第42話

「あたし、これでも踊りは姐さんたちに負けてないのよ」


 私が階段の残りを降りていくと、薇薇ははち切れそうに太った石榴(ざくろ)色の旗袍の胸をパンと叩いた。


「達哥も」


 私も釣り込まれて笑った。


「踊りは薇薇に教えてもらえって」


「やっぱり、そうでしょ!」


 薇薇は紅を塗り過ぎてテカテカになった口を大きく開けて笑った。


「莎莎(シャシャ)!」


 階下の部屋に足を踏み入れると、薇薇は奥に向かって呼び掛けた。


「新しく入る子よ」


 薇薇の石榴色の肩越しに、薄い水色の影が目に入る。


「初めまして」


 笑顔を作ると、薇薇の向こう側に立つ相手を窺う。


「莉莉(リリ)です」


 あ……。

 声には出さないが、笑い掛けた唇が引き吊るのを感じた。


「莉莉、ね?」


 薇薇の姿を現した水色旗袍も、蒼白い顔にぎこちない笑いを浮かべて繰り返す。


「あたしは、莎莎っていうの」


 まるで聞かれるのを恐れる風に、相手は早口の小声で名乗る。

 互いに口には出さないが、私と莎莎は一見して顔も体つきも良く似ていた。


「どこから来たの?」


 莎莎は俯いたまま、ぽつりと問い掛ける。

 肉の薄い、赤みのない耳朶(みみたぶ)から下がった青碧(あおみどり)の珠(たま)が微かに揺れる。

 透き通った淡い色合いの珠は、蒼白い横顔を品良く見せてはいたが、明らかに偽石だ。


 ――耳朶が平べったいのは金運に乏しい相。


 昔、母さんにそう聞いた気がする。


「蘇州です」


 私の耳朶は母さんやこの子と違ってぷっくりしているけれど、バッグの中には花束を買うだけの持ち合わせもない。


「あんたもなんだ」


 莎莎は目を落としたまま、青碧の耳飾りを微かに揺らして笑った。

 どうやら、こちらも蘇州娘らしい。

 俯いた顔の下の、水色の旗袍の胸は膨らんでおり、お尻もちょうど良い格好に肉付いていた。

 上から下まで平たい体つきの私より、この子の方が、多分、「女」としては上等な部類だろう。

 そう思って、改めて莎莎の横顔を眺めると、私より一(ひと)へら肉を削いだ様な頬といい、紅を大人しく引いた口許といい、二つ三つ年上に思えてきた。


「あたしも同じ」


 言わなくても分かるでしょ、という風に莎莎は目を伏せたまま、呟く風に付け加える。

 私が苦笑いしたら、人目には、これより頼りなく映るんだろうな。


「あたしは蕪湖(ぶこ)!」


 薇薇が私たちに近付いて来て、囀(さえず)り声を出した。


「蘇州よりもっと遠いけど、いいとこよ」


 蕪湖に行ったことはないけど、はち切れる寸前の石榴みたいな薇薇がそう言うと、本当にいい所に思える。


「幾(いく)つなの?」


 いつの間にか顔を上げていた莎莎がまた尋ねる。


 明らかに身の丈に合わない橙(だいだい)色の旗袍から分不相応にきらびやかなビーズのバッグに目を留めると、莎莎の瞳が訝しげに私の顔に戻った。


 ――どうして、あんたがそんな物を持ってるの?


 その目は明らかにそう告げていた。


「十(じゅう)……八(はっ)歳です」


 今度はこちらが目を逸らす番だった。

 もう、この嘘には吐き慣れた筈だったのに。


「今は、蓉姐のお宅でお世話に……」


 言葉にしてから、余計なことを言い出してしまったことに気付く。

 莎莎は、今度は急速に固まった面持ちでこちらを見詰めていた。


「じゃ、皆、同い年だね!」


 薇薇はドングリ眼にいたずらっぽい笑いを浮かべて私たち二人を見やると、

 それから少し声を落として付け加えた。


「練習しよ」

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