第27話2050年【怒濤の恐怖…終焉の時】

 地球上の砂を掻き集めても星の数の方がまだ多いと言われる、閃々とした金粉と銀粉を散りばめたかのような光景が広がる渺茫な宇宙―――


 そんな壮大な空間に、各国から打ち上げられた数機のスペースシャトルが<ノア>を目指して進んでいた。


 その中で日本の宇宙基地 通称東京25区から発射された、護衛で固められたスペースシャトルのビップルームに、政府や事情を知る日本の上層部が集まっていた。


 当然上戸も腰を掛けている。空席だった上席に総理大臣が腰を下ろすと、頬杖をついた上戸が口を開き始めた。


 「どちらにせよ……」隣に腰を掛ける厚生労働大臣に言う。「我々は本日この時刻に立つ予定だった。新藤博士がとんでもない事をやらかしてくれるとは思ってもみなかったが。

 <ノア>の数は足りないが絶好のタイミングだった。もし神がいたなら我々に味方してくれたのだろう」


 厚生労働大臣が言う。

 「確かにそうかもしれない。それよりもNASAの物理学者が例の計算を誤まるとは、ある意味その方が驚きだ」


 「人間誰しも間違いはあるものだ。しかし、天才がミスを犯すと自分同様に人間なのだなと思えるから面白い。素敵な錯覚だよ」


 笑ながら言った。

 「それもそうだな。面白い事を言うじゃないか、上戸君」


 続いてシャンパンを飲みながら総理大臣が言う。

 「火星のテラフォーミング(異星を地球と同じ環境にすること)には途方もない時間を要する。

 地球より気圧が低く重力が弱い火星に木々を鬱蒼とさせたにせよ、人間の生存が可能になるまで酸素を満たすなら数万年かかるだろう。それこそ誰かか画期的な方法を発見しない限り」


 上戸が言った。

 「それに関しては新藤玲人の息子、新藤賢人が何とかするでしょう。必ず……」


 総理大臣は葉巻を咥えた。

 「ああ、例の天才児か。だが彼は宇宙についてはからっきし」


 「しかし、自分の意思で宇宙航空研究に打ち込むです」軽く笑った。「それも父親の為にね。彼は天才だ、呑み込みも早い」


 「なるほど。全ては計算ずくって事か……さすがは上戸君」


 「お褒めに預かり光栄です」上戸は腕時計を見た。「正午まで後十五分。もうすぐ直径十キロの隕石が地球に落下します。事実上の地球滅亡ですよ」


 「実際は十年後だと言われていたのにな」


 「新藤博士からワクチン開発の要望があった五年前の翌日。まさかNASAから隕石落下が早まるとの報告が来ようとは夢にも思いませんでしたよ。それまでは<化学島>に医療施設を建設し、利益を得ようと考えていましたがね」


 「私も驚いたよ、あの時は」


 「<ノア>開発の際、莫大な投資と融資そして出資をして頂いた、金だけが取り柄のセレブはさて置き、必要なDNAはここに揃っている。

 ただ、残念な事に新藤玲人やシャノン・シンプソンそして佐伯純一や、強靭な体力の持ち主である君嶋君のDNAが欠けている事が唯一残念だが。まあ良しとてください。犯罪なき有能な天才児だけが集結する近未来<ノア>が楽しみですよ、私は」


 「ふふ……」肩を揺らして笑った。「私も実に楽しみだ」


 その時、上戸の隣に座っていた厚生労働大臣が突如痙攣し始めた。あっという間に双眸がレッドソウル特有の深紅に染まっていった。


 口元から唾液を垂らした厚生労働大臣は咆哮しながら、獲物と認識した上戸の肩を掴んだ。一瞬にしてビップルームは騒然とし、甲高い女の悲鳴がドアの向こう側の一般搭乗席にまで響き渡った。丁度そこに座っていた賢人は腰を上げて慄然とした。


