外伝

『勇者ちゃん』外伝:お師匠さまの憂鬱



 おれが勇者と呼ばれるようになって十年近くが過ぎた。

 魔族との戦争は泥沼と化し、各地で土地のとったとられたが繰り返されている。世界の国々の消耗は止まらず、緩やかに人間族は滅亡へと向かっていた。

 おれといえば巷では勇者などと呼ばれているが、なにも特別な功績などは上げていない。そもそも、その称号をおれは喜んでいない。おれは七つの海を股に掛ける海賊団の首領で、それ以上でもそれ以下でもないのだ。若いころに気まぐれにある国の滅亡を阻止したことはあるが、そのついでに世界まで救ってやるほどお人よしではないのだ。


 そもそも根無し草のおれたちにとって、どこどこが侵略されただの、どこどこが滅亡しただの、そんなのはまったく関係のない話だ。強いて言えば、いつも使っている港町がなくなっては面倒だとかいう程度のことか。

 そんな港町のひとつが、大陸の南にある。

 海賊と名乗っているが、別に略奪を好むわけではない。おれたちはどちらかといえば、懸賞金の掛けられた海賊たちを駆逐してその賞金で暮らしている。

 その日は、西のほうにある王国から積み荷の依頼を受けていた。その荷物を降ろしていると、顔見知りが声をかけてきた。


「おい、勇者」


 その声に、おれは目を丸くした。


「お。剣聖くんじゃーん」


 すると、そのいかにも真面目臭そうな坊ちゃんは眼鏡を整えた。


「その呼び方はやめたまえ。おれはまだ師匠を越えてはいない」


「なら、てめえもおれを勇者と呼ぶんじゃねえよ」


「フン。相変わらずのようだな」


「てめえもな」


 おれたちは笑った。


 その日の晩、久しぶりに酒を交わしていると、やつが神妙な口調で切り出した。


「おまえ、本当に世界を救うつもりはないか?」


「くどいぞ。何度も言った。おれは自分以外の命を預かる気はない」


「そうか。おまえは変わらないな」


 なんだ。今日はやけに素直なやつだ。いつもなら皮肉のひとつやふたつも言わなきゃ気が済まないくせに。


「おまえに頼みがある」


「なんだ?」


「本物の勇者を育ててくれないか?」


 おれはその言葉に、思わず呆けた声を上げていた。


「はあ?」


 ―*―


 そして二日後。やつが召し抱えられる王国に赴いた。

 そこに待っていたのは、周辺の国々の王族各位と有力な貴族ども。そして神官ギルドの長である年齢詐欺のロリッ娘までそろっていた。


「おう、勇者よ。久しいのう」


「なんだ、司教のババア。まだ死んでなかったのか」


 ガツンッ!

 途端、みぞおちに杖の一撃を受ける。


「なんか言ったかの?」


「……な、なんでもねえよ」


 くそ、相変わらずでたらめな筋力をしてやがる……。


「で。おれに育ててほしいっていう未来の勇者さまはどれだ?」


 司教がくいっと顎をしゃくった。

 王族たちの中央。そこに場違いな小娘がいた。見るからに田舎くさい顔つきで、汚れたエプロンをつけている。短く切りそろえた黄金色の髪が、稲穂のように揺れた。

 ……なんでエプロンに血しぶきがついてんだ?


「あら。まあ」


 その姿にぞっとしていると、やつは人畜無害な笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。


「うふふ。あなたさまが勇者さまですの?」


「あ、あぁ。まあな」


 おれの視線に気づいた小娘が、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「こんな格好で申し訳ございません。家で豚を潰しているときにこの国の兵士さまたちに連れてこられたものですから身支度もままならずに。あ。我が家では豚を育てております。しがない農家ですけれど、周辺では大変おいしいと評判ですのよ。今度、勇者さまにもお届けに……」


