第7話 人に過去あり、歴史あり

―ティアマハ―


 訳が分からない。

 警報が鳴り響く中、現れたのはフィクス・ガルム、帝国にこの人ありと謳われる、救国の英雄だ。幾重もの戦場を駆け抜け、帝国が定める最大の功労賞『護国褒賞』の受賞三回、そのほかにも数えきれないほどの武勲を立てている男。そんな男が突然現れ、明鷹を攫って行った。どういうことだ。生贄とはどういう意味だ。

「そんな、事よりぃ、いいぃ!」

 片足をロッカーの戸に、背中を反対側に押し付けて全力を込めて押す。色々と仕掛けをしてあるだけあって通常のロッカーよりも分厚いが、カギは通常の物と同じ程度だ。力を込めていくにつれて、徐々に変形し、遂には折れた。勢い余ったドアが弾けるように開き、壁にぶち当たって甲高い悲鳴を上げた。

「ようやく出られた・・・」

 荒い息を吐きながら、現状把握に努める。わかっていることは、明鷹がガルムを攫って行ったということだ。彼らの話から察するに、現状の打破を目論んでいる。彼らにとっての現状は、この停戦状態のことか。手口からして、平和的現状打破とは到底思えない。おそらく真逆の

「二度目の戦争・・・?」

 最終目的はそれか。戦争が進化を促すなどとふざけたことも言っていたし。そのトリガーとなるのが明鷹なのだろうか。

「考えていても仕方ない」

 まずは行動に移す。助けに行くべきだ。逃げる選択肢などありえない。目の前で一応級友がさらわれ、命の危機に瀕している。それを黙って見過ごすことなどできはしない。今、彼がさらわれたということを知っているのは私だけだ。誰かに知らせないと。

 明鷹が連れ去られてからおそらく十分ぐらい後に、私は教室から出た。階段を駆け上がり、一階に到着。

 電気は消え、非常灯の頼りない明かりが足元を照らしている。

 サイレンは既に途絶えていた。一定時間を過ぎると切れる仕組みなのか、誰かが切ったのかはわからない。

 下校時間過ぎというのもあってか、廊下に人の気配はない。各教室にも明かりは灯っておらず、誰も残っていないようだ。明鷹たちも、ここを去った後か。電話を取り出し、まずは学園長に連絡を取る。彼から警備隊に話してもらおうと考えたのだ。だが、繋がらない。強力な障害電波でも発射されているのか、呼び出し音すらならない始末だ。

 職員室に向かって駆け出す。あそこなら、有線での通信が可能なはずだ。幸いカギはかかっておらず、すんなりと中に入れた。残っていた教員たちもずいぶんとあわてて出て行ったらしく、火をつけたばかりの長いタバコは細い煙を立ち上らせ、カップに入っているお茶はまだ温かかった。特に争った形跡も見られないから、ガルムたちとかちあってはいないということか。

 職員室も、残念ながら通信不可だった。断線したのか通じる気配がない。この島の基地局も、もしかしたら破壊されているのかもしれない。

 連絡も取れない、周りに味方もいない、孤立無援の状態だ。こんなところで時間を喰っている間に、明鷹に危害が及ぶかもしれない。急がなければならなかった。

 視線を巡らせる。通信できなければ、自らが出向けばいい。自転車でも何でもいいから足を用意すればいいのだ。職員室の出入口付近に鍵束がひっかけてあった。そこには機材運び用のバンのカギと武器庫のカギがかけられていた。そのバンも目の前に停まったまま。好都合だ。車の運転なら城内で結構練習してたから問題ない。後は武器を持ち出していけばいい。

「ふ、ぐぬ、ぬぬぬおおおっ」

 まさかその武器を持ち出すのにこんなに苦労するとは思わなかった。そうか、冷静に考えればこれは強化鎧や身体強化などで常人の何倍もの力を出している兵が使うものだ。生半可なものだとすぐに壊れてしまうのでかなり頑丈に作られており、ある程度の重量が無いと持っていないような感覚がして落ち着かないのだと聞いたことがある。だからってこんなに重いのか?

