エピローグ 悪魔に願うなら、こんな大団円がちょうどいい。

 11月も半ばだというのに、その日は妙に温かい1日だった。


 雲一つない真っ青の空が広がる秋晴れ。

 西日が直接窓から照射され、程良く文芸部部室を暖めている。

 エアコンがない部屋で、つい先日からストーブが導入されはじめたのだが、今日の天気では活躍する場もなかった。


 放課後の文芸部には、俺、よみ、鳴子先輩といつものメンバー。

 六ヶ月前に俺達が入った時と変わらないメンバーだ。


 本を読み、時々書評を話し、時折何気ない日常の会話をする。

 典型的な日常系部活動。そういえば、間に文化祭などがあったような気もするのだが、ステージで唄ったり、焼きそばを焼いたり、古い文集を復活させてみたり、謎の暗号を解いてみたりする事もなかった。


 いいんだろうか。俺の人生……。


「おい。秋月君」


 本から目を離し、鳴子先輩は俺の方を見た。


「創作に熱心なのは感心だが、破いて捨てた原稿ぐらい片づけたらどうなんだ?」


 真っ白に燃え尽き、涙をにじませ、机に突っ伏しているだけの俺に忠告する。


 周りには大量の没原稿の山があり、部室を浸食せんと領土拡大をもくろんでいる。 


「すみません。申し訳ありません。謝っているじゃないですか。こうして何度も何度も何度も何度も。へへ、どうせ俺はウジ虫です。へたれです。社会の底辺です。学校に来るのもおこがましい――部屋に引き籠もっているのがお似合いのニートですよ」

「ニートって……。学校に来てていう台詞か。そんな事では成績が落ちて、期末考査が大変な事になるぞ。正月休みを使って、大量の有象無象の美少女キャラを量産するのが、君の日課じゃないのか?」

「ああ、そう言えば僕……。ラノベ作家になるとかって言ってたんですよね。すいません。ホントにすいません。壮大な夢をベラベラと喋ってしまって。さぞかしご迷惑だったでしょうね。蚊トンボ風情が――いや、蚊トンボにも悪いか。ミジンコ――いや、あいつら意外と水質を綺麗にしたりしてるんだよな。俺よりずっと働き者だよ。俺なんて何の取り柄もない――」


 ひたすら続けられるぼやきに、先輩は頭を抱える。


「よみ君、君からも何か言ってやってくれないか?」


 電気ポットの前にいるよみに話しかける。


 よみはティーポッドに茶葉を入れ、お湯を入れる。

 三つのカップに紅茶を注ぐと、お盆と一緒にこっちへ持ってきた。


 丁寧に先輩、俺、そして自分のところにカップを置き、椅子に座った。


「よみ君? それはなんだね?」


 額に汗のマークをつけながら尋ねた。


 「?」とよみは首を傾げる。


 指摘したのは、カップの大きさだった。

 先輩とよみが通常のカップであるのに対して、俺のは調理器具のボウルみたいなカップに並々と紅茶が注がれている。


 よみは一度瞬きした後、頬を染めて顔を逸らした。


「なんだ、その反応は? 私はこのカップの大きさはなんだと聞いているんだ」


 追求を止めようしない先輩に対し、よみは改めて特大のボールを眺めた。


 そして――。


 片手をプラプラさせながら、さらに真っ赤になって顔を逸らした。


「いや、だからなんの反応だ、それは?」


 追求の手を弛まない先輩に、よみは唇をとがらせながら、ペンを走らせた。

 ばん、という感じでボードを先輩に見せる。


【愛の大きさです(先輩も空気読んでください)】

「愛の大きさってなんなんだ!」


 いつも冷静に、紅茶を飲んでいる先輩は珍しくつっこんだ。


「だいたい久しぶりに秋月君が部室に来ることが出来て、嬉しいのはわかるが。公衆の面前でそうあからさまにだな――!」

【だって1ヶ月ですよ、1ヶ月! 1ヶ月もゆーちゃんに会えなかったですよ。私のゆーちゃん力がガス欠寸前だったんですよ!】


 ゆーちゃん力ってなんだ?


