9.少女アルセストの嘆き



「エリは芹目くんが好きだったんです」

「有瀬さんに意地悪をしたのは……なんでだろ、よくわからないですけど」

「だけど有瀬さんは立ち向かってきて、それが気にいらなかったあの子が、スズメの……はい、そうです。あれはあの子がやったんです」


 生徒指導室の前を通ると、取り調べのように事情を聴かれるクラスメイトの声が聞こえた。有象無象は事態が取り返しのつかないところまでいかないと口を開かない。


 私が休んだ日、芹目が暴力事件を起こしたらしい。その場に居合わせなかったことを残念に思った。


 もし、その場にいたのなら……。

 私はどうしていたんだろう。

 わからない、だけど、きっと、きっと、きっと………。


 あの女の怪我はとても酷いものらしい。撤去された私の机の惨状を見ると、容易に想像できた。もしかすると、芹目はこれから一生をかけて償わないといけないのではないか。


 こういうことになること、少し考えたらわかるだろうに。もう少し聡明な奴かと思っていたけど、なんて脳の足りない……………いや、彼は、きっとそれほどまでに。


 芹目は事件以来学校に来ていないそうだ。

 だから、クラスの誰とも音信不通な彼から親を経由して手紙が届いたのはとても意外なことで、驚いた。


 彼からの手紙は読書感想文のようで、拙い中学生の文章は要領を得なかったけれど、言いたいことはなんとなくわかった。手紙は今も部屋の机の引き出しに入れてある。こんなこと、忘れたほうがいい。私も彼も、何もかもすべて。


 私は彼のことを、ずっと不思議に思っていた。


 ドラマの話、告白の話、成長途中の体の話、セックスの話、全てをくだらないと軽蔑している彼が、どうしてそれを美徳とする集いの渦中にいるんだろう、と。


 パフォーマンスのように手を叩いていつも破顔させていたけれど、いつだって彼の眼の奥には底知れない暗雲が立ち込めていた。周りのオトモダチは気づかなかったようだけれど、彼の振る舞いはずっと虚ろで、とにかく悲しそうだった。


 ……ああ、そうだよね。軽蔑を悟られてしまうと、それを重んじている人たちには迫害されてしまうものね。わかるわかる。だから偽って繕って、必死に擦り合わせてたんだよね。わかるわかる。だけど全然わからないよ。

 どうして偽らないと生きていけないの?

 誠実が通らず己を苦しめる毒となる世界に、果たしてどれだけの価値があるのだろうか。


 それぞれが持っている異なる形をした心。自分の心を歪ませてまで調和しようと、削り、壊し、擦り切れてしまったのが芹目だ。


 学校は社会の縮図。この狭く息苦しい校舎のような世界が、この場所を出た後にも広がっているのかと思うと、目眩がする。


 私たちの嘆きは、誰にも届かないまま、こうして消えていくのだろう。

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少女アルセストの嘆き 木遥 @kiharu_07

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