FACTOR-4 貪食(A)

       1




「天城君、天城君!!」

 先ほどから、遥の声が何度も耳に入る。

 意識をなくしてしまいそうだ。出血があまりにも酷いせいで立ち上がる事も出来ないほど体力を消耗してしまっている。


 よくここまで来られたものだと、自らの事ながら翔は感服した。

 ファーストレディに忠告されたとおりだ。


「この野郎……イッテェよ」

「天城君!」

 いつまでも体を揺さぶられては頭が揺れて気持ち悪くなる。

 遥の手を掴み、動きを止めさせる。


「あんま揺らすな。吐くぞ」

「天城君! 大丈夫なの、血が出てきて!」

「ああ……」


 説得力がない。目の前で大出血しておいて、無事と言う言葉が似合うわけがない。だが現にまだ生きてはいるので、


「今のところは、な……」

 そう付け加えた。

「今のところはって――」

「早く、どっか消えてろ」


 いつまでもそこにいられては眠ることも出来ない。眠ってその後に起きれるかどうかは謎だが、そうでもしないと最低限――歩く程度――の体力も取り戻すことができない。


「今なら、まだ間に合うって事だよね!」

「…………」

 その通りだ。今なら、まだ間に合う。


「救急車呼べばいいの? 私、どうしたらいいの?」

「…………」

 答えたくなかった。沈黙を以て、「構うな」と意志を表示する。だが、


「天城君、何か言ってよ!」

「うっ……!」

 黙っているためなのか、遥は翔が気を失っていると思ったようでまた翔の体を揺らす。


「バカ、揺らすな……!」

「ねえ、天城君。私は本気なんだよ」

「…………」

「本気で、あなたを助けたいって――」

「そうか……」


 呆れた物だった。「なら」と、翔は遥の肩を支えにして無理にでも身を起こし、彼女と目をまっすぐに合わせる


「て……天城君……?」

「お前、死ぬ覚悟はあるんだろうな」

「えっ……」


 翔のその言葉で、遥の目が泳ぐ。翔が何を言っているのか、理解し切れていない様だ。把握は出来ているだろう。難しい事を言った覚えはない。


「俺を助けるって事は、お前がその命を捨てるって事でいいんだよな」

「どう……いうこと……?」

「確かに……今ならまだ間に合うさ」

「…………」


 突然翔の口から告げられた、「救う」という事の代償に未だ頭が追いついていないようで遥はじっと翔の目をみている。


「なんで……死ぬって……」

「俺達はな、死なないためにあることをしつづけなければいけない」

「ある、こと……」


 遥の震えるような声。その震えは明らかに不安や恐れから現れるものだった。翔は、そんな遥に対して遥の耳元に口を近づけ、


「―――――――」

「……ッ!?」

 翔の囁きに遥の息が一気に気圧されたかのように吸われ――


「ヤッ――!」

 翔のその言葉に危機感を感じたせいか翔の体を突き飛ばして一歩退く。

「フっ……」


 そんな、遥のおびえようがまるで小動物のようで少しかわいげがあると思ってしまう。翔が囁きかけた耳の方の首筋を押さえている辺り、警戒を強くしていると言う現れなのだろう。


「そんな覚悟もつかないならどっか消えてろ……」

 と、翔はそのまま地面の上に寝転がった。寝息の初めのような呼吸を繰り返し、翔は完全に意識を眠気に沈めようとした。


「あ……ぅぐっ……」

 遥は数歩ほど後ずさると、そのまま翔に背を向けて走り出していった。

「はぁ……」

 この結果になると、当然思っていた。


(これでいい……)

 気持ちが安らぐ。彼女を食べなくて良かったと、安堵したのだ。



       2




 運が良かった。本当に運が良かった。

 恭平が今こうして生きていられるのは、あのD-ファクターが枯渇の症状を発したおかげであった。


「くっ、はっ……ハァッ……!」

 体中が熱い。体中が痛い。体中が痺れる。

 あのD-ファクターから受けた一撃が体の芯の近くにまで達してしまったせいで、ダメージが抜けない。むしろ時間が経つごとに、恭平の命は確実に削られていっている。


(もっとだ……。今の俺は、もっと力がいる……!)

