかが分かったわ」とあいらちゃんが言うとき、何となくその先が読めて私はここで言うのかな、と不安になった。そしてその不安はおおむねそのとおり的中した。

「子供産んだときにだよね、ぜんぶ分かったの」というから、私は今日はそういう日になる、と思って覚悟した。これから彼女が言うことが、生涯のなかで私に、この日の意味を決定すると覚悟して押し黙った。私の沈黙は白い壁みたいに立ちはだかり、その権利を与えられたあいらちゃんの手で、真っ赤なペンキを塗り潰すみたいに、彼女の言えなかった本音で塗りつぶされていくのがありありと想像された。「子供産んだとき? お母さんならずっとやらされてきたじゃん、」私たちの、と自分で吐露するみたいに彼女に言ったのは、自分でも予想外のおのれのため息だった。私は、傷つけるのならば私たちの方にしてくれ、と願ってこう言ったのだろうと思う。あのとき、パフェを母乳みたいに味わいながら泣いていたあいらちゃんが、けっきょく産んだ子供について酷く言うのを、聞くのがそれほど抵抗があることなのかと、私じしん自分がそう口にするまで知らなかったから、自分のこの誘導にはとても驚いた。あいらちゃんは「でもあのときは子供だったから。本当に赤ん坊を産むのとは大違い」とあっさり言った。私は大学生になっていたというのに、自分がまだ中学校のブレザーを着ているのを感じた。私は目をつむり、彼女の言うことに従うように聴こうと決めた。「だいたいあんたたちは夜泣きというものをしなかった、」というから私はちょっと笑った。「1時間ごとに目覚めて、おっぱいをくれといって私を不眠症にしたりとかはしなかったからね、」私はせめて彼女が、ほんとうの母親として受けた苦難を、このちょうしで、軽く、コメディみたいに言ってくれることを願ってやまなかった。でも、雨が降らないと言われていたのに浮かんできた雲があるみたいに、彼女から降って来る酸性のつよい雨みたいな言葉で、私はびしょびしょになるんだろうなということが容易に予想された。

「あのね、自殺願望あるのかというぐらいに死のうとするよ、」と彼女はへいぜんと言った。「ほんとうにね、数秒でいなくなるし。目を離すと、危ないことは全部やろうとするし。すぐ窒息しようとするし。そう、口にものを入れちゃうとかそんなことじゃあなく、本当に窒息しようとするのね。それで吐き出しなさいって言ってるのに逆のことをするし。泣いたと思えば笑うし、お前悲しかったんじゃないのかよ、っていう感じがすごくする」とあいらちゃんは言った。自転車で数人の小学生の男の子とすれちがった。彼らとすれ違うために、私はチビちゃんの手をいったん離した。チビちゃんは離した手を不安そうに口元に持って行き、それから私のためにまた手を捧げた。飴玉に触ったみたいに、彼女の濡れた指の感触がべたべたとした。なぜだか彼女の濡れた心臓に触ったような気がして、この子は抽象的に、私たちの問題として私たちの間にぶらさがっているのじゃなく、体液を垂れ流したりしながら確かに生きているんだ、と思われたりした。「おっぱいもあげてるのに呑まないしね、」とあいらちゃんは言った。「お前、これが欲しくて、私から産まれてきたんじゃないのかよ、って感じ」と変なことを言った。私がなにそれ、とたずねると「私におっぱいがなかったらこの子、確実にパパから産まれてきているよ。パパだいすきだもんね、そう、こことあそこは仲がいいのよ凄く」と言った。

