第49話  第六巻 決意の徒 暗闘

 時の過ぎ行くのは早いもので、神村正遠の死から一年が過ぎた。

 森岡はウイニット、榊原商店、味一番と松尾正之助から申し出のあった三社の持ち株会社を設立し、自らが代表取締役社長に就任した。榊原荘太郎、福井正勝、松尾正之助は、それぞれ代表権を持つ顧問、会長、相談役に就任していた。

 実はこの持ち株会社にはもう一社加わっていた。南目輝の生家彩華堂である。

 南目昌義は心臓疾患という持病を抱えていた。しかし、会社は長男の輝ではなく、後妻の友恵との間に生まれた次男の悠斗が継ぐことになっていた。悠斗はまだ十九歳、先行きを案じた昌義の出した答えが、一時会社を森岡に託すということだった。森岡ならば、必ずや悠斗の身が立つように計らってくれるであろうと信じての決断であった。

 奥埜清喜と手掛けていた十階建ての自社ビルは完成し、ウイニットは移転を完了していた。ウイニットは六階から十階の五フロアーを占有していた。現状の人員に合わせるのではなく、将来の規模拡大に備えて十分な広さを確保したのである。

 三階から五階は持ち株会社が占有し、二階には奥埜家が経営する『株式会社オクノビル』と、真鍋家が経営する『真鍋興産株式会社・関西支店』、そして伊能が経営する『株式会社伊能サーベイリサーチ・大阪事務所』が同居した。一階は店舗、管理人室と駐車場である。

 ウイニットは、予定より三か月遅れながら無事株式上場を果していた。

 上場直後、森岡は拡大幹部会議で言い渡したとおり、経理担当専務に池端律夫、システム開発及び営業担当専務に土門隆三を据え、台湾子会社の社長も務める坂根好之を本社の末席の取締役に抜擢した。

 さらに、野島真一を日原淳史が社長に就いた味一番株式会社の取締役に転任させ、榊原商店の新社長には住倉哲平を、英国のブック・メーカー事業会社の専務取締役には南目輝、彼の後見役として、ウイニットの副社長に昇格させた中鉢博巳を相談役に配置する人事を断行した。中鉢はロンドン在住、南目は日本と英国を往復する生活を送っている。事業は自体は手探りの一年が過ぎ、本格的な飛翔の段階に入っていた。

 蒲生亮太を部長待遇の秘書室長兼護衛役、足立統万を坂根の後の企画室課長に任じ、遊軍として各事業を横断する役目を任せた。見聞を広めさせようという森岡の親心である。

 新設した資産運用部の部長に石飛将夫を、同課長に丸種証券を退職した井筒孝之を任じた。

 最後に、右翼の首領・宗光賢治から薫陶を任された賢一郎は、文字通り森岡の身の廻りの世話をする秘書という名の付き人となった。

 一方、神村正遠の死により、京都堀川の無縁仏移設と霊園事業は、神村から後見を託された正胤が継いだ経王寺に、寺院ネットワーク事業は別格大本山法国寺にそれぞれ中心を移した。

 森岡は、天山修行堂の敷地に抵当権を設定したばかりか、法国寺、天山修行堂並びに鎌倉長厳寺の護山会役員と、経王寺の護山会会長に納まっていた。

 これにより、彼は久田帝玄亡き後の、法国寺、天山修行堂及び長厳寺の後継者選びにも強い影響力を行使できるようになった。

 そこで森岡は、まず天山修行堂の常任副導師として、東京目黒の澄福寺の芦名泰山を推薦し、久田帝玄の後、景山律堂が受け継ぐまでの間の正導師の任を託した。芦名は私利私欲の無い人格者であり、神村の代役として申し分の無い逸材である。

 同じく久田の後の法国寺次期貫主候補として、傳法寺の貫主を辞した大河内法悦を擁立する腹も決め、久田と相談して執事長に就かせていた。図らずも本妙寺、法国寺と敵対することとなったが、その過程で清廉で高潔な人物であると確認済みである。

 別格の寺格を持つ法国寺の貫主人選は、その他の大本山や本山のように執事長が第一候補に上がることはないが、とはいえ大河内ほどの高僧が執事長を務めるとなれば、他の有資格者に遠慮させるという効果が見込まれる。

 高齢なうえに、本山と遜色のない長厳寺と天山修行堂の宗務を兼ねる久田にとっても、大河内は全ての宗務を任せて安心な人物であった。

 然して執事長に就任してからほどなく、法国寺の宗務の大半は大河内の裁量にまかされることとなった。

 肝心の大本山本妙寺であるが、神村の後任には藤井清慶が就任した。別格大本山法国寺の貫主の座を巡って久田帝玄と争い、森岡と敵対した総務清堂の実弟である。

 総務清堂から助力を懇請されたとき、必ずしも心の底から賛同はしたわけではなかったが、将来を見据え承諾した。すなわち、それより先に傳法寺の新貫主には大河内と近しい執事長が就任していたため、清慶を支援すれば、全国に九ヶ寺ある大本山の貫主の全てに森岡の意向が届くことになるのである。

 森岡自身は、神村の夢を引き継ぐことを決意していた。

 神村の夢。

 それは、聖武天皇の御世、鎮護国家を祈念して全国の国府に国分寺、国分尼寺を建立した事例に倣い、日本社会と国民安寧、そして物欲に支配された日本人の心を取り戻すため、全国各地に一塔でも多くの多宝塔を建立する事だった。

 その夢の実現のためには、神村に代わる人物を探し出さなければならなかった。

 森岡は、それを榊原壮太郎の事業に期待していた。彼の事業に関与すれば、全国の多くの寺院を知ることになる。景山律堂や弓削広大、神村正胤も有力な候補として視野に入れつつも、森岡は幅広い見地から適任者を探すつもりでいたのである。

 プライベートでは、茜との結婚式と披露宴も行った。

 久田帝玄に仏式の導師を願い、神村正胤が晋山した経王寺で行った。披露宴は人数を制限し幸苑とした。その日、幸苑は臨時休業し、森岡洋介、茜夫妻の披露宴のみを取り仕切った。

