第4章 魔少女かくて還る

目覚め

 私に私が集まってくる。


 まだ27%の私が冷たい肌にそれを感じる。


  曠野を吹き荒ぶ砂塵

  路地に転げた屍を焼いた灰

  暗い波間に燐光を瞬かす夜光虫


 かつて私であった私の断片が私に収束してゆく。

 無であった私が無を思う何かに退行する。

 時が逆さに流れる。


 だめよ、もう起きたくない。

 私は呟く。

 生きることは狂うこと。

 現世うつしよは絶え間なく血が流れ爛れ続ける混乱と惨苦の踊場。

 闇と無と静謐に満たされた『ここ』で無限に広がり漂うことを

 どうしてやめねばならぬのか。


 起きろ、お前には仕事がある。

 出来たばかりの私の耳に、誰かが囁く。


 私は半透明の瞼を開く。

 闇の中で何かが煌いている。


 虹だ。しじまに輝いた七色の燦爛。

 そうして虹は見る間に捻じくれ丸まり幾つにも千切れると

 細かいビーズのように瞬きながら暗黒に浮ぶ円環を形作る。


 円環が、光の門が、ゆっくり開いて行く。

 門の向こうから何かが私を覗く。

 眼だ。眼だ。緑色に燃え盛った 巨きな 昏い 焔の 眼。


 いやだ、あんなものとは、関わりたくない!

 私は必死に眼から貌をそらす。でも、もう遅かった。


 眼は私の内にあった。


 私の心臓を 緑色の 焔が燃やす



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「好きな時に願い事をしてください♪ どんな願いでも現実になります。ただし、一人一回なのでよく考えて決めてくださいね!」

 闇の中で声が聞こえた。


「…………!」

 エナが我に返った時、彼女は見知らぬ病院の一室に立っていた。

 ベッドには、衰弱した様子の母親の那美ナミが横たわっている。


「エナ……」

 那美は涙を流して、リネンのベッドから身を乗り出して、彼女に手をのばした。


「よかった……最後の最後に、奇跡が起きた。願いが叶った。お願い、もうどこにも行かないで……!」

「母さん……?」

 エナは母親の手を握りながら、混乱していた。


 母さん、なんだかずいぶん弱々しく見える。

 今朝は、こんなじゃなかったのに。


 ……今朝?


 エナは思い出した。

 あの朝、自転車に乗って学校に向かっていた彼女は、信号無視で突っ込んできたトラックにはねられそうになったのだ。

 エナの記憶は、そこで途絶えていた。

 どうして、母さんの方が入院しているんだろう?


「母さん。母さん……大丈夫?」

 エナの手を強く握り、ハラハラと涙を流す、衰弱した母の様子に、

 エナもなんだか悲しくなって、両の目からポロリと涙が零れて来た。


 その時だった。

 ゴオオ!!


 突然、轟音と衝撃が二人を襲った。


 地震!?

 カーテンを開けて窓の外を見たエナは、外で起きていることが、よく理解できなかった。

 信じられない! 黒山のように大きな、ゴツゴツした、蠢く『何か』が病院に、この病室に向かって倒れてくる。


 ズズズズズズズズ……

 天井にひびが入り、壁が崩れ始めた。


「母さん!」

 母を抱き、エナは叫んだ。


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 闇の中で声が聞こえた。


 エナが次に目を覚ました時、彼女は瓦礫の山と化した病院の跡地に立っていた。


 周囲のビルも半壊したり、大穴があいたり。

 至る所で火の手が上がり、悲鳴が聞こえる。


 ここは……新宿の十文字病院?

 さっきの地震で、気を失っていたのだろうか?

 でも母さんは? 母さんは無事なの!?


「母さん! どこ? 返事をしてよ!」

 エナは泣きながら母親の姿を探した。

 急に、あたりが暗くなった。


 ドオン!


 空を仰いだエナは、病院を破壊した者の正体を知った。

 まさか、こんなことが現実に!

