第7話

 午前十時四十三分。

 待ち合わせの時間より十五分も早く着く。

 校門は閉まっており、学校は何時もの賑わいが無く静かである。

 そこに一人立つ同級生が居る。

 普段着ている学校指定の黒色のスカートではなく、赤と緑のチェックのショートスカート。上着は冬服の制服ではなく、春先にしては若干寒そう肩が大きく開かれたシフォンブラウスを着ている。胸元にシルバー製のハートのネックレスが目を引く。

 髪も学校で見るポニーテールではなく、下ろしてパーマを掛けている。

 普段見る元気なイメージとは変わって、びっくりするほど大人しめのキレイ系女子に変っている。

 一瞬、見間違えたかと思った。本当、女の子ってすごいね。

「やあ、おはよう。清水さん」

「あっ、おはよう。山田君」

「ごめん。待たせたかな」

「うん。結構待ったかな」

「ご、ごめんなさい」

「山田君。女の子を待たせるとか最低だよ」

「本当すみませんでした」

「本来ならこんな事がない様に、男の子は待ち合わせの一時間前には着ておくものだよ」

「それは早過ぎないですか?」

「早くないよ。次の日はデートだな。緊張するな。寝れないな。そんな事を考えていたら、もう朝で、気合入れてオシャレして、準備万端な状態でも時間が余るから、かなり早く集合場所に来ると言うのが、普通の男の子の心理だと思うけど」