 嬉しいこともあった。新しい家族の誕生である。

 茜は無事に女児を出産した。

 名として、茜は森岡の前妻・奈津美に肖って『菜摘(なつみ)』を提案したが、彼女の気遣いに感謝しながらも、それならばと森岡が胎児のために用意していた『愛夢(あゆ)』という名に落ち着いた。

 野島真一とクラブ檸檬の真弓こと町村里奈、南目輝と前杉美由紀はそれぞれ結婚式を上げ、住倉哲平と面高典子も婚約した。野島と町村は福地正勝夫妻が、南目と前杉は森岡洋介と茜が媒酌人となり、住倉と面高は榊原夫妻が仲人となった。

 坂根好之と池端敦子は入籍を済ませ、台湾の地で新婚生活を満喫している。結婚式と披露宴は台湾勤務を終えて帰国してから、洋介と茜の仲立ちで執り行う予定でいる。

 また、鴻上智之と吉永千鶴は復縁し、第二子を授かっていた。

 尚、新社屋ビルの一階にエトワールの二号店を開店し、南目美由紀に任せた。新大阪駅前ビルのエトワールはそのまま前杉恭子が仕切っている。


 さて仕手戦の顛末である。

 森岡は昨年の年明けから静かに近畿製薬の玉拾いを始めた。

 近畿製薬の資本金は約三百八十五億円、発行株数は約五億二千万株、浮動株は三十八パーセントの約二億株、玉拾い開始時点での株価は三百三十円であった。

 むろん、森岡自身が購入する愚行は犯さない。あくまで表に出ないから仕手というのであって、世間に知れ渡ってしまえば本来の意味での仕手ではなくなる。

 森岡は、玉拾いを石飛将夫に一任していた。石飛は、元関西の中堅証券会社に勤めていた。自身に仕手相場の経験はなくても、傍から嫌というほど見てきた経験がある。

 ただ、石飛一人では気配を消して玉拾いするにも限界がある。そこで真鍋高志と奥埜清喜に協力を願った。これもまた彼ら二人が直接株式を購入することはない。大阪西中島の共同ビル建設によって、森岡との交流は世間の知るところとなっていたからだ。

 真鍋興産にしても奥埜不動産にしても、一廉の企業グループである。彼らの意を汲んで行動する人物は少なからずいた。森岡は、その中でも二人から鉄板の信用が置けると推薦のあった三名と直接会って仕手戦の全容を披瀝し、協力を得ることで話が纏まっていた。

 当初森岡が、真鍋高志と奥埜清喜に金銭以外の協力を、と考えていたのはこのことだったのである。

 また、榊原を通じて全国の取引業者の中から、格別に信頼の厚い二名を紹介してもらってもいた。言わずもがなであるが、立国会の会員でないことが絶対条件であった。

 こうして、大阪を中心に東京、名古屋、仙台、広島、福岡に分散して、日に十万株あるいは二十万株と地道に集めた近畿製薬の株式は、神村の死期を知ったとき、すでに二千五百万株に上っていた。平均取得価格は、近畿製薬が薬害問題で業績が低迷していたこともあって三百九十円という安値であったが、それでも百億円近くを投入していたことになった。

 神村正遠の死が動かしがたいものであれば、勅使河原公彦と敵対する大きな理由は無くなってしまうのだが、すでに百億円を投じた以上、撤退すれば相当額の損失が見込まれた。

 ゆえに森岡は、その後も玉拾いを継続した。

 玉拾いの一方で、森岡は決戦に向けての布石も打っていた。

 神村が死去した年の瀬、森岡は右翼の首領・宗光賢治に面会を求めた。むろん、子息の賢一郎を伴ってのことだ。

 面談場所は赤坂の高級料亭・磯松である。

 森岡は、禅宗系道臨宗の大本山大平寺の丹羽秀尊管長の苦衷を救うべく、宗光賢治と面談して以降、三度もこの名店で彼と会っていた。

「引き続き、お世話になっております」

 森岡は席に着くや否や頭を下げて謝意を表した。

 道臨宗の壇信徒会である正法会に続き、浄土真宗系と日蓮宗系の檀信徒会の幹部をこの磯松で紹介されていた。もちろん、寺院ネットワーク事業拡大のためである。

「なんの。賢一郎を預かって貰っている礼だからな、何ほどのこともない」

「また、丸正の件もあらためましてお礼を申し上げます」

「なになに、あれもの、奥埜さんが丸正が考えていた額よりも高値で引き取って下された御蔭で俺の顔も立った」

 宗光が鷹揚に笑った。

 徳太郎から依頼された丸正が所有する銀座の商業ビルに二十五棟は、宗光と森岡の談合によって売買契約が成立していた。

 その際、宗光賢治は謝礼を一円も受け取らなかった。

 宗光賢治の息の掛かった整理屋は、丸正側と仲介料として売却金額の数パーセントを受け取る契約をしていた。宗光にはそこから口利き料と称する上納金が収められるのであって、買主側から金銭を受け取る謂れは無いのである。むしろ奥埜徳太郎が提示した買い取り額が、宗光の株を上げた形となったことで、彼は大いに感謝をしていた。

