第8話 パーティのマスコット
「なあ、いつまで『ゴースト』って名乗るんだ? この村を出たら、お前はもうゴーストじゃない。本名を教えてくれよ」
隣町までの街道を並んで歩きながら、ディレミーンが頭二つ分は高い所から、見下ろしてくる。だけど私は、呼ばれる度に惨めな過去を思い出す本名を、今このタイミングで教えようとは思えなかった。
「秘密だ」
「何でだ? ひょっとしたら、世が世なら姫君の家系なのか?」
何だそれは。冒険物語の読み過ぎだ。現実は甘くないぞ。
「なーいーしょ!」
説明するのが面倒な私は、間延びした返事を返す。ディレミーンが、馬鹿でかい身長とは裏腹に、拗ねたような顔色を見せた。
「ちぇー。もったいぶるなよ」
「そんな有り難い名前じゃない。ゴーストの方が馴染んでいるだけだ」
チラリと横目でディレミーンの表情を窺って、気付かれないように含み笑う。本当に、人間というのは子供だな。
「何かやらしい事、考えてるか?」
「は? 何でだ?」
「鼻の下が伸びてる」
「そ、そんな所、伸びてない」
「いや。俺がエロ本読んでる時の顔に似てた」
自分がエロ本読んでる時の顔を見た事があるのか! 私は絶句して、ぷいと前を向いたきり隣町までは粛々と歩いた。
「ここだな」
「う……確かに、臭い」
私は、思わず鼻を摘まんだ。洞窟の入り口に近付いただけで、漂う香ばしい臭気で息が詰まる。近くには畑があったから、おそらくここの持ち主が依頼を出したのだろう。
私たちは背負った革袋から、余分に持っている布を出して口と鼻を覆うように結んでから、作戦会議を始めた。
「スコップを借りて、運び出すのはどうだろう」
ディレミーンが言ったが、私はぴしゃりと反論した。
「運び出した後はどうする? 今度は移した先から苦情がくるだけだ」
「じゃあ、他に案はあるか」
「取り敢えず、入ってどのくらいの面積か確認した方が良いんじゃないか」
これに、ディレミーンは従った。ブーツにも布を巻いて、恐る恐るランタンを先頭に洞窟に入る。蝙蝠以外の獣やモンスターが潜んでいないのは確実との情報だったが、万が一を考えて、それぞれ獲物を構えて進む。
夜行性の蝙蝠たちは、洞窟の天井にビッシリととまって就寝中だった。
私たちは、少しでも糞の少ない場所を見付けて歩を進めていく。やがて、ふと疑問が浮かんで顔を上げると、ディレミーンも振り返ってこっちを見ていた。
「なあ、ゴースト」
「ああ。おかしいな」
ディレミーンが、ランタンで足元を照らす。そこにはまるで作ったように、真っ白な糞の真ん中に、人一人が楽に通れるほどの黒い土の一本道が延びていた。
「気を付けろ。
先ほどまでとは別人のように、ディレミーンが頬を引き締める。これが、本来の彼の仕事姿なのだろう。
ランタンの火を小さくし、息を潜めて『道』を辿っていく。鼓動の音がうるさいくらいに跳ね上がり、洞窟中に響いているような錯覚を覚えた。
気が遠くなるほど、その道を辿ったような気さえする。やがて、ランタンの光の輪の中に、他よりも少し大ぶりな蝙蝠の姿が浮かんだ。天井からぶら下がっている仲間とは違って、かぎ爪のついた足を地に踏ん張って、羽を畳んで目を瞑っている。巣のように……いや、まさしく巣として、周囲の土が黒く盛り上がり、すり鉢状になった中心にそれは居た。
「な……何だ?」
私は声を潜めて用心深く矢尻を向ける。何か蝙蝠とは異質なものだという事は分かった。
すると気配と灯りを察したのか、それは瞳を開けて大きな欠伸をすると、可愛らしく一声鳴いた。
「キュー……」
そんな声で甘えたって、騙されないぞ。私は見た事もない生き物だったが、ディレミーンはその正体を一声で確信したようだった。
「蝙蝠じゃない!
