第19話 文部科学省のKBEC

 乗用車はシルバーのレクサスSUVのLXだ。衝突寸前でレクサスが絶妙な速度でパトカーのスピードに合わせ、そのまま停止した。


 ハマさんは大きく息を吐くと隣りの田中たなかを仰ぎ見る。田中は顔面蒼白のまま、ハンドルにしがみついていた。


 年の功でハマさんは瞬時に我に返ると、ドアを勢いよく開けて走り出た。


「おいっ、くぉらああ!」


 今にも拳銃を抜いて発砲しそうな勢いでレクサスに向かった。


 レクサスのウインドウが開いた。


「ごめんねえ、でもこうでもしなきゃ停まってくれなかったでしょ」


 ひょいと顔を出したのは、ぬえのマンションに住む藪鮫やぶさめであった。うっすらと口元に笑みが浮かんでいる。


「おいっ、若造! 降りて来い! 公務執行妨害で逮捕してやる」


 ハマさんはベルトから手錠を抜く。


「ええっ、そいつは困るなあ。だってなんだけどなあ」


 国道を走る他の車は、何事かと低速運転で脇見しながら走っていく。


「いいから、でてこいっ」


 ハマさんが藪鮫の肩をつかもうとした時、パトカーから青い顔色のまま田中が走ってきた。


「ハマさん、ちょっと来てください!」


 田中の切羽詰まった声音にハマさんはイヤな予感がして、「おいっ、若いの! 逃げるんじゃねえぞ」と指さしながら急いでパトカーにもどる。


 運転席のドアを開けたまま、中を指さしていた。


「どうした」


「は、はいっ、今本部から各局に指令が」


 指令だ? ハマさんは田中とともに運転席側から顔をのぞき入れる。


「PB(交番)及び警ら中の全車両に告ぐ。先ほど警察庁長官より厳命が下った」


 ハマさんは田中を振り返る。


「この声は岐阜県ぎふけん警察本部長のようです」


「本部長だあ?」


 ハマさんは藪鮫の存在を忘却してしてしまったかのように、無線に集中した。


「本日十九時ちょうどをもって、岐阜県警察本部の。これは内閣総理大臣から警察庁長官へ下された命令である。もちろん県知事も了承されている。繰り返す」


 田中は理由がわからない様子で、不安げに上司のハマさんを仰ぐ。


「文部科学省って、いったい何ですか? ハマさん」


「文部科学省? 待てよ、文部科学省って言えば」


 ハマさんは遠い記憶を呼び戻そうと固く両目を閉じた。


「ほーら、言ったでしょう。だから君たちを停める権限を、僕は持っているって」


 後方からいつの間にやってきたのか、藪鮫が立っている。その恰好はラフなシャツにジーンズではなかった。


「あ、あんたは」


 ハマさんは背の高い藪鮫を、上から下まで遠慮のない視線で見つめる。


 藪鮫は黒い革のジャケットに黒い革のパンツ、編上げの黒いブーツ姿であった。しかも腰のベルトには警察官と同じように拳銃を収めてあるのかホルスターが装着され、それ以外にも警棒やその他革製のケースが取り付けられている。


 革ジャケットは防弾用なのか内側が膨らんでおり、ボディアーマーのようだ。片手にはゴーグルの付いた黒色のフリッツヘルメットを持っていた。左腕に巻かれた赤地の腕章には『保安』と白い明朝体の文字が刺繍してある。


「あんたは自衛隊員なのか?」


 ハマさんは先ほどの勢いが消え、ややうろたえた声で尋ねる。

 藪鮫はニコリと微笑んだ。


「まさかあ。さっきも君たちの上官が言っていたでしょ。僕は文部科学省に所属してるんだよ。それでね、ここからは僕ひとりで軽トラの後を追うから、君たちは署へもどってていいよ」


 田中は藪鮫をちらちらと見ながら訊く。


「えーっと、あの、ひとついいですか?」


「うん、いいよ」


「さっきの軽トラは、犯罪者が乗ってるんですか?」


 藪鮫は道路の先に顔を向けながら言った。


「いやあ、逆だよ。彼らは多分、正義の味方? かもね。じゃあ僕は行くよ」


 警官二人に手を振ってレクサスにもどる藪鮫の背中を見て、田中は言った。


「K、B、E、Cって上着に刺繍されてますね。ケイ、ビイ、イー、シーって何かの略字でしょうか」


「おまえさん、まだ思い出さないか」


「えーっと、何をですか?」


「警察学校の時に、彼らの存在は教えられているはずだ。文部科学省の直轄機関をな」


 田中はハマさんの言葉に首をかしげた。ハマさんは気にせずに独り言をつぶやく。


「まさかこの目で彼らを見ることになるとは。いや、彼らが動き出しとすればとんでもない厄災がこの町に降りかかっているということか!

 田中っ、すぐに署に戻るぞ!」


 藪鮫の乗ったレクサスの天井に緊急車両を意味する赤色灯が回転し、パトカーと同じサイレンが鳴り響く。アスファルトの国道を猛スピードで走り出した。


つづく

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