 宗光の目が鋭いものに変わった。

「今宵はどういう用件かな」

 森岡の方から面談を求めるということはよほどの案件のはずである。だが、賢一郎からは何も連絡がなかったことにわだかまりがあった。

 森岡は、勅使河原を引き擦り込んだ仕手戦計画を打ち明けた。この男に隠し事をしては協力を得られないという判断である。

 ふむ……、と宗光はしばらく沈思した後、

「二年前の意趣返しか」

 と訊いた。

 二年前、坂根好之は天真宗総本山の寺領である枕木山を探索中、虎鉄組に拉致された。森岡は彼の解放に五億円を支払ったが、その半金が勅使河原の手に渡っていた。

「全くない、と言えば嘘になるでしょうが、本来は神村先生のためでした」

 と、神村と瑞真寺門主の栄覚、そして彼に繋がる勅使河原公彦との確執を話した。

「なるほど」

 と肯いた宗光は、

「神村先生はお気の毒だったな」

 と哀悼の意を表した。

「恐れ入ります」

 森岡は素直に頭を垂れた。

「神村先生の死は、君にとって無念至極だったろうが、私にとっても痛恨の極みなのだ、森岡君」

 宗光は肺腑から絞り出したような声で言った。

「宗光さんが? どうしてそこまで」

 森岡は疑念の目を向けた。

 神村が偉大な宗教家であったことは事実だが、宗光とは深い交流があったとは承知していなかった。

 訝る森岡に、宗光は意外な事実を明かした。

「鬼庭の屋敷で初めて会ったとき、なぜこの場に来たのかという君の問いに、私は君の脳裡に浮かんだ人物だ、と答えたのを覚えているか」

「はい」

「誰のことだと思ったかな」

「奈良岡真篤先生では」

「そのとおり。実は、私は奈良岡先生の孫弟子に当たる。つまり、思想哲学上は君と同じ立場だということだ」

「ま、まさか……」

 森岡は驚愕した。

 宗光の師だった戦前の大物思想家南一誠は、一時奈良岡真篤に師事していたことがあった。その関係から、宗光は奈良岡真篤の後継者である神村正遠とも交誼を結んでいたと告白した。

「……」

 まさに、開いた口が塞がらないとはこのことだった。宗光賢治は神村からの連絡を受けて鬼庭邸に駆け付けたというのである。

――しかし、神村先生には誰が連絡したというのだ。

 森岡は神村の携帯番号を誰にも教えてはいなかった。むろん、京都の本妙寺か大阪天王寺の経王寺の電話番号はNTTのタウンページに記載されているが、神村は多忙の毎日を送っていて両寺に在院している時間は短い。

――本妙寺の執事が神村と連絡を取ったとでもいうのだろうか。いや、そもそも神村先生への連絡は固く禁じていた。坂根はもちろんのこと、輝とて俺の命に背いて両寺へ連絡はしないはずだ。

 森岡の脳裡には疑念が渦巻いていた。

「神村先生がお亡くなりになった現在、勅使河原の金は脅威ではあるまい」

 宗光の的を射た指摘が森岡を現実へ引き戻した。

「ですが、すでに百億ほど投じています」

「ここで撤退すれば損が出ると言いたいのか」

「はい」

「それは詭弁だな」

 宗光が咎めるような語調で言った。

「仕手戦を仕掛けるからには何か材料を握っているはずだな」

「……」

 森岡は黙って肯いた。

「ならば、頃合いを見計らってその材料を公表すれば、少なくとも損はしないはずだ」

 まさに図星である。森岡は近畿製薬の株を平均四百円弱で取得していた。この時点で抗がん剤の新楽開発成功という材料が公表されれば、少なくとも三倍には上昇すると見込まれる。

「ですから、遺恨が無いと言えば嘘になると申し上げました」

 森岡は平然と言った。

「相変わらずの面構えだな」

 宗光は、一旦誉めた後、

「だが、奴の資金量は半端ではないぞ」

 並大抵の材料では形勢不利は免れないと忠告した。

 森岡が用意した現金の総額は五百億円である。対して、立国会と勅志会を合わせた資金総額は五千億円と見込まれた。むろん、その全てを自由に扱えるわけではないが、最低でも一千億円、最大となると二千億円程度は投入できると考えなければならない。四倍という物量差は、仕手戦において致命的である。

「承知しています」

 それでも森岡は泰然としていた。

「材料の他にも何か秘策があるのだな」

「……」

 森岡は黙って肯いた。

「ほう、自身に溢れているな」

 宗光は目を細めると、

「相当な策のようだな」

「世間があっと驚くような……。ですが御容赦下さい」

 宗光にも明かせないと言った。

「良いだろう。それでこそ仕手戦というものだ。だが、俺に何をせよというのだな」

 宗光は核心に迫った。

「いざというときにの仲裁役をお願いします」

「なに、この俺に敗戦処理をせよというのか」

 宗光が気色ばんだ。

 いいえ、と森岡が首を横に振った。

「私が負けたときは潔く丸裸になります。お願いしたいのはその逆で、私が勝った場合に勅使河原を救って頂きたいのです」

「な、なんだと……」

 さすがの宗光が茫然として言葉に詰まった。

 遺恨ある勅使河原公彦を追い詰めておいて、救うとはどういう了見なのか森岡の腹の内が読めないのである。

「窮鼠、猫を……、いや勅使河原ほどの人物をネズミに例えるのはあまりに失礼ですね……、手負いの獅子ほど恐ろしいものはありません」

「なるほど」

 宗光は小さく肯いたが、

「君の言うとおり、仮にも勅使河原は獅子だ、虎だ。それも並のそれではない。だからこそ中途半端にしておけば、いずれ禍の元となるとは思わないか」

 暗に、好機があれば止めを刺しておいた方が得策ではないかと言った。

「残念ながら仕手戦に勝利しただけでは止めは刺せません」

 森岡は苦笑いをした。

 立国会の資産に甚大な損害を与えたとなれば、会長の座から引き摺り下ろされる可能性は高いが、個人色の強い勅志会での立場は、依然として安泰だと見なければならない。そうだとすれば、雌伏のときを終え、いつまた牙を剥けてくるかもわからないのだ。

「この先、復讐に怯えながら生きるのは憂鬱です」

「致命傷にはならない程度に矛を収め、恩を売るというのだな」

「ご賢察のとおりです」

「しかし、それでも勅使河原が君への怨念を捨てる保証はない」

 宗光は冷たく言い放った。

 森岡がにやりと笑う。

「そこで、先生に仲介役をお願いしたいのです」

 右翼の首領が仲裁人になるのだ。勅使河原とて簡単に和解の約束を反故にすることはできないというわけである。

「相変わらず、悪知恵が働くな」

 宗光は皮肉を言ったが、目は笑っていた。

「良し。その役目、引き受けよう」

 宗光は力強く請け負うと、

「万が一のときには、君の骨も拾ってやるから、思いっきりやるが良い」

 宗光は、森岡が敗北したときには、勅使河原に因果を含めると言った。

「それは……」

 森岡は驚愕の目で宗光を見た。

 何といっても、相手は立国会会長の勅使河原公彦である。しかも、森岡憎しで凝り固まっている。たとえ宗光でも、交渉は難航を極めるだろうと想像できた。

「さっきも言った通り、俺は奈良岡先生の孫弟子に当たる。今の俺があるのは南先生のお蔭だが、その南先生から自分が一廉の思想家になれたのは奈良岡先生のお蔭だ、と繰り返し聞かされていた。その奈良岡先生の血縁者に恩を返すのは人として当然の道である」

