鉄血のシュピルツォイク

森野コウイチ

第一話 我が逃走

 これは我々が「電気」と呼んでいるあの驚くべき生命動因(アジャン・ヴイタル)によってはじめて動かされた、私の手作り「アンドレイード」、つまり人造人間の腕なのです。

               ――――ヴィリエ・ド・リラダン『未来のイヴ』


    *


 アルテニア帝国――その広大な国土の大部分は高緯度に位置しており、冬季には多くの港が凍結していた。そのため、アルテニアは凍らぬ港を求めて南方への領土拡大を狙い、それは度々戦争へと至り、戦争は新たな戦争の原因となった。


 そして聖暦せいれき一九三九年九月二日、アルテニア帝国は南西に位置するリヒトニア共和国への侵攻を開始。

 これが史上最大の戦争のはじまりだった――。


 アルテニアの強大な軍事力を前にリヒトニアは徐々に追い込まれていった。

 リヒトニアは大国だがアルテニアの軍事力はさらに強大だった。


 科学技術力テクノロジーではリヒトニアに一歩劣っていたが、その広大な領土ゆえに多くの物質的、そして人的資源を有していた。

 つまりは将兵はもちろん、多くの工場労働者の確保が可能であり、膨大な資源と合わせて兵器の大量生産が可能なのである。


 その強大なアルテニア帝国の脅威に対抗するため、リヒトニア共和国、その西のダリア共和国、島国であるアバロニア王国の三つの大国を中心にして【西方同盟】と呼ばれる軍事同盟が結成されていた。


 しかし、ダリア共和国は戦争準備が整っておらず、アバロニア王国もかつて拡大しすぎた植民地関係のいざこざに手を焼いており十分な支援ができる状態ではなかった。


 むしろ、アルテニアはこの好機チャンスを逃さなかったと考える方が自然だろう。


    *


 一九四〇年六月八日――リヒトニア共和国東部、アルテニア帝国との国境付近――。


 その日もマリー・クルーゲは飼い犬のヴィクトルを連れて狩猟に行っていた。ところが突然、ヴィクトルが吠えだしたのだ!

 たしかにヴィクトルは人見知りが激しいが、それを除いた場合は無意味に吠えることはない。


 マリーは屈んでヴィクトルの頬に触れながら、


「どうしたの……?」


 しばらくするとマリー自身も煙の臭いを感じ取った。


「これは……」


 急いで村の方へ向かう。銃声や爆発音が頻繁に聞える。

 見晴らしのいい場所に出ると村全体から煙が出ていることがわかった。


「……っ!」


 マリーは急いで――しかし、用心深く村に近づいた。


 ――そこから時間は少し遡る――。


「出てこい! この村に隠れているのはわかっているんだぞ! ここしかないんだ! このまま出てこない場合はこの村まるごと焼き払う!」


 アルテニア軍の将校が現地の言葉――つまりはリヒトニア語――で叫ぶ。

 しかし、その脅しに応じて現れる者はいなかった。


〈やれやれ、仕方ない。――やれ、イフリータ!〉


〈了解しました、隊長〉


 そう言って前へ出た女は軍服姿ではなく、まるでお伽噺の世界から飛び出てきた魔女ような格好をしていたのだ!