 「何が起きたの!?」動揺する賢人。「ねえ、安岡兄ちゃん!」


 賢人の隣にいた安岡と守山は席を立ち、悲鳴が聞こえたビップルームへと向かった。守山が室内に繋がるドアを開けた。


 その瞬間、二人は驚愕光景に数歩あとじさった。なんとレッドソウルと化した厚生労働大臣が上戸の首元に噛みついていのだ。


 罹患者に噛みつかれた上戸は完全に<死者蘇生ウイルス>に感染した。頭部に近い首筋を噛まれている為、もうじきレッドソウルと化すだろう。しかし、いつ厚生労働大臣が<死者蘇生ウイルス>に感染したのかはわからなかった。


 「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」悲鳴を上げる上戸。「助けてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 護衛が銃口を厚生労働大臣と上戸に向けた瞬間、守山が上戸に突進し、頬を殴った。

 「クソッたれ!」君嶋の口癖を言う。「テメーのツラを一度ぶん殴ってやりたかった!」


 守山の台詞のあと、正確な的を狙う二発の銃声が室内に響いた。レッドソウル化した厚生労働大臣と上戸の死体がバタンと床に倒れた。


 ある意味願望を叶えた守山が後方を振り向くと、怯えた賢人を抱きしめる安岡の姿があった。

 「大丈夫だ、賢人」


 必死に宥める安岡に歩み寄った守山。

 「何があっても俺達が守ってやるから」


 ガタガタと身を震わせた賢人。

 「父さんは兄ちゃん達みたいに闘えないんだ。死んじゃうよ、俺が宇宙船で迎えに行く前に死んじゃうよ! 安岡兄ちゃん、お願いだ、俺を地球に戻して! 父さんの許に戻してよー!」


 自分の身の危険ではなく、玲人の身を案じていたのだ。張り裂けんばかりの声で訴える賢人に、安岡は思った。


 悲惨な地球に残してきた父親 玲人を思えばこそ、決して幸せになろうとしないのでは……と懸念した。

 

 賢人の心に残した傷は深い。自分達に賢人を救えるのだろうか……と不安を抱いた安岡は、賢人を抱きしめるしかできなかった―――





・・・・・・





 一説によれば六六五十万年前の白亜紀末に、メキシコ・ユカタン半島に突如として落下した直径十キロから十五キロの巨大隕石の衝突が原因で、恐竜が絶滅したと言われている。


 地球に残った人々は当然の事ながら、スペースシャトル内で政府が話ていた衝撃の事実を知る由もなかった……



 巨大隕石落下まで、あと五分後―――


 

 お気に入りの機関銃を携えた君嶋は、これから必要になるであろう武器と生活物資を軍事施設の屋上に停止している汎用ヘリコプターに載せた。長年愛用してきた機関銃は、君嶋にとってもはや相棒同然だ。


 汎用ヘリコプタ―のボディに触れた君嶋が「攻撃ヘリコプターの方がよかったのだが」と独り言を呟いた。きっと部下達もその方がいいだろうと考えを巡らせたのだ。


 その後直ぐに、屋上にやってきた佐伯が操縦席に座り、その隣に凛が座った。そして荷物を手にしたシャノンとフレンド君が君嶋の近くに腰を下ろし、シャノンが恐る恐る佐伯にたずねた。


