第5話 最後の調味料(ピース)

・1・


「おや、アンタはよく店の前で見かける綺麗なねぇちゃんじゃないか」

 刃物屋の店長が店内を物色していた桜子を見て声をかけた。いつも外のショーケースを見るばかりだった彼女が、今日はなぜか店内にまで入ってきている。

 今まで春哉に止められ入れなかったが、今彼はここにいない。

 桜子は一つ一つナイフを手にとってはうっとりした顔でそれを見ている。

「基本的には一般の客にはこの辺りにある調理用のナイフしか売れねぇが、どうだい、欲しいものはあるかい?」

「えぇ、どれがいいかしら」

 刃物を眺めるその姿は実に楽しそうだ。

「彼氏に手料理でも振舞って上げるのかい?」

 冗談交じりに店長はそう言った。

「えぇ……をあげるの」

「そうかいそうかい。じゃあ包丁もとっておきのを選ばないとな」

 店長は上機嫌でそう言うと、奥からさらにたくさんの種類の包丁を持ってきた。

「さぁ、存分に選びな。どれも最高の品だぜ?」

 桜子はそれから春哉のことを思いながら二時間かけて最高の一本を選んだ。


・2・


「ただいま」

 春哉は部屋の扉を開けた。

「あれ……まだ帰ってないのか」

 アパートの狭い部屋だ。桜子がいないことはすぐにわかった。

 買い物袋をテーブルに置く。

「いつもならもう帰ってるはずだけど……ん?」

 ふと、春哉はテーブルの上に置かれた一冊の手帳を見つけた。

 黒塗りで、真ん中には春哉の顔写真が張り付けてある。

(……見ようによっては遺影に見える……桜子さんのだな)

 めくったページで目に入った言葉は、


『春哉くん殺害レシピ♡』


「……」

(これは今後の対策のために読んでおくとしよう。一切の罪悪感はない)

 ページをめくるとそこには過去、そして今後予定されている春哉を殺すための方法がびっしりと書き綴られていた。

 ×印が書かれたものは失敗したものだろうか?

「絞殺、刺殺……これは先週のか。……なんだ、腹上死って……?」

 無駄に頭がいいせいか、失敗したものに関してもちゃんと考察を付け加え、次の計画にしっかり改善して組み込まれている。今日刃が十センチ届かなくても次は九センチ、八センチという具合に。最近どんどん精度が上がってきてるのはどうやらこの手帳のせいみたいだ。

 さらに読み進めていくと最後のページに行き着く。

「……」

 それを読んで春哉は手帳を胸ポケットにしまった。

「もうそろそろ桜子さん帰って来るだろう。夕食の準備するか」


・3・


「春哉くん。今日のご飯はなぁに?」

「今日はトマトソースのスパゲティです」

 桜子はその言葉に満足そうにうなずく。

「へぇ……きっと血のように赤いんでしょうねぇ」

 いつものように桜子が背後から春哉の心臓に向けて包丁を突き刺そうとする。いつもよりコンマ何秒か踏み込みが早い。

 だが春哉もいつものように華麗に避け、桜子の腰に手を回して隣へと強引に連れてくる。傍目だけ見ると恋人同士が身を寄せ合い、仲良く料理を作っているようにしか見えない。

「また新しい包丁を買ったんですか? うちの金庫に何本あると思ってるんですか?」

「ムー」

 桜子から没収した凶器のナイフは自分で料理に使うこともあるが、大半は使わないので金庫の中にしまってある。もはや武器庫と化すほどにストックは十分だ。もし警察が来たら怪しまれること間違いなしである。

 春哉は桜子の前にキャベツを一つ置く。

「ほら、サラダも作りますから暇なら切ってください」

「はーい」

 真横で確認していれば大丈夫だろう。彼女の料理の腕がすごいことは春哉も知っている。この程度のことは朝飯前だろう。

 桜子はさっきまで彼氏の心臓を狙っていた包丁でキャベツを切り始めた。



「美味しかったわ」

「それはどうも」

 二人食べ終わった後、春哉はテーブルを片づけ始める。

 桜子は食事中に見ていた映画をソファーに座って見ていた。

 

 その時、バチンという音がして室内の照明が切れる。

「停電か?」

 何よりも先に春哉は桜子を警戒する。

(桜子さん、配電盤に何か細工したな?)

 暗くて何も見えないが、台所の方でパリンと皿が割れる音がした。

 背後から気配を感じる。


「そこか!」


 雲に隠れていた月が顔を出す。それによって生じた彼女の影を見つけ、春哉は背後から襲い掛かって来る桜子を見つけた。

 月明りに反射する綺麗な髪。元から白い肌はより白く、手に持つ鋭利に割れた皿ですら彼女を飾るアクセサリに見えた。


 綺麗だった。

 美しいと思った。


(あーあ。見つかるのが少し早いわ。今日も防がれちゃう)

 桜子はそんなことを思いながら、彼の心臓目がけて破片を思いっきり振り下ろす。どうせ防がれるのだ。あとはどれだけ速く突き刺せるかどうかしかない。


「……えっ」


 桜子の手にが伝わる。

 さっきキャベツを切っていた時にあった小気味いい感じではない。

 もっと柔らかくて、そして身の毛がよだつほど気持ち悪い感触だ。

 桜子の思考が麻痺した。


「どう、して……」


 桜子は震える手で赤くなった春哉の胸元を見つめる。そこには凶器が深々と突き刺さっていた。


「……さ、くら……子さん。……さすがに、ブレーカー落としたら、皆さんに迷惑でしょう?」


 痛みで今にも意識をもっていかれそうだった。それでも春哉は桜子の頭に優しく手を置く。

「なんで……どうして避けなかったの? ……春哉くんなら躱せたでしょ? いつもみたいに……」

「……ハハハ。僕ばっかり……勝ってたら、桜子さん拗ねちゃうから……」

 鈍い感触が桜子の手を犯す。手が震えて。けど凶器から手が離せない。


「なんで……」


「……え」

「なんで……なんで……なんで……なんで……」

 桜子は呪詛のごとくその言葉を繰り返す。その声は震えている。

 様子がおかしい。これは確かに彼女が望んでいたことだ。長い間、毎日欠かさず。これこそが彼女の全てだったはずだ。


 それが彼女の最大の愛情表現だから。

 それが彼女の生きてきた道だから。


 なのに、その顔はちっとも笑っていない。いつも殺しに来るときのあの喜々とした笑顔はどこにもない。影も形も。

「なんで、なの……?」

「だから――」


「……


 薄れゆく意識の中で、春哉は確かに見た。

 月明りに反射する彼女の涙を。

「なんだ……」

 それで確信する。それだけでもう十分だ。

 欲していた答えを得たような気がした。


「……あなたもやっぱり人間じゃないですか」


 春哉は手帳に書いてあった最後の言葉を思い浮かべた。

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