 『魔女』の掌の上に輝きが生まれる――そして、その手を前に突き出すと、その輝きは火の玉となって飛んでいき、巨大な爆炎と化した――。


〈……相変わらず恐ろしい威力だな。大砲と違って運ぶ苦労もないし、砲手すら不要だ。一体どこからこのような……?〉


 将校が思わず呟く。

 『魔女』に命令したこの男ですらも、彼女について詳しいことは知らなかったのだ。


 突然、彼女が歩き出す。


〈おい、どうしたんだ?〉


 得体が知れないゆえ、その一挙手一投足が気になるのだ。


〈人間のものと考えられる反応があります。生存者がいると推測できます……〉


〈ほう、そんなことがわかるのか……〉


 『魔女』が燃えた建物の跡の地面を指差す。よく見ると石の板が動かせそうだ。


〈開けろ〉


 将校の命令で一番近くにいた兵士がそれを開ける。地下への階段だった。


〈よし、行け〉


 開けた兵士を先頭に『魔女』、そして将校と続いた。


 そこはワイン倉庫だった。そして、そこにはリヒトニア軍の兵士と村人数人が隠れていたのだ。


「うわあああああ!」


 発見されたことに恐怖したリヒトニア兵は、小銃ライフルで先頭のアルテニア兵を射殺した。

 そのまま『魔女』を狙って撃つが、『魔女』は平然としている。

 拳銃ハンドガンならともかく、小銃ライフルで外すような距離ではない。恐怖のあまり正確な射撃ができなくなったのだろうか?

 将校は特にその現象を不思議がることもなく、


〈始末しておけ〉


 そう言い残して地上へ向かった。


〈了解しました〉


〈暑くてかなわん……〉


 『魔女』によってワイン倉庫内のリヒトニア人は速やかに全員焼殺された――。


 マリーはすべてを見ていたわけではないが、最も重要なことはわかった。

 あの『魔女』だ。あの魔女にすべて焼き尽くされた。

 そしてそれを連れてきたのは外国――すぐ北東の国、アルテニアの軍隊。


 『魔女』は森の方を指差しながら、


〈隊長……あちらに人間の反応があります……対応しますか?〉


〈いや、お前は待機していろ〉


〈了解しました〉


 そして、他の兵士たちに対して、


〈あっちに何か隠れているぞ、探せ!〉


 ヴィクトルは愕然としているマリーの銃を引っ張った。

 マリーは我に返りヴィクトルとともに逃げ出した。ただひたすらに逃げた。


 だが、逃げても逃げても

 そしてついには西の国境線を越え、ダリア共和国に辿り着いた――。


    *


 一九四〇年六月十日、リヒトニア陸軍所属のルッツ・クレム少尉はリヒトニア東部の森林地帯の中を歩いていた――。


 彼が所属していた部隊は壊滅したのだ。

 そして彼は背に負傷した仲間――フランク・オットー軍曹――を背負っていた。

 早く彼を病院まで運んで行かなければならない。

 しかしその歩みも順調には行かない……。


 アルテニア軍は縦深戦術と呼ばれる戦闘教義ドクトリンを採用している。

 圧倒的な範囲砲撃は敵軍に立て直す余裕を与えない。

 そして、ただでさえ舗装されていない、道ですらない道が、多数の砲撃の跡でさらに歩きにくくなっているのである。


 この道を大人の男を背負って進むことが如何に困難か?

 それでもルッツは歯を食いしばって必死に進み続けた。

 仲間を見捨てることはできない――必ず助けてみせる!


「少尉……私はもう駄目です。ここに置いて行ってください……」


「何を言っているんだ、まだ死んでどうする⁉ アルテニアのやつらをあと千人ぐらいは倒せよ!」


 ルッツは心身ともに弱りきった仲間を必至に元気づけようと言葉を掛ける。

 彼自身も大きな怪我をしていないだけで、心身の消耗は激しい。


「ははは……あいつらすごい数ですからね……兵士も……戦車も……」


 オットー軍曹からは乾いた笑いが漏れる。


「物量作戦だけでも厄介なのに、あの『魔女』は一体何だったんだ⁉ 火炎放射器や焼夷弾なんてものじゃない、もっと恐ろしいものの片鱗を見た気がするぞ……。まったくふざけてやがる」


「格好までふざけてましたね……」


「あれも威圧感を与えるための作戦かもな」


 ここでさらなる困難が訪れた。突然の大雨である――。


「なんてことだ……」


 濡れることは体力の低下を招く。戦場で生き残るためにはこれは防がなくてはならない。

 リヒトニアの夏の気温はかなり不安定であり、雨が降ると急に冷え込むので注意が必要である。一応、雨具として使えるポンチョがあるが、それでも視界や足元が悪いという問題が残る。