 「本当に操縦できるの?」


 佐伯は振り向き、シャノンに顔を向けた。

 「カメラオタクなだけじゃないんだぜ、若い時にヘリの免許取ったんだ。ホント、超久々だよ」


 君嶋が言う。

 「意外だな」


 「それ、よく言われる」軽く笑った。「ちょっと忘れちゃってるけど、いざとなったら凛が指示してくれるから大丈夫だよ」


 「ちょっと忘れてるって……おいおい」不安げな君嶋。「俺が操縦しようか?」


 「あたし達が操縦するから、君嶋指揮官は安心してください」凛は甘えるように佐伯の肩に頭を軽く乗せた。「これが夫婦になってから最初の共同作業だな」


 指輪や特別な式はなくとも、凛が腕柄を失ったあの日に二人の絆は永遠のものになっていた。微笑みを浮かべて凛に目をやる佐伯。

 「そうだね」


 軍では見せない女の顔をした凛を目にした君嶋は、口元に笑みを浮かべた。

 「男みたいなお前が、フツーの女に見えたぜ」


 君嶋の意外な台詞に赤面する凛。

 「こう見えても女です」


 シャノンがポツリと言った。

 「いいな、夫婦か……」


 フレンド君が言う。

 「きっと、もうじき新藤博士と再婚です」


 他愛もないフレンド君の台詞に、吃驚してしまうシャノン。

 「何言ってるのよ、もう」


 嬉しかった。もしそうなったらいいのにと、何度も夢見たのだから。亡き奥さん、結子はそれを許してくれるだろうかと、再婚を夢見る度に思っていた。


 「賢人博士はお父様に再婚して欲しいとよく言っていました。老後が心配だそうです。化学オタクの父を支えれるのはシャノンさんだけかもと」


 シャノンは嬉しそうに、でも複雑そうな笑みを浮かべ、冗談混じりな台詞で佐伯に出発の合図を送った。

 「さあ、行きましょう。老後が心配な新藤博士はあとで来るわ」


 佐伯が言う。

 「そうだね、出発しますか」


 「ああ」君嶋がゴーサインを出す。「いざ、北へ―――」


 政府の監視下に置かれた世界で、幾度となく自由を見てきた。だが、皮肉な事にこのような事態に自由を手に入れらるとは思ってみなかった。これ以上ない自由、だがその代償に何の保証もない世界だ。


 「出発進行!」佐伯が声を発した。「北に行くぞ」


 軍事施設の屋上から浮上した汎用ヘリコプターが、上空を目指す。佐伯は細かな凛の指示を受けながら操縦していた。


 澄み切った空を進む汎用ヘリコプタ―から望む東京湾の波打ち際には、相変わらず夥しい死体が横たわっている。一同は思わず目を逸らした。


 レッドソウルが都心部から姿を消しても、最悪な爪痕が鮮明に残されている。口数が減った一同は、<ノア>を見上げた。


 フレンド君は賢人を想う。

 「賢人博士は今頃、スペースシャトルで綺麗な星を見ているでしょう」


 シャノンは微笑んで答えた。

 「ええ。きっと」




 その頃、玲人は自宅マンションの賢人の研究室にいた。茶の間には食べ終えたカップ麺の容器やスナック菓子の袋がそのままになっている。


 玲人でさえ立ち入り禁止とされていた “ロボット研究所” と書かれたプレートが掛けられたドアの取っ手を回し、初めて室内を覗いた。


 そこには作りかけのロボットやコンピュータが乱雑していた。室内に足を踏み入れた玲人はデスクの上に置かれていたグリーンの包装紙に包まれた長方形の箱と白い封筒に気づく。


 何となく気になってしまい、白い封筒を手にして開封してみた。すると、一通の手紙が入っていた。



 【dear 父さん】

 誕生日おめでとう。

 禁煙できるように電子パイポ作ったよ。

 父さんが吸ってる煙草味のフレーバーが大変だったけど、近い味になったと思う。

 煙もモクモク出るし、お風呂でも使えるように防水加工を施したんだよ。

 これだけ優れモノの電子パイポを作ったんだから、絶対禁煙成功してくれよな。

 長生きしろよ、父さん。

 二人っきりの家族なんだからさ。

 大事に使ってね。

 P・S 尊敬してるよ。仕事頑張って。俺も父さんに負けない立派な博士になるよ。

 【form 賢人】



 来月、誕生日だった……


 コツコツと時間を掛けて僕の為に作ってくれていたなんて、知らなかった。

 「賢人……」


 愛しさが胸に込み上げた玲人は、電子パイポがラッピングされた箱をギュッと抱きしめ、ポロポロと涙を零した。


 自分の身体をいつも気遣ってくれる賢人は、もうここにはいない。そう思うと寂しくて、辛くて仕方なかった。

 「ありがとう、賢人……」


 可愛い賢人を思い浮かべて、共にご飯を食べた平和な日々に想念を巡らせた瞬間、今まで感じたことない激震に襲われた―――


 そして、穏やかだったはずの東京湾の波が窓硝子を突き破ったのだ―――


 

 



