暴動発生初日 五敷高等学校・付属中学校

1. 16:15 高等部校舎3F

 スペースなんて所詮要人や富裕層を優先的に次世代に残すための豚小屋だろう。結局どの国も政治家は富裕層以外の受け入れには消極的だし。まずまた大戦が起きたら今度こそ人類は終わる。もしかしたらすべての生物が死滅するかもしれない。ある意味命は政治家たちが握られているんだ。そう思うと、一周回って前向きになれる。いつ死ぬか分からない。なら今を謳歌するべきだ。だから僕は――


佐波さなみ、この問題の答えは?座ったままでいいよ」


 一番後ろの席は教室全体を見渡せるし、外を見て物思いに耽ることもできる。でも先生に当てられることもあるからそこは嫌いだ。それを言ってしまったら、一番前の席にいる人は不憫に思うだろうか。


「えっと、洋白です」


 答えればもう自由の身。反射的にまた、窓から見える地平線の凹凸が目立つ景色を眺める。


「そう、またの名を洋銀とも言う。そうだなー確かこのクラスには吹奏楽入ってる人いたと思うんだが、一部の楽器はこの金属で作られているものもあるんだ。まあ100%ではないがな。さて!もうじき授業も終わるから、好きにしてていいぞ。チャイム鳴ったら各自休憩で」


 あの先生は生徒に対してとても優しい。僕から見れば至って普通の顔立ちだが、みんなからすると下の上か中の下らしい。でも先生の指に光る指輪から、人は容姿だけじゃないんだなと感じられる。先生は実際に結婚している。僕はそんな先生から無自覚に元気をもらっている気がする。すごく楽しそうに授業をしているからだ。


「ねえ先生、明後日以外じゃダメ?」


「お前に合わせたようなもんだろ。ほれ、この紙の通り、明後日しか再試やらないぞ」


「うっへー……あんな紙要らねえんだけどなー。佐波ー今日一緒に帰らね?」


 外を眺めていた僕の視界の左側にいるぼやけた人間から名前を呼ばれる。首を少し左を曲げ、反射的に口を動かす。焦点は相手に合わせない。


「ぁー……うん」


「おいおいお前いつも素っ気ねーよなー。別にいいけどよ」


「お前は明後日の再試あんだからちゃーんと勉強してくるんだぞ?」


「へいへい、せんせーは早く教卓んとこ戻れよ、ったくよー」


 羽染はぞめは身体を伸ばしたり、背もたれに手を置いて背骨を鳴らしたりしているのだろうか。こいつと会話するんだったら僕は外を見ていたい。いや、たとえ誰でも適当に返事を返すのかも。


 三階からの景色は下の階に比べて、一軒家の屋根を完全に見下ろせる高さだからより遠くまで見える。待渡った末ようやく高校二年生になって、しかも運良く二階の教室じゃなく三階にある教室に来られて、眺められたんだ。無機質な建造物の立ち並ぶこの景色、特に今の時間に見られる、斜陽に照らされ淡くも確かに緋色に染まった情景は僕を魅了する。上手く理由は言えないけど、この暖かみのある色がただ単に特に好きなのかもしれない。生まれながら他の人より色素が薄い僕の体毛は、黒色ではなく茶色。茶色は元を辿れば赤色とかオレンジ色。無理やりだけど……この毛の色はやっぱ好きかな。暖かい色が好きなのだと思う。


「ねえ。ねえ佐波。もうチャイム鳴ったよ?担任来る前に教科書片づけちゃいなよ」


 しまった。またやってしまった。


「ごめん、ありがとう倉代くらしろさん」


「あんたこれ何回目?んじゃね」


「あはは……また明日」


 作り笑いを浮かべながら机の上の整理をしている間にも、教室を出ていく人たちがたくさんいた。次の日の授業変更などがあったとしても学校側から一斉に、各生徒の携帯端末のアドレスに連絡が届くし、朝の出欠確認と授業以外自由の身になれるのがこの学校の良いところなのかも。ほかの学校だと小学校の頃にあった帰りのホームルームが中学高校と続くらしい。普通にすぐ帰りたい。


「よいしょっと……」


 真後ろにある僕の出席番号の貼られたロッカーに、背もたれに胸から寄りかかるように座ったまま教科書をしまう。今日の授業も終わったという毎日感じられる独特の感覚からか、無意識にため息が漏れた。ちょうど、『地学応用』と表紙に書かれている最後の一冊をしまったとき、放送室から流れる音声を流すスピーカーからノイズが聞こえた。あのスピーカーは放送を流すたびに最初にノイズが流れる。


「全生徒にお知らせします。たった今第23支部中央警察署から緊急の連絡がありました。音声を再生します」


 緊急?何?開戦とかだったらこういう放送ではやらないし……。


「この音声は第23支部にあるすべての施設に放送されます。第23支部中央警察署は地下鉄樟陽駅の地下ホームにて大規模な暴動が発生したことを確認しました。新たな細菌による影響の可能性もあり、大変危険な状況です。現在すべての内部外部連絡通路は封鎖されています。現在第23支部にいる方々は施設内から出ることはできません。屋外にいるみなさんは近くの建物に避難し、しっかりと施錠してください。繰り返します……」


「……とのことです。わが校は支部警察の指示に従い、みなさんを保護するため指示があるまで学内で待機してもらいます。学内の生徒は教室に戻ってください。教職員のみなさんは職員棟一階の会議室に集合してください。生徒のみなさんは教室内で待機してください」


 なんだ?何が起きたんだ?暴動って言うけど、今確認されてる新種の細菌にそんな症状を起こすものがあったっけ?まさかまた新しいものが生まれたのか?