 ここで都合よく洞窟の入り口のらしきものを見つけることができた。

 どうやら長年塞がっていところに、砲撃か何かで入り口が現れたようだ。


 戦場で雨に襲われたときに洞窟のような場所に逃げ込むのはよくあることである。

 ただし、同じことを考えた敵と遭遇する可能性も高いので注意しなければならない。


「足跡はない……敵はいないと信じるぞ」


 逆に味方がいる可能性も低い。意を決して洞窟に足を踏み入れる。


「とりあえずここで一旦休むぞ」


「……」


 返事がない、ただの屍のようだ。


「おいっ、オットー軍曹!」


 慌てて降ろして脈を調べるが、彼はすでに死亡していた。


「畜生っ……」


 しかしルッツ自身も孤立し疲労した身だ。

 無理にでも気持ちを切り替えて自分の身の心配をすることにした。


「とりあえずここは……」


 彼は懐中電灯を点灯し、周囲の観察を始める。彼はこの洞窟にそこはかとなく人工的な雰囲気を感じ取りはじめた。

 ここは単なる洞窟ではない――もしかしたら未知の遺跡とかもしれない。


 忘れられた地下墓地カタコンベだろうか?


 戦争中でもなければもっと素直にわくわくできたのに……。

 彼は一時的に複雑な気持ちになったが、すぐに吸込寄せられるように奥に向かって進みはじめたのだ。


 少し進むと洞窟は明らかに人工的なトンネルになり、さらに進むと目の前に扉らしきものが現れた。

 それは経年劣化しているようで、新しさを感じさせる不思議なものだった。


 ルッツは扉を開こうと手を触れた。

 その扉は少し押すと、不思議な動作音と自動的に開いた。


 暗さ故に、簡単に全体像を把握することはできないが、懐中電灯を当てながらじっくりと見渡すと、広さは三十平方メートル程度、部屋全体に細かい装飾が施されていることがわかった。

 この部屋の持ち主はかなりの金持ちなのか?

 暗い部屋の中を照らしてみると機械のようなものがいろいろと置かれているようだ。


 部屋に足を踏み入れようとした時、足元に何かが転がっていることに気がついた。

 ルッツはそれを懐中電灯で照らした。


「うぉっ!」


 思わず声を出した。それがだったからである。

 戦闘で吹き飛ばされた手足を見慣れているとは言え、この状況では不意打ちだった。

 拾ってよく観察してみると、切断面から見えるのは骨と肉ではなく何か機械のような物だった。

 つまりは具体的にはよくわからないがともかく精巧な作り物である。

 義手なのだろうか?

 考えてすぐにわかるものではなさそうだ。


(持って帰ってクライン博士に見せてみるかな……)


 知り合いの天才マッド科学者サイエンティストを思い出す。


 『腕』を持たまま部屋の中央に視線を向けると、まるで棺のような――人間が寝て入れるだろう大きさの――箱があった。


 これを開けるのには流石に躊躇した。

 もはやブービートラップではなさそうだが、逆にこれが見た目通りのモノなら中に入っているのは――。


 しかしその躊躇も数秒、ルッツは棺(らしき箱)を開けることを選択したのである。

 とはいっても、この箱どうやって開けるかわからない。


 むやみに触っている内に、何かスイッチのようなものを押したらしく……箱が開きはじめ、隙間から白い煙のような気体が溢れだす!


「なっ……⁉」


 しばらくすると気体の流出は止まり、闇の中に静寂が戻る。

 恐る恐る、『棺』の中を覗き込むと中にはが入っていた。

 木乃伊ミイラや白骨ではない、ただ眠っているだけかのような姿だ。

 そもそもよくできた人形かもしれない。

 ルッツは落ち着きを取り戻し、中に入っている人間・・をじっくり観察しようとしたときである――彼はと目が合ったのだ!


「うわおおおおっ⁉」


 ルッツは持っていた『腕』を放り投げつつ、後ろに跳んで小銃ライフルを構えた。

 彼は考える――実は本当に寝ていただけかもしれない……しかしそれはどんな酔狂だ?


