はじめての④




 話が終わるなり生徒二人はさっさと学長室から出され、エリルは勇気を持って廊下で立ち止まる。

 エリルが足を止めたことを背中で感じたのか、前にいたリトの足も止まった。


(い、今のうちよ! この場で医務室でのことを聞いておくのよ!)


 それさえ判明すれば、二人きりの資料室も対抗策が取れるというものだ。

 頑張れ自分っ、とエリルは意を決して顔を上げた。


「あ、あの、クローウェル君!」

「――! エリル先輩!!」


 リトが振り返ると同時に、エリルの耳横でドガッと音がする。壁を殴りつけるような勢いで両腕をついて囲い込まれ、エリルは質問も忘れ「ギャ――――――ッッ!」と悲鳴を上げてしまっていた。


 小柄なエリルを圧し潰すような勢いで、リトの全身が迫りくる。


 恐怖のあまり、エリルは背の低さを利用して壁に両手をついたリトの脇を搔いくぐった。

 器用に逃げられ、リトが慌てたように追いすがる。


「!? 先輩! 待ってくださいッ!」

「ごめんなさい! 急いでるからまた今度!」


 今度も何も会うのは明日に決定しているのだが、一言言い置くなり後ろも見ずに駆けだした。

 背中にリトの何かを言う声が聞こえたが、聞く余裕はない。


(やっぱり怖いいいいっ――!)


 とにかく、落ち着いて考える時間が欲しい。エリルは後を追われないよう猛然と寮へ逃げ帰っていった。






 悪夢だ。

 全速力で女子寮の自室に戻るなり、エリルは勉強中のターニアの膝に縋りついた。


「タ、ターニア! 明日一緒にっ」

「嫌に決まってるでしょう」

「まだ何も言ってないのに!? 冷たい! この冷風! パンディアの氷風姫っ!」

「妙な文句言わないで。面倒そうだと判断しただけよ」


 うんざりした声で返し、〝パンディアの氷風姫〟こと、ターニアは連禱教本を閉じる。

 細い腕を組み、床に膝をつくエリルを傲然と見下ろした。


「で? 例の天才少年リト・クローウェルと何があったのよ」


 学長室に行く前に出した名前を、きっちり覚えていてくれたらしい。

 なんだかんだで話を聞いてくれる親友に、エリルも冗談はやめて椅子を引き寄せた。


(本当は氷風なんかじゃなくて、すごく優しいんだけどね)


 風の祝福を受けたターニアを〝氷風〟などと呼ぶのは級友達だが、彼らはターニアの偉そうな口調と冷めた態度で誤解してしまっているのだ。


 ターニア・イムセントはリト・クローウェルが入学するまで、「天才」と呼ばれた少女だった。


 エリルの一歳年下でまだ十七歳。自他共に認める美少女で成績優秀、パンディアの長老の一人である学園長の孫ということもあって、この連術士学園ではお姫様的存在だ。

 しかしこのお姫様は気難しいことこの上なく、入学して半年で同室になった女子と十二回問題を起こした。十二回。つまりエリルを除く学年の女子十二人全員とである。

 問題の大半は性格の不一致による揉め事らしく、女子を敵に回したターニアは男子にも遠巻きにされ、落ちこぼれであるエリル以上に孤立していた。

 一年生の半ばまで話をすることもなかったのだが、同室になったことでターニアはエリルを気に入り、三年生になった今では親友と呼べる存在になったのだ。


 教本を片づけ、優雅にお茶を飲もうとするターニアの隣に腰を下ろし、エリルは拳を握った。


「あの、驚かないで聞いてね?」

「前置き長すぎ」


 うっ、とへこみ、エリルは気を取り直して顔を上げた。



「私、一年のリト・クローウェル君と連禱できたの」



 カラン……と乾いた音を立てて、ターニアの手からスプーンが落ちた。

 茶の滴を散らせ、机の上を跳ねたスプーンは床へと転がる。教本にお茶が染みるのも気づかず、ターニアは張り裂けそうなほど目を見開き愕然と息を吞んだ。


「嘘……」

「うん、そこまで驚かれるとさすがに物悲しいんだけど」


 どれだけ連禱できないと思われていたのだ。

 スプーンを拾ってあげたがターニアの驚愕は収まらず、小刻みに首を振っている。


「嘘、嘘だわ」


「もういいったらっ! とにかく、クローウェル君は本当に天才だったのよ。これだけ誰とも連禱できなかった私ともできるなんて」


 その後の行動は疑わしいので、喜べばいいのか怖がればいいのか自分でもよく分からないのだが、とにかくこれでエリルが絶対に連禱ができないわけではないと知ることができた。それだけでもすごいことだ。