・・・・・・・






 汎用ヘリコプタ―に乗っていた一同にも激震が襲った。


 そして凄まじいまでの津波を見た―――


 紺碧の美しい聖女の海が、魔女の海へと変貌していく―――


 悍ましいほどの高波が宇宙基地と<化学島>に猛威を振るった。建物を破壊しながら渦を巻き、瓦礫を呑み込みながら都心部へと魔の手を伸ばす光景に震駭した一同。


 建物が倒壊していく。地割れが襲う大地で悲鳴を上げて逃げ惑う人々の群れは、恰も地獄絵そのものだった。


 周囲に停車していた自動車もミニカーのようにあっけなく大地に走った亀裂に落下すると、それに続いて人々までもが巻き込まれていく。


 見慣れた街並みが津波によって破壊されていく中、スカイツリーの上部にいたレッドソウルは微動だにせず、ただ惨事が過ぎ去るのを待っているようだった。


 津波は方角を変えて東京タワーを呑み込んだ。津波の勢いで東京タワーが傾き、崩壊していった。濁流の中に落下したレッドソウルは痙攣しながら水に埋もれていったが、その行方は誰にもわからない。


 この時、一同はレッドソウルが何故に摩天楼を目指したのか理解した。彼らは野生動物が持つ、科学では解明できない野生の予知能力を身につけていたのだった。宿主である人間を守る為にウイルスが強化してしていく。それこそ玲人らが恐れていた異変性だったのだ。


 狂犬病の一種であるウイルスに犯されているレッドソウルの弱点は水。逃れられない弱点なら危険を察知すればいい。


 人間には予知できなかった死への恐怖を、彼らレッドソウルは数日前に予測していた。だからこそ、自分達の身を守る為、高い場所を目指していたのだ。


 シャノンは<化学島>の自宅マンションにいる玲人を想い、発狂した。

 「いや――――! 新藤博士――――!」


 佐伯も玲人の身を案じて叫んだ。

 「新藤博士-!」


 凛が手で口を覆った。

 「嘘だろ……」


 声を震わせる君嶋。

 「これが今まで待逃れ来た関東大震災なのか?」


 状況が理解できるはずもない。部下の安否を懸念した君嶋は、無線機で連絡を取る。しかし、音信不通。


 自分達以外、軍事施設に残っていた。全員、遺体の損傷が激しく、レッドソウル化せずに息絶えたのだろうか……


 きっと部下達も死んでしまったと落胆した。


 何故なら、もう……そこに<化学島>がなかったからだ。


 全てが海の中、当然玲人の身体も……


 様々な経験を積んできた君嶋も慄然と海を見つめた。

 

 「クソ!」

 

 「玲人さん! 玲人さん!」


 突然、平常心を失ったシャノンが汎用ヘリコプタ―から身を乗り出した。その瞬間、君嶋とフレンド君が咄嗟にシャノンの身体を支えた。


 「死ぬ気か!」君嶋が声を張る。


 「新藤博士が! 玲人さんがぁ! 彼を助けに行くのよ!」


 「無茶言うな!」


 「離してぇ! 死んでも構わない! 彼のいない世界なんて、嫌よ! 離してぇ! 今頃レッドソウルになって怯えてるわ!」


 フレンド君が君嶋の考えと同じ事を言った。

 「新藤博士の生命反応はありません。もう、既に……この津波では遺体の損傷が激しい為、レッドソウル化も無理があります」


 つまり、酷ではあるが、玲人を諦めろと言いたい。が、シャノンは食って掛かった。

 「そんなことわからないじゃない! 離してよ! 私も死なせてぇ!」


 君嶋はシャノンの上半身に腕を回し、必死で押さえ込んだ。

 「シャノン、よせ!」


 「ほっといてよ!」


 フレンド君は静かに、そして宥めるようにシャノンに言った。

 「死んではいけません。お腹の中の小さな命が、生きたいと言っています。その小さな命に新藤博士のDNAを感じます。

 健気に生きようとしている赤ちゃんを殺さないでください……お願いします、シャノンさん」


 このフレンド君の台詞に一同は驚きを隠せなかった。特にシャノンは……


 まさかと思い、お腹を抱えた。


 そうだ、あの一夜が一つの小さな命を育んだのだ。


 「ウソ……」


 シャノンはお腹を抱えたまま、膝をつき、号泣した。

 「新藤博士―――!」


 この大地がどんな地獄に果てようとも、あなたといれたら理想郷だった。それなのにどうして!