「――コギト・エルゴ・スム――」


 彼女は何かを呟いた後、棺から出ながら立ち上がり、そしてルッツをじっと見つめはじめた。


 彼女の身長はおよそ一六五センチメートルである。

 これは平均的なリヒトニア人女性と同程度だ。

 ちなみにルッツの身長は一七五センチメートルであり、これもおよそリヒトニア人男性として平均的である。

 

「お、おおおおおまえは誰だ? こここここに住んでるのか?」


 さらに五秒ほど見つめ合う。


「な、なんか言ったらどうなんだ?」


「……おヨそのゲンゴパたーンをワカりしマシた。ハじめまして、まいスたー」


 一応、話している言葉はリヒトニア語のようだが、少しおかしい。


「何を言っているんだ? おまえは誰なんだ?」


「私は愛玩用自動人形オートドール、名前はまだありません。あなたが付けてください、ご主人マイスター


 言葉はかなり正確になっていた。


「愛玩用? 自動人形? マイスター? えっ? 俺が付けるのか⁉」


「かわいいのをお願いします♪」


 懐中電灯で照らされた彼女の顔はにこりと微笑ほほえんでいた。

 暗いので容姿についてはわかりにくいが、逆にその可憐で神秘的な声が際立った。

 だが、妙にムカツク話し方だ。


 ルッツは少しの間考えた後、


「……そうだな……『ヴィクトリア』とか……」


 ヴィクトリア――リヒトニア語で『勝利者』を意味する名前だ。

 戦争中でなければ別で名前にでもしたのだろうか?

 いや、ルッツなら平時でもそうしただろう。


「ありがとうございます! それでは私はヴィクトリア。よろしくお願いしますね♪ ではマイスターの名前を教えてください」


「ルッツ・クレムだ。栄光あるリヒトニア共和国陸軍の軍人だ。階級は少尉」


「憶えました。戦争大好きプロのミリオタですね!」


「なんだ、喧嘩を売っているのなら買ってやりたいが、生憎アルテニア帝国のおかげで持ち合わせがなくてな……」


「『リヒトニア共和国』とか『アルテニア帝国』って何ですか?」


(本気で知らないのか⁉)


 皮肉は理解しているようだが、リヒトニアやアルテニア帝国を知らないらしい。


「そんなことも知らないのか? 『リヒトニア共和国』は今俺たちがいるこの国。『アルテニア帝国』はこの国から見て北東にあるでかい国だ。しかし国土の大部分が不毛なのでこっちに侵略してきているんだ。だからっておとなしく侵略されてやるほどこっちもお人好しじゃない。敗残兵となってお帰りいただく!」


 ルッツはつい熱くなって質問への回答以上のこと話してしまう。


「なるほどー、いろいろ大変ですねー」


 ここでルッツは小銃ライフルを下ろし、


「……ところでおまえはここで何をやっていた?」


「初期待機モードにて起動されるのを待っていましたね」


「おまえは人間なのか?」


 この質問に、彼女は少し考える素振りを見せた。


人造人間アンドロイドですので、人間みたいですが結局人間ではない感じでしょうか」


「……錬金術のホムンクルスとかなのか?」


「そんな非科学的オカルトなものと一緒にされては困ります! 由緒正しい科学の子です! 心も優しいです!」


「そ、そうか……近頃の科学ってすごいんだな――ってそんなわけあるか!」


 ボケから自己ツッコミへの華麗な流れ。


「ところで、ここはご自宅でしょうか? 素敵なご趣味ですね」


「ここは少なくとも俺の家じゃない……どんな趣味だ……」


「残念、最初のお世辞は上滑りです」


「お、おう……」


「それではこれからどうするのですか?」


「今は味方の陣地に向かっているところだ」


「大変ですねー。では行きましょう。ところで何か私が着れそうな服はありませんか?」


 ヴィクトリアは裸である。


「ない――いや、あったな、軍曹のが……しかし――というか付いてくるのか……」


 ルッツの服もオットー軍曹の服も血と汗と泥で汚れているし、軍人でもない者に軍服を着せる訳にはいかない。そもそもサイズが合わなそうだが……。


 悩んでいるルッツに対してヴィクトリアは、


「ありますよ、服。たぶん……」


 そう言って、自分の入っていた棺のような箱に手を入れた。

 なんと二重底だった!