「ドラゴンペット?」
「大きな街の貴族や金持ちなんかが飼ってる、品種改良された小型のドラゴンだ。こんな田舎で野生化してるとは思えないから、捨てられたか、飼い主とはぐれたか……」
「キュー、キュー」
懐かしそうに、嬉しそうにドラゴンは鳴いた。蝙蝠と見まがうほど、ドラゴンは痩せてしまっているのだった。
「ゴースト、俺はこいつを見てるから、町でドラゴンフードを買ってきてくれ。きっと、何も食ってないんだ」
「あ、ああ」
張り詰めていた息をホッと吐き、私は
「キュー!」
固形のドラゴンフードを与えると、キューちゃんはどれくらい食べていなかったのか、涙さえ流してガツガツとかっこんだ。
「キュー! キュー!」
不思議と、礼を言われているような気がする。ディレミーンは、その短い角のある頭を撫でて可愛がっていた。
「か……噛まないか?」
「犬や猫と違うんだぞ。小さいけどドラゴンだ。噛まないし、人間が主人だとちゃんと分かってる」
私も手を伸ばして、ちょんと頭を触ってみた。柔らかい皮膜の感触が、心地良かった。今度はゆっくりと、頭を包み込むようにして撫でてみる。
「キュー……」
不意にキューちゃんが食べるのをやめ、仰向けに寝転がったから、私はビクッと手を引いてしまった。ディレミーンが笑う。
「大丈夫だ、腹が一杯になっただけだ。噛まないから、安心しろ」
「だ、だってキューちゃんが……」
「キューちゃん?」
「キューキュー鳴くから」
「おいおい。飼うにしても、もうちょっとマシな名前を考えてやれよ」
「じゃ……じゃあ……」
ドラゴンはさっきまでの痩身が嘘のように、まん丸なお腹を上にして巣の中に寝そべっている。
「マル」
「……」
微妙な沈黙が落ちた。
「変か?」
「いや。意外と、人それぞれ欠点というのはあるものだなと……」
「どういう意味だ?」
「何でもない」
ディレミーンは話をふつりと終わらせると、キューちゃん改めマルに声をかけた。
「マル。お前の名前はマルだ。俺たちが新しい飼い主になる。早速だが、この洞窟内の蝙蝠の糞を、お前の巣の中みたいに綺麗にする事は出来るのか?」
「キュー!」
「話が分かるのか?」
「ああ。ドラゴンだからな。この仕事は、早く片付きそうだぞ」
マルは起き上がって小さな羽を力強く打ち合わせたが、お腹の重さに、飛び立つ事が出来ないようだった。
「ああ……飛ばなくても良い。土さえ綺麗になれば」
「キュー!」
言葉通り、マルが腹を抱えてよちよちと歩き出すと、踏んだ周りの土が、巣の中のように見る見る黒く浄化されていった。
「凄いぞ、マル!」
ディレミーンは気楽に喜んでいたが、私はそのメカニズムが気になって、浄化された土を指先に掬って匂いを嗅いでみた。畑の匂いがした。
「マル……ひょっとして、時間魔法を使ってる?」
「キュー!」
「時間魔法って何だ?」
「文字通り、時間を操る魔法だ。この土……微生物が糞を分解して、堆肥になってる」
「へえ。凄いな、マル」
「凄いなってレベルなのか? ドラゴンペットは、みんな時間魔法が使えるのか?」
伝説の魔法を当たり前のように使いこなすよちよち歩きのまん丸が末恐ろしくなって、私はディレミーンに訊いていた。だが彼は、
「さあな。小さなブレスを吐く事くらいは知ってるが、魔法を使うとは知らなかったな。飼われているのを、見かけただけだから」
とあくまで気楽だ。
いや、これ……。世界征服とか企む輩が手に入れたら、とんでもない事になると思う……。
私の焦燥を余所に、機嫌良く洞窟内を歩き回ったマルは、土をすっかり堆肥に入れ変えていた。
「なあ、ゴースト。これ、堆肥だって言ったな」
「ああ」
「隣の畑の持ち主が依頼者なら、これをプレゼントしたら、星が五つ付くんじゃないか」
『星』とは、依頼に対して、満足度を五段階に表した冒険者の評価の事だった。この満足度は一般に公開され、仕事を依頼する際の一定の目安になる。
これが初仕事となる私は、星四つ以上は欲しい所だった。
「待て。確認してくる」
洞窟を出て畑の策を注意深く見て回ると、確かに依頼主の名前が、そこには掘られているのだった。
「よし。よくやった、マル」
そうだ。よくやったのはマルなのだ。私たちは、何もしていない。だけどディレミーンは上機嫌だった。
「初仕事で星五つを取る冒険者はそうは居ない。立派なデビュー戦だぞ、ゴースト」
「あ……そうだな」
厳密には何とも戦っていないのだが、このディレミーンの機嫌の良さが、私の冒険者としての将来を思っての事だとしたら、感謝しなくてはいけないのかもしれない。
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