第10話 清らかなる地下空間にて

 崩れ落ちた陥没穴の底――。


 大穴が空いた天井部分から、昼下がりの強烈な日差しが降り注いでくる。


 崩落した土砂や瓦礫がうずたかく積もり、小さな山の頂上のようになった地面。

 長い間封じ込められていたせいか、冷たく研ぎ澄まされた地下の空気。


 その空気は、精霊による暴風でめちゃくちゃにひっかき回されたが、風の精霊の霊力が弱まったのか、徐々に平穏に帰ったおかげで、地下空間にも落ち着きが戻っていた。

 丸く開いた天井からは、土砂や雑草などがぱらぱらと降ってくる。それが日差しに反射し、きらきらと輝いて見えた。


「あ、あいたた……あ」


 痛むお尻をさすりながら、テミスが瓦礫を払いのけて立ち上がった。


 地面への激突は避けることができたものの、一メートルくらいの上空で突然浮力が消失したため、テミスは思いきり尻もちをつき、ついで降り注ぐ土砂に埋まってしまったのだった。


 テミスのすぐ隣では、先ほどの精霊魔法で魔力を使い果たしたのか、マカベウスがうつ伏せで伸びている。

 魔術能力者スキエンティア・マギカは、体力を魔力に、またはその逆に変換しているとされ、魔力が枯渇すれば、同時に体力も消耗するという。消耗の度が過ぎれば、命に関わるとも言われていた。