 立って歩く。それだけの行為が、今の恭平にとっては苦行であった。体がふらつく。すこし気を抜くだけで、その場で倒れ込んでしまいそうだ。


「はは……。これが、Dブラッドの効果か。とんだ猛毒じゃないか……」

 自分のその有様の原因の力に思わず苦笑いが漏れる。あの後もう一撃受ける。もしかしたら一撃はおろか一触れだけで恭平はその身を散らしてしまうところだったかもしれない。そんな可能性がはらんでいる内に欲を出してD-ファクターに止めを刺そうと思ったら触れられてしまう、なんてことがあってはいけない。


「あ、くっ……!」

 その一歩を踏み込んだと同時にがっくりと膝を付いてしまった。

 今まで歩いてこれたがついにその体力もなくなったらしい。


「クッ……!」

 道の真ん中で倒れては、後からくる通行人の邪魔だ。ガクガクする足を引きづるように建物の壁際に寄り、それにもたれて座り込む。


(まだだ……まだ終われない……ッ!)

 人間を越える力を手にしたとき、恭平にはやらなければならないことがある。

(遥……)


 渡上遥の顔が、思い浮かぶ。

 その顔、声、匂い、柔らかい肌の感触。それら全て、失われてはならない。そのために、命という限界ある枷を解く必要がある。

 いつか訪れる衰えから逃がしてやらなければならない。

 有限の命から、解き放たなければならない。


「く……っ」

 恭平は自分の手をみる。

 その手で、遥の命に触れるだけでいい。それだけで、遥は解き放たれる。


「恭平……?」

「あ……?」

 もうろうとする意識の中突然自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 恭平を呼ぶのは、同窓会のメンバーの一人、伊能勢寿々であった。


「なんだ、寿々か。どうした」

「どうしたじゃないわよ!何、その体。誰にやられたの」


 寿々は恭平の体を介抱しようとしゃがんで、恭平の様子をうかがってきた。

 そのとき、恭平は違和感をもった。


「その体、だと……」

「……ッ!」


 恭平の体は確かに弱り切っている。だが、それはD-ファクターの攻撃によって打ち込まれたDブラッドの猛毒が原因。外傷など見受けられないはずだ。

 だとするのならば、やはり寿々の問いはおかしい。

 理由はおそらく――


「お前……」

「くっ……!」


 寿々は恭平を突き飛ばすように離れ立ち上がる。

 するとその身から火花を散らせ、椿を思わせるような姿のグレイドルへと変えた。

 思った通りだった。


「その姿は……」

「恭平、あなたを頂戴。あなたを、食べて――」

「ふん……」

 それから先の寿々の言葉など、聞いていなかった。小さく、口元でほくそ笑む。


「恭平。恭平……」

 寿々は大きく息を吸い込み恭平の体に抱きつこうと――恭平の身を食らおうとしてきた。だが、恭平はそんな寿々の身を片手で押さえつける。


「……ッ!?」

 自分の身を押さえつけられて、近づけなくなった寿々は息を息を詰まらせた。恭平の体は弱り切っている。と言うのに、まだこれほどの力があったのかと驚いているのだろう。


「俺は、ついてるようだな」


 寿々の顔を見る恭平の表情は、待ちに待った獲物でも見つけたような幸福感と、目の前にいる獲物を逃しはしないという殺意に満ちていた。


 恭平は立ち上がり、その身から火花を散らせ寿々と同じくグレイドルの姿へと変える。ケツァルコアトルを模した姿。神話動物を模したその姿はグレイドルの中で頂点に位置するオリジンであることを示している。


「恭……平……?」

「フン……」

 その、刹那の間であった。


「ウアッ――!?」

 それは戦闘といえるものでもなく、言うなれば「作業」という単語が似合う。

 寿々の反応速度の追従も許さない恭平の爪撃が突き出され、寿々の体を刺し貫く。


「アッ……ァアアアアアアッ!!!!」

「糧になるのは、お前だ……」

 寿々の体に深々と爪を突き刺し、自分の身に寄せて口を寿々の体に付け、


 ガリッ

 ゴリッ


 寿々の体を、

 肉を、

 骨を食した。




       3




「はぁ……はぁ……ふぅ……」

 深く、ゆっくり、なるべくエネルギーを使わない呼吸を行うことで傷の治りの方に力を専念させる。

 痛みも、気だるさも大分抜けてきた。

 そろそろ眠っても大丈夫な頃だろう。


「おい! 大丈夫か!!」

「はあ……」


 突然青年の声が聞こえ、ため息が出た。やはり、こんな往来で横たわっているとだれかに呼ばれるものか。素直に翔を眠らせてはくれないようだ。

 構わず寝落ちてしまおうかと思ったが、遥のようにやたらと体を揺らされては塞いだ傷口が開いてしまいかねない。せめて、誰がくるのかとその目で確かめてやることにし、顔をほんの少し声の聞こえた方に向けた。


