5. 16:40 高等部校舎3F

「何これやばくない?ガチ?」


「絶対やばいってこれ」


「いやあり得ないって」


 教室の中は手元から現れる情報に振り回されている。不確実性の訴えは高校生には届かない。


「schoolyard見てみなって。拡散の勢い半端ないよ」


 俺も周りが使っていたからという理由で”schoolyard”をインストールしていた。


 schoolyardは言ってしまえば従来の多種多様のSNSをひとまとめにしたアプリケーション。四騎士と比喩されるような世界を支配する企業らが共同で管理している。プライバシーは意味を成さず、その代わりとも言うべきか、世界は情報の恩恵を授って生きている。


「…は?…………こんなんすぐ消されるって。ふざけんなよキモいもん見せやがって」


「デマにしては出来過ぎだって。本当に起きてるんだよ」


 鼻から深く吸い込んだ空気を放出し、教卓に肘を預け頰と顎を支える。この現状を見て携帯いじるななんて言ってられない。それは過去自分が言われ続けて飽き飽きとした経験と、今を生きる人間に注意するほど無粋なことは無いことから。そして自身もまた、余った片手を光らせているから。


 地下鉄樟陽駅で起こった暴動を電車内から捉えた映像は既に世界に発信された。事態の解決も時間の問題となり、生徒も守りさえすればいい状況になった。黒板の前から見渡して見えるこの景色は実に良いものだ。


「おい倉代、名切はまだ帰ってないのか」


「うんまだー」


「村形と一谷は?」


「知らない」


「おいお前知ってんだろ」


「知らないってうっさいなあ」


「……まあいいや」


 もしかしたら村形と一谷が戻ってきてるのではと思い一度教室に寄ったが意味はなかった。今朝俺の陰口叩いた名切に仕返しも兼ねて職員室にものを取らせに行かせたが、まだ戻ってきていないのは予想外だった。


「よーし、んじゃ俺戻っから大人しくしとけよ〜」


 帰れだのとっとと行けだの散々な言われようだが、こいつらは特に問題はなさそうだ。村形と一谷あの二人だけは心配だ。


 廊下は隙間から溢れる生徒たちの喧騒のみがあった。フィルター機能の形骸化から起こる閲覧画像の自由化により、血だらけの映像が世にばら撒かれても生徒がパニックになって大騒ぎすることはない。先生 に指示されるがまま教室の中に留まっているが、それが気色悪さも醸し出す。とにかく従順で、死体を見ても対して驚くこともなく、昨今取り沙汰される機会の多い人間味というものが非常に薄いように思える。


 高校生ともなれば、人間としての形成が一進一退を繰り返して、さらに完成に近づく時だと思う。生活が安定する時もあれば、不安定になる時もある。いろんなことを知って学んで体験して人生の土台を塗り固めていく期間だ。だからこそもっと、であってほしい。先生が言うなら何かをする、先生に怒られるから何かをしない、なんて考えてもほしくない。自分なりに生徒とはそんな自由を伝えられるよう意識して接しているつもりだが、その手段について正解が解らないまま少し年をとってしまった。


 ぼんやり歩きながら渡り廊下に足を踏み入れ、開いていた窓のレールに手を置く。遠く、糸のように見える外壁を見つめ、巻き髪が軽くなびくくらいの外気を受ける。その外気は揺れ動いているように感じられ、奇妙な空気感に疑問を抱く。その答えは、真下にあった。


「あ!?誰だありゃ!おいお前ら!!」


 男と女が二人ずつ。さっきのブザーは校門が閉まる時のもの。てっきり閉まっただけだと思ってたが、駆け込み乗車したわけか。


「……っ…先生ーッ!」


 座り込む生徒が大きな声で先生と呼んだ。まさかとは思ったが、確実に名切の声だった。初めて聞いた彼女の大声は聴くものの全てを抉るような悲痛さが含まれていた。


「待ってろ今降りるから!」


 駆け出そうと体を動かすが同時に、従順からわずかにはみ出した生徒が教室から出てきていた。野次馬は要らない。


「……おっ、お前らは!戻ってろ!」


 一喝し、階段を駆け下りる。見慣れた階段とその踊り場は自分が教員であると改めて思い出させてくれた。


 校庭へ遊びに向かう小学生のように二階、一階と降り抜き、夕日に焼かれた屋外に出る。何があったかは知らないが、この状況で校門の前に生徒がいるのはおかしい。とにかく話を聞かなければならない。


「どうしてお前がこんなとこにいんだよ。それに、お前らも……」


 眼前の世界の異質さに一つ近づいただけでその世界から拒絶された。光景を相手に佇み、数秒の沈黙が過る。バケツからぶちまけたように血がばら撒かれ、その痕を囲むように生徒が各々異なる様相を示す。目が合ったまま立ち尽くす生徒、体の背面全てを地面に付ける生徒、その側で啜り泣く生徒、尻もちを付いたままの見知った生徒。静寂が融けたのは、見知った女子生徒が四つん這いで足に縋ろうとした時だった。