 その額に、思い切り平手打ちを見舞った。


「あいた!」


 やつは大きな瞳に涙をためた。


「ど、どうして殴るのですか」


「す、すまん。なんかおまえの話を聞いてると、イラッとしてつい……」


 おれは頭をかきながら、広間の隅で笑いをこらえている剣士に近寄った。小娘に背を向けながら、剣士の肩を引き寄せる。


「なんだ、こりゃ。ただの餓鬼じゃねえか。こんなのが女神の神託を受けたとか、冗談はやめろよ」


「冗談で司教さまが出向くものか。おまえだって家を飛び出したときはあんなものだったろう」


 おれは舌打ちをした。


「こいつとは合わん。おまえが育てろよ」


「おれは魔法が使えん。それに、いまは弟子をひとりとっているのだ。勇者を育てられるほど暇ではない」


「じゃあババア。おまえが魔法を仕込んでやれよ。女神さまのお膝元のほうが安全だろ」


 司教に目を向けると、やつはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべていた。


「わしはこれでも数百の使徒に目をかけてやらんといかんでな。それに先日、妙な小娘を拾っての。親を魔物に殺されたらしく神法を学びたいのだという。こいつがなかなかおもしろい。勇者も興味はあるが、育てるならうぬのほうが適任じゃろ」


「じゃあ、てめえのもと旦那の老師がいるだろ」


「わしの前で二度とあやつの名を出すな。次はその口を一生涯、開けぬようにしてやるぞ」


「おいこら司教。おっかねえこと言ってんじゃねえよ。使徒が聞いたら泣くぞ」


 ウオッホン、と国王が咳をした。


「勇者……いや、もと勇者よ。やってくれるな?」


「ハッ。おれが王族嫌いなのは知ってんだろ? もちろんノーだ」


「そうか。わかった」


 なんだ。先日の剣士といい、やけに物分かりがいいな。

 と、思っているのもつかの間、国王はとんでもないことを言った。


「もし断るなら、貴殿を反逆者として指名手配することになる」


「な……っ!?」


 剣士を見ると、やつはにやりと笑った。どうやら、まんまとはめられたらしい。

だから権力者ってのは嫌いなんだよ!

 おれがうなだれていると、なにも知らない小娘はのん気な笑顔を浮かべてお辞儀をした。


「お師匠さま。よろしくお願いいたしますね」


「…………」


 それが、おれと勇者との出会いだった。


 ―*―


「お師匠さま。大変です!」


 勇者を預かってはや数か月。おれは修行よりも慣れない子守に悩んでいた。それも当然だ。これまでこの男臭い船の上で生活してきたのだ。それにほいと小娘を渡されて戸惑わないほうがおかしい。

 そもそも、おれは子どもが嫌いだ。といっても嫌いなものばかりで、むしろ好きなもののほうが少ないが。

 まあ、船員たちは色気のない生活に花が咲いたかのように勇者をちやほやしている。勇者も勇者で、突然に家から連れ出されて見知らぬ場所に預けられたというわりには楽しそうに生活していた。なかなかに肝が据わっている。船の上の生活も苦になっていないようだし、この順応性の高さは目を見張るものがあった。


「なんだ?」


「世の中にはお金を使って遊ぶ遊技場があるらしいです。なんでも、庶民が足を踏み入れると無一文にされて下着姿のまま放り出されるそうですわ」


 興奮したように顔を赤らめて話している。また船員から変なことを教わってきたらしい。


「そりゃカジノのことか?」


「あら。お魚みたいな名前ですのね。煮付けがいいかしら」


「うまくねえぞ。すっぽんぽんにされたくなきゃ、てめえみたいな世間知らずは入らないほうが身のためだ」


「そうなのですか。でもそう言われると行きたくなるのが勇者のですわよね」


 それは勇者とは関係ない。

 まったく、こいつは毎日のように船員から世界のあれこれを吹き込まれ、そのたびに小躍りしながら嬉しそうに報告してくる。そんな当たり前のことを聞いて、なにがそんなに楽しいというのだろうか。


「あぁ、はやく旅立ちたいです。世界中を巡るなんて考えただけでも素敵ですわ」


「そうかい? おまえくらいの年頃の娘は、世界平和より色恋のほうに夢中なんじゃないのか」


「確かにお友だちはそうですけれど、わたくしそういうお話はあまり得意ではございませんので」


「ふうん。勇者として命がけで戦うほうがいいってのかい」


 勇者は屈託のない笑顔を見せた。


「だってわたくし、このままでは実家の家業を継ぐか、カボチャかナスほどの違いしかない男の子の家に嫁ぐしか未来はありませんでしたもの。それでしたら、少しでもみなさまのお役に立てるほうがいいですわ」