 確かにパパに似ているのかな、と玄関先で見た彼女の顔のぼんやりとした印象を反芻しつつ思った。いまは隣にいるしよくよく眺められるわけではないけれど、あいらちゃんの娘、と言われなければそうは分からないと思うぐらいに、彼女には似ていなかった。むしろあいらちゃんがこれほど冷淡に見えるような扱いをしていること自体が、彼女と血の繋がっている明白な証拠だった。なぜなら血のつながらない私たちには、彼女はあんな風に追いたてたり期待したりもせず、だらしのない蟻を巣に追いやるみたいに、黙って私たちの面倒をみて叱ったりなんかしなかったから。女の子は父親に似るというけれど、このチビちゃんもたんじゅんにその例にもれなかったのだろうと思う。あいらちゃんは、自分の娘で、自分には似ていないチビちゃんを、思う様自分の娘らしく扱えているのだと思った。それがこの、親切心にも偽装しないあからさまな冷たさであるのかと思うと、すこしやりきれなかった。しかし彼女のことだから、この冷淡さもあらかじめ彼女の娘にたいする、彼女の発明であったわけではなく、さっきから少しずつ口にしているみたいな、彼女の娘から受けた仕打ちの反映なのだろうと思われた。私たちという弟妹にわずらわされて閉口した経験が、のちにやさしい姉としての忍耐と服従とにすり替えられたみたいに。

 「着いたよ、」と言われたときは、身体をはんぶんに切られたような気がした。到着したくなかったわけじゃないけれど、ほんとうに着いてしまったのだと思うと、私がこれから受けようとしている告白がほんものの現実になるのだという感覚が身体のなかに広がる気がしてせつなかった。私は蛇のしっぽみたいな黒い電線をつらつらと眺めていたので、ああほんとう、とか何とかすごく気のない返事をした。チビちゃんはすでに私の手を離して、私のほうを振りかえっていた。少し睨んでいるように見えるのはおそらく、きれながの目をしたパパに似ているせいなんだろう、と私はけんめいに念じるように思った。

 公園というものは、記憶のなかでは子供のための天国というか、人工的なカラフルな色彩に溢れているところだと思われていたけれど、あらためてこんな風によその町の公園に、その大切なお客さんである子供の手を引いて来てみると、その殺風景さに驚いた。公園そのものの色彩はじつに灰色がかっている。砂の城を崩して伸ばしたみたいな夥しい灰色の砂の海のなかで、取り残された島のように赤や黄色や青色のペンキの塗られた鉄棒が並んでいる。錆びた鉄のジャングルジムは何か可愛らしい家の骨組だけが残っているみたいで、あらためて公園の色彩というものが、ここに来ている子供たちの着せられている子供服の華麗な色合いのことだったんだという風に感じた。チビちゃんもピンクの水玉のふりふりしたワンピースを着せられていて、可愛い金魚みたいにその砂の海にいた。「どっか行ってていいよ、」とあいらちゃんが言うと、糸を握っている手を離した風船みたいに彼女はふらりと離れた。あいらちゃんが何か口のなかでつぶやくのが分かったけれど、彼女の念仏みたいなものだろうと思ってあえて聞くまいとした。

 あいらちゃんが私にその資格を与えてくれて、公園のベンチに座ることになった。遠目から、チビちゃんが別のお友達を見つけて、いっしょに砂を集めて小山を造っているらしいのが見えた。「ここで私たちが勝手に帰っちゃったらどうなるかしらね、」と彼女は臆面もなく言った。「捕まると思うよ」と私は言った。自分でもその理由は不明だったけれど、それは彼女にたいする慰めのような意味があることを私は知っていた。「保護者なわけじゃん、捨てちゃったりしちゃダメでしょ、いくら子育てするのが大変でも」というと「うん」と彼女は言った。この「うん」は結構聞いていて辛いものがあった。まるで彼女の想像のなかで、私の首を落とし、私を黙らせたときの手ごたえの音みたいに、私の頭に響いた。「でも、あの子を産んだときに全部分かったので、後悔はしていないよ」と彼女は静かに言った。私は、彼女が本音を語ることで復讐する相手が、遠くにいるチビちゃんではなく、とっさにそう仕向けようとしたみたいに自分なんだっていうことが、隣に座ってこう言われたときにようやっと分かった。「自分がいままで、何が辛かったのかってさ、あの子が来てくれたのでようやく分かった」彼女の幼い時を蟻が砂糖にたかるみたいに、食いつぶした、私とか、そうさせた私の母とかに、彼女が怨恨みたいな気持ちを持っているということが、このときに隣で、遠くでチビちゃんが手のなかに纏めようとしている砂の山を見たときにようやく分かったのだった。