「勉強不足でした、すみません」

「今度からはそのような事は無い様に」

「はい」

 って、次回とかあるのか。

「さて。じゃあ、買い物に行きますか」

「あっ、うん。僕の家の近くにスーパーがあるから、そこに寄って…」

「ちょっと待った。まさか、若い男女がそんなつまらない場所で買い物するとでも?」

「えっ? では、どこに行くつもりで」

「郊外に新しくショッピングモールが出来たじゃない。そこに行きたいと思います」

「そこって、ここから遠くないですか?」

 バスに乗って三十分位の所である。

「大丈夫、主旨は忘れてないから。食材の他にちょっと見るだけだから」

「ちょっとですか」

「うん、ちょっと」

「じゃあ、分かりました」

「よし、そうと決まったら早速行きますか」

 しかし、見た目は女の子らしくなっても、中身は清水さんのままだな。

 まあ、当たり前なんだけど。

「ねえ、山田君。今、とっても失礼な事を考えてなかった」

「まさか。そんな事、全然これっぽっちも微塵にすら考えてはおりませんけど」

「……そう。今回はそう言う事にしておいてあげる」

 怖い。ただ、単純にそう思った瞬間だった。


 さて、バスに乗って三十分。

 郊外に建てられたショッピングモールにやって来た訳だ。日曜とあって大勢の客で賑わっている。

 全三階層の建造物内に様々な店舗が連なる複合施設。ショッピングからリラクゼーションまで。あらゆる娯楽が集う場所。一日居ても楽しめるとの話である。

 有名ブランドが出展してると言う事で大きく取り上げられていたな。こんな片田舎には珍しい大きな施設である。

「へえ、映画館もあるんだ。あっ、この映画。ちょうど見たかったんだよな」

 パンフレットを見ながら店内を歩く。映画館の他にも書店や家具店。珍しいものではスパや岩盤浴もある。本当に何でもあるんだな。

「じゃあ、今から見に行く?」

「いやいや。今日は買い物に来たんだから。今度一人で見に来るよ」

「はぁー。本当に分かってないんだから」

 溜息を吐いて、怪訝そうな顔をする。

「ん、何が?」

「別に何でもないです。ところで最初はここに行きたいのだけれど、良いかな?」

「ここって、服買う場所だよね?」

 パンフレットの地図を指差したのは低価格で質のよい物を売る外国で有名なブランドの店であった。

「ここには食材を買いに着たのでは?」

「分かってるけど。買い物した後に見回ったら、荷物が邪魔でしょ。だから最初に行こうかと」

「はあ」

「こんな時位しか行けないからお願い!」

 両手を合わせて頭を下げる清水さん。

「そんな頭を下げる事じゃないって。清水さんに時間があるなら見て回っても良いよ」

「本当!? じゃあ、まだまだ見て回るから、早く行こう行こう」

「えっ」

 何か徐々に方向性がずれて来てるような気がしてきたぞ。

 まあ、そんな事を考えていても清水さんは気にせずに店舗を回る。

「ねえ、この服どうかな?」

「うん、とても似合ってると思うよ」

「じゃあ、こっちのスカートはどうかな?」

「うん、清水さんの雰囲気に合ってるよ」

「あっ。このアクセ可愛い!」

「うん、可愛いね」

「ちょっと、山田君」

「はい?」

 清水さんが不機嫌そうな顔で僕を見る。

「さっきから生返事で全然誠意が伝わってこないんだけど」

「へっ? そんな事はないけど」

 確かに事務的にはなっていたような気がしてもないけど、実際に清水さんが選んでいた物は全部似合っていた。

「何か私が無理矢理言わせてるみたいで嫌なんだけど」

「いや。本当にそんな事ないって」

「本当?」

「本当、本当」

「じゃあ、このアンダーウエアはどう思う?」

「うん。似合うよ」

「何か違うんだよね」

 首を傾げる清水さん。

「もしかして、興味なかった?」

「だから、そう言うじゃないって」

「じゃあ、何なの?」

 じゃあ、何なのって言われても。返答に困るんだけど。

「ほら、すぐに答えられない。やっぱり私には興味ないんだね」

「違うって。その…言葉を選んでいたんだよ」

「いいよ。見え透いた嘘は言わなくたって」

「うぐっ」

 本当、見透かされているようだ。返す言葉がありません。

「よしっ。じゃあ、アプローチを変えたいと思います」

「はい?」

「山田君の興味がある物を見に行こうと思います」

「僕が興味ある物? 何かあるの?」

「とりあえず、黙って付いて来なさい」

 そう言われて僕が連れてこられた店舗が、ここ。

「あの、清水さん。本当にここに入るんですか?」

「うん」

「マジで言ってるの」

「マジですよ」

「出来れば別なところに行きたいんですけど」

「ダメ」

「なんだったらランチ奢りますよ。その後、映画でも見ましょうよ。無論、それも奢りますから。いえ、是非とも奢らさせてください。だから、ここだけは本当に勘弁してください」

「魅力的なお誘いだけど、もう遅い」

 にこやかに笑っている清水さん。冷や汗が止まらない僕。

 何故、僕がこんなに入店を拒むかと言えば、まあ当然の事である。僕にだって体裁と言う物がある。こんな場所、僕のような人間が入って良い訳がない。それが例え、清水さんが僕の彼女で、ここに一緒に買い物をしにきたとしても、僕は全力で拒否権を発動しなければならない。