 と、神妙な顔つきで胸を張った。

 一転、宗光が表情を崩した。

「とは言うものの、それは君が生きるか死ぬかの窮地に陥ったときだぞ」

 と義理と利は別物だと付言した。つまり、首尾良く仕手戦に勝利したときの礼は頂くと、暗に催促したのである。右翼の首領に上り詰めるような男の駆け引きは、巧妙で万事抜かりが無い。

 むろん、森岡も端からそのつもりでいた。言葉は悪いが、この手の世界の住人相手に、無料(ただ)ほど高いものはないのである。

「失礼ながら先生は余剰金はいくらお持ちですか」

 宗光は、急に何を訊くのだという警戒感を顔に出した。

「他人の懐を覗き見してどうするつもりだ」

「倍にすることで、此度のお礼の代わりにさせて下さい」

 宗光は瞬時に頭を巡らせた。

「株の値鞘で払うと言うのだな」

 はい、と森岡は肯いて、

「倍ぐらいにはします。ただし、私の指示に従って頂きますし、投資の上限は十億とさせて頂きます」

 と釘を刺した。

 森岡は近畿製薬の株価を時価の倍にする自信はあった。つまり、宗光に提示した条件を達成する自信はあったのだが、此度の仕手戦はそこからが本番であった。

 森岡は、それ以降は高みの見物に徹せよ、と示唆したのである。

「承知した。それ以外のことは私の責任とする」

 宗光も森岡の意図を理解した。

「もう一つ……」

 と、森岡が言い掛けた言葉の先を、

「わかっている。鬼庭に勅使河原から誘いがあっても、断れというのだろう」

 と、宗光が奪った。 

「いいえ、それも逆です。鬼庭組長には、承諾した芝居をして頂かなければなりません」

 緊密な関係にあるはずの鬼庭組長が絶好の儲け話を断ったとなると、勅使河原に疑念が生じる恐れがある、と森岡は指摘した。

「うーん。そこまで考えるか。さすがだのう」

 と、宗光は目を細めた。

「鬼庭には重々噛み砕いて言い含めておこう」

「そちらも十億まで、とさせて下さい」

 森岡は、合わせて二十億円分の株式は手持ち分から融通するつもりだった。とはいえ市場外取引はできないし、クロス取引には注意が必要である。明らかに示し合わせた売買は違法となる可能性がある。森岡は自然な形で持ち株を売りに出し、宗光の買いに応じようと思っていた。

「それも承知した」

 と肯いた宗光が、

「それにしても、賢一郎」

 と叱責の色を含んだ声を掛けた。

「このような大事を知らせて来ないとはどういう了見だ」

「了見も何も、お父さんは私の判断に任せると言われたではないですか」

 賢一郎は反論した。

「連絡しないというのがお前の見解と言うのか」

「はい」

 賢一郎はすまし顔で言った。

「わずか一年で、この男に取り込まれてしまったか」

「社長は、お父さんが思っておられるより遥かに大きな方です」

「それが、ミイラ取りがミイラになった言い訳か」

 と言った宗光が、ははは……、と高笑いをした。

 森岡は親子の会話を驚きながらも羨ましく聞いていた。

 宗光賢治は、公然と息子賢一郎をスパイとして送り込んだと白状したのである。だが、なんとも親子の情に溢れた会話である。洋吾郎や洋一が生きていれば、自分もこのような会話ができたのだろうか、と亡き二人の面影を追いながら宗光父子を眩しそうに見ていた。


 それから一週間後、森岡は蒲生亮太と宗光賢一郎の二人を伴い、兵庫県西宮市のとある邸宅を訪れた。

 わざわざ二人と言ったのは、神栄会の影警護を避けたということである。宗光賢治をはじめ重要人物との面談場所は基本的に高級料亭である。時間をずらしたり裏門から出入りすれば、相手を隠匿することができた。京都のお茶屋吉力で九頭目弘毅を座敷に呼び入れたのは例外なのである。

 しかし、本人宅を訪問すれば誰に会ったのか一目瞭然で、森岡の意図が神栄会に筒抜けとなる。森岡は、此度の仕手戦は神栄会には秘匿するつもりでいた。

 故に、一旦箕面の自宅に帰宅した後、蒲生と宗光の二人を伴い、密かに訪ねたのである。ただし、蒲生と宗光は車の中で待機させていた。

「これは、ずいぶんとお久しぶりでした」

 出迎えた中年男性が笑顔で言った。

「こちらこそ、ご無沙汰をしておりました」

 森岡は深く腰を折った。

「いやあ、大変な出世をされたのです。お忙しいことでしょう」

 中年男性は、森岡の記者会見を引き合いに出した。

 この男性の名は、是井正樹といって伝説の相場師・是井金次郎の長男である。

 森岡は、秘策として仕手戦の総仕上げに是井金次郎の出馬を考えていた。金次郎とは森岡が大学時代に何度か飲食を共にしていたし、史上最大の仕手戦と言われている『住川金属』の攻防には森岡自身も関わりがあった。といっても、彼が仕手として金次郎の側に加わっていたという意味ではない。提灯を点けたのは事実だが、森岡は金次郎の手駒として指示通りに売買をしていたに過ぎなかった。

