最終話 それぞれの道へ

「どうした、佐々波さざなみくん? 緒方おがたくんから連絡が途絶えたのかい?」


 合羅ごうらは佐々波の座る席の横にパイプ椅子を置き座っていたのが、中腰姿勢になった。


 佐々波は眉間に深いしわを寄せ、机上の通信装置に向かって緒方を呼び続ける。


「いえ、電波の乱れはありませんが」


 言いながら部下に命令を下す。


「おい、木下きのした金生山きんしょうざん近辺の霊波はどうなっている。至急調べるんだ」


「はい!」


 女性職員が機器を操作しながら振り向く。


「副長、結界けっかいはまだ張られております。ただ敷次郎しきじろうの霊波がすべて消えているのと、疫鬼えききが発していた霊波も消失してますっ」


 佐々波は合羅と視線を合わせる。佐々波は念を押すように、木下に問うた。


「間違いなく、消えているんだな」


「はい、間違いありません」


 木下は即答した。

 合羅が首をかしげ、木下に訊く。


「よもやと思うけど、天狗筒てんぐづつを使った、なぁんて気配はないかい?」


「ありません。現在把握できるのは、怪しげな結界だけです」


 中腰姿勢だった合羅は「どっこらしょ」と掛け声をかけ、パイプ椅子に腰を降ろした。


「長官、これは疫鬼を討伐できた、と考えてよろしいのでしょうか」


「そうさねえ。今までのあたしの経験に寄れば、そういうことになるかなあ」


 その言葉に、緊張に包まれていた作戦指揮室にホッとした空気が流れた。


「警戒レベルを五から二に引き下げ、各地方の保安官に待機指示解除を伝えよ」


 佐々波の指示に、室内は連絡する担当者たちの声でざわめいた。


「ところで長官」


「はいなぁ」


「私は敷次郎の行動が気になっているのですが」


「直接訊くわけにゃあ、いけないからね。ここからは、あたしの仮説だけどもさ」


 佐々波は無言でうなずく。


「元々金生山にいた敷次郎は、多分疫鬼が復活する際に取り込まれたんだと思うよ。本来の疫鬼は分身を作ったとしても、その分身は分裂するなんて古文書には無いって言ったよね。それに敷次郎の特性じゃないか、分裂は」