 だってこの店、ランジェリーショップなんだもの。

 既に店先に来るだけで身体から強い拒否反応を感じる。正直、直視できない。

 別に下着がどうのこうのと言う話ではない。だって毎日の様に洗濯して干している訳だから。

 僕が気にしているのは女性下着売り場に男性が訪れると言う、他者から見たら変質者にか見えない光景を示唆しているのだ。

「大丈夫よ。私と一緒に入るんだから」

「それでも僕は断固拒否させて頂きます」

「ダメよ。女の子の買い物を常にエスコートするのが男の子の勤めよ」

「他の場所だったら喜んで付き合うけど、ここだけは無理ですって」

「問題ない問題ない。最近はカップルで買いに来るって聞くし」

「僕達はカップルでもなんでもないです」

「そう言うの聞くとちょっと傷付くんだけど。この際だからカップルみたいなものよ」

「だとしても僕が入る理由が見当たらないです」

「そうね。だったら、山田君好みの下着を買うから選んで」

「何で僕好みの下着を選ぶ必要があるんですかね」

「ここまでくると病気に近いよ、山田君。そんなの勝負下着に決まってるじゃない」

「勝負下着?」

「そう。女の子が気合を入れるところよ」

「はあ」

 だとして、僕が選ぶ理由があるのだろうか。

 もしかして、あれか? 男性の好みを踏まえて買おうとでも言うのだろうか? だとしても、僕に頼むのは違う気がする。いや、絶対に違う。

「けど、そう言うのはちゃんとした彼氏さんに選んでもらった方が良いのでは…」

「ほお。確かに正論ですね」

「でしょう」

「と言う訳で、強制連行します」

「何でそうなるんですか!」

「山田君は踏んではいけない地雷を踏んでしまったのですよ。諦めてください」

 そう言って僕の腕を掴み、引きずって店内へと連行されてしまう僕。

 ホント、自分の非力さには涙が出る。女の子に引きずられるってどんだけ力が無いんだよ。今日から筋トレしよう。

「さて。入店しましたよ、山田君。覚悟は出来てますか」

「いえ、全然」

 周りの視線が痛いです。女性客とか女性店員とか不可思議な視線が。

「で、山田君の好みってどんなの?」

「いや、そんなの無いけど」

「じゃあ、下着だったら何でも良いんだ」

「そう言う訳じゃないけど…」

「じゃあ、私が山田君好みっぽいの選んでみるから感想を言ってね」

「だから、なんで僕好みなのかが分からない」

「とりあえず、こんなのはどうでしょう」

「聞いて無いし」

 清水さんが見せてきたのは、ブルーの地に黒い水玉模様が入ったショーツとブラだった。リボンもあしらえてあり、可愛らしいが黒色がどこかセクシーさを感じさせる。

「どう? 似合う?」

「似合って言われても困るけど」

「ちゃんと想像してよ。私がこの下着を着けているところ」

「えっ?」

 清水さんがこの下着を着けた姿を想像する。

 ………。

「っ!」

「あっ、顔が赤くなったよ。本当に想像したんだ」

「そ、そんな事は…」

「まあ良いわ。分からないって言うなら試着して見せてあげるから」

「はっ?」

「あっ。けど、これサイズCまでしかないや。他のにしないと」

 何か今、とんでもない事を言ったような気がしたぞ。まさか冗談だよね。

 てか、清水さんのバストサイズがC以上だということが、今まさかの判明。

「ねえ、これなんかどうかな?」

 今度はピンクと黒のグレンチェックの下着だ。ブラの方はフロントホックだ。

「どう? 似合う?」

「だから、分からないっての」

「大丈夫。そう言うと思ってたから。ちゃんと試着しますから」

 そう言うと店員さんに話しかけて試着の許可を貰い、試着室に入っていく。

「じゃあ、そこで待っててね。逃げたら酷いよ」

 カーテンを閉める。中ではカサカサと服の擦れる音が聞こえてくる。妙にドキドキしていまう。今この瞬間に清水さんが服を脱いでいるか。

ボタンを一つ一つ外してブラウスを脱いで、ファスナーを降ろしてスカートを外す。そして、次にはブラとショーツに手を伸ばして……。

 いかん。僕は何を考えているんだ。相手はクラスメイトだぞ。気をしっかり持て、僕。平常心、平常心。

「おまたせー、山田君。お待ちかねの時間だよ」

「ぶっ!」

 平常心が! 僕の平常心がぶっ飛んだ!

 カーテンを開けて現れた清水さんの姿は本当に下着だけの姿だった。

 まず、初めに目が行ってしまったのは胸だった。ただ一言。大きかった。ブラの所為か、やけに胸元の谷間が強調されて―――大きかった。

 そして、目を逸らそうと目線を下に降ろしていた。だが、それがいけなかった。

 その太ってもなく痩せていもいない、バランスの良いスタイルを眺めながら目線を下げていると、ある場所でまたしても目が止まってしまう。

 そうショーツである。ヘソの下にある黒とピンク色のショーツ。肌の白さと下着の黒さが互いを目立たせ、ピンク色が艶かしく見えてくる。そして、脇からの太股とショーツの見え具合が絶妙で素晴らしい。

