(6)

「ばかじゃないの?」


 ぴたん。

 その飛鳥の呟きで、香の笑い声は途絶えた。

「………なあに坊や?」

「ばかじゃないの、っていってんの。聞こえてんでしょ?」

 ずっとなにも言わないままだった飛鳥は、「呆れた」はん、と鼻で笑った。

「馬鹿馬鹿しい。おばさん、子供を道具としてしか見てないでしょ」

 しゃらん。

 飛鳥の手に布に包まれた棒状の物が握られている。

「それがどうしたの?お姉ちゃんを産みたいって思うの、間違ってる?ねえ、あのね坊や」

 香はまるで別人のように、飛鳥の冷たい視線を舐めるように微笑する。

「子供は親の所有物なのよ」

「ふうん。僕には親がいないからわかんないや」

 しゃらん。しゃらん。

 涼しげな音がなる。空気を染める音だ。

 清浄な気が流れる。

「でもさぁ、思うんだよね」

 その布を、

 取り払った。

「そんなんだから、妖怪バケモノと神を取り違えるんだってこと!」

 どおおん!

 香の後方の《社》が吹き飛んだ。

 もぞり。

 破壊音を出したのは、

「ばけ、………も、の」

 香は目を大きく見開いた。そして地面に座り込む。

 そこにいたのは。

 球体の赤い物体だった。いや、球体というのは正しくないかもしれない。

 その体から鼓動をするように、針のようなものを出しては引っ込めて、威嚇している。

 しゃらん。

 飛鳥のが、鳴った。

 一閃。

 香の隣を一陣の風、–––––いや。

 飛鳥が、駆け抜けた。

 霞が咄嗟に香のそばへ寄る。

「香………」

「いいの」

 香は畳を見つめ、胡乱げに微笑んだ。

「なんでもよかったのよ。お姉ちゃんを産むためなら、何だって」

 神だろうが、妖怪バケモノだろうが、何だって、何だって。狐狸妖怪も、悪鬼羅刹も。

 全て等しく、あたしの神様。

 呪いだって何だって。

 あたしの望みを叶えることができるなら。

 そして、香は視線を上げる。繭へ目を向けた。

「この子さえいれば、あたしは生きていける。あたしの大切な宝物。あたしの大事な宝物。この子さえいれば、この子さえあれば、あたしは何だって乗り越えられる」

 霞は。

 そんな妹が、痛々しかった。

「香、私は––––––」

 しゃらららん。

 警告。

 飛鳥の警告の音だ!

「駄目、香!避けて!」

「–––––––––え?」

 霞の瞳にそれが映った。

 目をそらすこともできずに。

 妖怪バケモノの手が、針が、香の胸に。

 ずぐん。

 血が––––––

 出ない。

「なん、で?」

「契約だよ」

 がうん。

 飛鳥の錫杖が妖怪の体に刺さる。

「気づいてるでしょ、元巫女なんだからさ。あんたの大事な大事な妹は」

 香は。その体から引き抜かれた妖怪の手を見た。そして自分の体に空いた穴を霞に見せまいとするように、腕で覆う。

「もう人間じゃない」

 それはまるで空洞のように。

 

「ぁ––––––––」

 香の体が砂になる。

 さらさらと溢れて、形を失っていく。

「おねぇ、ちゃん………」

「香!」

 その虚ろな瞳で。

 香は、霞を見た。

「ぁた––––––し、のこ………と、すき?」

「え…………」

「ねぇ、………すき?」

 霞が声をかけるその前に。

 香の体は砂になった。

 その姿をちらと見て、飛鳥は目の前の妖怪に話しかける。

「で?あんたはどうすんのさ?」

 妖怪は答えることはなく、ただその針をもそもそと動かした。

「あのさぁ。ぼく、喋ることができないような奴を相手にする程安くないんだよ」

《–––––––––き。す、き。れい、かす、み、すき》

「人間の魂を手に入れたからってどうもできないよ。あんたは何がしたいのさ」

《き。きききき。すき。すき。たべたい、くらい、すき。たべたい。たべたい。たべたい》

「ふん。低脳だね」

《お な か が へ っ た》

 どん!

 その体に。

 飛鳥の錫杖が刺さる。

 深く深く。

 抉って深く。

「馬鹿馬鹿しい。本当に、クズだね」

《すき? すき? どんな きもち?》

「バケモノの癖に人間の言葉を理解しようとするんじゃないよ。分をわきまえな」

 飛鳥は。

 かき混ぜるように、錫杖を振るった。

《あ あ あ ああああああああ》

 妖怪の体を切り裂いて、錫杖が弧を描く。


化獣物ばけもののぼくが言えたことじゃないけどね」


 そして。

 妖怪の断末魔の叫びが響き、その姿は消え失せた。




「あんたの妹は契約したんだよ。なんの利点もない契約。魂を売り渡して、その代わりに自分の娘に強大な力を与えるって約束した。でも、低級の妖怪がそんなこと叶えられるわけない」

「………」

 飛鳥は繭の前に立って、項垂れる霞に話しかけた。

「この子の力は、多分父親から引き抜かれた物だね。遺伝って奴だよ」

「遺伝」

「そう。だから、契約は実質無意味だね。むざむざ食わせたって訳だ」

「助けられなかったの」

 霞は項垂れたまま、飛鳥に問うた。

「香を、助けられなかったの」

「無理だね。魂を抜かれて、しかも内臓まで喰わせて、入れ物だけになった人間はどうなるか知ってる?知らないよね。だって霞さんはそういう事から遠ざけられてたもの」

「しら、ない」

 憐れみ。憐れみだ。

 飛鳥が、霞を憐れみの目で見ている。

「妖怪だよ。妖怪になるんだ。恨みとか、苦しみとか、悲しみとか、そういう、どろどろしてて、ぐちゃぐちゃしてて、触れるのもおぞましい物が詰まっていく。ぼくが手を下した訳じゃなかったけど––––––、あの人はあそこで死ぬべきだったんじゃないかな」

 実質はとっくの昔に死んでたけどね。

 飛鳥は何ということもないように、呟いた。

 何ということもないのだ。

 全ては、この少年の前では無価値になる。

「ぼくにとっては、あの人はどうでもいいよ。自分の娘を危険に晒すような親がいい親な訳ない」

 飛鳥は。

 霞の前にしゃがみ込んだ。

「霞さんは、あの子を助けるんだよ。あの子には」

 もう霞さんしかいないんだからさ。

 そうとだけ告げて、飛鳥はまた繭に近づいた。

「ねぇ、玲ちゃん。きみはぼくだよ」

 誰にも望まれず。

 誰にも救われなかった。

「危険を感じたんだろ?その妖力があれば、わかるだろうね。何かしらの力が迫ってる事が。違和感としてその意識に組み込まれただろう。だからきみは姿を変えた––––––包み込んで、自分の体を守ったんだ」

 飛鳥は繭に触れた。

「よくがんばったね。もう大丈夫だよ、ぼくがきみを守る。ぼくがきみを愛そう」

 意思。

 飛鳥の頭の中に、流れ込む。

 悲しさが、

 哀しみが。

「きみは独りじゃない」

 理魚飛鳥。

 

 する。

 糸がほどけていく。糸がほどけて、淡く、切なげに。

 飛鳥はそれを見て優しく微笑んだ。

 少女が。

 その繭から、崩れるように飛鳥にもたれ掛かる。意識がないようだ。目を閉じたまま開かない。

「まだ眠ってていいよ」

 飛鳥は。

 そう、少女に語りかけた。


 一章 白繭 了

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