 全ての音に濁点が付く叫びを耳元で受け止めた。回された両手はシャツとインナーを生温かい液体を染み込ませ、腕から伝わる振動はより鮮明になっていく。絞め殺す勢いだった腕の締め付けは徐々に緩くなり、声も段々と弱くなっていく。ただ、泣き止む気配はなく、胸で受け止め続ける。


「あ、あの……」


 目が合った男子生徒が見下ろし口を開く。


「先生、何言ってるか分からないと思うんすけど、人が、目の前で…死んだんです……」


「……ああ、そうっぽいな。怪我とかしてないか」


「怪我は全員大丈夫だと思うんすけど。でも俺もみんなも、訳が分かんなくてなんかもう、ほんっとに——」


「そうだよな、大変だったよな。まあとりあえず、校舎入るぞ。保健室に行こう。多分南風原先生いるから。ほらっ、名切も……」


 額の力を抜きつつ口角を上げて、背中をポンポンと叩く。息子をあやす時と同じことをしているが、安心させるために浮かべている笑顔は精一杯の作り笑顔の仮面に過ぎない。自身の動揺を隠すためのもので、余裕を取り繕う嘘の表情だった。


「……すみません」


 立ち上がる名切に大丈夫と一声かけて、他の二人にも意識を向ける。名切をあやす間に二人とも近くに来ていたらしい。名切ではないもう一人の女子生徒の後ろ髪が赤黒いことに気づくが、それが一体何が何だかはさっぱり分からない。


「見た感じ怪我はしてなさそうだな。とりあえず、名前とクラス教えて」


「……3年の戸板です」


 二歩進んでから返答した戸板という生徒は、大人顔負けな体格だ。俺よりも背は大きく、制服も少しきつそうである。


「自分も同じで、えっと、3年の八頭司です」


 言葉のイントネーションやパーカーを羽織る格好がいかにも若者らしい。今の自分には無い若々しさがあるが、目の充血が悪い意味で目を引く。


「久しぶりです。3年の、韮沢です」


 韮沢は前髪だけでなく後ろ髪まで湿らせ、顔全体に汗を滲ませている。久しぶりにきちんと顔を合わせたのは一年生以来か。様子から察するに、またトラブルの中心に立っていたのだろう。


「うん久しぶり。んじゃ、とりあえずみんな付いて来い」


 背中で受け止める四つの足音は大きさは違えど、力無い足取りであることを示す。昇降口の自動ドアを通り過ぎ、床材の上を歩いても心身のへたばりを感じ取れる。その空気感に飲まれることなく、ノックもせず保健室の扉に手をかけた。


「あれ、閉まってる」


 養護教諭が今どこにいるかを示すホワイトボードには、中等部校舎の保健室に移動していることを表していた。


 少し歩くくらい別にいいかな、大怪我を負ってる訳でもないし。


 いやあでも向かう途中で合流しても無駄っちゃ無駄だしなあ。


 だからってここで待ってるのも変だし。やっぱ中等部行くかあ。


「…………あの、先生。保健室の先生帰ってきたよ」


 名切が見る方向、中等部校舎へ向かう出入り口から幾年か先輩の先生が小走りで向かってきた。後ろにこれまた見知らぬ女子生徒二人が追従する。南風原先生は大きく目を見開きつつも大声を堪えながら、最上級の小声でどいてと俺の目の前に体を寄せ保健室の扉を開けた。この先生には本当に頭が上がらない。俺はひょろひょろの体で背後の生徒たちを隠す。


 付いて来ていた何となく見覚えのある生徒たちを渾身の苦笑いで注目させる。同じような表情を浮かべ入室する、二人の後を追って部屋に入る。


 そして最後に入った生徒が扉を閉めた瞬間、眉をしかめる南風原先生に手招きされる。とりあえず生徒に座れと指示しつつ、嫌な感情が漂う保健室の端に歩を進めた。


「みんな…………えっ、あっ、あの…何ですか……その…………ちっ、血?イヤ——」


「ちょ!……大声出さないで!抜け出してんの分かってるでしょ……!」


 また新しい声質が耳に入った。だが、そのあとに声の大きさを窘め、相手の口を両手で塞ぐ生徒の声を聞いた時、学校という閉鎖的空間で生徒としてではなく、人として成熟を見せている二人の名前を思い出した。職業柄、名前を覚える機会が多い。自身の思うところとして、生徒の名前を忘れやすい短所があるが、姿や声ですぐ思い出せる長所もある。


 ひとまず振り返って笑顔を見せる。


「ああ〜、高根に水海みずうみ。落ち着いて話を聞いてくれ」


 そして、多くを抱えた代償なのか、鮮血の染みた背中から脅しを受けることになった。


「高崎先生、色々と……説明してくれますか」

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