「えーっ⁉」


 ルッツは驚きを口にする。無理もない。


「やっぱりありました、ピナフォアですね。下着もありますね」


 ピナフォアと聞いてピンとこない方はメイド服を想い浮かべてもらいたい。


「懐中電灯を貸そう」


「大丈夫です。暗視装置がありますので」


「どこにそんな装置があるんだ?」


「いやですねー、内蔵に決まってるじゃないですかー。あと、乙女の着替えをじろじろ見ないでくださいよー」


「怪しいやつ相手に後ろ向けるわけないだろ」


「なかなか上手い言い訳を考えますねー」


 ヴィクトリアは服を着はじめた。きっとニヤニヤしているのだろう。


「……赤外線を利用した暗視装置の研究に関する話を聞いたことがある。ただ色の識別はできないと聞いたが」


「随分技術レベルが低いですね」


「なん……だと……」


 リヒトニアの科学力は世界一チィィィィ!――のはず……。それが低いとは一体どういうことか⁉


「まぁ、私も仕組みは知らないんですけどねー」


「しかしここには窓がないから外の様子がわからないな。当然だが。ちょっと外まで見てくる……暗視装置があるなら懐中電灯を持っていっても問題ないな」


「あ、それ死亡フラグ……」


「『死神の印』……? 何のことかさっぱりわからないが、とりあえず待ってろ」


「わかりました……」


 ルッツは部屋を出て、洞窟の入り口の方へ向かった。しかし、恐るべきことに、この洞窟は新たな訪問者を迎えていた。


「マイスター、侵入者です。戦争中であるのなら敵の可能性が――と、遅かったですね」


 服を着終えたヴィクトリアは超人的な聴覚機能で敵の接近を察知し、ルッツのところへ向ったが、時すでに遅し――ルッツは三人のアルテニア兵に銃を向けられていた。


 ヴィクトリアの接近に気がついたアルテニア兵たちは当然警戒する。


〈な、なんか来たぞ! 女だ! 武器は持っていないようだが……〉


 ちなみに、ルッツはアルテニア語をそこそこ理解できる。エリート軍人の嗜みとして、母語であるリヒトニア語以外にも近隣国の言語――ダリア語、アバロニア語、アルテニア語――をある程度習得しているのだ。


「敵だ! 来るな!」


 ルッツの指示を無視して、ヴィクトリアはどんどん近づく。


「危険因子の排除を優先します――緊急モードへ移行――」


 そして、彼女の瞳は紅く輝き始めた。


〈ど、どうする? お、おい近づくな!〉


 と、戸惑っているアルテニア兵に一瞬にしてヴィクトリアは肉薄し、アッパーカットをくらわせた!


〈なっ!〉


 突然のことにまだ対応できていない二人目の頭部に、飛び回し蹴りが炸裂!

 ここでようやく三人目が発砲。

 しかしあまりに近距離で俊敏に動くヴィクトリアには当たらず、そのまま正拳突きを喰らう。


 かくして、一瞬にして


「あれ?」


 敵の銃弾はヴィクトリアには当たらなかったが、運悪くルッツに当たってしまっていたのだ。


「あーこれだから生身の人間は貧弱で困るんですよねー。ふむふむ……右胸部の第二肋骨と第三肋骨の間ですね。さすがは私のマイスター、運がいいですね! あ、運が良ければそもそも流れ弾にあたらないですよね。とりあえず、軍人なら救急セットとか持ってますよね、たぶん――」


 文句を言いながらも、ルッツの持っていた救急セットを見つけ出す。本来ならチーム内でリュック内の物の位置を共有しておくものだが、今回は運良くすぐに見つけることができた。傷口に合成抗菌剤の粉末を振りかけ、傷口を圧迫するように包帯を巻いた。


「お医者さんごっこはこれが限界。早くちゃんとした治療をしないと駄目ですね。起動していきなり野良人形になるのはゴメンですよ。うーん、雨が止むのを待ってはいられないですねー」


 ポケットの中から地図を見つけた。これで行くべき場所がわかる!