「病院にも毎日見舞いに行き、自宅療養の期間も毎日勉強を教えに行っていっただろう! 誇張をするな、誇張を!」

【文芸部にいるゆーちゃんはまた違うゆーちゃんなんです。小説書いていないゆーちゃんなんて、ゾウリムシ以下ですよ。あ、でもゾウリムシって割と水質改善に役だってたりしますね】

「君、何気に凄いこといっているぞ!」

【だから、一杯充電するんですぅ!】


 大胆にもよみは机に突っ伏す無防備な俺に抱きついた。


「ああ! こら! 秋月! よみ君から離れろ! よみ力が下がるだろうが!」


 だから、よみ力とはゆーちゃん力ってなんだよ。

 先輩は無理矢理俺からよみを離そうとするが、幼馴染みは俺の首に手を掛け、抵抗する。


 よみ! よみ! 首を締まってる! 締まってる!


「おのれ、強情なヤツめ! よみ君、考えてもみろ! こいつは今、スランプなんて言って、気を引いているが、君の胸の感触を味わいたいがための方便なのだぞ!」

【いいもん! ゆーちゃんだったら、私全部見られてもいいもん!】

「な! なんと破廉恥な! 君も淑女なら、もう少し慎みある発言をだな」


 先輩は忠告するのだが、よみは逆に俺に大きな胸を押しつけ、挑発する。……ま、マシュマロ!


「があー! なんてことを! ここは神聖な学舎だぞ! 許せん! そこに並べ、秋月! 介錯してくれる。めくれ、ザ――――」


 突如、鳴子先輩は何かを言いかけて、口噤んだ。

 一瞬怒りが鎮火したかに見えたが、すぐに炎は天井まで燃え上がった。


「ともかく、出てけぇ!」


 という絶叫とともに、何故か俺だけが粗大ゴミのように放り出された。

 大量の没原稿とともに。


 俺は何がなんだかわからないまま、原稿を拾い上げ、片づける。


 そしてとぼとぼと家路についていった。



        ※          ※          ※



「本当に帰っちゃいましたね」


 よみはそっと文芸部の部室のドアから外をうかがった。


 大量の没原稿ゴミはきちんと片づけられており、すでに自分の幼馴染みは撤退している。帰宅している生徒が多いのだろうか。文化棟の廊下はがらんとしていた。


 鳴子は紙に書いた「お色気作戦&ショック療法」という部分に×印を付けながら、ため息を吐いた。


「鳴子先輩……。ゆーちゃんはもう記憶が戻らないんでしょうか?」


 よみの言葉に、鳴子はわずかに首を振った。


「わからん。だが、原理的にはあり得る話だ。あいつは8日間近くの共同生活を小説にしたためることによって、フルカスを再召喚することに成功した。けれど、書き手は魔導書の内容を忘れてしまうのが常だ。あいつが、8日間の記憶を無くしてしまった事について、つじつまがあう。それがフルカスだけでなく、私や君の秘密まで忘れてしまったのは皮肉だがな」

「じゃあ、いっそ魔導書の事を話してみたら」


 鳴子は席に着席すると、少し冷めた紅茶を口に含んだ。

 はっと息を吐いた後、厚縁の眼鏡の奥の瞳は、鋭い眼光を光らせた。


「君は、また秋月君を苦しませるつもりか?」


 よみはうっと言葉を詰まらせた。


「記憶を喪失する前の秋月勇斗は、結局書鬼官になることを選んだ。大英断だったはずだ。そして苦しんだはずだ。並大抵の決意ではなかったはずだ……。その苦しみをまた彼に与えていいのだろうか」

「そうですね。ごめんなさい」


 ポニーテールの髪を振り乱し、よみは頭を垂れた。


「いや、別に謝る事じゃない。私も考えないわけではないのだ」


 鳴子は立ち上がった。

 部室の壁際まで歩いていくと、残っていた没原稿を拾い上げた。


「それに彼にとっては良いことかもしれない。いずれにしろ。彼を書鬼官にするということを達成出来なかったフルカスはもういない。下手に刺激をして、彼女のことを思い出させることよりも、今はそっとしておく方が彼のためなのかもしれない」