 今、確信した。下着って着けて初めて効力が発揮するんだな。これは全裸よりエロい。

 こんなの見せられた平常心がどっか行ってしまう。

「どうかな? 実際見た感想は?」

「あっ、ああ」

 ダメだ。なって言ったらいいのかが分からない。頭が混乱して開いた口が塞がらない。ただただ唖然とするばかりだ。

「ふっふーん。どうよ、私の魅力に掛かればこんなものよ」

「そうね。大した物ね」

 と、僕の背後で聞いた覚えのある声がする。

「今時の若い子は大胆なのね」

 溜息交じりのその声は、学校でよく聞く女性の声だった。

「けど、そう言うのは一目の着かない場所でやりなさい」

 正面では凍りついたかのように微動だにしない表情をしている清水さん。

 僕も後ろを向くのが怖い。僕の予感があっているなら後ろに、今見つかるとヤバイ人がいる。

「とりあえず、服を着なさい。指導はその後よ」

 僕は後ろを振り向く。

 そこには眉間に皺を寄せた教育指導担当の佐藤佳織先生が私服姿で立っていた。

 だが、そこまでだったら良い。今日は運が無いことに佳織先生の後ろにもう一人立っている。それはよく見知った顔で、と言うか毎日顔を合わしている。

 そんな毎日顔を合わしてる人が、今まで見せた事のない様な表情をして僕を見ている。

 僕のたった一人の肉親の真由美姉さんだった。


 今、この場は耐え難い空気が満ち溢れている。

 ショッピングモールの三階。フードコートの一角にあるカフェの窓側一番奥の席。人目が少ない場所での事。

 僕と清水さんが同じ側に座る。そして、その向こう側には学校の教師で教育指導担当の佐藤佳織先生。そして、僕の姉さんが座る。

 もちろん、咎められていることは先程の清水さんの行為である。

「さて、清水可奈さん。初めに断っておくが私は別に怒っている訳ではない」

 そう言いながらも厳しい表情をしている佳織先生。

「仮に君達が恋仲として、互いに下着を見せる間柄だとしても、それを咎める気はない。別に交際は悪い事でない。私が教育指導の立場でも、そこまで関与する気はない」

「はい」

「学生とは言え、もう高校生だ。立派な大人だと、私は思っている」

「はい」

「だが。あの行為はとても大人がするような事ではないと思うんだが。私の意見は違っているか?」

「いいえ、全く持ってその通りであります」

「君達、いい年だろう。悪い事の区別も付けない子供ではないだろう」

「はい」

「それが分かっているのに、何故あんな事をした? もし、あそこに来たのが私達だったから良かったものの、見知らぬ人が来ていたら騒ぎになっていたとは思わなかったのか?」

「それは……」

「まあ、君達の年代は思春期だがら色々と有るのかもしれないから余り口を挟まないがな。私が言いたいのは、場所は弁えろと言う事だ。あれでは公然猥褻もいい所だぞ」

「すみません」

 頭を下げる清水さん。

「別に断っても良いんだからな。彼氏に強要されても駄目な事は駄目なんだから」

「僕はそんなことを強要しませんよ! 人聞きの悪いことを言わないでください!」

「むっ、そうなのか。てっきり、無理矢理させれたと思っていたぞ」

「先生の中で僕の印象はどのようになっているのでしょうかね」

 むしろ強要されたのは僕の方なんだけどね。あえて清水さんの不利になるようなことは言う気はないけど。

「私も今日は休暇だ。仕事は出来るだけしたくはないんだ。頼むから問題はなるべく起こさないでくれよ」

「はい、以後気をつけます」

「分かってくれればそれでいい。これで、この話は終わりだが。真由美は何か言いたい事はあるか、弟君に」

「………」

 話を振られるもずっと下を向いて顔をも見せず、言葉も発す気がない姉さん。

「はあ、駄目だなこれは。とりあえず、これは私が面倒を見るから君達は行きなさい。弟君は後でちゃんと真由美と話すんだぞ。良いな」

「はい、分かりました」

「よし。じゃあ、学生の身分と本分を忘れない程度に休日を過ごしなさい」

「はい、ご迷惑をおかけしました。これで失礼します」

 席を立って店を出て行く。

 店を出て行く直前に、姉さんが座る席の方を見る。

 そこにはどことなく悲しそうな表情をしている姉の姿があった。

「いやー、参ったね。まさか、あんな所で先生に出くわすなんて」

「えっ? あ、うん。そうだね」

「それに山田君のお姉さんも一緒だなんて。本当に今日はツイてないわね」

「うん」

 まあ、先生の声が聞こえた時点で嫌な予感はしていたけど。

「ここではやり辛くなったわね」

「はい?」

「いやいや、居辛くなったねって」

「まあ、先生が居るからね」

「そうだね。うん、こうなったら場所を移動ね」

「移動ってまだ何処かに行くんですか」

「もちろんですとも。今日の本題じゃないですか」

「本題……ああ、料理を教えるんだっけ」

 そう言えばそんな話だったな。さっきの衝撃的なことの所為ですっかり忘れていた。

「と言う訳で、山田君の家にお邪魔しようかな。都合のいいことにお姉さんも居ないみたいだし」

「まあ、そうだけど。清水さんにとって都合のいいことなの?」

「うん。やり辛くないから」

 そうか。まあ、確かに他の人が見てたりしてるとやり辛いよな。

「さっ、決まれば即行動。買い物を済まして行くわよ」

「行くわよって、一応、僕の家なんだけどな」


 そんなこんなで、ようやく本日の本題へと移る事になる。

 場所は当初より提案されていた僕の家。材料もショッピングモールで購入。ついでに明日使う食材も買う。思いのほか量が多く手頃な値段で買えたので満足である。これで三日は持つだろう。