「乳はほしがるくせに、呑まないし。死のうとするし。私こんなものが欲しくて苦しんだんじゃないって、お産のときの尋常じゃない痛みのことを思い出してほんとうにそう思った」と彼女は言った。あいらちゃんは、私の母がお産して産んだ子供ではなく、他人が卵でつるりと産んだ後、成鳥になりかけていたときに、強奪されるみたいに連れてこられた可哀想な雛だった。「でもねえ、あの子が人間の形をして産まれて来てくれたことで、私がお腹のなかに溜めていた、理不尽だと思ったものをみんな抱えて出て来てくれたんだって分かったのね、」泣き声とか、暴れ出すときとか。つまらなさそうにするそのときの顔だとか。「みんな、私がしたくても出来なかったしかめつらを、今になってあの子がぜんぶ、片っぱしから私のまえでやるのよ。さいしょは憎くて、つらかったんだけれど。だってもう洗い終わったお皿を、片っぱしからつかんでは投げ捨てて壊していくみたいで、ほんとうに理不尽だなって思った。でも、理不尽だな、って感じられることすら何だか恵みのように感じた。そんな感情は小さい子にだけ赦されているような、お母さんのおっぱいみたいな甘くて優しい感情で、私はそう感じることすらも卒業しているという風にずっと思っていたものだからね」と彼女はまくしたてた。私は、チビちゃんが蟻を埋めていることに遠目から気づいていた。

「ほんとうにそうなんだけれど、でもそうだという風に解釈でもしないと、子供をあずかるのはやっていられない」と彼女は言った。あれ、いくらいまは私たちへの復讐のために喋っているとは言っても、いまは預かっているわけではなく、本当に産んだ子供なのにそう思うのかな、ってすこし不思議に感じた。「でも産んだでしょう、あのときちゃんと、」と私が意地悪く、あの喫茶店で泣いていたときの彼女の姿をふたりのめのまえに現わすみたいにしゃべると「うん、ちゃんと」と彼女は鸚鵡返しに言った。この「ちゃんと」という言葉が人間の人生にとっていかに残酷な強さで迫るものか、彼女に鸚鵡返しにされて拷問に責められて吐くみたいに分かった。「まるで石を投げられて、それがうっかり頭に当たって死んじゃったみたいな気持ちだった」と彼女は言った。「でも殺し返したりしたら、殺されるでしょう、今度は私が」あの子は蟻を埋め終わったのだろうか、チビちゃんの方をみて思った。あそこでも、いままさに小さな復讐が行われている。その狼煙がもうすぐ上がるころ……とか、私は遠目でみながらぼんやりとその戦い、蟻と子供という絶対に子供が勝つあの戦いの結末を見ることをのぞんだ。いただきます、と手を合わせながら遊び相手の男の子が怒鳴り、チビちゃんも合掌したあとにごちそうさまでした、と対抗するみたいに怒鳴った。