 山のように巨大な黒い怪物が、エナの頭上を跨いだのだ。


「え……!?」

 エナは、目をこらした。

 岩のような怪物の皮膚から、何かがはがれおちてきた。動いている。


「ひぃッ!」

 エナは息をのんだ。エナの周りに落ちてきた、大型犬ほどもあるフナムシの様な怪物が、節足を震わせながら何匹も、何匹も、エナに飛びかかってきたのだ。


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 闇の中で声が聞こえた。


 エナが次に目を覚ました時、既にあたりは暗くなっていた。

 彼女の目の前を、人通りのない明治通りを、静々と音も無く、何かが行進していく。

 油すまし、一つ目小僧、ろくろくび、泥田坊、ぬっぺらぼう、ひょうすべ、豆腐小僧、竈神、しろうねり、ぬらりひょん……

 人魂の提灯をともした妖怪たちの百鬼夜行が、彼女の前を通り過ぎて行くのだ。


 ああ、これは夢だ、はやく覚めろ、覚めろ、覚めろ!

 エナは頭を抱えた。


 ギャアギャアギャア!

 頭上から奇怪な鳴き声が響く。エナは思わず空を見上げる。

 チカチカと赤黒く瞬いた街灯の周囲を、人間ほどもある大蝙蝠が飛びまわり、エナを見つけると歓喜の奇声を上げて、彼女に飛びかかってきた。


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 何度も何度も死の恐怖を味わい、そのたびに闇の中であの『声』を聞き、見知らぬ場所で覚醒するうちにやがて、エナは自分の呪われた運命を知った。

 あの『声』は彼女だけではなく、地上の全ての人間に聞こえていたのだ。

 そして病を得ていた母親の那美は、その死の間際、エナの再生を願ったのだ。

 三年前に交通事故で死んだ、かつての彼女の再生を。


 もはや、エナは死ぬことができなかった。

 怪物に襲われて死の顎に捕われる度に、それは『なかったこと』にされ、死の直前の記憶を宿したエナが『ここ』に再生されるのだ。


 母親の強固な愛が、それを願ったのだ。

 母親は『ここ』ではない『どこか』へ行ってしまったというのに!


「どうして? 母さん……!」

 エナは母を呪った。

 いっそ自身の『願い事』で母を蘇らせて、彼女を咎め、問い詰めたいと、何度も思った。

 だがそのたびに、死の間際に母が浮かべた笑顔が、母の流した涙がエナの胸をよぎって、彼女はは必死で自分を抑えた。どうにか思いとどまった。

 その『願い』は、さらなる地獄・・・・・・の創出に他ならないからだ。


「母さん、なんでこんなことを……! 何で…………!」

 人通りのない暗い路地で、横転した都バスの内に身を潜めながら、エナは泣いた。


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 病室で目覚めてから一夜を経て既に、エナは何度も死から立ち還った。

