勇「些細な事で縺れてないですか?」

 愛衣に「優という大切な伴侶がいるからその気持ちには答えられません」と言うと、「お姉ちゃんのナルシスト!」と泣きっ面に赤い頬を風船のように膨らませて恨めしそうに言われました。しかし、愛衣は一度嘆息すると笑みを浮かべて、「まぁ、私はえーっと、二人とも『ユウ』さんか、ややこしいな。そう、優さんとお姉ちゃんがそういう関係って知ってたから、玉砕覚悟だったんだけどね」と言い、舌をペロッと出してあっかんべーをしました。


 時刻はその時、夜十時を過ぎており、女子高校生に夜道を一人で帰らせるのは姉として……いえ、現状は兄なのですが。とにかく、親族として許容出来ない事なので送っていく事にしました。


 とはいえ、徒歩で随伴するだけなので愛衣は私に気を遣ってか「大丈夫だよ、殺傷能力の高い特製スタンガン持ってるから」などとさらりと物騒な事を言いました。私は愛衣の気遣いをどう懐柔したものか、と思っていましたが、そこへ優が「大好きな『男のお姉ちゃん』に送ってもらいなよ。ちょっとの間だけウチの旦那、貸してやるからさ」と、違和感満載のセリフを発した事により愛衣は渋々、首肯。


 そして現在、私は愛衣を家に送り届けて薄暗く街灯と内部の明かりでぼんやりと輪郭の描き出された実家を久々に眺めてから帰宅したのでした。


「どうだったんだよ、久しぶりの実家は。ちょっと、寄ってきたらよかったんじゃないか?」


 優は不可能を分かっていてそれを面白がって口にしました。


「この姿で家に入っていったら、愛衣の弁護があっても警察呼ばれますよ」


 私はそう言いつつ、優と向かい合うようにダイニングに設置されたテーブルを挟んで椅子に腰掛けます。


「お前さんの親父を考えれば、こんな時間に帰宅して怒られるんじゃないのか?」

「どうでしょうかね。私の父は娘達に過保護ですからね。怒るか、怒らないかで言えばまぁ――両方ですかね」

「大事にするが故に叱るか、そうせずに傷つけないか。まぁ、どっちも子供を大事にしている事には変わりねーのか」


 優は納得したのか手を頭の後ろで組ませて、椅子にぐっともたれかかりました。


 胸部が強調されてちょっと艶めかしい――などというふざけた事を考えている場合ではありませんね。私達には問題がもう一つ残っています。


 そう、私達。

 もう、「あの一件」は二人の問題として共有されているのですから。


 それについて語るべきだと優も思ったのか、彼女の方からその件についての質問を投げかけてきました。


「そういえばお前さんが言ってた、ストーキングされてたってのはつまり、勇がその体で誰かに尾行されたって事か?」


 優は自分の問いかけ自体が腑に落ちなさそうという感じで、少し頼りなさげに問いかけてきました。


「まぁ、優が疑問に思うのも無理はないでしょう。この髭面に長身、筋肉質な肉体でストーキングをされるという事実は多様化したこの世の中でも十分に珍事でしょうからね」

「珍事ってレベルじゃねーだろ。だって、体はこの一か月で入れ替わったばかりなんだぜ? 俺の方に尾行されるような覚えがねーんだから、この短期間でその体を使ってお前さんがストーキングを受ける理由を作ったって事になるんだが、どうやら勇の推測していた心当たりである、愛衣ちゃんがハズレだったんだろ?」


 優の言葉に私は何だか、自分の相対しているストーカーが急に闇の中に紛れ、影を纏って茫漠とした存在になった。そんな恐怖をすぐさま感じました。


 正直、愛衣が私を尾行していたと思った時は安堵したものですし、最悪そうでなくとも優が二十数年間も使ってきたこの体に何らかの思い当たる節を感じてくれれば納得出来るのですが。犯人の正体を突き止める、一種のアテが全て消え去ったのです。


「優は心当たりがないと言うのですか?」

「うーん、特にないな」


 優は首を傾げ、目を閉じて回想してみたようですが思い当たる節はないようでした。


 しかし、こちらにそう思われる節が残らなくても、逆はあり得るのではないでしょうか?


「優、今までに恋愛の縺れとかはなかったのですか? ストーカーが発生する理由の九割は恋愛における縺れだと言いますが。何か、些細な事で縺れてないですか?」

「何だよ、その『縺れてないですか?』って質問は」


 優は私の奇異な問いかけに瞬間、表情を顰めたもののまた「うーん」と唸って、首を右に左に傾げて思考し始めます。


 しかし、私は自分で質問しておいて変な話ですが、この問いかけに含まれる矛盾点というか、不備のようなものを発見してしまいました。優がなかなか私の問いに答えられないのも無理はありません。


 私達の特性を、考えれば。


「考えてみれば妙な質問でしたね。そもそも、恋愛を成就させる事が難しいですもん、私達って。カミングアウト出来ず、肉体の性を演じている私達が恋愛をすれば同性愛者扱いされますもんね」

