玄室前

 ナザリック地下大墳墓の第二階層、階層守護者シャルティア・ブラッドフォールンの部屋の前。

 そこに、最近シャルティアのシモベとなった元人間の吸血鬼ヴァンパイアたち三人が寝ずの番を――というよりそもそもアンデッドは睡眠不要なのだが――していた。  

 

 その一人、ブレイン・アングラウスは横目でチラチラと、すぐ左に立つ同僚の女を気にしていた。

 どうも様子がおかしいのだ。上気しっぱなしの顔、虚空を見つめ続ける目、時折発する奇妙な笑い声。心ここにあらず。うわのそら。

 

 その原因に思い当たる節があるからこそ、聞くか聞くまいかブレインは逡巡していた。

 しかしなかなか意を決する事ができず、迷いを棚上げするように、右隣に立つ元漆黒聖典隊長の青年に声をかける。

 

「な、なぁ、法国の事なんだが……このナザリックに害を為せそうな奴って居るのか?」  


 ブレインは適当に話題を切り出した。頭に巣食うモヤモヤしたものを打ち払いたかっただけで内容はどうでもよかった。

 

「一人だけ、神都の宝物殿を守る少女だけだ。少女と言っても姿だけなんだが。彼女の実力は私よりも遥か高みにあった」

「へぇ、お前さんよりもずっと強いのか……そいつは驚きだ」

 この青年の実力を知るブレインは素直な感想を口にした。

 そして再びクレマンティーヌを一瞥する。彼女に初めて会った折に聞かされた言葉を思い出したからだ。

 

(世界は強者で溢れていたんだな……ついこの間まで最強になれるとか思ってた自分が莫迦みたいだ)

 ここナザリック地下大墳墓は、吸血鬼ヴァンパイアとなり強化された肉体を有した今でさえ、絶対に敵わないほどの強大な力を持つ存在がゴロゴロ居る場所であった。そんな中では自分が単なる弱者であると嫌でも思い知らされる。刀を握る手にかけてきた矜持などゴミだったのだ。


 青年は続ける。

「――弱い私では比べるのは難しいが、シャルティア様の方が基本的な身体能力は上だろう。それにシャルティア様は様々な特殊技術スキルをお持ちだ。特にあのエインヘリヤル……ああいったものは番外の少女は使えない。もし一騎打ちになったとしてもシャルティア様の圧勝だ」

 

 ブレインは少し安堵したような声で返す。

「そうか。まぁそいつ一人だけなら、ここまで侵入して来たとしても、俺たち全員でかかればシャルティア様が武装を整える時間を稼ぐくらいはできそうだな」


 青年は苦笑する。

「仮にそんな事をしてきたのなら、法国が一瞬で滅ぶのは間違いないだろう」

「ははは。違いない。アインズ様のお怒りを買うような愚か者どもは滅ぶしかない」

 と、ブレイン。

 

 一旦間を置き、青年は真剣な面持ちで口を開いた。

「――今では法国の理念そのものが、蒙昧さを淵源として生じた誤謬に過ぎなかったと確信できる。弱きものどもは強き御方々の前に跪きこうべを垂れて恭順を示すべきだ。それこそが弱者が唯一生き残る事の出来る処世術なのだから」

「全くその通りだな。御方々がその気になれば世界なんて簡単に滅ぶんだからな。弱い奴らは無知だから、自分たちが今日を生きられるのは御方々の慈悲によるものだって事すら分かってない。有難味に気づかず、糞の役にも立たないプライドばかりを後生大事にしてるんだよな。そんなもん、さっさと捨てたほうがいいに決まってんのに。俺も身に染みてそれが理解できたよ」

 

 頷きながら青年は話を続ける。

「法国は今まで人間以外の種を蔑み、敵視し、ひたすら狩ってきた。それこそが人類を守る唯一の手段だと妄信しているんだ。その馬鹿げた思想を捨てない限りナザリックとぶつかって滅ぶのは時間の問題だろう。本当に愚かだ」

 そこで青年は大きく緩やかにかぶりを振る。かつてその愚かさの枢機に居たことを追憶して。


「ここナザリックに初めて来たとき何より驚いたのは、その広さや壮麗さもさることながら、様々な強さの存在、幾多の種族たちが完璧な秩序の中、平和で豊かに共存して暮らしていた事だ。そんなナザリックは正に理想郷。そして法国の頑迷な思想は、その理想郷の一員となれる可能性を自ら放棄させてしまう――本当に、愚かだ」


 青年の瞳はなにか悲し気なものを――かつての同胞たちへの憐みを映していた。


 会話の終わり際に、徐々に大きくなる足音が混ざるのを聞き分けたブレインがそちらに目をやると、遠くからボーマルシェが近づいて来るのが見て取れた。 

 

「おい、クレマンティーヌ、お前が見廻る番だぞ。おい」

 ブレインは女の浮つきを咎めるように声をかける。

「んー? んふふふふ。あー……あっ。ごめーんちょっとぼーっとしてた」


 ちょっとじゃねぇだろ。

 本気でそう言いたかったが言葉を飲み込み、思い切って質問する。


「な、なぁ、昨日お前……シャルティア様に呼ばれてただろ?そこで一体……」

 恐る恐る聞くが、クレマンティーヌは――

 

「んふ? ひ・み・つだよー?」

 顔いっぱいの笑みで軽くいなした。


「んじゃ行ってくるねー。やっほーポーシェちゃん!」

「もう何とでも呼べよ」

 目を合わそうともしないボーマルシェ。


「俺達も女に生まれれば良かったな……」 

 ブレインは遠ざかるクレマンティーヌの背中を見つめながら静かに呟いた。

 

「ああ……」

 寂しげな同意の声が空気に溶け入った。

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