第七話・電子の海を。

 犬居誠人の最近の楽しみは、あるSNSで趣味の合う仲間と話をすることだった。

 はじめは近所の店や気になっている著名人などの投稿をチェックするためにアカウントを取ったのだが、やがてユーザーの中にはペットの写真を投稿する人も多いと知り、家で飼っている蛇の写真を気まぐれにアップロードしていた。すると、だんだん爬虫類好きのユーザーが声をかけてくるようになったのだ。

 持ち前のどもりも打ち込まれた文章には反映されない。お互いの顔や個人情報には興味を持たず、ペットについて語り合うだけの関係が、犬居には心地よかった。


 そう、最初はそのはずだったのだが。


 やがて犬居は、女性だということが明らかになっているユーザーの一人が気になりだしてしまったのだ。

 犬居はたまにSNS内で「残業疲れた」、「今落ち込んでる」等のちょっとした愚痴を吐くことがあるのだが、女性はその度に返信機能で気遣いの言葉をかけてくれる。

 しだいに女性に惹かれていき、それが恋心だと自覚したそのときには、犬居は女性の出勤時間や休みの日、SNS内での人間関係をほぼ把握するようになっていた。


 自分以外のユーザーの愚痴や弱音にも、男女問わず同じように優しく励ましやいたわりの言葉をかけるその女性。やさしいんだな、と思うと同時に、どこか悲しい気持ちになる。

 その半面、彼女についての情報を集めることは楽しい作業だった。実生活で交流があるのだろう複数の女性ユーザーと遊びに行った際の食事の写真などが彼女のアカウントでアップロードされると、店を特定してこっそり一人で同じメニューを食べに行ったりもした。


 ときに狂おしいほどの嫉妬や恋慕、やりきれなさを感じながらも、意中の女性をSNSで見守り言葉を交わす時間が、犬居にとっての癒やしであり至福のときだった。


 ある日のこと、知り合いのうち一人のユーザーが、休日に少人数でのオフ会を企画する旨をSNS内で発表した。開催予定のおおまかな場所は犬居の移動圏内。

 意中の女性がそのオフ会主催者に宛てた投稿には、「私も参加したいです」の文字があった。文面から察するに、女性はそのユーザーと過去にも会ったことがあるようだ。


 行けば、会える……?


 犬居はしばらくモニターの前で迷っていたが、やがて自分もオフ会に参加したい旨を打ち込み、主催者に宛てて投稿した。



 そして迎えたオフ会当日。気の利いた普段着などない犬居は、いつもの黒いスーツで集合場所に現れた。

 参加者は犬居の他に三人。うち二人は女性だった。

「あ、『まこケン』さんですか?」

 女性のうち一人が手を振る。小柄なその女性と目があった瞬間、いつも伏せがちな犬居の目が大きく見開かれ、青白い頬に血の色がさした。

「あ、も、もしかして、『ネムりん』さん……?」

 犬居の声に、ネット上でのイメージ通り快活で優しそうなその女性は大きく頷く。

「よかった! これで全員ですね!」

 あまりに眩しい女性の笑顔。その場で崩れ落ちてしまいそうになるのをぐっとこらえ、犬居は弱々しい笑みを見せた。



 犬居含むオフ会メンバーは、まず爬虫類を数多く扱うペットショップを見学し、その後カフェで語らったり、少し街を歩いたりした。

 主催者は美形の男性だったため犬居は少し気後れしてしまっていたが、彼はこのような集まりは慣れているらしく、誰かが話の輪からあぶれたりしないよう常に気を遣ってくれている。

 複数の人と話すのが苦手な犬居ですら、こんな仲間とならまた集まって楽しみたい、と思うくらいには快適な交流だった。

 そして何より、ずっと好きだった女性が現実に目の前にいて、笑ったり話しかけたりしてくれる。その幸福感は得も言われぬもので、犬居はこの日が終わらなければいいのに、と何度も願った。



 やがて一行は居酒屋で酒を酌み交わし、夜が更ける前にお開きという形となった。

 大きな川にかかる橋の上を歩いていた時、飲み過ぎた女性……ネムリんがよろけて座り込む。

「だ、大丈夫ですか」

 あまり酒に強くない犬居はそこまで飲んではいなかったが、やはり酔って少し大胆になっているらしく、気づけば「うえー」と呻く彼女の背をさすっていた。

「気持ち悪いぃー……すみませんまこ犬さん……」

 吐きはしなかったが、ネムりんは相当参っている様子で、やがてふらふらと立ち上がり、橋の欄干に寄り掛かって息をついた。

「大丈夫ですかネムりんさん? これタクシー呼んだほうが」

 他の参加者も心配そうに彼女を見ている。主催者がタクシーを呼ぼうとスマートフォンを取り出した。

「平気です平気! 全然こんなの、よくあることだし」

 周りの反応に慌てたネムリんが笑顔を作る。元気なところを見せようという意図か、くるりと回ってみせたが、途中でよろめいて欄干にしがみついた。


 そのとき、彼女のバッグから何かが飛び出して落ちた。


「今の……メガネケース、ですか?」

「あ、いけない! 仕事用のメガネが……」

 落し物に気づいた犬居の言葉を聞いて一気に酔いが覚めたのか、橋から身を乗り出すネムりん。だがメガネケースはどんどん流されていく。

「やっちゃいましたー……買い直しかあ……」

 しょぼん、とうなだれたのち、彼女は犬居に向かって恥ずかしそうに微笑んだ……のだが。

「まこ犬さん?」

 そのときには犬居は欄干の上に飛び乗っていた。

「え?」

 唖然とするネムりん、主催者、その他参加者。

 次の瞬間、黒い革靴を履いた足が欄干から離れ、犬居は川へと真っ逆さまに落ちていった。


 犬居の遺体は翌日の朝に引き上げられた。

 酒に酔った状態で川へ飛び込むという無謀な行為に警察は呆れ果てたが、犬居の手にはピンク色のメガネケースがしっかりと握られていた。

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