「いきなりね、いきなり本当にぬっと私の人生にも現れたよ。私のこともまるで、上からつまんで連れて行くみたいにしたね。いまあそこで埋められているでしょう、蟻が。あの子ああいうことするの好きなのよ。いくら言ってもやめないの」とあいらちゃんが言った。私だけが見つけている発見かと思ったから、あいらちゃんがそれを当たり前の光景にしたことには多少の不満がもたげた。「いきなりね、ほんとういきなり私の歩いていた道を横切って、私のことぶちのめしてさ。あんなに痛い苦しい思いをさせて、産まれてできたらまだ私のこと食い足りないっていうんだものね。それに、少しでも私が抵抗したり、私がほんのちょびっとでも顔つねったりしたら、こないだも知らないおじさんに電車で怒鳴られたのよ、私が。子供は可愛がってやらないと駄目だろうって。『冗談じゃない、私がこの子に何されたかあんた分かってんの、』って言ったら、みんなすごいシーンとしていた。たぶん、私のことどっかおかしいっていう風に思ったんだと思う。みんなしてじろじろ私の方じゃなく、チビの顔を見てるのが分かるの。電車降りたときチビに、『あんたあそこで泣けばよかったのに』って言って、そしたら知らないおじさんとかおばさんとか、みんなに優しくして貰えたよって言ったら、『ママが怒るからいや』って。『ママがかわいそうだからそういうことしないって決めてるの』って。私のことひどいママだなって言う風に思うでしょ」私は、この告白をほんとうだとも、半分ぐらい嘘だとも思いながら聴いていた。あいらちゃんは優しいけれど、怒られると分かっているとき、恐ろしさのあまり保身のために嘘をついたりするところがあった。いまもまた、私に軽蔑されることを避けるあまり、大袈裟に嘘をついている可能性があったし、他方でほんとうのことをあたかも嘘のように大袈裟に喋っているような感じもした。

 嘘、私が来たのは、嘘。とつぜんの来訪で面喰っていたときの、また仕方のない現実として私を見据え出したときのあいらちゃんに言った、とっさのこの言葉のことを私は思い出した。あるときとつぜんときめきトゥナイトごっこに入れられて、私たちの女の子という扱いを受ける。あるときからいきなり、お姉さんとして振舞うことを強要される。あるときから最後のひとつだけ残ったお菓子が、他人のものになり、自分のものだった乳房が、にわかに彼氏の子供のものになる。あいらちゃんをいつも電車のように突然、他意のない、むしろ彼女に愛情をもっているに近い他人が轢き殺し、その死骸から全身の血をねこそぎうばってしまうという構造は彼女の一生涯を通じて変わっていなかった。彼女の赤ん坊は、彼女を轢き殺した。そして季節外れのサンタクロースみたいに、彼女がねがっていた夥しい贈り物を現実のものにした。彼女じしんの泣き声、恨みごと、寄って来ることに対して抵抗したいと思う感情。「やさしくしてんのよ、これでも、クリスマスプレゼントだって欲しいもの二つあるっていうからけっきょく二種類ともあげたし、」と彼女はいきなりサンタクロースのことについて言ったから、私の考えが漏れ出しているのかと思って私が慌てた。「でもね、片方はやっぱり要らないって。すぐ跳ねつけるからそれならサンタのところに返してくるっておどしたらいいよ、って。旦那の妹の子供がいるからあげちゃった。あの子それでほんとうに何の未練もない顔してるしもう忘れちゃってる。私がやさしくしてあげても、そのことも忘れちゃうし、あげてるのに要らないとかいうし」でも叩いたら私が殺されるし、殺されるまでしないでも捕まったりするし、「世間に後ろ指さされるし」と彼女は語気を強めた。何となくだけれど私たちと離別したあと、産みの母のほうのお母さんと暮らした暮らしが大変だったらしい、というのを母づてに聴いたことが私の記憶からよみがえった。チビちゃんはそのあとに最後にやってきたサンタクロースで、もう既に血だらけの古い電車だった。

「これだったんだあ、って思ったんだよね、」とあいらちゃんは手のひらを見ながら言った。私は、彼女が何をジェスチャーしようとしているかを想像して、その光景の生々しさに目をそらしたいような気がした。ただの主婦の乾いた手がならんでいるだけなのに、いましがた人を絞め殺したあとがついているみたいに、なんだかものものしすぎる両手だった。