「っとぉっ!」

 汗で手が滑った。バランスを崩し、尻もちをつく。その上に、ぐらついた重火器類の一丁が落下してきた。避けられない! 堅く目を閉じ、頭を庇う。

 数秒間、暗闇の中で衝撃に備える。が、予想した痛みは訪れない。

「大丈夫?」

 代わりに、上から草原に吹く風の如き爽やかな声が届いた。恐る恐る目を開く。

 命がいた。視線を巡らせると、シャオが他の崩れそうなところを押さえていた。出入り口付近には夕映とセシエタ、ガドがいる。

「みなさん・・・」

 どうしてここに?

「どうしてはこっちのセリフだよ。何で避難してないの? なんでここに?」

「いえ、私は・・・・、そうだ!」

 そもそもの理由を思い出した。

「あ、明鷹が、ガルムが」

 しどろもどろに、今さっき見た状況を伝える。驚くかと思いきや、全員当たり前のようにそれを受け止めていた。逆に私の方が戸惑ってしまった。

「Xデーが来たってこと」

 淡々と夕映さんが言う。

「Xデー?」

「テロよ。こんな日は、来てほしくなかったんだけどねぇ」

 こういう事態を予測していたということか? そういえば、全員の服装が、いつもの制服ではない。

「話は後だ。先に準備。命とシャオは俺と一緒に武器を運搬しろ。夕映とセシエタは通信機器のセッティングを。ティアさん、悪いがあんたの乗ってきたバンをそのまま使わせてもらう」

 素早く指示を出すと、それに従って全員が動き出した。各々が既にやることが決まっているのか、戸惑うことなく作業に取り掛かっている。ぽつんと一人、疎外感を味わいながら立ち尽くす。一体何がどうなっているのか、頭がまだ追いつかない状態だ。そんな私の前で、準備は着々と進んでいく。

 すっと私の前に人影が現れる。命だった。どうやら作業はひと段落したらしい。彼はいつもの制服の上から多機能ベストを羽織り、腰には一振りの刀を帯びていた。

尋ねたいことはいくつもあった。どれもこれも聞きたい優先順位が高い物ばかりで、結局上手く訊くことが出来ない。そんな私を見かねたのか、命が口を開いた。

「僕らは、これから任務を果たしに行くんだ」

「任務、ですか?」

 うん、と頷き、一呼吸入れた。

「明鷹も知らないことなんだけど、僕らのもともとの任務は、明鷹を監視することと、いざという時殺す事なんだよ」

 いつもと変わらない笑顔で命は言った。本当にいつもと変わらな過ぎて、明鷹がさらわれていることも、天秤島がテロの危機にさらされていることも、すべて嘘で、朝になればまた、昨日と同じ慌ただしいけど楽しくて、馬鹿馬鹿しいけど充実した、これまでと同じ日々が始まるような気がした。

 けれどそんな私の甘い考えは、やはり目の前の命の装備が打ち砕いた。後ろではシャオが帝国軍で使用される最新式の強化鎧を纏い、数種類の銃器を整備し、隣ではセシエタと夕映さんがバンに通信機器類を運び込んでいる。臨時の指揮車にするのだろう。

「もう少し時間もありそうだし、あっちの準備もかかりそうだから。ここらで僕たちがあなたに秘密にしていたことを話しておこうかな」

 そう言って、彼は近くの木箱に腰を下ろした。どうぞ、と勧められたので、私もそれにならう。

「まずは、僕たちの身の上を簡単に話そう。もしかしたらもうばれちゃってるかもしれないけど、僕たちは全員、罪人だ」

 もしや、とは最初に会った時から思っていた。彼のファミリーネームである末永は悪い意味での有名人だった。その血縁者が隔離された教室にいる、なら、他の面々も何かしら抱えていると思い至るのは仕方なかった。本国の調査部に無理を言い、身の上を調べさせた。私の表情から読み取ったか「やっぱり、知ってたんだね?」と命が言った。頷く。