 それでもその関係で正樹とは頻繁に会っていた。

 此度の森岡の手配りは、言わばそのとき学習したことを生かしたものなのである。

「時代の寵児が、いまさらこの家に何の用事ですかな」

 皮肉に聞こえるが、正樹にそのような意図はない。純粋に森岡の活躍を喜んでいるのである。

「実は、先生にご相談したいことがありまして」

 森岡の言葉に正樹の顔が一瞬にして曇った。

「親父に……、それは相場ということでしょうか」

 はい、と森岡は肯いた後、

「先生はご健勝でしょうか」

 と恐る恐る訊いた。

 森岡にはある懸念があった。

 十五年前の史上最大の仕手戦に勝利し、数百億円の巨利を得た是井金次郎は、英気を養うためかその後しばらく相場の世界から遠ざかっていた。

 そして八年前、再び兜町や北浜を席巻し始めたと思いきや、三年前忽然として姿を消していた。

 森岡は身体でも壊したのではないかという危惧を抱いていた。

「身体の方は大丈夫なのですが、頭の方がちょっと……」

「頭? 」

 森岡は暫し沈思した後、

「失礼ですが、認知症ということですか」

 と遠慮がち訊いた。

 正樹は、ゆっくりと顎を引いた。

「五年前に発症しまして、しばらくは落ち着いていたのですが二年後には中度まで進みましたので、相場の世界から身を引いたのです」

「今はどのような」

 具合なのか、と訊いた。中度の認知症というのがどういう症状なのか理解できなったし、それからさらに三年も経過している。どの程度進行しているのか気になった。

「昔のことはかなりの部分を覚えていますが、現在は……」

 正樹は、虚しく首を横に振った。何度も何度も同じ言動を繰り返すというのである。

「そうですか……。ご家族も大変でしょうね」

「排泄はまだ自分で出来ますし、徘徊もしませんのでまだましですよ」

 正樹は弱々しい笑みを浮かべた。

「先生はご在宅でしょうか」

 当てが外れた森岡であったが、せめて挨拶だけでもして辞去したいと願った。

 正樹は応接間を出ると、しばらくして金次郎を伴って戻って来た。

 是井金次郎は八十二歳。なるほど、しっかりした足取りから身体の方は問題ないようである。

 森岡は席を立って頭を下げた。

「先生、お久しぶりです」

「おう、森岡君か」

「覚えていて下さいましたか」

 森岡の顔に喜色が宿ったが、それも一瞬のことだった。

「報告、ご苦労じゃ。して値動きはどうなっておる」

「値動き、ですか」

 森岡は正樹を見た。

 正樹は目顔で合図をした。

「値下がりしてはいないだろうな」

 金次郎は怯えるような眼をして訊いた。

 正樹の表情と重ねれば、どうやらどこかの証券マンと間違えているらしい。

 森岡は子供に言い聞かせるように、

「先生、今日のところは大丈夫です。何かありましたら、直ちにご報告に上がります」

 と言った後、辞去しようと正樹にも目礼して腰を上げたときだった。

 驚愕の言葉が森岡の耳に飛び込んで来た。

「買いじゃ、森岡君。近畿製薬を買って買って、買いまくるのじゃ」 

 と、金次郎が喚いたのだ。

「近畿製薬、なぜ……」

 森岡は思わず声を上げた。。

――なぜ金次郎が、近畿畿製薬仕込みの秘事を知っているのか……。天才相場師特有の勘が働いたとでもいうのか。

 森岡は怪訝な眼差しを向けたまま立ち竦んだ。

「近畿製薬、森岡君、近畿製薬だ……」

 と、金次郎は繰り返し呟いている。

「本日の相談とは近畿製薬のことでしたか」

 金次郎を宥めながら正樹が察したように訊いた。

 森岡は黙って肯くと、

「これはどういうことでしょう」

「親父のトラウマなのですよ」

 正樹は四十五年前に金次郎が味わった屈辱の敗北談を話した。

 戦地から帰国した金次郎は、大阪の証券会社に就職した後、三十三歳で相場師として独立した。

 二年間の資金集めを終え、満を持して手掛けたのが近畿製薬だった。だが、買い方だった金次郎は敗北し、当時の金で五億円の損失を被った。昭和三十年、一九五五年の大学卒業者の初任給は約一万二千円。二〇〇〇年のそれは約二十万円である。消費者物価指数の問題があるので単純には比較できないが、三十億円以上の損失だったと推定される。

 損失はそのまま借金として残った。三十五歳だった金次郎のその後の苦難が想像できるというものだろう。

「私は五歳でしたが、親父の頭が一晩で白髪になったのを鮮明に記憶しています」

 人間は、とてつもない悲劇や恐怖を感じたとき、黒髪の色素が抜け白髪になるいわれている。

「それで、近畿製薬の名が脳裡に刻み込まれているのですね」

 と言った森岡にある思いが閃いた。

「当時、近畿製薬を手掛けられた理由は何だったのですか」

「私が大人になってから聞いたのですが、新薬開発だったそうです」

――新薬開発……。

 森岡は、是井金次郎との間に深い因縁を感じながらも、最後の手立てを得られなかったことに大きな不安を抱いて是井邸を後にすることになった。


 それから四ヶ月後の二○○○年二月。

 いかに静かな玉拾いでも、さすがに株価はジリジリと値を上げて行き、東京兜町や大阪北浜では循環相場を離れ、どこかの手が入ったのではないかと噂が広まり始めた。

 勅使河原公彦もそのきな臭さを嗅ぎ付けた一人だった。

 彼は、さっそく口座を持つ証券会社の担当者を呼び出して問い質した。

 すると、纏まった買い手口は東京、大阪、仙台、名古屋、広島市、福岡で、証券会社も投資家もそれぞれ別人であると告げた。

 勅使河原は、却ってそこに違和感を感じた。調和の取れ過ぎた買い手口に、周到な絵図を描いている人物の存在を意識したのである。

 さすがは二代目とはいえ、三百五十万人もの構成員を誇る巨大檀信徒会を率いているだけの男である。勅使河原は、口座を持つ他の証券会社の担当者にも連絡を入れし、六人の大口投資家の共通点を調べさせた。

  丸種証券株式部の井筒孝之もその中の一人である。

  森岡の仲間に加わって半年後、井筒は無事結婚式を挙げていた。相手は江戸末期創業という京都の老舗呉服店の箱入り 娘である。

  森岡は約束どおり、その井筒の結婚式披露宴に出席した。それも自身だけでなく、法国寺貫主の久田帝玄と味一番株式会社の福地正勝にも出席を願うという配慮までした。

  新婦側の家族親族は驚愕した。今を時めくIT企業の若き成功者と、日本を代表する食品会社の社長は理解できなくもなかった。新郎が証券会社勤務ということから株式売買が絡んだ関係だと推測されるからである。

