優「すげえ、残念な子だなぁ……」

 愛衣ちゃんが俺達の秘密に関して確証に近い推測を持ってここに来ている事を知った時から俺は何となく、入れ替わり――そして、性同一性障害に関して愛衣ちゃんにカミングアウトしてもいいのではないか、と思った。


 俺達が明言しない限りは確かに愛衣ちゃんの九割九分九厘正解と言える推測も真実には成り得ないのだが、どうも言い逃れする意味を感じないのだ。


 そんな事を考えたのはやはり、開示する――という俺達にとって恐怖を伴った進歩が、今日の三浦との会話からずっと、俺の頭の中にはあったからだろう。


 真奈や夕映のような理由が何かあるのかとも思うが、単純に家族に露見したくないという理由ならば、両親には漏らさないように言えばいいだけだ。受け入れてくれるであろう妹にだけ話すというのは、いつしか家族に対しては真実を告げる日が来る。そんな義務の一歩として、俺は好意的な状況だと思うけどな。


 愛衣ちゃんは、自分の姉が「実は男性だった」なんて事実で勇を軽蔑したりするような人間だとは思えないのだ。まぁ、勝手な俺の推測ではあるが。


 という事で、俺と勇に愛衣ちゃんの三人はこの家で唯一パソコンを設置している勇の部屋へと向かう。


「こ、ここは優の部屋なのですけれどね」


 必死に弁明していた勇だったが、愛衣ちゃんはそそくさとパソコンの電源を入れた。


「そこまで言うなら、その優さんに操作してもらいますか? 私のお姉ちゃんは機械に強いですけど?」

「や、やめてください、壊されます!」

「あれぇ? 他人の物のはずですけどね?」


 などと面白がった口調で愛衣ちゃんは語り、勇はバツの悪そうな表情を浮かべる。


 愛衣ちゃんの意地悪そうな笑みを見つめて、「あぁ、きっとこれがこの子の本性だな」と思った俺。正直、真奈と気が合ったりするんじゃないだろうか。でも、真奈は何となく無自覚で確信に触れている感じなんだよな。


 しかし、それにしてもまるで機械音痴を知っていて、悪戯にパソコンの操作を俺に振ってきたような感覚。壊される、という勇の反応を引き出すために俺の機械音痴を意図して利用したような。いや、考え過ぎか。無知という意味で、記憶喪失の人間に操作させるという恐怖心を利用したって感じだろうか?


 なんか、腑に落ちないけれど。


 起動したパソコンにディスクを挿入し、内部のファイルを手際よく起動する愛衣ちゃん。この辺り、確かに姉妹なのだなぁと思う。パソコンに表示されたのは何らかの映像で、愛衣ちゃんが持ってきたのは動画ファイルだったようだ。


 再生された映像が映し出したのは一つの風景。屋内のようで何というか、見た事のある光景――というか、この部屋だった。


 その映像は一定の位置から撮影されたものらしくカメラ視界が変動する事もないので妙な動画だなと思っていると、愛衣ちゃんは補足するように「重要なのは音声の方なんですけどね」と言った。しばらく画面を見つめていると突如、俺がいつも行っているように「おい、起きろ!」と勇を叩き起こす声が部屋の扉を勢いよく開く音と共にパソコンのスピーカーから響く。


 ――どういう事だ?


 俺は表情を顰めて画面を見つめるも愛衣ちゃんの言った通り映像にあまり意味はない。ずっと、壁ばかりを撮影していて。そう、この角度はまるで今、覗き込んでいるこのパソコンの位置から部屋の内部を撮影したようで。


 そして、俺が勇を起こす声が響くこの部屋を撮影した映像を、愛衣ちゃんが持っているという奇妙な事実。


 それは――あまりにもおかしい事ではないか?