「すみません。悪趣味だと思いますが」

「いいよいいよ。気にしてない。むしろ当然だ。明鷹も言ってたけど、あなたは自分の立場を軽視するところがある。その程度の危機感でも持ってくれてなきゃ、お説教するところだ。むしろ、今までよく付き合ってくれてたね」

「・・・私は、結局私が見た物を信じるので。あなたたちは、私が見たところ悪い人たちには見えなかった。それに私が言うのもなんですが、政府が悪と決めつけたうちの二割くらいは、政府にとって都合の悪い『悪』であり、人の立場から見ればそうでもないのです。あなた方はその二割にあたるのではないかと。明鷹を除いて、ですが」

 明鷹は入らないんだねえ、と命は苦笑して、話を続ける。

「シャオは元帝国の暗殺者。それも若干八歳で王国の要人たちを震え上がらせたほどの凄腕。国のために尽くしてきた彼女は、戦争終了と同時にその国家から切り捨てられ、死刑宣告を受けた。責任をすべて背負わされてね。・・・あ、別にティアさんを攻めるつもりはないし、彼女自身も、あれだけの人間を殺しておきながら無罪放免などあり得ない、と達観してる。けど、命令に背いたら軍紀違反で即処刑の状況だったんだ。無茶ぶりもいいとこだと思うんだよね。

 セシエタは知っての通りの天才児。生まれる前から遺伝子を操作され、生まれてからも脳をいじられ、無理やり帝国と王国の膨大なデータを詰め込まれ、生きるスーパーコンピュータにしたかったみたい。それが今の世じゃ危険因子と判断された。自分たちに良いように利用するために非人道的な実験を繰り返してきたのに、そこまでして植え込んだ知識が怖くて危険人物扱いって言うんだから悪い冗句だ。

 夕映さんは、元は王国の有名な資産家の三女。結婚もしてた。けど、旦那さんが戦時の作戦行動中に死んだ。正確には行方不明で死亡扱いだけど。死の真相も作戦内容も明かされないのに不信感を抱いたんで調べてたら、極秘任務を閲覧したとかで逆にスパイ扱いされて投獄。お家とも縁が切られたんだって。ただ愛する人のことを調べようとしただけなのに、度量の狭さったらないよ。

 そして僕は、帝国のスパイを匿い、あまつさえ情報を漏らし、逃亡を補佐したとして軍事法廷で一言の弁明も許されずに満場一致の極刑判決で処刑された、王国史上最悪の裏切り者、末永恭司郎の息子だ。とりあえず、疑われるには十分な人間ってことで」

 ここまではいいかい? 確認するように言葉を切り、こちらをうかがってきた。聞きたいことは満載だが、今はその質疑応答に時間を取るべきじゃないのはわかっていたから、頷きだけして、話を促す。

「本来なら死刑とか無期懲役とかで、一生表には出られない身分なんだけど。学園長が交渉を持ちかけてきたんだ。明鷹の監視を行う代わりに、僕たちを釈放すると」

 ―一生を二メートル四方の壁の中で過ごすか、多少制限があっても外で暮らすか、どちらを選ぶね―

 表情一つ変えずそう言い放ったらしい。学園長の少し疲れた、でも温かみのある笑顔が思い返された。今の話に出てくる学園長は、その時のイメージとずいぶんかけ離れている。

「間違いじゃない。それも学園長の一部分さ。ティアさんに接した彼も本当の彼だ。ただ、目的とかが絡んでくると、途端に合理主義になる。多分、自分の中にある優先順位に従ってるんだ」

「目的って、じゃあ、やはり明鷹には」

「うん。彼には唯一品欲渦が埋め込まれている。テロリストの目的も、そしてあなたの目的もそれでしょ?」

 今更隠し立てする必要もない。私は素直に認めた。

「ええ。もともと私がここに来たのは、この島のどこかに存在する唯一品の確保。同じ唯一品が埋め込まれている私になら、何かしらの反応がするのではないか、と言われ、探しに来ました」

