配管修理・南向き水捌け良好

晴天と見紛うような青天井の下に、その教会は建っている。厚い屋根は光を遮り、内部の採光はステンドグラスのみ。差し込む光は色とりどりに彩られ、その文様を床へ映す。地上に建っていたころと何ら変わりのない教会は、上層にありがちな時代錯誤で贅沢な建造物だ。

女神は没し、天上の青い空の中で私たちを待っている。人が死ぬと女神は地上へ降りてきて、死んだ人間の魂を白いヴェールで包み込み、雨雲の上に連れてゆくのだという。女神の伝説は長い時代を経るごとに変容し、元がどうであったかは知る由もない。教会のステンドグラスには青い空の下、緋色の衣と白のヴェールを身に纏う女神の姿が描かれているのみだ。



教会は上層最下部、上層と中層との境にある。上層に立ってこそいるが、実際のところ教会は公共施設だ。階下には浄水場が埋まっており、地下街の主だった水源になっている。地下街のインフラとして浄水場はいくつか存在しているが、基本的には教会から近いほど綺麗な水が手に入り、遠く離れるほど同質の水は入手が難しくなっていく。

男は教会の下の浄水場で作業員として働いていた。教会内の職業案内所で斡旋されたのだ。浄水場作業員は他の仕事に比べ給金が良い傾向にあるが、水を扱う仕事は一般の人間からは忌避される。外の雨を想起するためだ。浄水場から伸びる管はあちこちが裂け、直されることのない配管は下層へ水を垂れ流す。浄水場の二階層下、世界中でただ一つ、真水の豪雨が降る場所があの廃墟の街だ。


仕事帰りに男はその日の晩飯とダクトテープを二つ、それから防水コーティング剤、スキンを買った。建物の外はまだしも、根城にしているホテルの部屋の中にまで浸水しているのはどうにかしたかった。

こういうときは大方天井裏に走る配管が悪くなっているのだ。よほど差し迫った状態でもなければ劣化した配管を変えたり、補修したがるような酔狂な人間はいない。みな、滴る水をひどく恐れている。


「今日の仕事終わったのか」

「おう、晩飯買ってきた。食い終わったら雨漏り直すから付き合え」

「デケェ袋持ってると思ったらそれでか」

「ああ。ほら今日の飯だ、ありがたく食いやがれ」

びしゃびしゃと水たまりのできた床を歩きながら、男は袋を差し出した。中身を確認している間に上着を脱ぎ、雨を払って椅子の背にかける。

定位置についた二人は手を打ちあわせ、イタダキマス、と言った。

「ウメェ」

「ああ」

ハンバーガーを食べ終えてパックのジュースを取り出した男を見て、ホットドッグを頬張っていた相方が目を瞬かせる。

「お前、そんなもん飲むんだな」

「アア? やんねーぞ、俺の貴重な栄養源だ」

男は野菜ジュースのパックに口をつけ中身を啜る。ほのかな甘味と酸味。形や見てくれの悪い野菜のギリギリ加食部を潰して香料を混ぜただけの汁。決して美味くはないそれを、男は嗜好品のように啜る。

「それ、美味いのかよ」

「はっきり言うと不味い……が、好きなんだよコレ。懐かしい味がすんの」

「そうか」

興味を失ったように頷き、ホットドッグのしっぽを口に押し込む。男はズルズルと調味された草の汁を啜りきるとサイダーを取りだしてその半分を喉に流し込んだ。

「あとやるよ、パンだけじゃ喉乾くだろ」

「おう、ありがとよ」

相方は残りのサイダーを一息に呷った。

「飲み終わったら改修工事だ。濡れるだろうから覚悟しとけよ」

立ち上がって手を払い、男は伸びをした。




「開けるぞ」

元は排煙用だったのだろう天井の蓋を開けると、隙間から流れ出た水が床に当たってびちゃびちゃと滝のように撥ねた。落ちてきた水を頭からまともにかぶって、男は誰にともなく悪態をついた。

「ったくよォ……」

ハシゴをのぼり、男は天井裏に入る。防水タイル張りの足元を薄く水が流れていくところを見るに、水漏れはかなりひどそうだ。手元のランプをつけると揺れる水面にうっすらと光が反射する。男はランプを出口の上に吊るし、懐中電灯のスイッチを入れ、奥へ消えた。

相方がハシゴの下で立ち尽くしていると、男が戻ってきて叫んだ。

「配管の継ぎ目が緩んでやがる! チクショウ、テープじゃだめだ、ねじ回し寄越せ!」

「ナットは!」

「ナットもだ!」

渡されたドライバーを握り、男は配管の緩みを直して回る。直せど直せど、どこかしらから水の滴る音はする。足元を流れる水の膜が爪の皮くらいの薄さになったころには、水は下着の中まで染みていた。

