化獣物少年アスカ

宮間

化獣物少年アスカ

一章 白繭

(1)

 ぴとん、ぴとん。

 台所の蛇口から雫が一粒、また一粒と落ちては排水口へ落ちていく。何というか、とても不毛だった。

 カップ麺の食べ残しが散乱している。1LDKの高そうな一軒家の二階がものの見事に潰されていた。

 その部屋の中央には円卓があり、ひっつくように布団が丸まっている。閉め切ったカーテンの隙間から差し込んだ日光が部屋に舞う埃をきらきらと反射させていた。

 部屋の中で動くものなどひとつもなく、無機物のみで完成させられているかのようなその空間は、閉じている窓の外から聞こえる車のエンジン音が大きく響いている。

 そんな中。

 だん、だん、だん。––––––と。大きな足音が静寂を破いて響き渡る。その音の所為だろうが、布団はもぞもぞと芋虫のように蠢き、「んむぅ」うなった。その足音は二階と階段を仕切る扉の前で止まり、更に声をあげる。

「アスカぁっ!ちょっと、これ開けなさいよ!」

 これ、とは、言うまでもなく扉の事である。がこんがこんと引き戸型の扉は乱暴に揺すられ悲鳴を上げていた。

 布団は「まだねむい」と謎の呟きを漏らし、再び動かなくなる。

 と、その時。

「起きろっつってんでしょうがっ!」

 ごん、---と。布団を足音の主が殴りつけた。布団を叩いたとは到底思えない硬い音。

 足音の主は金に近い茶髪と、その髪と同じ色の瞳を持つ美しい顔立ちの女性だった。細いチタンのフレームが面長の顔を際立てている。濃い紫のスーツが映えていた。

 布団は---いや、布団を被っていたのは、

「………朝起きる時くらい優しくしてくれたっていんじゃない?かすみさん」

 にやにやと笑う、いやに大きな藍色の瞳をした少年だった。




 もぞもぞ動いて、少年は頭を引っ掻きながら起き上がる。まだ布団が恋しいようで、とてもゆっくりとした動作だった。

「それでどうしたのさ。取り立て屋も裸足で逃げるくらいのドスの効いた声で怒鳴りこむのはいつもの事だとしても、」

「アスカ、あんた殺されたいの?」

「さすがに扉を蹴破ったのは初めてじゃない?」

  聞けよ人の話を。

 ..........という言葉を女性––––––霞はぐっと飲み込んだ。少年、いや、アスカは口笛を吹きながら布団を畳んでいる。あまりにも雑にたたみすぎてシーツが見苦しくはみ出ているが、霞は注意することなく、ぼうっとその様をみていた。

 蹴破られた扉の方が見苦しいと言いたげにアスカはそんな扉と霞を交互に何度も見比べ、

 溜め息を吐いた。

「 」

「––––––え?」

 霞は、はっとして聞き返した。アスカはさっきまで畳んでいた己の布団の上に乗り、さげすむようにじっと霞を見ている。少し怖気づいた。

 今、アスカが何かを言ったような気がした。

 聞き逃したと思ったのは、気のせいか?

 ならば何故今、自分はこんな目でアスカに見られているのだろう。

 前から。この少年に見つめられるのは苦手だ。それは初めて会ったときからずっと変わらない。心を見透かされているような感覚になる。それはアスカの性質によるものでもあるのだが---


「み」

「ぐ」

「る」

「し」

「い」



 アスカは幼い子どもに言葉を教えるように、一文字一文字区切って霞へ投げた。ずきん、と霞の胸がざわめく。自問自答する時間すらも、霞には与えられないらしい。アスカは「聞こえなかった?」とわざとらしく年相応に小首を傾げた。

「聞こえなかったならもう一度言おうか?」

「––––––聞こえてるわよ」

 これが、普段通りだ。何も気にする必要はない。アスカはいつも、狙ったように対象の心を的確に抉る言葉を探し出す。しかし、今の霞にはあまりにも大きな衝撃だった。アスカは布団の上からおり、布団を何処かへしまおうと持ち上げる。どこへしまうのだろうか。ゴミで溢れているのだが。

「どうしたのさ。不可侵が僕の信条だけど育て親の悩みとなれば別物だよ」

 その言葉に、くふっ、と霞は苦笑した。

「どの口がいうのかしらね」

「まごう事なきぼくの口だよ?」

 アスカは足で床に無造作に転がるカップ麺の残骸たちを隅に追いやり、空いたちいさな空間に布団を放り投げた。埃が舞う。

「頼りなよ。」

 ふてぶてしい言葉で、アスカは座る霞を見下ろした。

「そのために来たんだろう?」

 どこまでこの少年は我が儘なんだろう、と霞の頭に疑問が生まれた。

 まあそれも、仕方がないのだろう。これほどの能力を持つ者など、滅多にいないのだから。しかもアスカの場合、あまりにも特殊すぎる。

 いや。考えるのはもうよそう。アスカの気が変わらない内に相談すべきだ。アスカの顔を見た時は危険に巻き込まない方がいいかと思いなおしたのだが、ここまでアスカが聡いとどうする事もできまい。下手に口を濁したりすればどうなるか、霞は身をもって知っている。

 覚悟を決めて、霞は口を開いた。








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