「なるほど、そうでしたね」


「金生山の敷次郎が外来の妖物に取り込まれたとあっちゃあ、この国に存在する他の敷次郎たちは黙っちゃいないだろうよ」


「そのためにO市オーしに集結したと、お考えですか」


「仮説だけどね。そこへ緒方くんたちがちょうど当たっちゃったもんだから、敷次郎たちは襲いかかったとね」


 合羅は遠くを見つめるように、目を細める。


「なるほど。それで疫鬼が消えた途端、敷次郎たちは元の土地にもどっていったと。そういうことですか」


「だからさ、あくまで仮説よ。詳しくは情報分析部にお願いしようさ。

 そうそう、もう一度緒方くんを呼んでみたらどうだい」


 合羅の声に、佐々波はうなずく。


「隊長、緒方隊長、こちら作戦指揮室の佐々波だ。聴こえているか」


 緒方のインカムに佐々波から通信が入っている。緒方は珠三郎たまさぶろうの頭部を見つめたまま、茫然としていた。


「や、藪鮫やぶさめの、こいつはいってえ」


「ええ、この方たちが活躍してくれましてねえ」


 目元のゴーグルを上げ、藪鮫は言った。


「活躍って、今見たぞ! 髪の毛の束がズルズルって這ってきて、頭に登るのを」


 緒方は相槌を求めるように、金剛寺こんごうじを振り返った。金剛寺はため息をつきながら、軽く頭を振った。


「隊長、それよりも副長から呼び出しが入ってますよ」


「うん?」


 緒方は目を見開いてヘルメットの耳の部分を叩いた。


「どうした! 何かあったのか!」


 佐々波の厳しい声がようやく頭に響いてきた。


「あ、ああ、こちら緒方です」


 緒方はフーッと深呼吸をして、顔を上げる。


「いえ、ご心配には及びません。どうやら疫鬼は消滅したか封印されたかして、危機は去った模様であります。ああ、それと民間人に関してですが」


 言葉を切り、珠三郎をちらりとふり返り続けた。


「現在四名の無事を確認しております。ただし、当初この地に何名いたのかはまったくわかっておりません」


 藪鮫がいつもの飄々ひょうひょうとした感じではなく、極めて厳かな声で言った。


「副長、私が把握しているだけで、二十名ほどの人間が疫鬼の犠牲になっております」


 沈黙が広がった。佐々波は重い声で告げる。


「そうか、犠牲者がでてしまったか。了解した。それについては長官から総理にご報告いただき、後のことはこちらに任せてほしい」


 検非違使庁けびいしちょうのメンバーはやるせない憤りを、それぞれの表情に浮かべている。


 五条ごじょうは藪鮫の言葉を聞きながら、つぶやいた。


「いくら悪人でも、やはり命の重さに変わりはない。残念だ。ただ小笠原おがさわらや配下の連中がいなくなったことによって、新たな希望の風がこのO市に吹く。それだけが唯一の救いだがな」


 緒方は細かな打ち合わせを佐々波と取り、いったん通信を切った。


「とりあえず万々歳ってえわけにゃあならなかったが、もし疫鬼がそのまま町へ下っていったら、こんな犠牲じゃあすまなかったってことは事実だ。

 さあってと。我々の出番はここまでだ。今後は藪鮫を中心に、処理班にお任せしようか。

 頼んだぜ、藪鮫の」


「了解です。漆黒の鷹しっこくのたかのみなさんが来ていただいて、助かりました。お気をつけてご帰還ください」


 藪鮫は緒方たちに敬礼する。


「おっと、忘れるところだったぜ。おい、祀宮まつりみや七宝しちほう


 女性隊員二人は顔を上げた。


「せっかく藪鮫保安官殿にお会いできたんだ。お願いしろ」


 二人は顔を見合わせた。


「一緒に写真を撮ってください、ってよ」


 祀宮と七宝は嬉しそうに頬を赤らめ、胸ポケットからスマホを取り出すとせりと金剛寺に渡す。

 緒方はため息をつきながら、藪鮫の肩を叩いた。


「お疲れのところ、済まねえな。こいつらが明日からまたやる気が出るようにさ、頼むわ」


 藪鮫はにっこりと微笑んだ。

 緒方はナーティたちを振り返り、言う。


「今回は民間人のあなたがたの活躍によって、被害を最小限に食い止めることができました。ただ今回の件については、上層部により情報統制が敷かれます。したがって新聞やテレビにニュースとして流れることは無い。

 だが、あなたたちが他の人間にお話しになることについては、我々に止める権利はないんですがね」


 ナーティはうなずいた。


「こんな事をおしゃべりしても、誰も信じやしませんわ。それにワタクシたちだって触れられたくない過去ってのがありますし」


 珠三郎が継いだ。


「そういうことですなあ。二年前のあの件だって、結局誰も知らないしさあ。ぐへへっ」


 緒方は首をひねるも、追及することはなかった。


「しかし、には不思議な人たちがいるもんですなあ。対妖物のプロフェッショナルと我々検非違使庁の者は自負しておりましたが、今回の件でもう一度ふんどしの紐をしめなおさにゃあならんと、反省しきりですわ」


 緒方は言った。ぬえはトンファーを杖に戻し、腰を曲げると緒方を見上げる。


「平凡な老後を送っておりましたがのう。こんな経験ができるなんざ、思いもせんかったわいな。よい冥土の土産じゃな」


 緒方たち漆黒の鷹は、この老婆が八面六臂の活躍をしたとは夢にも思っていない。頭にハートのカチューシャを乗せた、少しボケが入りかけた老婆。そんな目でぬえは見られていたかもしれない。


「ところで、ここの結界を張ったのはどなたでしょうか」


 金剛寺はあごをさすりながら周囲を見回す。


「ああ、これはボクの式神しきがみちゃんたちがねえ、頑張ってくれてるんだな。ぐへへっ」


 珠三郎が不気味な笑い声を出した。七宝は目を輝かせながら、珠三郎の横にしゃがんだ。


「えーっ、そうなんですかあ。じゃあ、あの百足むかでくんやはえちゃんたちは、あなたが飼ってるんですかあ」


 キャピキャピとした声で楽しそうに訊く。


「うむむ、キミはあの子たちの可愛さがわかるんだね?」


「はーい、もっちろんでーす。わたしもむしを飼育してるんですぅ。今度見に来ませんか。内緒ですけどぉ、ワシントン条約で輸入が禁止されてる希少な子たちもたくさん飼っちゃったりして」


