河の向こうに

「お花がいっぱい!」

 馬車から降りた六歳のリーラはお下げに結った栗色の髪を肩の辺りで揺らしながら二歳になったばかりの金髪の弟のトミーと手を繋いで笑った。

 春を迎えた河の畔には一面に赤や黄色や白の花が咲き誇っていた。

 吹き抜ける風は甘い花の香りを含んでいて柔らかに暖かい。

「リーラ、お気を付けなさいよ」

「河のすぐそばまでは行っちゃ駄目だ」

 母と父が相次いで呼び掛ける声を背に姉弟は駆け出した。

「これで冠も首飾りも作れる!」

 リーラはさっそく目についた花から摘み取っていく。

 摘めば摘むほど、まだ手に入れていない花が鮮やかに光を放って見えた。

「ちょうちょだあ」

 一面に咲いた草花に埋もれそうな程に小さなトミーも笑い声を上げながら花から花へと止まるかと思わせて漂っていく蝶を追っていく。

「トミー、一人で遠くに行っちゃ駄目だよ」

 六歳の姉は気付いた風に呼び掛ける。

「待てえ」

 小さな金髪の頭が花畑の若草色に埋もれるようにして遠ざかっていく。

「トミー!」

 まだ花輪を編むには足りない花を手にしたままリーラは後を追う。

 広がる花畑の終わりは見えないが、光る川面と向こう岸のどこか煤けた草むらと天辺てっぺんに枯れ枝を挿したテント、そして頭に羽飾りを着けて馬に乗った赤黒い肌の人々の姿が目に入った。

 両親や祖父母くらいの大人もいれば、自分たち姉弟とさして変わらない年頃の子供の姿も見える。

 でも、あれはインディアンだ。危ないからあの人たちに近付いてはいけないと父さんも母さんも言っていた。

「戻って!」 

 次の瞬間、一際高く飛び上がった蝶に小さな白い手を伸ばしたトミーの姿がふわりと宙に浮いて消えた。

 続いてザバッと飛沫が上がった。

「トミー!」

 駆け寄った数歩先で花畑がまるで断ち切られたように終わっていて黒々と底の見えない河が流れていた。

 小さなトミーが沈みつつ流されていくのが目に入った。

「トミィィッ!」

 耳の中につんざくような自分の声が響く。

 すると、向こう岸で頭に白い羽飾りを着けた、リーラより少し大きいくらいの少女が振り向いた。   

 金の髪を浮かしながら流されていくトミーの姿を認めると、少女は弾かれたように煤けた草むらを駆け出して臆することなく河に飛び込む。

「チェノア!」

 馬に乗っていた、同族の人々の中でも一際立派な羽飾りを着けた父親らしい男が叫んだ。


*****

「ウエエエン!」

 色とりどりの花が甘い香りを漂わせながら風に揺れている岸辺。

 金色の髪も服も濡らしたトミーは現れた母親の胸に抱き着いた。

 リーラのすぐ傍に立っている漆黒の髪からも鮮やかな模様が織り込まれた衣装からも滴を垂らしている少女の姿を目にすると、胸に抱いている幼い息子と同じ金色の髪に水色の目をした母親の顔はこわばった。

「この子が河に落ちたトミーを助けてくれたの」

 リーラは間髪入れずに告げる。

 母親が口を開いて声を発する前にずぶ濡れの少女は花畑の中を走り出した。


*****

「リーラ、まだ寝ていなかったのかい」

 スヤスヤと眠っている弟の隣で馬車の幌の隙間から覗く星空を見上げている姉娘に父親は語り掛ける。

「父さん、どうしてインディアンの人たちに近付いてはいけないの?」

 リーラは振り向いて尋ねた。

「あの子はトミーを助けてくれたのに」

 ここでの家が出来るまで寝泊まりする馬車の中で顔を影にした父親はしばらく黙っていたが、やがて苦味を底に潜めた声で答えた。

「あの人たちからすれば、私たちはよそ者の悪い人なんだよ」

 もの問いたげに小さな口を半ば開いた幼い娘の頬を父親の大きな手が撫でる。

「だからもう二度とあの河の岸辺に近付いては駄目だ」

(了)


*monogatary.comのお題「海外ドラマ風の物語」からの創作です。

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掌(てのひら)にガラス玉――ショートショート集 吾妻栄子 @gaoqiao412

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