「ってわけだ。今からみんな教室から出ちゃダメだ。まずはお前らみんな落ち着いて席に座れ。帰った奴は呼び戻さにゃいけないが外壁のゲートは封鎖されてるから帰ってくるとは思う。もう校門も閉じるはずだ。……この学校の放課後は知ってるだろあのバカ学長」


 担任の高崎たかさきがいつの間にか教室の中にいた。いつもは聞き取りにくくて癇に障る低い声が今はみんなを落ち着かせているみたいだった。


「教室出た奴全員戻るようにどうにか連絡つけてくれ、割とマジでやばいからマジで戻るように言って。あー、まずこの連絡があったのはついさっきでな、授業で職員室いなかった先生とかは今知ってドタバタしてんだろうけど、俺は授業無くて運よく職員室にいたんだ。まず言っとくが、この件で余計な推測はやめろよ。悪い方に考えたりしたらパニクられても困るから。……じゃあまずこれからの予定を伝える。まずは指示待ちだ。今日はとりあえずお泊りの可能性もある。ライフラインも止まってないから部活用のシャワーだって使えるし、電気も使える。食べ物だって非常用のものが十日間分ある。全生徒全教職員の分ある。だからそこら辺は心配すんな。放送までここで勉強でもしてればいいよ」


 一呼吸置いてまた話し始める。


「今緊急で職員会議やってるから先生ほとんど職員棟にいるんだよ。生徒が帰ろうとするのをとっ捕まえてた先生たちももう会議に行ってると思う。それでなあ、学年ごとに先生一人ずつ戻ってきてて、今いる生徒といない生徒を確認して回るように言われてんの。確認全部終わったら職員棟行くからな。じゃあ俺は他の二年のクラスにも確認しに行く……が。ここはいないのは……村形むらかた一谷いちやか〜」


 高崎は一方的に話すだけ話し、学級長の名切なきりさんを連れて教室を後にした。


 きっと僕含めここにいる生徒全員が何を言っていたかさっぱり分からないだろう。でも、みんなあの大地震を経験してるから落ち着いているみたいだ。危機感が足りない気がするけど。避難訓練の時と同じような雰囲気が漂っている。


「なー佐波。地下鉄のある場所ってここから見えるあれだよな?あの少し高い建物あるとこ」


 普段と変わらぬ態度の羽染が外に指をさしていた。僕は幾度となく眺めている窓ガラスに目を動かす。


「うん。でも煙は見えないしサイレンとか聞こえないからそんな危ないものでもないんじゃないかな」


「なんか俺こええわこういうの。お前は平気そうだけどさ」


 ねえ先生、と帰宅の是非を担任に尋ねる彼の方こそ平気そうではあった。


 ……そんなことない。僕だって怖い。このような非常時の感覚は昔体験した大地震でもう二度と感じたくないと思ってたけど、まさかまた体験することになるなんて思ってもいなかった。太ももの上にある拳の内側は少し湿っていて、心身ともに滅入っていることがよく分かった。


「僕だって怖いけど、こういう時こそ冷静でいないと。みんなもきっとそう思ってるよ」


「まあ、な。でもさ、こういう時に限って言われたこと無視して死ぬ奴だっていたじゃん。あの時みたいにさ」


「失礼かもしれないけど、あの余震で下敷きになったあの人たちは……自業自得だから。僕はそんなことで死にたくない。ごめんだよ」


「……悪い。そういや家族には連絡したか?俺の親多分まだ仕事で返事くれねーや」


 そうか、もう授業終わったから携帯使っていいんだ。じゃあ兄さんと姉さん、あと美予奈みよなに連絡しないとだ。


「今するよ」


 携帯を見ると、兄、姉、妹全員から通知が来ていた。文を読まずフリックして、『四人のやつ』というグループ名が出た後に僕たち四人のトーク画面が表示される。


「克にい(佐波克斗さなみかつと)『お前ら全員帰った?俺まだだけど』」


「十和ねえ(佐波十和さなみとわ)『うちも。あのクソ担任、出ようとしたっけでかい定規で止めてきた』」


「美予奈(佐波美予奈)『私もまだ。あとはかける兄さんだけだよ。』」


 携帯いじれるってことは変にパニックとか起きてないってことだよね。良かった。


「まだいるよ、っと」


 携帯をポケットにしまう前に時間を確認すると、16時30分と表示されていた。


 デジタル時計、僕は好きだな。

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