 あんな近くで生活していたのに、全く反応はなかったけど、と付け足す。本当に私は役立たずだな、と心の中で自嘲する。

「それが、そもそもおかしいんだ。どうして帝国のお偉方は、あなたにその情報を与えなかったんだろう?」

「え?」

 命の言葉は、思いもよらないものだった。私の反応を見て、命は手のひらを顎に当てた。

「いや、公然の秘密というのかな。帝国、王国の上層部は、明鷹が唯一品を所有していること知っているんだよ」

 あなたが神威装甲を持っている事を、誰もが知っているのと同じように、と命が言う。

「え、いや、ちょっと待って。どういうこと?」

 自分の想像と全く食い違う命の情報に混乱する。

「その様子じゃ、本当に何も聞かされてないんだね。いや、それこそ向こうの策なんだろうか」

 考え込み、思考の渦にのまれる命。彼の肩を掴む。

「お願い、教えて。私は何を知らないの? 彼は、明鷹はいったい何者なの?」

 彼の目が私を見つめる。これも作戦ではないのか、裏があるのではないのかと疑われているようだ。私にとってはとても長い時間がたった。ようやく、命が口を開いた。

「《欲渦》がどういうものか、聞いたことは?」

「確か、魔法の媒体にするもよし、機器の動力源にするもよしの、万能のエネルギーを無限に生み出し続ける永久機関だと」

「半分正解。半分は不正解。《欲渦》は正確には生み出すんじゃなくて、もともとあるものを集めて、使いやすいように加工するものだ。対象は人の感情」

 感情がエネルギーを生み出す、そんな馬鹿な話を、仮にも科学技術を基盤として発展してきた国の人間が信じられるはずがない。

「信じられないって顔してるけど、事実だよ。大体があなたの持っている神威装甲は人の意志や思考を読み取って、任意の武具を作り出すことに成功している。人の意志をくみ取って、想像した通りのものを創造できるなら、想像力、精神力を変換・具現化できないかと次のステップへ至ろうとするのは至極当然の流れじゃないかい?」

 自分が現に持っている物を引き合いに出されては黙るしかない。もっとも、その効果のほどを見たことなどないのだが。

「さらに研究者たちは考える。精神エネルギーを加工し抽出できるとして、抽出できる範囲を持ち主だけでなく、周囲にいる十人、百人、いや、この世界のすべての人間に拡大できないか?

 着目したのはテレパスの魔法。夕映さんたちのような精神操作や心を読む魔法に長けた『テレパシスト』は自分の心の声を相手に届けられるし、逆に相手の心も読めるし、相手の記憶を掘り返したりできる。これ、なんとなく携帯やPC、サーバーと端末の関係に似てない? 遠くにデータや声を届けるとか、脳っていう記憶媒体にアクセスできるところとかさ」

 言われてみれば確かに、と頷けることがいくつもある。いまだに私は魔法は魔法、科学は科学というくくりで二つの技術を見ていた。常識の壁さえ無くしてしまえば、類似点などいくつも転がっていたのだ。

「研究者たちはテレパスを応用し、彼らが定義した精神力が一定数値以上高くなった場合、他者からその差分を抽出した。根こそぎ奪うとその人間の精神が崩壊してしまうかもしれないからね。次はそれを集め、加工することに成功。これが《欲渦》の原型。味を占めた研究者たちは、宇宙、空、地面といたるところにテレパスの基地局を作ってかき集めることにした。目には見えないほど小さな自己修復機能付きのナノマシン型基地局を空気中へ散布。それらが世界中の人々から精神エネルギーを抽出する。それらは大地の基地局や人工衛星局へと送られ、それは巡り巡って中枢の《欲渦》へ送られる」