  だが、寺社銀座といわれる京都においても十指に入るであろう名刹の貫主、しかも我が国最大級の仏教宗派天真宗において、影の法主とも噂のある久田帝玄との関係には理解に苦しんだ。。

 実は、森岡は井筒を法国寺の護山会に入会させていた。大宗派天真宗において、総本山真興寺に次ぐ別格大本山法国寺の護山会ともなれば、そうそう簡単に入会できる組織ではない。ある程度の社会的地位にある者か、もしくは長年の敬虔な信者に限られている。客観的に判断すれば、とうてい井筒孝之に入会の許可が下りるはずがなかったが、森岡の推薦があれば別ということなのだ。

 また森岡は、味一番の余資運用の一部を丸種証券に扱わせるよう福地正勝に依頼し、快諾を得た。金額は二十億円、味一番の余資運用資金の一パーセントである。非上場企業のオーナー社長である福地にすれば然したることではないが、業界中堅の丸種証券にしてみれば、大きな顧客の獲得であった。むろん、担当は井筒を名指しした。

 森岡が久田帝玄の法国寺貫主就任の立役者であること、福地正勝がかつての岳父であることはもちろんのこと、そもそもが森岡と井筒の盟約など知る由もない新婦側の家族親族であれば、思いも寄らぬ新郎の交友関係に感嘆するしかなかった。まさに井筒の面目躍如というところである。


 その日、井筒孝之が会ったのは立国会の投資担当者の一人の三好啓二(みよしけいじ)という男だった。

 立国会の関西手口は名越三郎証券がメインで、丸種証券はサブ的な役割だった。そこで三好は、まず名越三郎証券に探りを入れ、株式部長の逸見から、買い手が石飛将夫という元丸種証券の社員であること、そして肝心の仕手は神栄会であることを聞き出していた。

 思わぬ大物仕手の正体に、三好はすぐさま勅使河原公彦に報告した。この場合の大物というのは巨額資金を扱えるという意味ではなく、裏組織としての貫目である。同じ神王組傘下でいえば資金量においては京都の一神会が群を抜いていた。

 報告を聞いた勅使河原の脳裡に真っ先に浮かんだのが森岡だった。

 神栄会は神王組のきっての看板組織である。しかも会長の寺島龍司が本家神王組六代目の若頭に就いたことから、押しも押されぬ中核組織になっていた。その神栄会の資金を石飛などという小物が扱えるわけがない。これまでの両者の結び付きから、必ずや森岡が一枚噛んでいると勅使河原は直感した。

 そうであるならば、すぐにでも売り方に回って森岡を叩き潰し、留飲を下げたい衝動に駆られた勅使河原であったが、そこは逸る気持ちをぐっと抑え、三好啓二に森岡が絡んでいる確実な証拠を掴むよう調査を命じた。

 万が一、森岡が関係していないとなると、神栄会を敵にするのはあまりに都合が悪い。敢えて最強武闘派集団の神栄会に敵対してでも……、という覚悟は、ひとえに森岡に辛酸を舐めさせたい一念があるからなのだ。

「私に何の御用でしょう」

 井筒孝之は恐縮そうに言った。立国会の資産運用部は世間に名の通っている組織である。そのため丸種証券での運用資金は少額だったが、将来に期待して証券部長が直々に担当していた。主任に過ぎない井筒の当惑は自然であった。

「部長から聞いたのだが、石飛という元丸種の証券マンが、在職中に一番可愛がっていたのが君だと言うのでね、話がしたくなった」 

「石飛? 先輩が何か」

 井筒は不安の滲んだ声で訊いた。

 三好はその問いには答えず、

「今でも彼と連絡を取っているかい」

 と訊き返した。

「一ヶ月前でしたか、電話がありました」

「どこで何をしているのかな」

 井筒が疑念の目を向けた。

「先輩の何を知りたいのですか」

 と重ねて訊いた。

 しかし、三好はそれにも答えず、

「君は、近畿製薬に手が入っているのを知っているかな」

 と再度訊き返した。

「そのような噂は耳にしています」

「その仕掛け人が石飛だという話が伝わって来ている」

「まさか、そんなはずがありません」

 井筒は即座に強く否定した。

「ほう。なぜ断言できるのかな」

「三好さんはご存知かどうか知りませんが、石飛先輩は会社の金を横領してクビになったのですよ。その後は、西成で日雇いの仕事をしていたとか、故郷に帰って漁師をしていたと聞いています。とてものこと……」

 仕手戦の資金を調達できるような境遇ではない、と首を横に振った。

「それが、石飛の背後には神栄会がいるという噂もある」

 名越三郎証券の逸見は、石飛将夫がが神栄会若頭の峰松重一と密談している、と梅田のプリンストンホテルのフロントから聞き出したことを三好に報告していた。

「神栄会ですって」

 井筒は思わず声を上げた。

「おいおい。声を抑えろ」

 三好があわてて窘めた。

「す、すみません」

 井筒は首を竦める。

「それはますますおかしな話です。先輩が暴力団と関わることなど、絶対にありえません」

「誰かが間に入っているということはないか」 、

「間に? 今も申しましたように、先輩は不始末を犯して会社を首になったのですよ。丸種(うち)は外聞を繕いましたが、業界内には知れ渡っていると思います」

 井筒は言外に、証券等の金融商品を扱う外務員は信用が第一である。不祥事を犯して首になった人間など、相手にされるはずがないと言ったのである。

「なるほどの」

 三好が得心の肯きをしたときだった。

「あっ」

 と、井筒が小さく叫んだ。

「どうした」

「もしかしたら……」

 と言って井筒は手を顎に当てて考え込んだ。

「何でも良い、何か思い付いたのであれば言ってくれないか」

「石飛先輩の故郷は確か、島根半島の浜……、浜なんとかという漁村でした」

「それが」

「今売り出し中のウイニットの森岡社長も、島根半島の漁村出身だと何かの雑誌で読みました」

「な、なんだと」

 今度は三好の声が上ずった。

 井筒が懐疑的な目を向けた。

「仮に、森岡社長が仕手の黒幕だとして、立国会はどうしようというのですか」

 核心を突く問いに、三好は一瞬戸惑ったが、

「勝ち馬に乗るのが勝負事の常道だろう」

 と、森岡との共闘を示唆した。

「残念ながら、私は指を咥えてみているしかありませんね」

 井筒はいかにも口惜しように言った。

 証券会社の社員は、自社に口座を作って株式の売買自体は可能であるが、証券業協会のルールで投機目的の売買はできない。オプションや信用取引も禁じられていた。何をもって投機的かは証券各社で判断されるが、購入から半年以内は売却できないというのが一般的である。