「あのねえ、チビが私のあげたおっぱい、みんな吐き出してねえ、それをこうやって手で拾いうけたら、指のあいだからじわーって流れ落ちていってね。おっぱいだけれど、確かに私の血だったものが、薄いおかゆみたいになってじわじわ流れ来るのをみて、ああこれだったんだあって思った。私がやってきたこととか、私が生きてたことって、」と彼女は言った。

 何度も繰り返していうけれど、彼女は私たち弟妹のことは好きじゃなかった。そのことは少なくとも私は分かっていたし、弟妹のうちでも聡明そうなのは幼いながらも、自分が母乳のように際限なく与えられているやさしさが、もともと彼女の全身をめぐる無関心だとか他者にたいする軽蔑に近い感情であるということを分かって味わっていたと思う。あいらちゃんは、私たちを預かることになったときも、生涯通じて自分が母がわりになるなんていう風には考えず、一時しのぎのことだと考えていたと思う。自分の無関心という血液を、私たちという接すれば必ずこれを守らないといけなくなる、哀れな敵である子供にたいしてやさしさという甘い乳に変えて与えることも、一時的な苦肉の策としてやったことだと自覚していたと思う。彼女にとって問題なのは、彼女に生まれつき、そんな乳房が熟れて発達して、備わっていたということだった。彼女は母親という人生を送る羽目になって、自分の性格がそのように母体のように完全に仕組み上がっており、また赤ん坊のような哀れな敵にすぐ見つかり、母親として献身することを何度でも強要されるということを、ほんものの赤ん坊を産んでしまってから初めて気が付いた。「私が生きているってつまりさ、」と彼女は大づかみで、自分に与えられている拷問に名前をつけようとした。「私に子供が出来るっていうことだね、おっぱいあげても、すぐ吐き出すくせに」そのうえ叩いて殺すことも出来ない、と言いつつ彼女は自分のすねを叩いた。何事だろうと思ったけれど、彼女がさっき捧げていたてのひらを見つめていたので見当がついた。「虫?」と私が、哀願するみたいな高い声で彼女にたずねると、彼女は「蟻、」と言った。「ほんとう、蟻ぐらい小さかったら、何しても見つからないのに」と彼女は言った。蟻はタイミングわるくあいらちゃんのすねを噛んだせいで、彼女の毛をそった白い脛からはたき落されて、速い影のような姿になって蒸発していた。

 たまたまだったけれど、友達から呼び出しがかかった。だからあいらちゃんに「いまから友達のところへ行くんだけれど、この公園の近くの最寄り駅ってどこ?」と尋ねたら「JRの駅と地下鉄と両方ある」と彼女は言った。「でもJRの方がここからだと分かりやすいかな。地下鉄は何気にちょっと歩くんだよね、」と言い、そのへんまで送って行くよと言ってくれた。私はチビちゃんを連れ戻そうと思い、息を吸い込んだあとにまよった。何て言ったらいいのか不明だった。「アスー、」とあいらちゃんが相当でかい声でさけんだ。「アスー、何やってんのもう帰るよー、早くこっちへ戻っておいで」と言うと、アスちゃん? は、

「まだ終わってないの、」とさけんだ。何が終わってないだよ、余計なことしかしないんだから、ぐず子は置いてくよとそんなぐらいの声では、彼女に聴こえないだろうなと思う程度の声でつぶやいた。「まだ蟻を埋めてるの、終わってない」と彼女はとうとう言った。それがあまりに真剣な顔つきだったので、私はたぶん彼女が大きくなってからもその顔のことを忘れないだろうなと感じた。