 愛してると伝えたかった。だけどもうそこに新藤博士、あなたはいない……だけど、このお腹に宿った命は確かにあなたが授けてくれた……


 シャノンはお中に手を当て、今まで言いたくても言えなかった愛を心の中で囁いた。

 「玲人さん……」


 (愛してる―――ずっと、ずっと―――)


 佐伯と凛は、普段なら気の利いた台詞をかけていたところだが、唇を結んで敢えて言葉を掛けなかった。心から祝福したいのに、この状況で掛ける言葉が見つからなかったのだ。

 

 「北に行こう」


 自分達だけでは地上を逃げ惑う人々を助けられない。身籠ったシャノンを守る為にも先を急いだ。


 すると、君嶋の目に幼い女の子が大地で泣き叫ぶ姿が目に留まった。

 「あの子一人なら助けられる! 慎重にヘリを下ろしてくれ!」


 そんな技術、自分にはない。だが、たった一人で泣いている女子を見殺しにできなかった佐伯は、アスファルトと汎用ヘリコプタ―の距離を縮めていった。


 掌を嫌な汗で湿らせる佐伯を心配する凛。

 「ゆっくり、慎重に」


 「ああ。わかってる」


 ビルの屋上付近にヘリが近づいたその時―――


 最上階の室内にいたレッドソウルが一同が乗るヘリコプタ―を睥睨し、窓硝子へと歩み寄ってきた。


 そして、瞬時に窓硝子を突き破り、こちらへと向かって飛翔したのだ。細かな硝子片が宙を舞う中、凶暴なレッドソウル達が襲い掛かってくる。


 もはや、幼い女の子どころではない。


 「マズい!」


 絶体絶命のピンチを感じた佐伯が声を張った瞬間、シャノンが武器を収めた箱から手榴弾を取り出し、ピンを抜いてレッドソウルに放り投げた。


 わかっていた。凶変した誰もが人間だった事を。ウイルスを生み出したのは自分達なのに、レッドソウルを恨まずにはいられなかったのだ。


 「玲人さんの敵(かたき)!」


 飛翔したレッドソウルのうち、より高く飛翔するレッドソウルが現れた。見覚えのある顔。蒼白した土気色の顔の額に小さな風穴が空いている。


 その顔は間違いなく死んだはずの鈴野だった。

 「鈴野君!?」


 操縦士ながら咄嗟に後方を見た佐伯も驚きの表情を見せた。撃ち殺したはずの鈴野が目の前にいるのだから無理もない。


 しかし、額に一発銃弾を放ったあの時、鈴野は絶命したのではなく、気絶していただけだったのだ。それこそがウイルスの異変性―――凛が新宿東口での戦闘時にリーダーがいるような気がしていたのも、間違いなく鈴野がいたからだ。


 「マジかよ」戦慄を感じた佐伯。


 「あり得ないよ……」蒼くなった凛。


 鈴野は「死ンデ我ガ種族トナレ」と片言で台詞を言った直後、シャノンが投げた手榴弾を蹴り返したのだ。


 「わっわっわ!」フレンド君は爆発の衝撃に備えて頭を覆った。「賢人博士、助けて」


 「マズい!」君嶋が目を見開く。「こっちに来るぞ!」


 勢いよく蹴り返された手榴弾がこちらに向かって飛んでくる。君嶋は汎用ヘリコプタ―身を乗り出し、手榴弾に向かって飛び降りた。


 一同は声を上げた。

 「君嶋指揮官!」


 君嶋は落ちゆくその瞬間、一同を視界に映し、家族に見せていた優しい笑みを浮かべた。


 そして、手榴弾を腹に抱え、死ぬ間際にふと様々な想いを巡らせた。



 ―――佐伯博士、矢崎を頼んだ。


 ―――シャノン博士、元気な子を産み、未来へと命を紡いでくれ。


 人類はどんな場所でも、きっと希望を見い出せるだろう……


 天国にいる妻と息子は、俺を受け入れてくれるだろうか……


 そもそも、俺は天国には逝けないかもしれないが……


 死とは、あっけないモノだな……


 さらばだ―――


 