「良い情報を貰った。これは少ないが……」

 と、三好は現金を渡そうとした。

「いえ。それは受け取れません」

 井筒はきっぱりと断った。

「いや、君に頼みがあるのだ」

「どのような」

 怪訝そうな顔をした井筒に、

「森岡社長が近畿製薬の仕手に絡んでいるという確実な証拠を掴んで貰いたい」

 その方が安心して相場に参加できる、と三好は言った。

「……」

 井筒は暫し沈思した。

「石飛という男の口から聞き出せないものだろうか」

「事が事だけに、約束はできませんが」

 出来る限りのことをすると井筒は引き受けた。

「では、この金を受け取ってくれたまえ」

「いえ、お金は結構です。その代わりと言ったら恐縮ですが、立国会さんが当社で取引を拡大される際には、私も担当者の一人として加えて貰えれば有り難いです」

 と頭を下げた。

「なるほど、現金を受け取るより、社内での評価を上げた方が良いというのだな」

 はい、と井筒は肯いた。

「わかった。近畿製薬で儲けが出れば、丸種での取引を拡大し、担当者には君を加えるよう勅使河原会長に進言しよう」

 と、三好は請け負った。

 

 井筒孝之から報告で、首尾よく網に掛かったことにほくそ笑んだ森岡は、折を見て石飛から自身との関係を聞き出した旨の連絡を入れるよう井筒に指示した。

 東京に戻った三好は意気揚々と勅使河原公彦に報告した。

 勅使河原は、さっそく調査員を雇って森岡と石飛が島根半島の浜浦という漁村の出身だということを突き止めた。さらに、仙台と広島の証券会社の手口に、小口ながら石飛将夫の名を見つけていた。

――森岡と神栄会の結び付きの他に、森岡と石飛、石飛と神栄会が繋がっていた。近畿製薬の買仕手本尊は森岡に違いない。

 そう確信した勅使河原だったが、彼にはもう一つ確認しておくべきことがあった。近畿製薬を買い占める理由である。むろん、単に値鞘を稼ぐだけの目的であれば、特別な材料は必要ない。だが、森岡ほどの男である。もし大きな買い材料を森岡が握っているとすれば、勅使河原とて容易に売り手に回ることはできない。

 勅使河原は、もう一度三好啓二に近畿製薬についての詳細な情報を集めるよう指示した。

 指令を受けた三好は、これ以上の関西での情報収集を避け、東京一本に絞った。関西は森岡のお膝元である。どこでどう森岡の目が光っているか知れたものではない。

 近畿製薬は関西本社の会社であったが、東京証券取引所にも上場していることから、重要な材料であれば、収集可能だと判断した。

 三好は立国会が手口として使っている証券五社の担当者と個別に会って、近畿製薬の内部情報を聞き出さしたが、これといって株価上昇となる好材料はなかった。

 五人は、

『この十数年来、近畿製薬は新薬開発を継続しているが、依然として目途が立っていない。少なくともこの一年以内に開発成功と言うことはありえない。むしろ、薬害保障が大きな負担となって会社更生法を申請する可能性の方が高い』

と口を揃えた。

 さらに、井筒孝之の調査結果を三好啓二から受けて、ついに勅使河原は売り仕手に回る決意を固めた。

 勅使河原には十分な勝算があった。

 仕手戦において、資金量の豊富な方が有利であることは明白である。しかも短期決戦に持ち込めばなおさらである。勅使河原は、たとえ森岡が何か材料を握っていたとしても、それが世間に公表される前に決着を付けれは問題が無く、近畿製薬に材料が無いのであれば、ますます有利だと読んでいた。

 言うまでもなく、短期決戦とは六か月以内を指す。売り手ということは信用取引になるので、六か月後の期日には必ず決済に応じなければならない。信用売りであれば、買値が売値を下回っていれば問題がないが、上回っていたとしても損を承知で決済しなければならない。しかも、決済買いが値段を押し上げる要因になるわけだから、まさに地獄と化すのである。これを『踏み上げ相場』という。

 もちろん決済を繰り返しながら、相場を継続する場合もあるが、勅使河原は機を見て一気に決着を図る腹積もりだった。

 勅使河原は、虎鉄組の鬼庭徹朗には声を掛けなかった。虎鉄組の資金を当てにしなくても十分勝算があったことと、事を極秘裏に進めたい思惑が重なったためである。

 勅使河原は、森岡の信用買いの手口を見て周到な売りを開始した。

 このときの近畿製薬の株価は七百二十五円だった。


 実は、この静かなる闘争にはもう一人参加者がいた。

 誰あろう、森岡と因縁深い筧克至である。

 帝都ホテルにおいて、からくも森岡の捕捉から逃れた筧は、地元大阪の実家に戻り息を潜めて暮らしていた。

 関西は、言わば森岡の縄張りである。目立った動きはできなかった。当然、ウイニットの社員の中にも立国会の会員はいたが、鴻上智之を使って罠を仕掛けたほどの森岡である。どのような網が張り巡らされているとも限らないと慎重になっていた。

 そのような折、立国会の三好啓二から連絡が入った。

 この二人は、以前から持ちつ持たれつの関係にあった。年は三好の方が一回り上だが、立国会主催の会合で知り合い交流を深めていった。その後、立国会の余資運用に携わっていた三好は手掛ける銘柄情報を筧に流し、筧はその情報で得た利益の一部を三好にキックバックするという関係になっていた。

 筧は二億円の資産を所有していた。大学生時代からアルバイトで金を貯め、社会人となってからも極力浪費を避け、給料の大部分を投資に回していた。三好からの情報を元に手堅く利益を積み重ねて蓄えた資金は、いずれ独立したときの資本にするつもりだった。

