美しい日本語

 ひと昔前、私はこのタイトルでブログエッセイを書いたことがある。そうしたら面白い反応が帰って来た。「美しい日本語の基準はなんですか」というものだ。つまり、この人は私にどの様な日本語が美しくて、どのような日本語が美しくないのかその基準を示してほしいというわけだ。


 さて、皆さんならどの様に返事をしますか?


 私の答えは、このようなものだったと記憶しています。


 美しい日本語とは、心根の美しい人が発する日本語です。つまり、言葉はその人の心の美醜を現すものだと考えています。例えば三桁の数字の人(893)が「今日はとても清々しい日和ですね」などと言いながら、凄む姿は見たことが無いでしょう。

また、皇室の方々が「べらんめい、こちとら江戸っ子でい」などと啖呵を切ったのを見た人も居ないはずです。


 また、文章表現するときもそうなのですが、正しい表現ができているのかという部分に私はいつも気を使っています。


 例を挙げるならば、「言う」を仮名にした時に「ゆう」と書く人がいます。口語では「ゆう」と言っても通じますが、やはり「いう」が正解ですよね。また、てにをはを最近の若い人は、もしかしたら、わざと間違って書いているのではと思ってしまうことが有ります。それは、「は」を「わ」と書く人が居ることです。


 他のサイトで実際に見かけたことが有るんですが、作品の中にこの様な表現を見ると、作品を書く前に国語の勉強をしっかりしようねって、心の中で呟いてしまいます。


 恐らく私が書いているこの様な話は、氷山の一角なのだと思います。


 テレビを見ていてもそうなのですが、アナウンサーが堂々と間違った日本語を使うことも有りますよね。「おさわがせ」と「おさがわせ」、どちらが正解かは分かりますよね。これは言いづらいのも有るかも知れませんが、良く聞くと「おさがわせ」と言っている人を時折見かけます。今では少なくなりましたが、トラックで古新聞や古雑誌を集めていたチリ紙交換の放送は殆どが「毎度おさがわせしております」と言っていました。


「そこまで厳密に言葉を話さなければならないのか」とい声が聞こえてきそうですが。少なくとも、人に文章を読んでもらおうと思うのならば、言葉を大切に扱うことは非常に大切なことだと私は思っているのです。


 日本語にはきめの細かい、美しい表現が沢山あります。そのような表現を沢山使える人の作品は、やはり美しい作品になりますし、粗野な表現で作品を書けば、やはり荒々しい作品が出来上がる。作品の性質に応じて、私たちは自在に表現を使い分ける必要があるわけです。


 少なからず、物を書くということは、幾人かの人々に何らかの影響を与える可能性があるわけですから、言葉に気を配る事は非常に大切なことだと私は思っています。今回はこの位にしておきましょう。また、気が向いた時に続編を書くことにします。

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