「ヒデェなチクショウ、やってられっかよ……」

「アー、そこに誰かいる? 誰でもいいから助けてくれ」

「アア?」

水音に混じって人間の声が聞こえたような気がして男は辺りを見回す。懐中電灯を回すが、特になにも見つからない。

「ここだぜ」

パイプの裏から声がするが、姿が見当たらない。だが幻聴ではなさそうだ。男は見渡し、その場を離れようとした。

「どこだよ……おわっ」

「待てって、ここだここ。下だ!」

太いパイプの下から白い腕が伸び、男の足を掴んでいた。水たまりの上に尻餅をつき、べちゃりと水しぶきが上がる。床に垂れた長髪が光を反射した。あまり見ないタイプの髪色だ。

「ぶへ、誰も来ないかと思ったぜ。おれ、引っ掛かっちゃったの。助けてくんない?」

「アー、そうだなァ、ここで死なれるとクセェだろうしなァ……しょうがねえ、助けてやるよ」

男は後ろに回り細っこい足を掴むと、力任せに引き抜いた。

「いででで、ギブギブ」

「我慢しろ」



「アー、そいつ誰」

知らない人間を伴って戻ってきた男を見て、相方は多少驚いたような顔をした。男はハシゴを降り、ジャケットを脱ぐ。裾がびたびたになったトップスに続き濡れたズボンも脱ごうとして、ベルトに手をかけかけてから、考え直してやめた。相方しかいないいつものことならいざ知らず、知らない奴の前で下着姿になるのはいささか抵抗がある。代わりに靴を脱ぎ、ひっくり返して壁に吊るした。天井から肩に跳ねた水滴を払って、化学繊維のインナーで手を拭う。

「知らねえ、パイプの間に引っかかってやがった。おい、自分のことなんか喋れよ。キオクソーシツってわけじゃねえんだろ」

脱ぎ捨てたジャケットをハンガーにかけて男は正体不明のそいつに水を向けた。話を振られた男は背負ってきた荷物の中身を漁る手を止め、やや面食らった様子で目を瞬かせた。

「アー俺? だよね、ほかにいないもんな。おれね、イリヤっての。イリヤ・マナキ。上の方に住んでたんだけど喉弱くてさァ、湿ったとこに引っ越そうと思って場所探してたら引っ掛かっちまいやがんの。アンタこなかったらあのまま水飲んで死んでたかもな。感謝してるぜ」

「そりゃドーモ。俺はニカイドウ、こいつはミナバ。で、アンタこれからどーすんの、このビル出てっても外は雨だぜ」

男は窓の外を指した。ぼたぼたと窓を垂れる水は勾配の低い方へと流れ落ちていく。雨だれの隙間からは頼りない街灯の明滅が見えた。外は暗い。昼も夜もなく、ずっと。

「これはこれはゴシンセツに。シンセツついでになんかいいとこ知らない?」

「知ってたら教えずにそっち住んでるな」

イリヤはほおを爪でひっかいた。

「そっかァ……」



「ミナバ、そいつ見といて。着替えてくる」

「オウ」

ニカイドウは部屋を出ていく。足音が遠ざかると、残ったのは雨音だけだ。部屋の中に沈黙が下りる。イリヤは物珍しそうにきょろきょろと部屋を見回した。

「良い場所だ、こんな場所が地下にあるとはな。あっ」

イリヤは思い出したようにポケットの中を探り紙の筒を出した。封を切ると、純白の粉は水気を吸ってだまになっていた。

「アー……最後の一本だったのに……」

イリヤはそのまま舌下に空けた。さりさりとした粉はとろりととろけ、甘味を口内へ広げていく。容器の紙筒は床に落ち、フィルムの張られていない紙は水を吸ってくちゃくちゃになった。

何をするでもなく眺めていたミナバは皺の寄った袋に気付き、訝しげに口を開いた。パッケージにビニールコーティングがされていない。

「……アッパーから来たのか?」

「ア、ワカル? 上はだめだ、喉壊しちまう……アアでも」

「『下は空気が悪い』だろ。で、どーすんだ。これより下層はカビだらけだ」

いつの間にか戻ってきていたニカイドウが腕を組んだまま肩をすくめた。喉に不安のあると思われる男は、えらく通りの良い声で喋った。

「ここのビルに住んじゃダメかなァ……」

すっと、男は手を出した。

「家賃。敷金と礼金はまけてやるよ」



「水捌け良好、南向き。ここが空いてる中で一番まともな部屋だ」

南向き、太陽が小型ランプに変わった今では何の役にも立たない情報だ。部屋の隅、天井からビチャビチャと溢れる水が、垂らされたアルミチェーンに沿って床へ流れる。水撥ねを抑えるための機構だ。雨だれの音がやかましく響く中、ビニールテントの張られた寝床を見てイリヤは困ったように眉を下げたままで頭をかいた。

「良い部屋だねえ……天蓋つきとは、これまた豪奢なことで」

「皮肉か? それとも本気で言ってんのか」

「どっちだろうなァ……どっちだと思う?」

「俺が知るかよ」

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