 大地に落ちゆく君嶋の肉体から、真っ赤な骨肉の粉砕が噴き上がるのが見えた。そして、守ろうとした幼い女の子はレッドソウルの餌食になり、地上で深紅の双眸を光らせていた。


 「なんでだよ―――!」佐伯が叫んだ。


 「わ、私のせいで……」


 凛はもう見えない君嶋に敬礼をした後、涙を浮かべてシャノンに言った。

 「あんたのせいじゃない。あたしがそこにいても手榴弾をぶん投げていたさ……」


 「……。うっ、っつ」シャノンはたまらず涙を零した。「どうして―――!」


 シャノンの背中を擦るフレンド君。

 「泣かないでください。君嶋指揮官は未来を……シャンノンさん、あなたに託したのですから」


 

 その後、無言のまま佐伯は汎用ヘリコプタ―を飛ばし続けた。君嶋同様に関東大震災を想像したが、どの地域も壊滅状態だ。


 途中で数機の自衛隊の汎用ヘリコプタ―と擦れ違ったが、皆、他人より我が身だった。それもそのはず、彼らに命令を下す政府も、自衛隊組織も特殊部隊同様に事実上破綻したのだ。


 もし、人助けするなら自らの意思のみ。


 そんな中、新宿区の疫病センターに避難した市民が気になった佐伯は、そちらの方角に進んだ。しかし、病液センターは目を覆痛くなるほど倒壊していた。


 瓦礫の山と化した疫病センター前の駐車場で、防護服を着用した数十人の姿が見えた。きっと自衛隊だ。彼らは自分の意思で人々を助けようとしていたのだ。そして、その周囲に建物から命からがら逃げだした人々の姿もあった。


 「俺達も手伝おう」


 凛が頷いた。

 「うん」


 シャノンがフレンド君に言った。

 「医療ロボットの本領発揮ね」


 一生懸命に笑みを作ろうとするシャノンを気遣うフレンド君。

 「哀しい時は無理に笑わなくていいのです。余計哀しくなりますから」


 ギュッと下唇を噛んで涙を堪えた。

 「…………」


 佐伯は汎用ヘリコプタ―と駐車場の距離を縮めて着陸させた。一同が降り立つより先に、自衛隊が右手を突き出し、掌をこちらに向けてきた。


 ―――来るな!


 一体何故だ、と訝し気に周囲に目をやった瞬間、サバイバルナイフを手にした血走った眼の男が汎用ヘリコプタ―に向かって突進してきたのだ。その男を皮切りに、次から次へとこちらに向かってくる。


 「女房の敵! よくも俺達の生活を!」


 シャノンが声を張った。

 「待って! 私達もあなた達を助けたいの!」


 「うるせー! このクソアマ!」


 もはや市民らにとって、<死者蘇生ウイルス>を生み出した化学者の彼らは敵でしかなかった。自分達が思っていた以上にその溝は大きく、計り知れないものだった。


 自衛隊らは市民の前に出て、行く手を防いだ。そして操縦士の佐伯に向かって大声を張り上げた。

 「早く行けー!」


 男が怒号し、負けじと馳突する。

 「どいてくれー! あいつらを殺さないと俺の気持ちが済まない!」


 抑え込む自衛隊。

 「あんたの気持ちはよくわかる! だが、連中を殺した時点で、あんたも連中と同じ殺人鬼だ!」



 殺人鬼―――



 男はアスファルトに膝をつき、号泣し始めた。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 その光景と自衛隊の台詞にショックを受けたシャノン。だが、彼らの胸中、察するに余りある。

 「ヘリを出して……ここに私達の居場所はないわ」


 「……。ああ」汎用ヘリコプタ―を離陸させた佐伯。「俺達は彼らにとって殺人鬼も同然なんだな」


 上空に上がった機内で唇を結んでいた凛が、ポツリと言った。

 「いたんだろ? あそこに……死者から蘇生を果たした通常のレッドソウルが」


 哀調を帯びた声で佐伯が答えた。

 「……。助けたいけど、きっと彼も俺達の手を必要とはしていないだろう。憎まれて当然だよ、俺達は……」


 再び瓦礫の山と倒壊した建物の上空を飛んでいく。ただ、ひたすら北へ、北へと飛んでいく。佐伯がふとした疑問を口にした。


 「どうして北なんだ?」


 凛が答えた。

 「君嶋指揮官は退職後、北海道でスローライフを送りたいとよく言っていた。だから深い意味はないよ。あたし達もひっそりと人目につかない場所で余生を送るべきなのかもしれない」