 しみじみと感動するエリルに対し、ターニアは胡乱げな目を向ける。


「……それ、本当に連禱だったの?」


「まだ疑うの!? 本当なんだってば! 本当にクローウェル君と交互に連禱祝詩を詠んで、私一人じゃ出せない力が出たの! 忘れもしない連禱十二番!」


 改めて言葉にすると、ふつふつと実感が湧いてきた。


(そうよ、連禱十二番! 私本当にやったんだわ……!)


 どうしようもなく胸が高鳴る。先ほどまで感じていたリトへの恐怖は横に置き、エリルは頬を紅潮させて両手を組んだ。


「初めてできたのよ……! 信じられない、連禱って本当に力が混ざり合うのを感じられるのね。たった一回だったけど、すごくはっきりと実感できたわ!」


「…………」


「みんなあんなにすごいことを簡単にしていたのね。奇跡みたいに不思議な体験だった」


 たった一回でこんなに驚く自分がおかしいのだろうか。一年生から皆の連禱を見てきたが、それほど感動していた様子はなかったのだが。

 ターニアはじっとエリルを見つめたまま沈黙していたが、やがてささやくように肯定した。


「……そうね。連禱は不思議なものだわ。それで? 副学長に呼ばれたのは連禱できたからなの?」

「ううん、違うの。そもそも連禱したのがクローウェル君と上級生の喧嘩を見ちゃったからで」


 リトを守ろうと思って結界を張ったこと、上級生に上位術を使われリトと連禱することになったこと。そして術の威力が強すぎて結界が破れてしまったことを話すと、ターニアは「は?」と声を上げた。


「結界? なんのよ?」

「パンディアの」


「パンディアの……?」


 不審そうにつぶやいたターニアに向け、エリルは落ち着いた声で繰り返す。


「精霊王様が三百年前に張ったパンディアの結界を、私とクローウェル君の連禱が破っちゃったの」


 ターニアがぽかんと目と口を開いた。

 

 初めて見る無防備な顔に噴き出しそうになったが、そんな場合ではないのでエリルは真顔を作る。


「だから、パンディアは今結界が破れた状態なの。私とクローウェル君の処分は、学園長が戻ってから精霊庁の人と話し合うんですって。とりあえず、それまでは校則違反としての罰掃除をすることになったんだけど」


「……何よそれ」


 しばらくあ然としていたターニアだが、ようやく話を吞み込んだらしい。怒りを感じさせる低い声で唸った。


「精霊庁に処分されるってこと? あんた巻き込まれただけなのにおかしいわ」


「うん……。でも結果がとんでもないことになっちゃったし。それに私の行く末なんてパンディアに残る以外にないでしょう? だから私はいいけどクローウェル君が可哀想よね」