 途中で祀宮が咳払いをしながら、七宝のふっくらとした頬をつまみあげた。


「あんたって子は! 余計な事を言うんじゃないよっ」


 泣きまねをする七宝に視線を向けながら、緒方は口を開いた。


「ま、まあそういうことなら、結界を解除していただきましょうか。我々は本来隠行動をする部隊ですので、警察や所轄部門の連中が到着する前に引き上げます。

 そうそう、忘れるところだった。おい、芹」


 緒方は芹を呼んだ。


「あの採掘場で確保しているキタの奴、まだ塗り壁ぬりかべで閉じ込めてあるからな。公安に突き出す前に塗り壁をはがしておいてやってくれ」


「了解です。ついでに駒ヶ岳こまがたけさんに連絡して牽引ロープを降ろしてもらっておきます」


 芹は駆けだす。


「それでは、みなさん。もうお会いすることはねえと思いますが、本当にご苦労さんでした!」


 緒方はかかとを鳴らし、ナーティたちに敬礼をした。金剛寺、祀宮、七宝が続く。漆黒の鷹は廃工場から姿を消した。


 珠三郎はリュックからインスタントコーヒーの瓶数本に、クッキーの空き缶を取り出した。タブレットを操作する。採掘現場を中心に張られていた結界が消えた。


 直後にウワーンッという羽音、カサカサカサッと背筋に怖気が走る虫の走る音が全員の耳に響いた。


「ヒーッ」


 ナーティは頭を抱えてしゃがみこむ。


 遠くのほうからいくつものサイレンの音が聞こえ始めた。結界で遮断されていた大気が音を伝えてくる。


「さて、ここからは僕が処理を行います。だから、ぬえちゃんたちは先に帰ってもらったほうがいいかな」


「イッちゃんひとりで大丈夫かいな」


 ぬえが心配そうに訊いた。


「大丈夫、大丈夫だよ。それよりもみなさんお疲れだろうから、早くゆっくりしてくださいね」


 藪鮫は、まだ癒えていない顔面の擦過傷を気にするでもなく、微笑んだ。


「お帰りをお待ちしておりますわ。さあ、アンタもそろそろもどるわよ」


 ナーティは、式神を回収した瓶や缶をリュックにしまう珠三郎に言った。


「これで全員回収かな。ところでさあ」


「なによ」


「確かに疫鬼の存在は消えたんだけどぉ。あの猫娘もいっしょに消えたってこと?」


 珠三郎の言葉に、全員が顔を見合わせた。


「そうかぁ、そうね。いったいナニモノ? って子でしたけど」


げんちゃんは素性を知っておるのかいな」


 五条ごじょうは口元を結んで、首を振った。


「知っていると言えば知っておるし、知らないと言えば知らない。ハーバード大学の百目ひゃくめ教授が連れてきた助手というふれこみであったが」


 藪鮫が割れたコンクリートの破片を見まわしながら、言う。


「ああ、その百目って人物は、出鱈目な経歴で小笠原氏に近づいてきたみたいだよ。

 ホントは内緒なんだけど、まあいいかな。彼らはキタの工作員と呪術師だったんだ」


「キタ?」


「キタ!」


「そう。朝鮮半島の軍事国家。とんでもない連中だよね。勝手に密入国して大昔に埋めた妖物を甦らせてさ。あんな化け物を使って世界を脅迫するつもりだったんだと思う。

 使いかたによっては、核兵器、いやそれ以上の脅威だからね」


 藪鮫の説明に、五条はうなった。


「そうか、そうだったんだ。これで絡まっていた糸がほどけたぞ」


「あの娘さんも最期は越えてはならぬ人間としての自覚を持って、闘こうてくれたんじゃな」


 ぬえはしみじみとつぶやいた。


「ささっ、みなさま。ここからはいちさまのお仕事の邪魔にならないように、先に引き上げさせていただきましょ」


 ナーティは努めて明るい声を張り上げた。


「グヘヘヘッ、ナーティ嬢は早くあの秘密の花園へもどって、猫ならぬ狼になりたくてウズウズしちゃってるぞう」


 珠三郎が下品な笑い声を立てる。


「まあ、失礼な!」

 