「けど、山田君も不思議だよね。食材買うだけで喜ぶなんて」

「そう? 僕としてはかなり嬉しい事だけ。安くて量が多くて新鮮な食材が一杯買えるのは」

 買ってきた食材を冷蔵庫にしまいなが話す。

「なんだか山田君が本当の主夫に見えてきた」

「うん、僕は大分前から自覚はしていたけどね」

「ねえ、何でこんな主夫みたい事を始めようと思ったの?」

「うーん。もう随分昔の事だから覚えてないけど、たぶん自分で出来る事をしたかったんだと思うんだ。あの頃は姉さんに任せっきりだったし」

「あの頃?」

「両親を事故で亡くした頃」

 父さんと母さんを交通事故で亡くしたあの日から。僕の頼れる人は姉さん一人だけになったから。

「ごめん。変な事、聞いちゃったかな?」

「そんなことないよ。気持ちの整理は付いているから大丈夫」

 もう十年以上の前の事だ。今ではぼんやりとしか覚えていないことである。

「あの頃は家のことも姉さんが全部やってくれていたからね。仕事もしながら家事も。だから、少しでも負担を減らそうとやれる事から始めたんだ。最初は洗濯。次に掃除。それから徐々に料理も覚えていったんだ。で、何時の間にやら僕が家事全般を担当するようになったと言う訳」