 今もなお、と付け足して、命は息を吐いた。

「難しい話は置いといて、よ」

 命の後ろからひょいと夕映さんが顔を出した。

「あの馬鹿たれは、世界中にあふれている感情エネルギーをかき集めるバケツを持ってんの。だから攫われたのよ。で、私たちはそれを悪用されるのを防ぐために動く」

 動く、ということは、その攫った相手と戦うということだ。戦場へ行くということだ。

「正気ですか? 相手は曲がりなりにも英雄とまで呼ばれた男と、その部隊ですよ?」

「そうね。それでもいかなきゃならないのよ」

 色々と理由がありまして、と夕映は苦笑する。

「学園長は、取引に応じた私たちの体の中に小さな発信機を埋め込みました。明鷹から半径十キロ以上離れると起動し、全身に毒が回る仕掛けになっています」

 次に現れたのはシャオだ。私が持ち出そうとして持ち上げることもできずにひっくり返った大口径の狙撃銃を軽々と担いでいる。ちょっと悔しい。彼女はロングコート型の強化鎧を纏っていて、その立ち振る舞いはとても様になっていた。

「まさかそれが多少の制限、ですか?」

 ええ、と彼女は肯定する。制限どころの話ではない。生殺与奪権を完全に握られているではないか。人権侵害も甚だしい。

「また、明鷹から抜き取られた瞬間、《欲渦》はそのエネルギーを暴走させ、半径百キロ圏内をすべて消滅させます」

 耳を疑った。消滅、とは、なかなか普段使う言葉じゃない。

「ついでに付け足すと、両国の戦争再開の号砲でもある」

 ガドが、セシエタを連れてこっちに歩いてきた。

「どういうことですか。明鷹が死んで、《欲渦》が暴走したら、どうして戦争が始まるんですか」

 もう訳が分からない。明鷹から離れたらみんな死んで、明鷹が死んでもみんな死んで、とにかく犠牲が出ることだけはわかったがもうそれ以外は訳が分からなくて飽和状態だ。詰め寄る私を、まあ待て、と両手で静止させ、ガドは胸ポケットからタバコの箱を取り出す。が、中身がないのに気付いてくしゃりとそれを握り潰し、舌打ちと共に放り捨てた。そばにいたセシエタがポイ捨てしちゃダメ! と怒りながらそれを拾う。

「悪い悪い。・・・まったく、こういう切らしてる時に限って、タバコが欲しくなる事態が起こるんだ」

 毒づいて、そして改めてこちらを向く。

「明鷹に埋め込まれた《欲渦》に集められる感情のほとんどは、憎しみや怒りと言った負の感情と強い欲求だ。なぜか? それらが人の内で最も強い感情だからだ。

 戦争末期、この天秤島で両国の首脳と、後の学園長、当時は王国の内政担当の官僚だったかな? 義輝たちの間で二つの約束が交わされた。一つは休戦条約。もう一つは開戦条約だ」

 休戦条約はわかるが、開戦条約など、戦争を互いに合意の上で始める約束など聞いたことがない。

「《欲渦》にもエネルギーをためておける限度がある。それを超えても暴走する仕組みになっているんだ。それが確認できた途端、速やかに開戦する決まりだ」

 精神をエネルギーにするよりも馬鹿馬鹿しい話だ。だが、次のガドの話でその考えに待ったがかかる。

「なぜなら、《欲渦》から溢れるほどのエネルギーが蓄積されたということは、世界中の人間の憎しみが臨界点に達したという目安だからだ。共に生きることも、関係を修復するのももはや不可能な状況になったってことさ」

「強引すぎる。今の時代、戦争以外のこと、相手の国に対して以外の憎しみだってあるはずです。それも一緒くたにするなんておかしいでしょうが」

「文句は当時の人間に言うしかねえわな。それに、このことは両方のトップは知ってるよ。知っててそのまま戦う気だ。ストレスがたまってるのは事実だからな。ストレスってのは厄介だ。いつ、どこで、誰にたいして爆発するかわからない。だから自国で爆発される前に、敵に対して、という指向性を持たせる。内側の不平不満を敵にぶつけるなんて使い古した手だが、効果はあるんだよな」

 まるで他人事みたいにガドは言う。

「で、こいつらに与えられていた任務は、明鷹とその周囲の監視であり警護であり、確実な殺害と死体の確保だ。欲渦は明鷹の体内に収められている間は暴走しない。抜き取られたが最後、終わりへのカウントダウンが始まる」