「んもー、おじちゃんったら、詰めが甘いよねえ。ここでふわっと着地できたら、超カッコよかったのにさぁ……」


 頬を膨らませたテミスが、助けてもらったことを棚に上げてぶつぶつと文句を垂れた。

 もちろん、この場を和ませるための、ウィットに富んだ当てつけのつもりである。


「…………」


 しかし、予想していたような、マカベウスからの反論が来ない。

 それどころか、マカベウスは瓦礫の上でうつ伏せになったまま、ぴくりとも動かない。


 それを見たテミスは、複雑そうな顔で、倒れたままでいるマカベウスの横に正座するなり、眠る父親を起こす子どもさながらに、彼の身体を揺すってみた。


 この手のイタズラは、日常茶飯事である。もうテミスは驚かない。

 つい昨夜も、襲いくる赤黒い魔力の幻影に脅かされ、膝蹴りをお見舞いしたばかりだった。


「やだなぁ……おじちゃん。死んだふり? あたしだってもう子どもじゃないんだから、そんなイタズラが何回も通じるわけ――」


 そう言って身体を揺すり続けるテミス。しかしマカベウスからの反応はまったくないまま。

 魔力が尽きた身体には張りがなく、死体のようにぐったりしている。


 さすがに心配になってきたのか、いつの間にか蒼白になったテミスは、いっそう強くマカベウスの身体を揺すった。


「ちょっと、おじちゃん……。起きてよぉ。あれくらいで死んじゃうなんて、おじちゃんらしくないでしょ……? ねえ……」


 最後の呼びかけのあたりは、もう半泣きになっている。それでもテミスは、返事をしないマカベウスに呼びかけ続けた。


「ねえ、ねえってば……死んじゃやだ……」


 自分の軽率な行動がもとで、この結果を招いてしまった。そのことがテミスを動転させる。

 それだけでなく、悲しさと寂しさとが入り混じって、ひっきりなしに襲ってくるような気がする。


「こんな穴の中に、あたしひとりなんて、ヒック、やだよぉ……。ねえ、おじちゃん、あたしに、魔術を教えてくれるんじゃ、なかったの……? ヒック、グスッ……」


 とうとう耐えきれず、泣き出してしまったテミス。

 誰もいない遺跡の地下空間に、少女の嗚咽だけが寂しく響いた。


「う、ううっ……」


 ――と、その時。マカベウスが苦しげなうめき声をもらした。

 引き続いてわずかに意識を取り戻したのか、かすかに身じろぎを繰り返す。


「――お、おじちゃんッ! 大丈夫っ? い、生きてるにょっ?」


 目を丸くして驚いたテミスは、涙を振り払い、裏返った声で何度もマカベウスに呼びかけた。

 そして魔力を使い果たし、脱力したマカベウスの身体をなり振りかまわず揺さぶった、その直後……。


 ――きゅるるるるぅ~~。


 うつ伏せになったマカベウスから、どこかで聞いたような腹の虫の切ない声が、地下空間の中にひときわ鳴り響いた。


「…………はへ?」


 思いがけない展開に、ぽかんと、正座したまま顔も身体も硬直するテミス。

 そんな彼女をよそに、マカベウスはゆっくりと、億劫そうに仰向けの姿勢になる。そして、隣で座りこんでいるテミスの顔を見上げた。


「よう、テミス。魔力を使ったら腹減った……。早くメシにしようぜ……」


 マカベウスそう言うと、意外と元気そうに身を起こし、土砂で汚れた白衣の内側をまさぐった。

 ほどなくして彼が取り出したのは、ソースと思われる褐色の染みがついた、小ぶりの紙包み二つ。先ほど街で購入した弁当だった。


「おっ。少し潰れちまったけど、弁当の中身は無事みたいだな……って、もしかして、俺を心配して泣いてたのか? テミス」


 弁当の無事に安堵しつつも、隣で座りこんだテミスの目尻に溜まった涙を、マカベウスは目ざとく見つけた。

 そして青色の髪をボリボリと掻きながら、テミスの顔を無遠慮に覗き込んでくる。


 瞬間的に、テミスの顔が耳まで赤くなった。


「べ、べ、別に泣いてないよっ? ほ、ホコリが目に入ったんだよ! きっと!」


 慌ててそう言い、目尻の涙を両腕で拭いながらも、泣いたことを頑として否定するテミス。


 しかし、マカベウスにはわかっていた。魔力を使い果たし、意識を失った自分を心配し、寂しさのあまり泣きじゃくっていたのだろうと。

 その程度のことは、いかに朴念仁のマカベウスでも、容易に察しがつく。


「あー、なんだ、その……。心配かけて、す、済まなかった、な……」


 ポリポリと頬を掻き、目をそらしながらも、マカベウスは素直に、心配をかけたことをテミスに詫びた。


「う……うん。でも、あたしも――」


 しかし、謝られたテミスは沈痛な表情で首を振り、自分も謝ろうとする。しかしどうしたら許してくれるのかわからず、うまく言葉にならない。

 テミスは先ほどから、自分の行動に責任を感じるあまり、どうやって許してもらおうかと、そのことばかり思いつめていた。


 そうしているうちに、互いに黙りこくってしまう二人。地下空間に静寂が戻る。


「……勘弁してくれよ」


 マカベウスはこの異様な雰囲気を前に、心の中で盛大に頭を抱えた。


 普段、イタズラがバレた時をはじめ、マカベウスはこれまでに数え切れないくらいテミスに詫びを入れている。

 いつもは、膝蹴りでも頂戴すればそれで終わるが、今回ばかりはどうも様子が違う。


 しかしその一方で、マカベウスは別のことでも困惑していた。


 ――この沈みきった雰囲気をどうするべきか、だよなあ。やっぱり。


 今回落ち込んだのは、多神教の神殿遺跡に存在したと思われる、地下空間らしい。だがさすがのマカベウスでも、ここに関する情報は持ち合わせていない。


 何とか脱出しなければならないが、沈鬱な雰囲気を引きずったまま未知の空間で行動することは、それだけで生命の危険に直結するだろう。


 ――仕方ねえ。ここはもういっぺん、死を覚悟するとしよう。


 マカベウスが心の中で密かな決意を固めようとしたとき、テミスの方でもようやく、心の整理がついた。

 弟子入りした翌日なのに、さっそく破門されるかもしれない。それでも「許してやる」と言ってもらえないことの方が、テミスにとってはずっと嫌なことだった。


「おじちゃんッ! ご、ごめんなさい! あ、あたし、どう謝ったら許してくれるかわからないけど……。もっと慎重に行動するから、おじちゃんの言うことを聞くから……。だ、だから……」


 正座して居ずまいを正したテミスは、弁当を手に座り込んだマカベウスに向かって、必死に頭を下げながら謝罪の言葉をまくし立てる。


 それでもテミスの心の中に、わだかまりは残ってしまうだろう。もちろんマカベウスは許してやるつもりだったが、冗談を交わして笑い合っていた頃の、あの雰囲気に戻すには、少々荒療治が必要だ。


 マカベウスは儚げに微笑すると、テミスの頭に手を乗せた。


「――わかったよ。それじゃ、これからは俺の言うこともちゃんと聞くんだぞ」


「う、うん……。わかった。それじゃ、許してくれる……?」


「ああ。しかしな、少々けしからんことがある。保護者としてこれだけは、言わねばならん」


「……? けしからんこと?」


 ツインテールの頭を撫でられながら、きょとんと首をかしげるテミス。

 マカベウスはゴホンと咳払いをすると、半眼でテミスを見つめ、人さし指を立てながら深刻そうな口調で言った。


「――お前に、赤はまだ早すぎる。あと十年待て」


 妙に真面目くさった顔つきだが、そこにはどこか、イタズラ好きなマカベウスらしい、ニヤついた表情が隠されてもいた。


「赤……? じゅ、十年って……! それって、あ、あ、あたしの……パ……」


 赤という単語と、マカベウスの表情から、彼の言葉に隠された真の意味を感じ取ったテミスは、みるみるうちに顔を真っ赤に変色させた。

 それどころか、テミスの背後からは鮮烈な赤色をした魔力のオーラが、まるで炎のように湧き上がってくる。


 覚悟していたとはいえ、マカベウスもこの魔力の奔流を前にしては、固唾を呑むしかない。


「お、おや、テミスさん? その身体から湧き上がるようなものは……」


 思わず後ずさりするが、マカベウスの手に冷たいものが当たった。よく見ると、周囲は一面の池になっている。

 この地下空間は、冷たい地下水で満たされていたのだ。マカベウスはついに、進退きわまった。


 沈鬱な雰囲気など、もはや過去のもの。

 清冽な水で満たされた地下空間に、テミスの元気な声が響きわたった。


「あ、あたしが何色のパンツ穿いたって、別にいいでしょおッ! この変態エロ親父! 死んじゃえーーッ!」


「――うぐおおッ?」


 テミス渾身の膝蹴りが、マカベウスの顎にクリーンヒットしたとき、周囲の水面が何かに驚き、ざわめくように波立った。

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