 ある程度の所で別の映像に移り替わり、リビングのソファーを映し続ける映像にも切り替わる。それは、まるでテレビ台に設けられた収納スペースに誰かが入り込んでカメラで撮影したかのような映像だった。テレビの正面にあるソファーのみが画面に映し出されているのだが、そこで俺達が「入れ替わりに関しての苦労話」をしていたり、再び切り替わったシーンではいつだったか、勇がメールに表示された有名芸能人からのお誘いを装った迷惑メールに俺が勘違いして、スリッパで後頭部を殴打する映像。


 俺はその数々の愛衣ちゃんが持ち込んだ「証拠」に――戦慄した。


 もう、プライベートなんてあったものではない。入れ替わりの事実から、性同一性障害の事、俺の機械音痴まで日常で何気なく語っている。そう、相手が勇である故に何気なく語ってしまっている全てが、愛衣ちゃんの持参したディスクに収録されていた。


 素直に怖い――と、思った。


 どうしてどうしてどうして、と脳内で延々と繰り返される最中、俺の体は硬直して言葉の一つを発する気にもならない。椅子に座ってパソコンを操作する愛衣ちゃんの両脇に立っている形になる俺と勇は同じように硬直し――閉口していた。


 何でこの子、俺達の家の風景を撮影できるんだろう。


 そう思っていると俺達の困惑に気付き、申し訳なさそうに表情を曇らせて俺の方を見つめて「ごめんなさい」と言った。


「実家で暮らしているお姉ちゃんを盗撮するためにパソコンとゲーム機を勝手に改造してカメラを付けたんです。でも、私が学校に行ってる間にお姉ちゃんってば引っ越しちゃったもんだから、カメラでこの家を盗撮する結果になってしまいました。ごめんなさい!」


 愛衣ちゃんは立ち上がると、深々と頭を下げて何故か俺に対してのみ謝罪した。そんな態度に悪気のなさを感じ、胸中に芽生えた恐怖心が解ける俺。


 何故、姉を盗撮する事になるのか、という部分を今すぐにでも聞いてしまいたかったが、それよりも罪悪感に打ちひしがれる愛衣ちゃんに言葉を掛ける方が先かと思った。


 そういえば、勇の実家に荷物を取りに行った時に愛衣ちゃんを見かけなかったけれど、学生の身分ならば当然か。それに、カメラを仕込んだパソコンも俺達の入れ替わりによって突然持ち出されるとは思わないもんなぁ。それで、部屋にはパソコン、リビングのテレビ台の収納スペースに収められたゲーム機によって二部屋が撮影されるという結果になったわけか。


 とんでもない技術だな、この子。

 とはいえ、それならば――。


 俺は愛衣ちゃんの頭をくしゃくしゃと撫で回して、笑みを浮かべる。


「不可抗力なら仕方ないよな、気にすんなって。それに、全部知ってるって事なら俺も思い切って言うけれど、入れ替わりで突然、お姉ちゃんを連れ去っちまってごめんな。勇……いや、愛衣ちゃんのお姉ちゃんは見ての通り男の体になっちまって、ショックだよな?」


 愛衣ちゃんの罪を俺は許す言葉をなるべく、優しく響くように言った。


 そうだ。意図して俺達の部屋を撮影したのではないならば、俺はこの子に対して恐怖や怒りのようなものを抱く事はない。こうして謝っているだけ、可愛いものじゃないか。


 とはいえ、勇としては納得いかないだろう。それに、俺も興味がある。

 何故そのような行動に及んだのか、という理由――。


「いえいえ、愛衣……あなた、どうしてそもそも私の部屋を盗撮していたのですか?」


 咎めるような視線と、問い詰めるような口調。それは現在の勇の肉体と声質に相俟って、かなりの迫力を有していた。怒鳴る事はしないものの、勇の口調には明らかな怒気が籠っていた。


 そんな感情が含まれている事を感じ取って、身を竦める愛衣ちゃん。背の高い勇を恐る恐る見上げ――そして語る。


 俺だって疑問だ。何故、盗撮を行ったのかというその理由。


「だって……だって、お姉ちゃんってば仕事に行くようになるまでは、ずっと引きこもって無気力で堕落した生活をしてて……そんな頼りなくて、不安定で、壊れそうなお姉ちゃんが私、私――大好きなんだもんっ!」

「――はい?」


 愛衣ちゃんの目を閉じ、叫んだ告白に対して、先ほどまでの怒気に満ちた表情を解き、きょとんとした表情で茫然と愛衣ちゃんを見つめる勇。というか、俺も同じ心境である。家族に対して感じる好きと、何か違うような気がするぞ。だって、愛衣ちゃんってば頬から耳の先まで真っ赤にして、告白したぞ?


