第二章三節前半


       3


「なんだ? こんなときに」

 静流の親父さんが妙な顔をした。予定外の来客らしい。お袋さんも、不思議そうな表情で立ちあがる。

「こんな時間にお客様なんて、いままでなかったんだけど」

 言って、お袋さんがいまから廊下へでていった。同時に、俺の身体に妙なざわめきが走る。天井を見あげると、ゆっくりとだが、見えている世界が白濁しはじめていた。

『忘却の時刻』である。

「ただのお客さんじゃないですよ」

 何者だ? なんで静流の家にくる? わけがわからないまま、俺は立ちあがった。少しして静流たちも気がついたらしい。

「まさか、強利様たちが――」

 静流が言いかけ、口をつぐんだ。さもありなん。この『忘却の時刻』は強利のものではない。ただの霧ではなく、うっすらとだが、何かの匂いがするのだ。少しして気づく。これは海の匂いだった。心なしか、遠くで波の音まで聞こえる。

「あなたは――!!」

 玄関先で、静流のお袋さんの声がした。悲鳴混じりの驚愕!? 俺は居間を飛びだした。何があったのか知らんが、無視できる状況でもない。玄関先まで行った俺は、世界が完全な白い霧に覆われていることに気づいた。玄関先に立っているお袋さんは直立しているものの、耳が三角形のえらに、足はしっぽに“変貌”を遂げている。しかも、なんだか水中を泳いでいるように、ゆらゆらしていた。なんでだ?

「あ、秀人くん!」

 お袋さんがこっちをむいて、血相を変えた。俺に本当の姿を見られて、思わず青くなったらしいが、それよりも俺は玄関口に立っている来客が気になった。

 いままでいなかった、魔法使い風のローブを着た、あご髭の濃い男。静流の親父さんと似た系統の顔をしていたが、肌は青緑色のうろこにおおわれていた。なんだこいつ? しかも目つきが尋常じゃない。悪く言うなら、粋がって喧嘩上等とか抜かす馬鹿野郎と似た種類の瞳である。それから、その後ろに立つ男と女。男は蟹の甲羅みたいな形の鎧で腹を覆っている。勘で判断するが、ただものって感じではなかった。俺は以前、『S&S』からきた傭兵のおっさんと殺し合いを演じたことがある。あれと同種類の連中だな。

 ただし、あの傭兵のおっさんは巨大な剣で切りかかってきた。要するに正統派だったわけだが、こいつは何を武器にするのか、パッと見で見当がつかない。野球で言ったら剛速球を得意にする奴と、魔球を使うタイプの差だ。こりゃ、やり合うとなったら前以上に面倒臭いぞ。

 もうひとりの女は、前の男と同様、魔法使い風のローブを着ていた。『忘却の時刻』をつくりだしたのは、この女か。

「その男は?」

 まだ喧嘩すると決まったわけでもないが、背後の連中を見定めていたら、そいつらの頭目らしい魔法使い姿の男が訊いてきた。こっちがしたいぜ、その質問。

「この人は、佐山くんと言って、娘の同級生の――」

「いい、静江」

 俺の背後から静流の親父さんの声がした。振りむく。

 半漁人みたいな風貌の男が立っていた。顔の造形は静流の親父さんだし、足もきちんとしてるんだが、全身を緑色のうろこがおおっている。人間じゃないってひと目でわかるな。なるほど、こういうことになるわけか。

 その後ろに立っている静流も人魚化していた。美貌は、むしろ増したようである。もっとも、何があったのかは静流にもわかっていないらしく、不思議そうに玄関へ目をむけていた。

「何これ? 『忘却の時刻』なの?」

 疑問はわかる。こんなのは、俺もはじめてだった。

「本当におひさしぶりでございます。二〇年ぶりでございますか」

 玄関口に立っている魔法使いが静流の親父さんにこうべを垂れた。すぐに顔をあげる。

「それで、先ほど言った、静江というのは?」

「こちらでの妻の名だ」

「けがらわしい話ですな。そのような下賤な名で真の素性を誤魔化すなど」

「こちらの世界を悪く言うとは。そちらも相変わらずのようだな」

「新王となる方が戻られたときも、かつてのように過ごしていただくことが、我らの願いでございます」

 と言ってから、魔法使いが静流に目をむけた。

「しかも、まさか、このようなお世継ぎまでいらっしゃるとは。これはきてようございました」

「新王とはどういうことだ?」

「実は、先王が病にたおられました」

 魔法使いの言葉に、静流の親父さんが眉をひそめた。

「なんだと? 兄がか?」

「左様でございます。このような場所では、詳しい話もできませんので」

「あァ、そうだったな。では、なかに入ってもらおう」

「ありがとうございます」

 魔法使いが静流の親父さんに礼を言ってから、俺を指差した。なんだ? 失礼な奴だな。不愉快に思う俺に目もくれず、大臣が後ろに立っている護衛のほうをむく。

「あの人間は、私が記憶を奪うから、外に捨ててこい」

「いや、いい。これは佐山くんにも聞いてもらってかまわない話だ」

 ひでェことを言いかけた魔法使いを静流の親父さんが制した。魔法使いが顔をしかめる。

「しかし、これは、こちらの下賤な輩に聞かせるようなことでは」

「私がいいと言ってるんだ」

 急に親父さんの言葉が重厚さを増した。なんだ? 何がどうなってる? 俺はわけがわからんまま、静流の両親に目をむけた。

「まずは居間に行こうか。佐山くん、これは、さっき、私たちが話そうと思っていたことに関係しているんだ」

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