「リト・クローウェルってオルティスの貴族のお坊ちゃまでしょ? 事件起こしても親や国が手を回して守るわよ。あんたがそいつの心配をしてあげる義理はないわ」


 自分もお嬢様なのに、ターニアは心底悔しそうに表情を歪める。


「貴族なんて全部金で解決する最低の輩ばっかりなんだから。あんただけが罰を受けるようなら、あたしが精霊庁とオルティスに乗り込んでやるわ!」


「熱い友情はありがたいんだけど、遠慮しておく…………」


 ターニアは育ちに似合わず過激な思想の持ち主だ。祖父である学園長は品のある老紳士なので、彼女が「普通」と言い張るご両親に一度お会いしてみたいものである。

 しかしエリルが罰されることによほど腹が立ったのか、ターニアは憤然と腕を組む。


「こんなときにおじい様が学園にいないなんて……! オルティスから呼び戻してやろうかしら」


 無茶なことを言う親友に苦笑し、エリルはたしなめた。


「駄目よ、学園長は異種の魔物を引き取りに行ってるんでしょう? そんなにすぐには帰れないわ」


「死骸よ。別にいつでもいいじゃない」


「研究のためには早い方がいいのよ。死骸を調べれば、精霊術の何が効かないのかも解明できるかもしれないし」


 魔物の中でも飛び抜けて力が強く、傷の治癒が速い〝異種〟は最近になって確認されはじめた存在だ。

 鳥や獣に近い従来の魔物とは異なり、いずれも双頭、過 剰 肢、二種以上の生物の複合体という奇怪な姿をしている。これまでは連術士が一組いれば十分対処できたが、異種は精霊術にも耐性があり、オルティスに現れたものもパンディアから精鋭を派遣してようやく倒したらしい。

 学園長は研究用としてその死骸を貰い受けるため、直々にオルティスへ旅立っているのだ。


 ベネット副学長の苦悩は単純に強固な結界が破れたことだけでなく、「なぜ隣国に異種の現れたこんなときに」という気持ちもあったのだろう。

 しでかしたことの重大さを考えれば、精霊庁に罰されるのも仕方ないかもしれない。


 ……なので、それはいいのだ。


 今のエリルにとって大事なのは目先のことである。気を取り直し、エリルはがばりと顔を上げた。


「それでね、ターニア! ここからが大事なんだけど、明日一緒に罰の資料室掃除を!」

「嫌に決まってるじゃない」

「言うと思った!!」


 ついてきてくれるわけがないと思っていたが、清々しいほどの即答だ。

 ターニアは言葉遣いの割に優しい親友だが、こういう簡単なことには関わってくれない。


「だいたいなんであたしがついて行くのよ? 行ったって手伝わないわよ?」

「違うの、いてくれるだけでもいいの!」


 リト・クローウェルと連禱できたことはとても嬉しい。やはり天才はすごいと尊敬もするし、憧れる。


(でもそれとこれは別なのよ!)


 怖いものは怖いのだ。


 人気のない資料室に行くのも、ターニアが側にいてくれればこんなに心強いことはない。この恐怖を分かってもらいたくて必死で縋れば、ターニアは剣吞そうに目を眇めた。


「何かあったの?」

「わ、分かんないんだけど、私クローウェル君にキ――――…………」


 キスされたのだ――――。


 と、打ち明けかけてエリルは反射的に口をつぐんだ。


(…………これ、ターニアに言ってもいいのかしら?)


 改めて考えると、とんでもないことのような気がする。

 話してしまえば、ターニアは「え、なに? その一年殺せばいいの?」ぐらい言う。絶対言う。

 

 小さなお願い事にはつれないターニアだが、エリルが本当に困っていることなら並々ならぬ熱意を見せて力を貸してくれるからだ。

 エリルのどこをそんなに気に入ったのかは不明だが、ターニアは確実に友情以上の愛情を寄せてくれている。それは例えて言うなら保護者のようなもので、エリルを馬鹿にする人間をターニアは許さない。

 過去には偽の告白でエリルをからかった上級生を闇討ちしようとしたことがあり、そのときのターニアの怒りは上級生の間で伝説になっているほどだ。


(クローウェル君が何のつもりでキスしてきたのかも分からないし……)


 まずは本人と落ち着いて話をするべきだろうか――。


「エリル」

「ん?」


 労わるような優しい声につられ、エリルは素直に顔を上げる。

 

 そして、ヒィッと悲鳴を吞み込んだ。


 声だけは優しい親友が壮絶な笑みを湛え、エリルを見下ろしていたからだ。


「吐きなさい。あんたの身に起こったこと全部ね……!」


 こうなってはもはや隠し事はできない。


 脳裏にリト・クローウェルの無残な姿が浮かんだが、自己の安全には代えられない。エリルは心で「ごめんなさい、クローウェル君」と謝罪し、仕方なく口を開いた。

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空と鏡界の守護者(エフィラー)/小椋春歌 ビーズログ文庫 @bslog

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