 気が狂いそうになるほどの苦痛と、恐怖と、虚無を、何度も味わったのだ。


 もういやだ……もういやだ……。

 白々明けて行く新宿の廃墟を、彼女は首を振って独りそう呟きながら、あてどなく歩いていた。

 だがその時だ。


「え……」

 ふと、エナの足がとまった。

 無人の明治通りの朝靄のむこうに動く影に、何かを、いとおしい何かを感じたのだ。


 人だった。目覚めてから初めて見た、生きて歩いている人影だ。


「あ、あの……」

 思わず、声を弾ませて、エナはその人影を呼び止めた。

 エナの目が安堵の涙を滲ませる。だが……


「やっぱりだ、女か!」

 エナに気付いて向こうから、よたよた駆け寄ってきた影は、痩せぎすの体に、黒銀色の『ナチス親衛隊』の制服を纏った初老の男だった。


「あの、目が覚めたら、こんなところにいて、お母さんもいなくなって……人を探しているん……です……でも、おじさんは、その格好……」

 男の服装に動転して、早口がどんどんトーンダウンするエナに……


「おじさんだと? 『大佐』と呼ばんか!」

 パチン。男が、いきなり平手でエナの頬を張り倒したのだ。


「ああ!」

 エナは路上に転がる。

 喜びが瞬時に失意に、そして絶望に変わった。

 こいつ、狂ってる。


「おお、すまんすまん。だが、ちょうどよかったぞ! お嬢さんフロイライン!」

 男が、ビルの谷間に差し込む朝の日に、髑髏の帽章を煌かせながらクツクツとヒステリックに笑った。


「駄弱な連中は、みんな死んだ! みんな逃げた! だが吾輩には、此処が、此処こそが理想郷ウトピーだ!」

 『大佐』が、エナを顧みもせず一人勝手にまくしたてる。


 そして、ピシリ。

 彼が、腰に下げた一本鞭を手に取った。


「ひっ……!」

 どうにか地面から起き上がったエナは、恐怖に身を竦めた。

 鞭が、まるで生きた蛇のように地面をのたくり彼女に這い寄ると、瞬く間に彼女の細い首に巻き付き、絞めあげてくるのだ。


「引き裂く相手には事欠かぬが、そろそろ、こいつが女の血を吸いたがっていたところだ!」

 『大佐』が、舌舐めずりをしながら鞭を巻き取っていく。

 ズルズルズル……男のもとに否応なく引ききずられるエナ。


「さあこい、雌豚! たっぷり可愛がってやる!」

 エナを手繰り寄せた『大佐』が、腰元のホルダーから引き抜いたコンバットナイフを、彼女の頸にあてがった。


 エナは、ようやく出会えた生きた人間に締めあげられて苦痛に悶える。

 そして……恐怖に見開かれた彼女の目が、次の刹那冷たく光った。

 この廃墟に生きて残っているのは、こんな連中ばかりなのだ。

 怪獣や吸血蝙蝠に襲われた時の恐怖とは、また違った感情が、エナの胸に滾った。


 それは怒りだった。


 燃エテシマエ。

 エナは、目を閉じてそう念じた。


 ゴオオオオオオ!


 そして突然、『大佐』の軍服から、真っ赤な炎が噴き上がった。


「ぎゃあぁあああああ!」

 生きて身を焼かれる苦痛に、絶叫しながら地面を転がりまわる『大佐』。

 エナの憤怒を吐きだしたかのような紅蓮は、男の身体を、数秒で消し炭にした。

 業火は、エナ自身の服を焼き、肌を焦がした。


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 何度も何度も怪物や暴漢に襲われる中、エナはやがて、自身の『願い事』を使って身を守る術を体得していった。


 日が中天のかかり地上を金色の陽光が焙る頃、彼女の身体を目当てにバイクで追いかけて来きたモヒカンの暴漢ども。

 ボオオ。エナが冷たい一瞥と共に解放した『念力発火パイロキネシス』がバイクごと暴漢を火の玉に変えた。


 日が沈み夜が更けた頃、再び彼女の血を求めて襲いかかって来た大蝙蝠たち。

 パチン。エナの指パッチンフィンガースナップと共に彼女の手から放たれた『真空波カマイタチ』が、蝙蝠の身体を空中で両断した。


 日が昇り夜が明けた頃、何処からともなく現れて暴れ始めた、鋼鉄製のティラノサウルス。

 新宿ゴールデン街の長屋建てを突き崩しながら、巨大な顎から真っ赤な熱線をエナに浴びせかけてくる機械恐竜。

 ビュウウ。エナのかざした掌底から迸った『重力衝角グラビティラム』が恐竜の炎を切り裂き、止まる所を知らない緑色の衝角は恐竜の身体を三枚に下ろした。


 体得した『能力』は、死からの再生の後も彼女の内から消えることがなかった。

 強敵と会する度に、敗北と無残な死を経る度に、エナの能力は増していった。


 『念力発火』『気象操作』『分子崩壊』『重力制御』『空間圧縮』『感覚加速』『組成変異』『暗黒物質』etc etc...