(なんだあの格好……)

 こちらに駆け寄ってくる青年は病衣を羽織っていた。病院から抜け出してきたのだろうか。


(寒そうだな)

 そんな、つまらない事を考えながら顔をそらす。


「……ッ!? 君は……」

「……?」

 翔と青年の目が合う。

 青年は翔の顔に見覚えがあるようだ。が、翔自信はよく覚えていない。


「お前……」

 よくは覚えていない。だが、ちらっとだけなら見たかもしれない。それもつい最近の出来事で。


「あの時の魔法使い」

「ああ……」

 魔法使いと呼ばれて思い出した。翔の事を魔法使いと呼ぶのはまだD-ファクターやグレイドルのことをあまり知らない者である。

 最近で仕留め損なったグレイドルは今日のニ体のみ。条件を当てはめると――


「ユニコーンの奴か」

「どうして……?」

 介抱しようとしているのだろうか。身を屈めて翔の体を抵抗したいがそれが出来るほどには翔の体のダメージは抜けていない。


「君は魔法使いなんだろ?」

「グレイドルなんかにやられるか」

 なにを言おうとしているのか容易に想像が付いた。


「じゃあ、なんで」

「お前らとは違う作りなんだよ。不便な体だぜ」

「どういう意味?」

「知ってどうする?」

 わざわざ自分の弱点を教えるものでもない。知らないなら知らないままであってほしいものだ。


「いや、そりゃ――」

「お前じゃなんも出来ねえよ」

「そんな――」

「あえて言うなら俺にここで止め刺しちまうことかもな」

「え?」

「自分を殺そうとした奴を殺す、絶好のチャンスだからな……。差し詰め、俺を食えば俺と同じ力を――」

「そんなことは、俺に出来ないよ」

「何……?」


 それは、翔の思っていた青年の答えとは違っていた。人間ならばまだしも、相手はグレイドル。Dーファクターは天敵のはずだ。その敵を、今でなければ倒せない状況に立ち会っている中、倒さないという選択肢を取るなど思いづらい。


「お前は……」

「俺は、もう人を殺してる。だから、俺は償いを受ける」

「何言ってんだ、お前は……ッ!」

「助けるよ、俺は君を。俺が助けた彼女を助けたように――」

 青年は、翔が言葉を挟みこまないように立て続けに言葉をつなげて告げる。


「今度は君を助けたい」

「……ッ!」


 この青年の言葉。

 ほんの一瞬目の前が真っ暗になり、翔の頭の底に沈んでいた記憶から呼び起こされる――


――助けるよ、私は君を。助けたいって気持ちに理由なんていらないよ


 文字が視界の中に浮かび、彼の日共に過ごした、彼女の声が甦る。

「…………」

「ん?」

「チッ……」

 こんな時に何を思いだしているのかと、思わず舌打ちを打つ。


「あぁ、クッソどけ……ッ」

 満足に眠る事も出来ない。

 無意味に寝転がるのもそろそろ疲れそうなので、青年を手でどかせて翔は身を起こす。


「はあ……」

 このイラつきは何なのだろうか。しかし考えたところで仕方がない。


「鬱陶しいから早く失せろよ」

「鬱陶しいって、俺は――!」

「お前には何も出来ねえよ、そもそも」

「だから――!」

「気持ちとかそんなんじゃねえんだよ。お前がグレイドルだから、何も出来ないって言ってんだよ」


 このままでは同じやりとりを繰り返しかねない。青年がまた「だから」等と言う前に、翔は言葉を続ける。


「人間の血がいる」

「え……?」

「俺の体を治すにはグレイドルじゃなく、人間の血がいるんだよ」

「人間の……」

 青年の声が震える。


「血……?」

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