 おいおい……これって。

 これってさぁ、ひょっとして?


「ずっとお姉ちゃんがお兄ちゃんだったらいいのにって思ってたの。私、お姉ちゃんの些細な挙動や言動が女の人とは思えなくて。それで、それで……引きこもるようになって、どんどん駄目になっていくお姉ちゃんの事、たまらなく好きになっていって、守ってあげたいなって思うようになったの。でも、女同士って以前に家族同士だもん。それでも、一人の男の人のようにしか思えなかったから、きっとこの恋心は叶わないんだぁって思ったの。――でも、でも……今、こうしてお姉ちゃんは一人の男の人として存在していて、実際に中身も男の人だったんだよね? 家族でも、女性でもなくなった一人の男性であるお姉ちゃんが、私は好き! 大好きっ! ううん、愛してるって言ってもいいっ!」


 涙声で大熱弁の末、愛しているまで発展した愛衣ちゃんの想い。


 うわぁ、事実は小説よりも奇なりって言うけど――こんな面白い事ってあるんだなぁ。性同一性障害とか入れ替わりが受け入れられるかどうかって話じゃない。もはや、俺達と同様、入れ替わりを利害の一致みたいに考えている。


 自分の姉を盗撮して、その駄目っぷりをうっとり見つめる妹。

 すげえ残念な子だなぁ、愛衣ちゃんって。


 駄目な男が好きな女性の気持ちって、俺にはよく分からないけど。でも、そういう人って本当にいるんだなぁ……。


 とはいえ、俺はそんな愛衣ちゃんの告白を好意的に感じていた。自分の背徳的な思いをこうして堂々と語れるのは素敵で、何だか俺達の人生でこれまでずっと欠けていた、



 好きなものを好きと言う事――を見せつけられたようで、ちょっと感動した。



 自分の気持ちを、間違っているとは思っていないのだ。


 つまり愛衣ちゃんは今日、この映像を持参し、入れ替わった姉に対して自分の気持ちを伝えるべくここを訪れたのだろう。姉の秘密を暴く代わりに、自分の秘密も暴露する。何だかフェアで、いいなぁとか思ってしまう。


 自分に正直な愛衣ちゃんを、何だか歪んでいる彼女を俺は気に入ってしまった。


 その姿勢は素敵だ、と――感激したのだ。


 これで俺達の秘密を知る人間が現れた事になったかと、思っている一方で妹から予想外の告白をされて硬直する勇。口をパクパクと開閉して、何かを言いたそうにしているも、言葉にならないようだ。


 ……まぁ、そりゃそうか。


 しかし、それにしても勇が引きこもっていたという事実がここでもやはりというべきか、さらりと含まれていた。加えて、真奈の語っていたあの職場で世話になり始め――そして、変わったという話。


 引きこもっていた期間に――何が、あったのか?


 そう思っていた時、勇は我に返ったのか唐突な質問を愛衣ちゃんに投げかける。


「な、な、なら。あのストーキングはやっぱり、愛衣がやったのですか?」


 勇は突然の告白、その余韻にまともな会話を阻害されつつ「ストーキング」という俺の耳にこれまで触れて来なかったワードを口にする。


 ……何だ? 勇ってばストーキングされてるのか?


 勇の問いかけに対して、首を傾げて表情を顰める愛衣ちゃん。


「何の話? それに、お姉ちゃんのパソコンやゲーム機にカメラを仕込める私がストーキングなんて行動をしないと、この場所を割り出せないと思うの?」


 告白に対して何かしらの返事をに行ってやれよ、と勇に呆れを感じつつ――さらりと怖い事を言っている愛衣ちゃんの否定もなかなかのものである。


 そんな愛衣ちゃんの言葉に対して「では、誰が」と呟く勇の懐疑的な表情を見つめ、何やら今日は沢山の問題が転がり込む日だなぁとしみじみ思うのだった。

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