 蟻は自然に帰りました、と、電車のなかであいらちゃんが言った。あんたが埋めてあげたあと、風さんと太陽さんとが寄ってたかって、彼を埋葬しました、彼はもうへいきです、蟻としてのありとあらゆる労働から解放されています……とあいらちゃんが、娘のゆびをいっぽんいっぽんちぎるような仕草をしながら、童謡みたいな声のちょうしで言い、チビちゃんはくすぐられているみたいに笑った。いつもの彼女たちの間で行われている儀式のようにも見えたし、またそうでなくとも、このような言い方にもうチビちゃんがすっかり慣れて、その呪いの歌にこめているあいらちゃんの呪詛が、けっこうほんものなのだと分かって面白がっている光景にも思えた。私は、このほんものの親子のまえでせめて自分が、月並みなことを言う存在でなくてはならないという焦燥に駆られた。それはあいらちゃんの人生を慰めるために、私しかその必要を知らないとても大事なことだった。「電車まで乗っちゃってへいきなの?」ジョニデは、というと「うん、この子が電車見たいって言ったからって言うわ」と言い、わざわざ立ち上がってドアのほうへと近づくと、見てみ、ほら、と言って、車内から撮影した縁取りのあかくなりかけている太陽の写真を見せてきた。まるで画鋲の頭みたいにきらきらと反射していて、ただビルの隙間にあって太陽はこんなに小さく見えたっけと思うぐらいにそれは小さな光だった。「ねえ、あす、あんたはこれが見たくて遠くまで来たんだよね、」というとアスちゃんはうん、と言った。こんな共犯関係はちょくちょく造られているものとみえ、アスちゃんは飴玉を貰って騙されているみたいに、大人しくなり聡明そうな顔つきになって黙った。「明日が、美しい、と書く、」と、あいらちゃんはふいに真面目な顔つきになって言った。「この子、明日美っていうの、言ってなかったね、いままで」「訊かなかったから」と私は言った。まるで私が尋ねるまで、チビちゃんにそれ以外のちゃんとした名前は存在しなかった、とでも決めつけているみたいな勢いで私のその返答は響いた。私は、その返答に思いがけないぐらいに詰め込まれた、自分の本心をごまかすために笑おうとした。うまく笑えずに、明日が美しいと書くなんていいね、とか何とか口のなかで言った。愛情にあふれていて、素晴らしいね、とか言うと、たまに電車に乗ってチビちゃんをつねる、と告白したばかりのあいらちゃんにわるい気がして、余計にあせった。私はただ、私の記憶のなかにあり続けたあいらちゃんの定義を、堅固なものに保っておきたいとこの期におよんでもなお思っていた。それには、彼女について全部を、彼女の産んだ娘の名前までもくわしく分かってしまうのではなく、堅固な、私にはどうしても分かり得ないような空白が必要だった。赤ん坊なんかじつにぴったりで、それでチビちゃん、で良かったのだ。その子が成長しようとするまいと、私にはどうでもよかった。ただ透明な煉瓦として堅固に、彼女の下腹部のなかに納まり、彼女を私の理解している彼女のままに縛りつけていてくれたら良かった。あいらちゃんからその煉瓦をあっさりと外され、私は明日は美しいという絶望しているとしか思えない名前に、ふわふわとついて行こうとするママになったあいらちゃんの影を仕方なしに目で追った。あいらちゃんはそんな子供に引きずられていく道を、絶望的に美しいと断定することで、かろうじて生きていた。そして電車のなかで、彼女の絶望をほんの少しだけこっそりとつねることで、うまく絶望をなつかせているような錯覚を起こしながら。