 炎上した家屋に目をやったシャノンの双眸から、思わず涙が零れ落ちた。

 「何が起きたの? 地震、津波……わからないわ……」


 フレンド君がシャノンの背中を優しく撫でた。

 「私にもわかりません」


 君嶋の想いを乗せるかのように北へと進ませた。どこまで進んでも悲惨な街並みが続く。高層建築ビルも見る影なく倒壊しており、アスファルトは見るも無残な状態だった。


 不思議な事に倒壊した建物の屋上に、レッドソウルはいなかった。彼らは動きが早い。きっとどこかにある安全地帯に身を潜めているのだろう。


 暫く空を進み、宮崎県に離陸した。周囲は田畑に覆われた田舎町だった。もし、死体が横たわっていなければ、都会からやって来た一同にとってリラックスできる最高の風景だったかもしれない。


 軍が破綻した今、死体を片付ける役割を果たす者もいない。この先、<死者蘇生ウイルス>終息後も死体から繁殖した新たな感染症を懸念したが、どうすることもできないと心の中で嘆くしかなかった。


 きっと防護服を抜いたなら、酷い腐敗臭に吐き気を催してしまうだろうと、周囲の死体から目を逸らした瞬間、突然、空が曇っていった。

 

 雨でも降るのだろうかと思ったが何かが違う……


 日中とは思えないほど、周囲が暗くなっていく。そして空が暗闇に染まるまでにそう時間はかからなかった。街頭もない真っ暗闇の世界に不安を感じながら空を見上げるフレンド君は、硝子の双眸を光らせ辺りを照らした。


 フレンド君の双眸は停電時にも対処できるようにライトが搭載されている。

 「気温が低下しています。それも急激に……」


 シャノンは身震いした。

 「寒い……まるで真冬みたい」


 凛も唇を震わせた。

 「寒すぎだろ……どうしちゃったんだよ」


 はっとした佐伯は、息を呑んだ。

 「もしかしたら……大震災とかそんなんじゃなくて……もっと最悪な部類……隕石の落下ならこの状況が十分ありうること……しかも巨大なヤツ」

 


 慄然としたシャノンは、もし、本当に隕石だとしたなら……これから先に待つ地獄を想像した。


 食物連鎖の破綻―――


 レッドソウルが蔓延する中、植物は息絶え、魚もきっと絶滅してしまう。衝突の冬が続けば寒さで弱った人類は次々と死んでいく。


 巨大隕石落下により大気中に巻き上がった粉塵や煤が成層圏や中間圏を覆い尽くす。そして数年から、最悪……数十年間澄み切った空の代わりに、それらが留まる事になる。その間、太陽光は地上にほんの僅かしか届かず寒冷化の時代に突入する。


 現在、一同を覆った闇の世界。対流圏に巻き上がった粉塵と煤が地上に降り注ぐまでの約数カ月間に渡り、この状態が続くのだ。


 そしてこの暗闇の世界は、最も恐れる<新型狂犬病ウイルス>の罹患者であるレッドソウルにとって好都合だ。彼らは暗闇でも視界が利く食肉目なのだから。


 だが、ここにいる一同はそれを知らない。何となく勘付いていたのは浅草地下街でレッドソウルと格闘した遊介のみだ。


 しかし、直それを知る事となるだろう……


 シャノンも佐伯もレッドソウルにとって、この世界が少なからずとも有利になるであろう事を理解していた。何故ならレッドソウルは空腹もなければ痛覚もない。


 人間にとっての最大の弱点が彼らにはないのだ。恐水症も雨や水を逃れればいい話だ。きっと今のレッドソウルにとって然程大きな問題ではないのでは、と思わざるを得なかった。


 凛が言った。

 「政府の最後の情けはエナジーバンド。連中は知っていたんだ。ただでさえ過酷な世界に生きるのに、食い物がなくなり、食物連鎖が絶たれてしまうことを……あたし達は地球からの兵糧攻めを喰らうんだ……」


