20 カオリ

 八月は一年の中で一番好きな月だけれど、今年は良く分からない。ジュンは八月が誕生日だと言っていたけれどもう過ぎたのだろうか。





 まだ制服を着たまま客と話をしていると「店に入ってどれくらいになるの?」と訊かれた。接客中に一番よく訊かれるのは「何でこの仕事を始めたのか」。二番目は、今訊かれた質問だ。


「去年の十月からだよ」


「じゃあ……十ヶ月かな。少し長く居過ぎたかもね」


「そーかなー」

 




 夜になって、見るからにヤクザという感じの三十歳前後の客が来た。総身ではないけれど、ぎっしり墨が入った体で、「入れないとイケない」と言った。だったらヘルスに来るなよ。


 適当に躱す余裕が今の私には無かったみたい。勃ったペニスにローションを塗りつけて素股を始めた。男は表情を変えずにずっと私の顔を見ていた。


 どれくらいそうしていたんだろう。私は汗だらけで、顔は汗か涙か分からないくらいに濡れていた。涙だとしても、汗が目に染みて出ただけだろうけれど。結局、その男はイった。





 土曜日。その日もジュンからの連絡はなかった。私は夏風邪をひいた。熱が高くて鼻水が止まらない。どうしてか分からないけれど私は出勤してしまった。仕事をしたら客に感染うつしてしまうし、一日に何回もシャワーを浴びるので風邪がひどくなる。来れる常連を総動員して、半分は休めたけれど、半分は真面目に接客した。


「わぁ。びっくりした」


 営業終了後、使っていた部屋で死んだように横になっていた私を見付けたボーイが焦っていた。


「ごめん。明日休む」


『ありがとう。明日は休む。きっと雨が降るだろう』字余り過ぎ。来てくれた常連に渡した割引チケットに書いた一句。てかこれ俳句? もう疲れ過ぎでしょう。


 ジュン。会いたいよ。『俺も会いたいよ』





 熱田区の堀川沿いに来ていた。月曜日の二十一時。突然助手席に乗り込んで来た男はジュンに見えなかった。


 いつものキャップを被っていないその横顔の頬は痩けて黒く伸びた髪は緩くウェーブがかかっていた。短髪だった時には分からなかったけれどクセ毛だったのか、と的外れなことを思っていると「早く出して」とジュンの声がした。やっぱりジュンだ。


 特に中区はマズいと言うので天白てんぱくまで走ってダイナーに入った。うちは中区なんだけれど。じゃあずっとジュンは部屋に来ないっていうこと……?


 ひどく現実味に欠けていた時間は何を食べたのか何を話したのか良く思い出せないけれど、 バイクでは彷徨うろつけないこと。車を買うこと。は、覚えている。車の名義は私になるらしい。また会う約束をして堀川沿いで別れた。





 次にジュンと会ったのはそれから一週間後。店が休みの日だった。雨が降っていたけれど、中古車選びは雨の日の方が良いらしい。晴れの日だと気が付けない欠点などが分かるそうだ。


 ジュンは水色のエルカミーノを選んだ。シボレーの2シーターのピックアップ。乗り出し価格百三十万のうち五十万をその場でキャッシュで払っていた。残りは納車の日に払うことにしていた。


 納車の日も雨が降っていた。熱田で世話になっていた人に残りの八十万を預けてあるから立て替えて欲しい、と言われていたのでキャッシュで用意して来た。次には返せると言うジュンの言葉は信じられない。


 今日からジュンは私の部屋で眠る。多分金が尽きたので私のところに来るのだろう。それで良かった。





 二十三歳の誕生日が過ぎた。エルカミーノは私への誕生日プレゼントだとジュンが言った。残りの八十万も必ず払うと。


 いつでも運転するのはジュンだった。私の休みの日はいつでも一緒に過ごした。クラブにも毎晩のように行った。その店が終わると、まだ営業している店、と飲み歩いて朝まで過ごした。会えなかった時間を埋めるように、私たちは寝る間も惜しんで一緒に過ごした。


 週に何回か会えない日もあった。覚醒剤の売人と行動を共にしているというようなことを言っていた。始めはタダでもらっていたシャブは、止めれなくなった今では一グラムにつき一万五千円払わないと手に入らなくなったらしい。私は毎週三万ジュンに渡していた。そのうちジュンは部屋に着くとすぐに覚醒剤を注射するようになった。





 部屋にやっとベッドが来た。部屋の中は水色やピンク、私の好きな色のファブリックに包まれていた。休みの日には必ずジュンがいた。私は幸せだった。たった一つ覚醒剤のことを除いて。


 平和なことを言っている場合じゃないのは分かってる。飲むようにすると言っていたものを注射しかしていないことも、止めたいと言いながら量が増えていそうなことも。普通の考えでは何も考えれなかった。


 九月になってから、またジュンと会えなくなってきた。「気づいたら二日経っていた」と言う。そうかと思えば帰ってきて一日中寝ている日もあった。ジュンの携帯が何回も鳴っていた。私は休みの日はナツたちと過ごすようになった。

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