 話は分かった。事情も。しかし、これではあまりに明鷹や彼らが不憫すぎる。まるで道具のような扱いではないか。

「道具ですよ。間違いなく。今も昔も。けれど、道具にも意地があります。使われるべき相手を選び、相応しくなければ縁を切れる程度に」

 だから、とシャオは続けた。

「だから私たちは、これから生きたままの彼を連れ帰りに行きます。私たちを道具として扱おうとする連中、それを利用しようとする連中、敵対する連中、戦争のきっかけが欲しいその全ての連中に対して地味な嫌がらせをしようかと」

 シャオの目が細められる。彼女から発せられる気配は、とても嫌がらせなどという生易しいものではない。

「明鷹はね。ずっと一人だったんだよ」

 セシエタが悲しそうに言った。

「僕よりも小さい時に体に《欲渦》を埋め込まれたんだって。それから学園ができるまで、ずっとあのシェルターで過ごしてきたんだって。僕たちの監視が始まるまでは、寮にすら入れなかったんだって」

 だから、シェルターから出ようとしなかったのだ。寮には帰っていたのではない、眠りに出かけていたのだ。

「暴走の被害を少しでも食い止める措置だとさ。あんなもんあったって、この島くらいは綺麗に吹き飛ぶっつうのに。人間の欲望の総量舐めんなって話さ」

 ガドが苦笑する。

「あいつさ。一度だって認めたことないのよ。私たちのことを仲間だって」

 夕映さんが大きなため息をついた。

「どんだけ話しても、一緒に生活してても、最後のラインで決して私たちを寄せ付けない。きっと、自分が近い将来死ぬことが分かってるから。その時には、誰にもそばに寄り添っていて欲しくないから」

 最初に会った時のことを思い出す。彼は執拗なまでに私がここに来たことを問いただしてきた。さっさと島から出ていくように言っていた。理由はこれか。なんて、なんて

「ふざけた野郎でしょう?」

 命がわらっていない笑顔で言った。私の心を代弁したかのように。

「何をいまさらとも思うし、そっちこそ僕たちがどうしようと勝手だろうと思うわけだよ。明鷹とつるむのも僕たちの勝手だ。どれだけ嫌がれようとも、僕は彼に絡み続けようと思うんだ。お互い実の家族よりも長い付き合いだ。一緒にいたら死ぬから近づくな? 無理だよ。僕の体にだって毒が仕込まれてるんだ。発信機の方じゃないよ。情って毒だよ。共感とか、同情とか、友情とか信頼とか腐れ縁とか、そういうのって理屈でどうにかなるもんか」

 穏やかな彼が、ここまで感情をあらわにして、早口でまくしたてるも珍しい。怒っているのだ。腹の底から、煮え過ぎてどろどろの溶鉱炉の鉄みたいになった感情があふれかえろうとしているのだ。

 だから、と命は腰の刀をポンとたたく。

「僕らは、生きたがらない彼を殺させず、お姫様のように悪党どもから助け出し、頭からシャンパン代わりの炭酸飲料を振りかけてべっとべとにしてやるつもりだ。ざまあみろって。君の心配なんか全部的外れの大外れだって大笑いしてやろうと思うんだよ」

「結局のところ、私たちは彼が気に入ってるんです」

 今日初めて、シャオが微笑んだ。

「最初は大嫌いでしたよ。死ぬはずだった私がスパッと死ぬこともできず、子どもの御守なんてみじめに生き恥を曝しているのは彼のせいなんですからね。何度殺そうかと思ったか。いくらでもあったんですよそんな機会。だからできなかった。いつでもいい。ここから脱出し、生活できる目途が立ってからにしよう。そうやって今日はまだいい、今日じゃなくてもいい、って日々を過ごしてたら、なんていうのかな。捨て犬を気まぐれに拾ってきていつの間にかかいがいしく世話を焼いていたみたいな感じというか。ほら、彼は誰から見てもダメ人間じゃないですか。ダメ人間って、母性本能くすぐるじゃないですか」