 能天気なやつだ。やっぱりこいつとは合わない。さっさと技術だけ仕込んで、放り出してやる。いや、この様子ではすぐに現実の厳しさを知って逃げ出すだろう。

おれはそのとき、そう思っていた。


 ―*―


 勇者とともに戦場を駆けるようになり、はやいもので一年余りが過ぎていた。


「家で豚を殺すんだろ? その感覚でやってみろ」


 最初こそ魔物を殺すことにためらいを覚えていたが、そうアドバイスしただけですぐに戦いに慣れていた。それからは、まるで砂漠に水を流すかのようにおれの技術のすべてを飲み込んでいった。その成長は桁違いで、このころになるとおれの船員の中でもこいつに敵うやつはいなくなっていた。


 まるで魔物を殺すためだけに生まれてきたような、そんな小娘だった。


 異常だ。初めは能天気なお嬢ちゃんだと思っていたが、こいつと過ごす時間が長くなるほどにその得体のしれない恐怖は大きくなっていった。

 おれはこいつを旅に出すことにした。そのころには、もう教えられることはなくなっていた。あとは自分で経験を積んでいくしかないのだ。

 まあ、こいつに対する恐怖も理由のひとつだと言われれば否定はできない。


「おまえは怖くないのか?」


 その夜、いつまでも寝ずにおれと話をしたがる勇者に聞いてみた。


「世界を救うなんて簡単に言うが、実際は思ってるよりきついぞ。ちょっと他人に手を差し伸べれば、英雄だなんだと勝手に担ぎ上げ、挙句、助けることを当然のように要求してくる。断れば失望したと蔑まれ、失敗すればまるで仇のように責められる。それを世界中の人間のぶんだけ背負うなんて馬鹿らしいだろ?」


 しかし、勇者は相変わらず能天気に笑っている。


「あら。お師匠さまが身の上話なんて珍しいですねえ」


 おれはため息をついた。


「……聞いた話だ」


「そういうことにしておきます」


 まったく、揚げ足取りだけは本当にうまくなった。誰に似たのか、そいつの顔をひっぱたいてやりたい。


「辛いぞ」


 すると勇者はにこりと微笑んだ。


「だって世界を救うなんて、考えただけでもわくわくするではございませんか」


「…………」


 なるほどな。

 能天気なやつだと思っていたが、案外、このくらいのほうが世界を救うのに向いているのかもしれないな。


「旅を終えたらどうする?」


「それはそのときに考えます。案外、素敵な旦那さまでも見つかるのではないでしょうか」


「ハハッ。おまえに?」


「あら。わかりませんわよ」


「素手で岩を割る女を嫁にしたいなんてもの好きはいねえよ」


「お師匠さまこそ。せっかく美人なのだから、さっさと海賊をやめて身を固めたほうがいいと思うのですけれど」


「ほう。言うじゃねえの」


 おれはやつの頭をぐりぐりと絞めた。


「あいたたた! お師匠さまの暴力女! 行き遅れ! 出涸らし昆布!」


「そんな汚ねえ言葉を教えたのはどいつだ、こら!」


「目の前にいるひとです!」


 そしてその翌日、やつはけろっとした顔で去っていった。


「では、行ってまいります」


「おう。行って来い」


 まるで帰ってくるのが当然のような言葉で、おれは勇者を送り出したのだった。


 ―*―


 それから十年近くが経った。

 おれは相変わらず海賊を続けているし、世界の情勢には興味がないままだった。あれから最初のほうは勇者の武勇伝も風に乗って聞こえてきたが、いまではやつの話もとんと聞かなくなった。

死んだのだろうか。それも仕方がないと思った。女神の祝福を受けようが、所詮はひとりの女だ。

 こんなことならずっとここに置いててやるんだったと、ちらとでも考えるなどおれも甘くなったものだ。


「姐さん。国王から手紙ですぜ」


 部下が鳥から落とされた書簡を持ってきた。また積み荷の依頼だろうか。あるいは悪さをしている海賊をとっちめてほしいか。

 何気なく目を通していると、その予想外の内容におれは笑い声を上げた。


「なんですって?」


「いや。あの馬鹿弟子がやらかしたらしい」


 即座に船員たちに指示を飛ばす。


「舵を引け! あの小娘の様子を見に行くぞ」


 部下たちの歓声を聞きながら、おれはどうにも誇らしい気持ちでいっぱいだった。

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魔王さま、勇者に婿入りなさるのですか!? @nana777

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