 ただ筧は、安直に事業投資するつもりはなかった。彼にとってはなけなしの金である。できるだけ、他人の褌で相撲を取ることに徹した。寺院ネットワーク事業を盗み取ろうとした際にギャルソンの柿沢康弘や吉永幹子に、その後鴻上智之にも出資を願ったのはそのためだった。

 その慎重居士の筧が、全財産を投資する決意をした。

 勅使河原が森岡を相手に相場を張ると三好から聞いたとき、憎き森岡が辛酸を舐めさせられるのを横目に見ながら、自身の資産を増やすことができると思ったのである。

 立国会の余資運用資金は巨額である。加えて勅志会の資金もある。森岡がいかにウイニットの上場で創業者利得を得たとしても、二十分の一にも満たないはずである。

 誰の目にも勅使河原の圧勝だと思われた。

 しかし森岡の力量を肌で知る筧は、さらに相場を有利にするべく大胆な行動に打って出る。

 筧はかつての飲み仲間の塩見と会った。野島真一と結婚した町村里奈のヒモだった男で、森岡が手切れ金を渡し彼女から手を引かせた経緯があった。

 塩見は金融屋だったが、筧の目的は彼自身ではない。塩見は神栄会傘下の街金の社員にすぎない。正面切って森岡と敵対できるはずもないし、そもそもが扱っている資金量は知れている。

 筧が期待したのは、金融屋としての塩見と一神会との繋がりである。一神会は経済ヤクザである。金融業一つとっても、扱っている多寡は桁が違うし、幅も広い。対立する組織の傘下企業であっても、個人的な繋がりがある可能性は高い。

 また、一神会会長の沖恒夫は、蜂矢六代目の若頭の座を巡って、神栄会の寺島龍司と争い一敗地に塗れていた。筧は、一神会はその屈辱を晴らす機会を狙っているはずだとも推量していた。

 はたして塩見は、同じ金融屋として親交のあった一神会傘下の男を通じて幹部に筧を紹介した。

 一神会は筧の話に乗った。

 寺島龍司の神王組若頭就任の裏に森岡洋介の関与があったことなど知る由もなかったが、神栄会を痛い目に遭わせることができれば、多少の留飲は下がるというものだ。

 とはいえ、一神会は投入する資金を最大三百億円までとした。一神会の国内資金は約三千億円あったが、全てを投入するわけにはいかなかった。当局の監視の目もさることながら、一神会の介入が露見し、神栄会との関係悪化が抜き差しならなくなる事態は避けなければならなかった。

 何といっても、神栄会は神王組の中核組織である。寺島龍司の神王組七代目襲名も規定路線である。一神会としては、事が露見したとき、言い訳が可能な金額に抑える必要があったのである。

 尚言うまでもないが、この仕手戦に神栄会は一切関わっていない。勅使河原も筧も、森岡の策略に嵌っていただけである。


 森岡は勅使河原の売りを察知すると、一転大量の買い注文を出して値を上げる作戦に出た。

 理由は二つ。

 一つは株を上げて勅使河原の売りを誘い込むため、もう一つは、宗光賢治と交わした株価を倍にする約束を実行するためである。宗光の平均購入株価は四百七十円前後とみられた。時価は六百八十円。宗光との約束を守るためには、一千円近くに上げる必要があった。

 森岡は成り行き買いで二千万株の注文を出した。

 株価が連日のストップ高を付けながら一千円近くになったところで、宗光に持ち株の売る売却を指示した。むろん、宗光が素直に応じたかどうかは確かめようもないが、森岡としては約束を果たしたことになる。

 宗光から売却が終了したとの報を受けた森岡は、一旦買いを手控え様子見に入った。株価は買い方の提灯が付き、一時千二百円まで上昇したところで、一転大幅安に転じた。

 勅使河原の本格的な信用売り(カラ売り)介入があったのである。

 この一気の下げに買い方の思惑買いが膨らみ、つれて売り方の提灯も厚みを増していった。

 ここにきて森岡には二つの誤算が生じていた。

 一つは、勅使河原が森岡の想像以上に仕手戦に長けていたことである。彼は、その後は一気の下げを演出せず、下がれば手を休め、上がれば売るという手法を繰り返し、少しずつ平均売値単価を上げていった。

 もう一つ、新薬開発成功という朗報が届かなかったことである。

 森岡にとって株価上昇は事態は好都合だったが、一方で一進一退の膠着状態に陥ったことは致命的だった。資金量で劣る森岡が勅使河原に勝利する方法は、大量の提灯買いを呼び込むこと以外にはなく、新楽開発はまさにそのための好材料となるはずだった。

 だが、森岡の耳に朗報が届くことはなかった。

 森岡は、医療ジャーナリストの蟹江と近畿製薬経理部所属の猪俣からの情報を突き合わせ、新楽開発成功間近と読んで本格的な買いに出たのだが、その時期の判断を見誤ったのである。彼にとって大きな誤算であり、失策だった。

 しかして森岡は、ジリジリと土俵際まで追い込まれ、ついに片足が徳俵に掛かってしまった。

 一言で言えば、玉切れとなったのである。手元には百億円が残っているものの、今後の追加保証金、いわゆる追証を考えれば、応分の現金は残しておかなければならなかった。

 勅使河原は、機を見るに敏の如く、ここぞとばかり一気呵成の売りに出た。森岡以外にも買い方の手は入っていたが、勅使河原の豊富な資金は難なく買い玉を熟した。そして株価は、千五百二十円を天井に、連日の大幅安の展開になり、とうとう千円を割った。

 森岡の平均取得価格は八百五十円。追証用に現金百億円を確保していたが、保証金率と建玉総額から計算すると、六百円が新たな追証発生の分岐点だった。むろん、百億円で近畿製薬の株式を買い、それを担保にすれば買い余力は増すが、勅使河原を相手にその程度は焼け石に水である。

 また、相場が過熱したことにより近々信用規制される可能性が高く、場合によっては日本証券金融に一定の現金を担保として差し出さなければならなくなる。そのためにも手元には現金が必要だった。

 この時点で計算すると、勅使河原の売りペースが今後も同じであれば、一週間ももたないと推察された。

 何としても新薬開発成功の報か、それに匹敵する強力な材料が必要だった。


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