「ダメな子ほどかわいいって言うものね」

 ねぇ? とシャオと夕映が顔を見合わせた。

「以上で、僕らの話は終わり。ティアさんの疑問に大体は答えられたはずだ」

 命がそう言うと、話は終わりとばかりに、全員がその場を離れ車の方へと移動しだした。

「後は任せて、早くここを離れたほうがいい。後十五分で島からの最終便が出る。以降は、問題が解決されない限りどこからも連絡船が来ることはないと思う」

 走れば十分で着く安全圏へのチャンスを指し示す。あそこに辿り着けば、確実に生き残れる。一か月前の、もとの皇族生活に戻る。彼らの話が本当なら、もし明鷹が死に、彼らの任務が失敗すれば、戦争状態になる。そこで、最も安全なのはそれこそ本国の中枢だろう。そこに居座る権利が自分にはある。リスクを考えれば、最も確実で安全な選択肢だ。

 命が踵を返す。他のみんなはもうすでに車に乗り込んでいる。運転席にはガド、後部座席兼荷台に三人が乗り込む。彼らは彼らの使命を全うするために全力を注ごうとしている。

 ならば私も、自分の成すべきを成すために動こう。

「なっ」

 助手席に乗り込んできた私を見て、軽くガドが驚く。

「出してください」

 さも当然のように助手席に座りシートベルトを締めた。

「時間が惜しいから一度しか聞かないけど、良いのか?」

「よくありません。まったくよくありませんとも。私の祖国とその同盟国に害を成そうとしている輩が目の前にいて、それを放置し、あまつさえ尻尾を巻いて逃げかえるなど、決して許されることではありません」

 どう考えても、素人に毛が生えた程度の私は足手まといだ。そして見るからに、彼ら彼女らはプロだ。

 しかし、引くつもりはなかった。しがみついてでもこの車から、この件から降りる気はない。降ろされたとしても、追いかけてやる。不退転の覚悟だった。

「どうぞ」

 後部座席から手が伸びてきた。振り返ると、シャオの顔が近くにあった。

「試験品十番『ニュータイプ』、イヤホン型の無線機です。脳波と同調させることで、電波だけでなく、テレパスの波長を受信し、また自分の思念を波長に変換して飛ばすことが出来ます。夕映さんを中心にして半径十キロ以内なら圏外が存在しませんし同時通話も可能です。普段はラジオ代わりにもなる便利グッズです。上部についているスイッチを入れると、集音マイクとしても使えます」

「シャオ」

 咎めるような夕映の声。

「問答の時間も惜しいんです。手伝ってくれるというなら、自己責任で手伝っていただきましょう。それにここで無理やり降ろしたって、ティアさんは来ますよ。なら、想定外の動きをされて混乱するより、こちらで動きを把握できた方がやりやすい。囮でも何でもやってもらって、成功率をあげたほうが効率的です。味方は多い方がいいというのは、まさに至言です」

「いやあんた、一国の皇女を囮扱いってどうなの?」

「構いません。私の肩書など、明鷹風に言わせれば腹の足しにもならない無意味なものです」

 言いそう、と命が苦笑した。

「ティアさんにも明鷹菌が感染ったようだね」

「どういう意味です?」

「馬鹿になった、ってこと」

 ふむ、否定できない。知らず、口元が緩む。

「これで、私もようやくクラスの一員、ということでしょうか」

「違いない。さあ、馬鹿の総元締めを助けに行こうか」

 ガドがアクセルを踏み込んだ。

「勢いよく乗り込んだのはいいんですが、目的地はどこですか?」

 車内にいた全員が同時にずるっと滑った。車がスリップして道を外れそうになった。

「・・・ティア姉ちゃんって、天然だよね・・・」

 失敬な。知らないものは知らないのだから、聞くしかないではないか。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥ともいうのだから。

「場所は島の中央にある立ち入り禁止区域、停戦条約と開戦条約を結んだ因縁の地であり、諏訪明鷹が欲渦を埋め込まれた地だ」

 気を取り直して、ガドがアクセルを踏み込んだ。

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