 数日を経ずして彼女は、さながら中学二年生の男子が夢想するような、最強の超人となった。


 だが、エナの心は虚しかった。

 こんな無茶苦茶な世界で、目的もなく場当たりな闘争に明け暮れる。

 死ぬこともできない。

 母はいない。守るべき人影も今やなかった。

 家に、帰ろうか……


 家! 父親!


 エナは逡巡した。

 父親は無事だろうか。

 あの時、何故病院にいなかったのだろう?

 聖痕十文字学園の理事長で、社会的には誰からも尊敬される父親だったが、家では母に冷淡で、エナにも厳しかった。


 もう母さんもいないのに、今更、家になんか……

 ぼんやりとそんな事を考えながら、路肩に腰かけたエナは、道端で拾ったスマホを、たどたどしくつついていた。


 その時だった。


「ん!!!」

 エナの指先が止まった。

 偶々目についたそのSNSには、聖痕十文字学園から発信された、学園理事長の雄弁なメッセージがリンクされていたのだ。

 エナの父、大牙のメッセージだ。

 エナは、震える指でリンク先のPodcastを再生した。

 聞き馴れた父の声が、端末から流れてくる。


「みなさん、絶望することはありません。我々が、各々の願い事を理性的に行使して、狂ってしまった世界を再生させるのです!」


「…………!」


 エナの虚ろな心に火が灯った。

 それは憎しみの火だった。


「タクシー!」

 無人の靖国通りの側道で、エナが手を上げた。

 キイイ。人魂のライトを灯した、妖怪タクシーがエナの前に停車した。


「お客さん、どちらまで?」

 乗車したエナに、運転手の隻眼の少年がそう尋ねる。


「多摩市、聖痕十文字学園」

 エナは少年にそう答えた。


  #


 翌日、多摩市に降り立ったエナは、懐かしい我が家に足を運んだ。

 新宿程ではないにしても、未だ怪物や怪人の跋扈する多摩市の炎浄院家大邸宅。

 既に荒れ果てた邸内に家人や使用人の姿は無く、父親もそこにはいなかった。


 父さん……、やっぱり学園に。


 エナは、自身の母校でもある聖痕十文字学園を訪れる。

 そして、学園の校医でもあった母の面影を求めて、保健室を探した。

 だが一年前に終わった校舎の改修で、保健室はその場所を変えていた。


 昼前の渡り廊下で、給食当番と思しい少女にその場所を尋ねて、ようやく保健室に至ったエナ。

 しかし、そこに母の痕跡は既になかった。


 母がペン立てに引っかけていたロケットペンダントも、今はなかった。

 父と母とエナ、家族三人の写真が納まっていたペンダントだった。


 保健室を出て、トボトボと渡り廊下を歩くエナは、ふと校庭に目をやった。


 ……信じられない。


 彼女は、眼下の校庭で展開される光景に、我が目を疑った。


 風林火山の軍配をかざした父親の大牙だいがが朝礼台で何か叫んでいる。

 彼の指揮の下、猟銃やパワードスーツで武装した『ギャラクシーフォース』の面々が、恐竜や巨大昆虫と戦っている。


 ……戦い?


 死地で地獄を見たエナには、失笑すら浮かばない、ただの『遊び』だった。

 わざわざ自分たちでおびき寄せた、野良犬程度の『怪獣』たちと、無我夢中で戯れているのだ。


 エナは、絶望した。

 やはり父は、母や自分の事など、どうでもよかったのだ。

 死の淵の母を顧みもせずに、こんな所で、自警団気取りで遊んでいるなんて!


「わかった……」

 エナは冷たく燃える目で、静かにつぶやいた。


 『ヒーローごっこ』がしたいのなら、もっと気の利いた・・・・・相手を用意してやる。

 『状況』を引っかき回す、ウザキャラも投下してやろう。


 全て、今のエナには容易なことだった。

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