「まぁ、確かにそうなんだが――縺れってわけでもないけど、恋愛において俺は一つ、揉め事のようなものは経験している」

「揉め事、ですか?」


 私が促すように問うと、優は「そうだ」と言って首肯しました。


「片思いしてた奴のちょっとした一面が気に入らなくて怒鳴り散らした事があるってだけなんだけさ」

「ど、怒鳴り散らした?」


 私は呆気に取られ、素っ頓狂な声で復唱してしまいました。


「幻滅したっていうか。ついついな」

「一体、どんな一面を見せられたのですか?」


 興味本位で私が質問を差し向けると、急に「あっ」という何かに気付いたように口を開くと、続いてバツの悪そうな表情を浮かべ、「えーっとだなぁ」と言葉を詰まらせる優。


 あまり触れたくない過去、であるならば私の立場的にも追及はやめておくべきでしょう。仄めかされたら知りたいのは当然ですけれど、そこはぐっと我慢しなければ。


 なのでちょっとした配慮というか、論点をずらす事にします。


「まぁ、当時の優が怒鳴り散らしたら、それはもう尾行する原因になる所か顔を見るだけで逃げ出してしまうでしょう。だって、この顔ですよ?」


 私は嘲笑交じりに自分の強面な顔を指差して、言いました。


 優はむっとした表情を浮かべ、椅子から立ち上がるとテーブルを挟んで向かい側の私の頬を一発、引っ叩きました。「何をするんですか」と私が問いかけると、「ちょっと、イラッとした」と言われました。まぁ、納得ですけど。


「しかしまぁ、優にもそんな恋愛事情があったのですね。あぁ、これって俗に言う恋バナってやつですか?」

「違うだろ。事件に対する事情聴取」

「嫌な四字熟語ですね。他にないのですか?」

「じゃあ事実考証」

「なんか事務的になりましたね」


 私は引き攣った表情に呆れたトーンでそう語りつつ、自分達では解答は導けないかなと思いつつありました。好きな人を怒鳴り散らした経歴が、ストーカーに発展するとは思えません。よっぽど酷な事を優が言ったのなら話は別ですが、それでも男性である「勇」を追い回す事にはならないでしょう。


 その片思いの相手から見て男性の肉体であった当時の「勇」は恋愛対象に成り得なかったはずでしょうし。


 まぁ、これは一つのエピソードとして発展も変貌もしないでしょう。


 私は大きな溜め息を吐くと、優もこの話題の行き詰まりを感じたのか「まぁ、本当にヤバいと思ったら警察行けよ」と言いました。


 確かにそれが一番早いですかね。


 詰まる所、国家権力が一番――そんな風に結論が出た時に、優は私から視線を逸らして、気まずそうな表情と挙動で質問を投げかけてきます。


「それで、今日はどうだったんだよ?」

「今日、とは?」


 優のちょっと躊躇いがちな質問に、私は問いで返しました。


「えーっと、その……友達と遊んだんだろ?」


 優はどこか触れる事に対して抵抗のようなものを示しながら問いかけてきます。


 どうだった、と言われれば……私としては友人と遊んでいる最中は、優が真奈や夕映に対して妙な行動を露わにしないか不安だったのですが――って、そういう事ですか。


 その不安感を与えて、私の楽しみを妨害したのではと思っているのですね。


「優が気にする事ではないですよ。私は私で、楽しくやっていますから」


 私がその不安を払拭する言葉を述べると、優は何故か少し――そう、少し不機嫌そうなものへと表情を作り変えて「そうかよ」と言いました。


 もう少し配慮すべきだったのでしょうか?

 でも、実際に気にする事ではないと思うのですがねぇ。


 と、そんな会話の派生で私は思い出した事があります。この際ですから、今日の内に伝えておきましょう。


「あぁ、そういえば私、明日も友人と遊ぶ予定となりまして。折角の休日ですからね、ちょっと帰りが遅くなるかも知れません。夕食もきっと一緒に食べてくるので、明日は一人分だけ作ってくれればいいですよ」


 偶然にも仕事の休みが重なった友人と約束を取り付けていた私。

 そんな旨を伝えると優は不機嫌そうな表情のまま視線を逸らし、


「まぁ、折角の休日だもんな」


 と力なく、呟きました。


 まるで独り言のようで、少し触れる事を躊躇ってしまうイントネーションだったので私は特に返答もしませんが、何か自分の予定を重ねたかったのでしょうか?


 家の中ではずっと一緒に居ますから特別、時間を裂いて欲しいという意思が隠れているのではないでしょう。第一、ズバズバと物を言うタイプである優ですから、私の休日に予定を重ねるならば、素直にその旨を伝えるでしょうし、「友人との約束は断れ」なんて強引な事だって言うかも知れません。


 それに、私の悲願だった同性の友人を、優も喜んでくれているはずです。


 今まで欠けていた幸福は、取り返さないと応援してくれた優に失礼ですよね。


 そう思考していた最中、優はぽつりと思い付きのように私に言います。


「そういえば俺、髪を切りたいって思うんだけど、どう思う? 俺としては短い髪の方が好きっていうか、そりゃあ勇の好みにも合わせたいんだけどさ」


 何故か、目を逸らしたままの優は恐る恐るとった感じの口調でそう問いかけました。


「いやいや、私がその髪をドゥーニャちゃんに似せてこだわっているのは知っているでしょう。この顎鬚を剃らずにいるように、出来ればそのままにしておいて欲しいのですが」

「だよな」


 優は先ほどまでの怒気に満ちた口調ではなく、憔悴したようなか細い声でそう言いました。

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