 わかってはいたものの、事の重大さに悄然としてしまう佐伯。

 「俺達、人類は見捨てられたんだ。完全に、見捨てられた。地球の超寒冷化が始まる……どうするんだよ氷河期みたいになったら……」

 

 極めて深刻な表情を浮かべたシャノン。

 「その後に待っているのは、大量の二酸化炭素を放出させた石灰岩の影響による温暖化よ。もしかしたら数万年続くかもしれない」


 「そんな中、俺達はレッドソウルと闘うのかよ」


 だが、今は温暖化より極度の気温低下。防護服を着用していても指先が悴むほど寒い。ガタガタと震えるシャノンと佐伯と凛を気遣ったフレンド君は、汎用ヘリコプタ―から毛布を三枚取り出した。

 「使ってください」


 毛布を受け取った三人。

 「ありがとう」


 フレンド君が言った。

 「今日は気候も、何もかもが不安定です。レッドソウルが現れないのは今夜だけかもしれない。だから今のうちに少し休息を取りましょう。ヘリの燃料が尽き次第、徒歩になりますから」


 シャノンに元気な赤ちゃんを産んで欲しい佐伯が言った。

 「辛かったらいつでも協力するからな」


 「うん……ありがとう、佐伯君」

 

 フレンド君が提案する。

 「火を焚いて体を温めましょう。風邪をひいては大変です。なにせ病院はありませんし、医者もいません」


 女性二人を気遣う佐伯。

 「俺達が火を起こすから、二人は休んでて」

 

 佐伯とフレンド君は粗朶を集めて薪にした。マッチで火を点け、落ちていた新聞紙を仰いで空気を送り込むと、直ぐに炎が上がり始めた。オレンジ色の眩い火の粉がパチパチと爆ぜる音が周囲に響く。


 シャノンは火に当たりながら、玲人と君嶋がいたならどれほどよかっただろうかと考えた。

 「…………」


 胸中を察した凛が言った。

 「きっと、君嶋指揮官も新藤博士も天国に行ったさ。だって、そこが本当のユートピアなんだから……争いも痛みもない楽園に……」


 「……。きっと今頃私達を見守っているわね」


 「この先どんな困難に遭おうとも、進むべき方向へと導いてくれるさ」凛はシャノンに返事を返してから、佐伯に軍人の顔を見せた。「万が一の襲撃に備えて銃は持った方がいい」


 「そうだな」


 佐伯は君嶋が愛用していた機関銃を手に取った。思った以上に重量感がある。

 「重いな……」


 (これに給弾式ベルトを着用するのか、君嶋指揮官以外扱えないや。いや、でも……)


 君嶋が守ってくれるような気がした佐伯は給弾式ベルトを肩に掛け、様々な武器を漁り始めた。すると凛とシャノンも腰を上げて、佐伯に歩み寄った。


 懐中電灯を発見した佐伯は、武器を照らす。

 「女性陣はどれがいいだろうか……」


 自分に背を向けて汎用ヘリコプタ―を覗き込む三人に目をやったフレンド君は、硝子の双眸に搭載されたライトを消灯し、気配を消した。


 粉塵に覆われた空に<ノア>は見えない。だが、壮大な宇宙を想像し、そこにいる賢人を思い浮かべた。


 (賢人博士は上層部の監視下に置かれてしまう。そうなってしまえば、宇宙船を造って地球に降り立つなんて以ての外……

 いつか迎えに来てくれると信じたい。ですが、いつですか? 人間の命は……永遠の命を持つ私には短すぎる。永遠の命を持てば大切な人は次々に死んでしまう。佐伯さんや凛さん、そしてシャノンさんもいつか……

 私はどうしても賢人博士の許に帰りたいのです)


 フレンド君は三人の背中を見つめてポツリと小声で呟いた。

 「ごめんなさい、そして……さよなら皆さん、どうか死なないで。シャノンさん、元気な赤ちゃんを産んでください」




 三人に背を向けたフレンド君は、漆黒の闇の中に消えていった―――



 そして、二度と三人の前に姿を現す事はなかった―――

 


 <前編2050年完/後編2100年に続く>

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感染都市 紅月逢花 @mitutukiayumu777

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