第二章二節後半
「――それは、本当かね?」
静流の親父さんが、眉をひそめて確認してきた。
「本当ですよ。もっと外が暗くなったら、具体的な証拠を見せることもできますけど?」
まだ五時である。冗談抜きの質問だったんだが、静流の親父さんは手を左右に振った。
「それはいい。なるほど。ショッキングな話だな」
声が硬い。親父さんもお袋さんも、さっきとは違う種類の目で俺を見ていた。やっぱりな。
「あの――」
「お父さんたち、すごくいやな目をしてる。中学生ころ、私の正体を知ったときの同級生の目だわ」
俺が言う前に、静流が口を開いた。一瞬置き、親父さんが気づいた表情になる。お袋さんが申し訳なさそうな顔をした。
「これはすまなかった」
「まさか、私たちが、ねェ」
「気にしなくていいですよ。差別してるって自覚のない人間が差別をしちまうもんなんです。いじめられた経験のある子供が、自分より弱い人間をいじめるって話もありますし」
と、どこかの論客が言っていたような気がする。知ったかぶりで言う俺を見て、お袋さんが困ったような顔をした。
「で、変な目で見てしまったのはすまなかったが、それとはべつに、なんというか」
「俺の遺伝子は人間と同じですから。獣人類なんて言われてますけど、現生人類と変わらないってのは研究施設で調べて保証してもらってます。変な心配しなくていいですよ」
言わんとしていることは想像できる。どう考えたって早すぎる話だが、俺は先に言っておいた。静流の両親が不思議そうに俺を見る。
「そうなのかね?」
「人間ってのは猿から進化したんですよ。それが狼に“変貌”するって、遺伝子の理屈で説明できないでしょ?」
「それは、そうだが。それでは、あの。どうして変わるのかな?」
「シャーマニズムって言うんですけど。『自分は野獣の精に守られている。野獣の魂が宿っている。野獣の強靭な力を発揮できる』って思えば、俺たちは野獣に“変貌”できます。信仰心と、たぶん、強烈な魔力を燃料にしてね。部分的にですけど、歯や骨まで変形しますから」
「ほゥ」
「だからですね。魔力を外にむけてぶっ放せば、そいつは魔法使い。魔力を内側にむけて、肉体の強化と変質に使えば、そいつは獣人類になるって思ってくれてたらいいです。どっちになるかは後天的な教育によりますけど」
まァ、人間とネズミでも、遺伝子は九九パーセント同じだとか、人間の遺伝子を細菌がとりこんでるなんて話も聞くし、ミッシングリンクなんて言葉も存在するから、本当に突っこんだ話になると、俺もわけがわからなくなってくるんだが。とりあえず、静流の両親は安心したようにうなずいた。
「つまり、君たちのような狼男の一族は、魔力が強いだけで、基本的には普通の人間なわけだ」
「そうなります。具体的な例もありますよ? たとえば俺の親父は、狼に“変貌”できる人間なんか、ひとりもいない部族で、いきなり生まれた狼男だったそうですから。狼の年に、狼の星の下で生まれたからってのが“変貌”できる理由だそうです。お袋は、そもそもが狼の部族で生まれたらしいですけど」
「君は?」
「俺は単純に、両親が狼になるから、じゃ、俺もそうなるんだって思って“変貌”してたら、それが板についちゃって。もうほかのものには“変貌”できないでしょうね。両親が『おまえは熊の守護精の年に生まれた』なんて言って育ててたら、俺は熊に“変貌”してたと思いますよ。そんな俺なんて、俺にも想像できませんけど」
「なるほど」
「だから、たとえば俺に子供ができたとしても、魔力が強いってのは遺伝するでしょうけど、それだけですよ。教育次第でどうにでもなります」
「ふむ」
「秀人くん、普通の人間だったの?」
静流が意外そうに訊いてきた。
「まァ、遺伝子って理屈から言ったら、そうなるな。がっかりしたか?」
「あ、ううん。そういうんじゃないから。ちょっと、びっくりしただけ」
「では言うが、私たちは、遺伝子の時点で普通の人間とは違うんだよ」
俺の話に付き合ってくれたのか、静流の親父さんが説明をはじめた。確かに人魚は水中で呼吸できるし、骨格だって、基本的な構造が違いすぎる。別種の生物って考えたほうが自然だ。
「以前、移民局からの紹介で、研究施設で調べてもらったことがあるんだがね。あきらかに人間とは異なる個所があると言われた。分類的には、鬼族と似ていたそうだよ」
「はァ」
柚香と同じか。人魚って言えば海の妖精である。かたや鬼族は森の妖精。海の魚と川魚はどう違うのかって言ってるようなもんだ。遺伝子が似るのも当然だろう。――エルフとハーフエルフって言葉が急に思いだされた。それに、静流とお袋さんの酷似ぶりから推測するに、静流に子供ができたら静流そっくりになる。
「ちょっと質問ですけど、静流さんの一族には、普通の人間との混血は?」
「それは、もちろん存在したが」
「例外的にですが、人間に嫁いだものも、何人か知っていますし」
「そうですか」
俺はふたりに笑顔をむけた。
「では、何かが特に問題あるわけではないですね?」
「そうなるな」
静流の親父さんも笑みを返した。で、お袋さんと一緒に頭をさげる。
「娘をよろしくお願いします」
「いやいやいやいや、それは早いですから! そこ、問題です!!」
「お父さん!」
静流も赤い顔で突っこんだ。ちょっと早合点なところもあるけど、いいご両親である。静流の両親だから、という理由だけではなく、俺はこのふたりが好きになりはじめていた。
「で、だな。秀人くん」
親父さんが顔をあげて、ちらっと時計を見た。
「すまんが、まだ時間はあるかね?」
「は? まァ」
家に帰るのが遅れても、冷めた飯は電磁レンジで温めればいい。他になんかあるのかな、と思って俺は静流の両親を見た。親父さんとお袋さんがアイコンタクトをとる。
「実はだね。これから、話すことが本題なんだよ」
「はァ」
「わかってほしいんだが、これは、決して君を驚かそうとか、変なプレッシャーを与えようなんて考えで言うわけではないし、もちろん、騙そうなどと考えているわけでもない。今後、何か支障がでることもないとは思うんだが、黙っているわけにもいかないのでね」
前置きが長いが、それを話すことで、親父さんは覚悟を決めているようにも見えた。よほど重要なことなんだろうか。とりあえず聞くことにする。
静流の親父さんが、思い切った顔で口を開いた。
「実は、私たちは――」
キンコン、とドアチャイムが鳴った。
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