 そしてルッツにポンチョを被せると、抱き抱えて雨の中に飛び出した。

 彼女は泥まみれになりながらひたすら走り続けた。

 視界も足元も悪かったが、その足取りに危うさは一切なく、疲れによって遅くなることもなかった。


    *


 ここはどこだ――?


 ただ一面の荒野。無数の銃が地面に突き刺さっている。

 それぞれに兵士が被るヘルメットが被せられている。

 ――つまりこれらは墓だ。


 ふと人の気配がして、後ろを振り向くとよく見知った顔ぶれがあった。

 ヘルマン伍長……ブランケ上等兵……そして、オットー軍曹……自分が指揮していた小隊だ。

 おまえたち生きていたのか!

 いや、そんなはずはない、自分が直接死亡を確認した者もいる。

 なんだ、俺もそっちに行けってか?

 そういうわけにもいかないんだが……まだまだ戦わなくては!


 突然、小隊の兵士たちは腕を伸ばして一箇所を指差した。

 そこにあったのは棺のような箱だった。

 俺はそれに近づいてそれを開けた――。


    *


「う、う~ん……。ここはどこだぁ? おまえは誰だ~?」


 目を覚ましたルッツの顔を少女が覗き込んでいた。


「おはようございます、マイスター。ここは病院です。私はあなたのかわいい愛玩用オートドール、ヴィクトリアです」


 ルッツはヴィクトリアとの出会いを思い出した。


 端正な顔つき。ガラス玉を想起させる澄んだ青い瞳。長さが腰のあたりまである髪はストレートで輝くようなプラチナブロンド。

 あの場所は暗くてわかりにくかったが実は彼女は異常なまでに美しかったのだ。


 周りを見渡すと、たくさんのベッドに自分と同じように負傷しただろう兵士たちが寝ており、白衣の人々が忙しく動き回っている。


「愛玩用? 何を言ってるんだ? 俺がお人形遊びする小さい子に見えるか?」


「見えませんし、そういう意味ではないのですが……」


「だいたいあの強さ、最新の兵器だろう? ついこの前、戦車と飛行機が出てきたばっかりなのにな。きっともうすぐおまえみたいなのが大量生産されて、歩兵の出番はなくなるんだな……。あ、もう人間が死ななくてよくなるのか……」


 彼女の華奢な体つきのどこにそんなパワーがあるのか?

 しかしできるのだ――そう、人造人間アンドロイドならね。


「それについてですがマイスター。夜に星を観察したところ、私の製造からおよそ一万年が経過していることがわかりました。つまり、最新からはかなり遠いと言えます」


「……は?」


「ちなみに、愛玩用と言えども非常時にはマイスターを守るようにできています。先程は失敗しましたが……」


 ヴィクトリアは少しうつむく。


「いや、流れ弾に当たったのは運が悪かっただけで、悪くない行動だったと思う。感謝する……」


「嬉しいです」


 急に笑顔になる。極端だ。


「……ところで、一万年とはどういうことだ?」


「さて……製造時の星図以外、手がかりになりそうなデータがないのでなんとも。とりあえず、私はとても古いものだと理解してください。ただ、収納されていた箱には、経年劣化を防ぐガスが封入してありましたようです。おかげで今でも元気に稼働できます。お肌のハリもバッチリです! 触ってみてください!」


 ヴィクトリアはルッツの手を取ると自分の頬に導いた。その感触は実際の人間と何も変わらないように思えた。

 いや――実際は綺麗すぎて少し違和感を覚えた。


「お、おう……? 一周回って新しいってやつか……?」


「あ、そうそう。マイスターにとって大変残念なお知らせがあります。マイスターがお休みの間に、リヒトニア共和国はアルテニア帝国に降伏しました」


 ルッツは固まった。


「――――は?」


 ルッツは跳ね起きた。


「ぐっ――」


 傷の痛みがルッツを襲う。


「あー、急に動いちゃ駄目ですよ!」


「祖国の痛みに比べれば……!」


 しかし、この怒りをぶつけるべき相手は近くにはいないのである。とりあえず再び横になるしかなかった。


「神は言っている、祖国を救えと……」


 それに対してヴィクトリアは、


「……向こうでも似たようなこと言ってそうですね」

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