 冷蔵庫の扉を閉めて、清水さんの方を向く。

「それに姉さんの作る料理はイマイチだったし、基本的に家事が苦手だったからね。それで必死に覚えたってのもあるんだけど」

 冗談を言って笑ってみせる。

「どきっ!」

「ん? どうしたの顔赤いけど?」

「いやいや、何でもないですよ」

「そう? ならいいんだけどさ」

「危ない。ときめいてしまった」

「何か言った?」

「いえいえ、何でもないですってば。それより早く始めましょう」

「そうだね。お腹の頃合も調度良いし」

 僕達はエプロンを付けて調理台に向かう。

「しかし、ホットケーキか。久しぶりに作るな」

「大丈夫ですか、師匠」

「師匠って。そんな難しいものじゃないって。お菓子作りの基本は分量をきちんと量って、手順道理に作れば良いんだよ。まあ、それが難しいんだけど」

「ほら、難しいじゃない」

「けど、ホットケーキは簡単だって。今は市販の粉使えば簡単に作れるんだから」

「さいですか」

「じゃあ、まずは生地を作っていくよ」

 ボウルにホットケーキミックスを入れて、その中に卵と牛乳を分量通りに入れて、ダマにならないように混ぜる。

「この時に空気を入れるように混ぜると焼き上がりふんわりするよ」

「ふむふむ。なるほど」

 次にフライパンを火に掛けて温める。そこにバターを流し、溶けてきたら生地を流す。

 玉杓子で一杯すくい、円形になるように注ぐ。

「初めはこの状態で動かさずに待つ」

「待つといいますと何分くらいですかね」

「目安としては生地に穴ができたらかな?」

「穴ですか?」

「うん。ほら、こんな風になってきたらだよ」

 生地にポツポツと穴が開き始める。

「ベーキングパウダーの効果が出てきたところだよ。中で炭酸ガスが発生して生地を膨らませてるんだよ」

「おおっ、流石主夫ですね。何でも知ってるね」

「いや、これ小学校の理科で勉強した事だからね」

「そうだっけ?」

「まあ、その話は後にして。こうなると生地が動くようになるから」

 フライパンを動かすとスルスルと移動する。

「こうなったらフライ返しで生地を裏返す」

 手馴れた動作で生地を反転させる。生地は綺麗な狐色に焼きあがっている。

「後は裏側も焼き終えて完成っと。ねっ、簡単でしょう」

「山田君がやると簡単そうね。うん、何か自信が付いたよ。早速挑戦してみる」

 そう言ってフライパンを握る清水さん。

 数分後。

「うわーん。真っ黒に焦げたー」

 見事に失敗していた。

「如何言うことですか師匠! 言われたとおりにしたんですけど!?」

「いや、僕にキレられても困りますけど?」

 僕も見ていたけども、まさか裏返したら真っ黒になった。別に油の分量がおかしいとか、生地が変質した訳でもないのに。

「そうですよ! どうせ私は不器用な子ですよ! 笑えばいいじゃない! 女の子なのに料理が下手ですよっ!」

「いや、何もそこまで言って無いし。そこまで悲観的になることもないじゃないかな?」

「だって、私全然女の子らしいこと出来無いしー。こんなんじゃお嫁にもいけないですよー」

「いや、ほら。最近じゃ男子の方が料理するって言うじゃないですか。だから料理できなくても大丈夫だと思うよ」

「……本当?」

「………たぶん」

「やっぱり料理も出来ない女の子は駄目なんだー」

「だから、そんなに落ち込まなくても」

「こうなったら師匠が責任を取ってください!」

「いや、何でそう言う展開になるかな?!」

「私が料理出来るようになるまで付き合うか、もうこの際だから貰ってください!」

「凄い極端な選択だ!」

「どうする? どうするの? どうするんですかっ!!」

「何、これは強制? てか脅迫ですか?!」

「……ここまでしても、まだ理解できないですか?」

「はい?」

 急に真面目な表情に変る清水さん。

「鈍感鈍感とは思っていたけど、ここまでくるとまさに天才的と言うか運命的なものを感じるよ」

「どうしたのいきなり?」

「ここまでのアプローチが全て空振り。掠りもしない」

「清水、さん?」

「こうなった直球で言うよ。変化球無しのストレート一本! これを外すなんて許さないんだからね!」

「は、はい!」

 あまりの気迫に返事する。

「いい、行くよ! しっかりと受け取りなさいよ!」

「ば、ばっちこい!」

「私はね、山田康一君の事が好きなんですっ!」

「はい! …………はい?」

 顔を真っ赤にして叫んだ清水さんの言葉に耳を疑った。

 今、好きって言った?

「言っとくけど、女の子にこんな事を言わせておいて保留とか返事を遅らす事したら酷いんだからね。返事は即答で」

「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな突然言われても」

「私はずっと前から好きだったの」

「それは清水さんでしょう。大体、僕ら出合って一ヶ月しか経ってないよ」

「十分よ。人を好きになるなんて一ヶ月も有れば」

「けど、なんで僕みたいなのを……」

「そんな風に言わないでくれるかな。好きになった私の気持ちはどうなるのよ。私は山田君の男っぽくない容姿も、気が利くけど大事なことには鈍感な性格も山田君全体を含めて好きなんだよ」

「何か褒められている気がしない。むしろ前者の方は貶されている気分ですが」

「別に昔、結婚を約束した幼馴染だったり、入学式に衝撃的な出会いをした訳でもないからね」

「うん、それは言われなくても分かっている」

 僕たちは普通にクラス分けで同じになって、普通に出会った仲である。

「それでも教室に入って、クラスを見回して、山田君を見た時に直感したの。私、貴方の事が好きだって。他の誰でもない、山田君に」

 何時もの冗談や悪戯をするような感じではない。僕を見つめる目をは真剣そのものだ。

「言っておくけど、答えは『はい』か『YES』のみよ」

「もはや選択の余地すらない!?」

「当たり前よ。女の子にここまで言わせておいて断るような山田君じゃないでしょう? 侮らないでよね、一ヶ月もあればそれ位理解できるわよ」

 なるほど、清水さんは本気なんだな。

「けどね。本当はこれは最後の手段にしかったのよ。本来なら山田君が私の魅力にメロメロになって襲ってくるはずだったんだけど。山田君、筋金入りの超鈍感だから一生経っても気付きそうにないんだもの」

 襲うって、本当に僕は他人からどんな風に思われているのだろうか。そんなに女性を食い物にしているように見えるのだろうか。

「で、まだ返事は聞いてないんだけど?」

「えっ、あっ、その……」

 まあ、どうせ付き合う以外の選択肢は残されていないんだろうな。ここで下手に断ると一時間の説教どころか半日はしごかれそうだな。

「じゃあ―――」

「その前に。一つ注意」

「なんでしょうか」

「私、なあなあで付き合われるの嫌だからね。自分で言わせておきながら我が侭なことを言うけど、付き合うんだからな山田君も真剣に付き合ってよ」

「はい、解かりました」

「じゃあ、真剣ってところを見せてもらうかしら」

「はい?」

「誠意を持って、私に告白をしてください。それはもう心ときめくような歯の浮く台詞で」

「ハードルが上がった!」

「当り前よ。こちとら清水の舞台から飛び降りる覚悟で告白したんだから。山田君には、それはそれはロマンチックで感動的な告白をしてくれないと割に合わないわよ」

「そんなー!」

 急に言われたって、そんなこと思いつかないよ。

「さあ早く私に赤面させてもらうか」

 その後、二時間掛かけて告白をし続けて、ようやくOKが貰えた。

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