パンと珠三郎の頭をはたいて、髪の毛がまたしても静電気が発生したかのごとく手にからむ。そして、思い出した。


「ヒ、ヒエーッ、そういえば、アンタッ、これ髪の毛じゃなくて化け物だったんじゃないの!」


「うーん、化け物ではないよーん。磯女いそおんなって名前があるんだから」


「どこの世界に、化け物を頭に憑りつかせている人間がいるっていうのっ」


「共存って言ってほしいなあ、ボクとしては」


 藪鮫はみんなと一緒に笑いながら、ふと丸く開いた天井を見上げた。


(彼女がもし他の国に生まれていたのなら、若くしてこんな理不尽な最期を迎えることもなかったろうな。リンメイ、きみの名は、きみの活躍は誰にも知られないけど、僕は決して忘れないよ。ありがとう)


〜〜♡♡〜〜


「それは本当に大変でしたわ、ナーティさん」


 レイはナーティのグラスに冷酒を注ぐ。


「ワタクシもこやつも、二年前にあんな事を経験しているからさあ。あの当時は夢じゃないかしらって思ったこともあったのよ。でも再び化け物に遭遇するなんて、ワタクシたち、特異体質なのかしら。いやになっちゃうわ」


 珠三郎は運ばれてくる料理を、夢中で口に放りこんでいく。それを横目に、ナーティはグラスをかたむける。


「ぬえのおばあさまが、今度はレイちゃんも是非連れて遊びに来てほしいって、おっしゃっていたのよ」


「先生はお年を召していらっしゃっても、武術の鍛錬は欠かかされていなかったみたいですね」


「ええ、もう強いのなんの! レイちゃんがお強いわけが分かった気がしたわ。あのおばあさまのお弟子ならね」


 レイはほんのり赤く染まった頬に、笑みを浮かべる。


「私なんか、まだまだです。先生から見れば、ひよっこですわ」


「なに謙遜しちゃって。 “藁人形わらにんぎょうのレイ” の二つ名が泣くわよ」


 ナーティは豪快に笑った。


「ところで、ナーティさん」


「はいはい」


 レイは視線だけを珠三郎に向ける。


「あの、本当に珠三郎さんにロングヘアって」


 訊きたいことがわかったナーティは眉間にしわを寄せて、こくりとうなずく。


「マジよ。コヤツ、オカルトにのめり込み過ぎて、とうとう自分の頭に化け物を飼っちゃってんだから」


 レイはコワいモノを見たかのように、ブルリと肩を震わせた。直後、珠三郎の頭部で髪が動き、小さな蛇のように鎌首が持ち上がった。そして、レイに向かってコクンとお辞儀する。


「エエーッ!」


 レイはスッと蒼ざめ、一気に酔いが醒めてしまうのであった。


〜〜♡♡〜〜


 下弦の月が揺らめいている。


 ヒノキ、アカマツ、ミズナラが枝葉を繁らせる原生林。山梨県やまなしけん青木ヶ原あおきがはら、富士の樹海である。


 自殺の名所と不名誉な呼び名がつくほど、昼間でも太陽の光を遮る生い茂る樹木。


 鳥や獣たちの鳴き声が、まるで自殺者たちの慟哭どうこくに聞こえる。


 観光用の遊歩道を大きくはずれた、獣道さえ見当たらない樹海の奥に、人影が見える。


 星明りも届かぬ樹海の中を懐中電灯のたぐいも持っていないのか、闇にまぎれて歩いていた。


 リンメイであった。


 ボロボロになった着衣、露出した腕や腿には深い傷跡があり、血膿が凝固している。


 ただその双眸はオレンジ色に光っていた。


 モスグリーンの上着の胸元には鎖のついた赤い石と、手のひらに収まるくらいの緑色の土器を隠し持っている。疫鬼を封印した二つのアイテムを持ち、リンメイは帰る故郷すらなく富士の樹海を彷徨さまよっていた。


 千年前の父祖がそうしたように。

 これからどうするのか。どうしたいのか。それはリンメイにも判らなかった。

                                   了

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魔陣幻戯2 『千年魍魎』編 高尾つばき @tulip416

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