 明日美ちゃんばいばーい、と、降りる駅で私がホームから彼女に向かって手を振った。こんな場合の幼い子供らしく、明日ちゃんは無表情に知らないおねえさんに対する薄い恐怖を刷いたような顔つきで、凍ったように黙って手を振った。明日が美しいという字を知らされて、名前を分かっていたのできちんと名前を呼ぶことが出来た。チビちゃん、と呼びかけるには、確かに、少し大きくなりすぎていた。もうランドセルを背負っているし、彼女にも隣の席の友達、好きな友達や嫌いな友達、担任の先生や宿題、なんかが立派意に付帯しているのだろうと思った。すでに一個人としてあいらちゃんを圧迫するぐらいの質量にすくすくと育っている、とあいらちゃんに寄り掛かりつつ立っている背の高さを眺めて思った。あいらちゃんはそれほど背が高いほうではないから、あれは父親似というやつなのかもしれない、とも思った。そう思ってみると彼女のおよそ母親にはまるで似ていない顔立ちも、またひそめたような喋り方も、彼女が確かに持っている父親から借りてきているものらしく思われてきた。娘である時点で私たちの系譜、などとはっきりと勝手に断定して思ったが、向こうには向こうで、あいらちゃんがアメリカのように感じている遠い、彼女にとっての他人の家のなかで、明日美ちゃんに燦々と注いでいる呪いのようなものがあるのだろうと思った。すこしいじめられている彼女は成長して、この呪いをひるがえる星条旗みたいに明るくさわやかなものに発展させ、りっぱにあいらちゃんと戦えればいい。家に帰るまでにそう結論して、あいらちゃんの現在を清らかに赦すことが出来た。

 空気読むんだよね、とあいらちゃんが後日私にラインで言った。チビちゃん? と私は本気で明日美ちゃんの名前をわすれ、それから思い出して明日美ちゃん? とたずねた。そうそう明日美 とあいらちゃんは、ずっとチビちゃんで自分も通してきたくせに、さらりと漢字で書く名前にこだわった。そしてこれからもっと彼女のことをあけすけに私に語るだろうな、という予感を私にさせた。「パパ似なのよね、そういうところ」空気読むところが? と私はたずねた。うん、と彼女はつぶやいた。きっとパパの顔つきを真似ているんだな、と、私たちが電車でした会話にみごとに参加しているようで参加していない、珍しいものでもない己のてのひらをいつまでも眺めたり、うつむいたりしているときのあの絶妙な、しかし修練して会得したとしか思えないあの人工的な感じのする沈黙のことを思い出して思った。あれはじつにみごとだったのだけれど、私が他人だからよく分かるというようなもので、当の黙らせているあいらちゃんは余り分かってはいないものかと思ったら、しっかりと理解していらついているほど眺めていたということにすこし驚いた。「見透かされてるみたいで嫌んなる」と、彼女はまたもつぶやいた。やんなる、ということを彼女は子供の時分、いちども私たちに向かって言わなかった。とうとつに短い滝のようになって泣き崩れたことなんかはあったけれど、自分がどういう目に遭っているのかもそのときは分からなかっただろう。今や、彼女はやんなるぐらい、自分の置かれている状況が分かっている。それを見られるのが嫌だ、と言うぐらいに。私にはうらやましいと思えた。結婚していることとか、子供がいることとか、りっぱに親から独立していることなどを、あいらちゃんから自慢されたことは一度たりとてなかったけれど、あの彼女がたまにつねっている幼い娘である明日美ちゃんを持っていることは、まさにいま露骨に自慢されていることのように思われた。自分の運命がどのようであるかを分からないことが、人生において絶えずつきまとう不安で、かつて彼女をとうとつに泣かせたりしたものだというのに、いまやその両手にしっかりと自分の運命にそっくりな娘を抱いている。これほどふわふわと漂泊するみたいに生活してきた妹の私にとって痛烈な自慢はないように思えた。だから「愛良ちゃん、やっぱり愛って良いものなんだね」と返した。メッセージが既読になっても、彼女はしばらく黙っていた。その沈黙は私には与えられた飴玉のように甘かった。たぶん、あいらちゃんと最初に言われたとき、自分の名前をきょうだいの前で捨てなくてはいけないことを嫌がった彼女に、名づけられるのは愛のしるしなんだから良いじゃないと、私の母に言われたことを思い出して抵抗しているんだろうという想像が私をたしょう幸福にした。

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