 くしゃくしゃに丸められた原稿を見つめる。

 そこに刻まれた文字には、何の魔力もこめられていなかった。


 念をこめればこめるほど、魔力は増大する。それは以前、鳴子が勇斗に忠告した事だった。


 ――スランプが、彼の原稿を清浄にしているとは……皮肉だな。


 鳴子はもう一度原稿を丸めながら、少し自嘲気味に笑った。



        ※          ※          ※



 1ヶ月ほど前、俺は暴漢に襲われ、背中に何十針も縫う大怪我を負った――そうだ。


 そうだ、というのは俺自身全くそのことを覚えていないからだ。


 医者は恐怖による一時的な記憶喪失と診断し、時々病院に言ってカウンセリングを受けている。


 一週間ほど入院し、その後さらに2週間の自宅療養。

 勉強に付いていくための補習授業を放課後に行うこと1週間。

 ようやく俺は文芸部に復帰できたというわけだ。


 よみも言うように、自宅療養中はノートを見せてもらったりしてなんとか勉強に追いつこうとしたのだが、思っていた以上に大変だ。うちは進学校だから、成績がガタ落ちしようものなら、保護者の呼び出し、最悪退学もあるぐらい厳しい。


 しかし勉強以上に大変な事件が、現在進行形で続いている。


 1ヶ月、学校へ行かなかった期間がありながら、全く俺は1冊どころか1枚も原稿を書き上げていなかった。


 書けないのだ。


 どんなに面白いアイディアでも。どんなに美しい設定でも。どんなに奇抜なキャラクターが頭に思い浮かんでも、筆が進まない。進んだとしても、納得がいかず、没にしてしまう。


 1ヶ月前――正確には俺が失った8日間の前まで、こんな事はなかったと思う。


 何かが足りていない。


 それは俺の記憶が欠落したことと何か関係があるのだろうか。

 8日間に起こった事を文芸部の二人に聞いても、結局「無理に思い出さない方がいいよ」という結論に至る。


 なんとか自分で思い起こそうとすると、何故か無性に寂しさを覚え、ある時には涙すら流したこともある。


 このまま落ち込んでいても仕方がない。しっかりしろ、俺!

 そうやって自分を奮い立たせるしかなかった。


 一軒家に着く。

 母も父もいない。普通の一般的な木造二階建ての家。

 門扉を開き、数段の階段を上る。無意識に足下に視線に目を向けた。何も落ちていない。


 鍵を取り出そうとポケットを探った。


「すいません」


 背中越しに声をかけられた。

 振り向くと、バイクに乗った郵便配達員がエンジンをかけたまま止まっていた。


 変わった配達員だった。

 もう日も暮れるというのに、何故かサングラスをしているのだ。


 配達員は、後ろの籠から荷物を取り出す。


 ちょうど本1冊ぐらいの小包だった。


 受け取ると、配達員は「頑張ってくださいね」と何故か激励し、走り去ってしまった。


 小首を傾げつつ、全く見当が付かない小包を検分する。

 住所にはこう書かれてあった。


 ソロモン出版――。


 聞いたことのない名前だった。

 いや、数多ある出版社の中で、確かにありそう社名なのだが、記憶にはない。


 でも何故だろう。


 懐かしい……。


 社名が――というわけではない。

 この小包の重量感を手が何となく覚えている。しっくりくる。


 なくした記憶に関係あるものだろうか?


 そう思った時、いても立ってもいられなかった。

 すぐ自宅の鍵を開け、靴を脱ぎ、転がり込むようにリビングへとやってくる。


 人っ子一人いない薄暗いリビング。

 俺は電灯も点けず、窓から漏れる外の明かりだけを頼りに、エアクッションでぐるぐる巻きになった小包を開いた。


 出てきたのは、見ていると目が回りそうになるほどの複雑な紋様が描かれた本。青い装丁は何重にも折り重なった皮で出来ており、これだけでも値が付きそうなほど立派なものだった。


 そして封筒。開くと、一通の紙が入っていた。

 何の飾り気もない普通のコピー用紙。

 紙にはこう書かれていた。



 貴作品は一次通過いたしました。よって同封の本を持って、2次選考にお進み下さい。



「はあ?」


 と声を上げたが、何故か見覚えがあった。


 テーブルに置いた本を拾い上げる

 手触り、重さ、年代を感じさせる独特の匂い。やはり懐かしさを感じる。


 知っている。

 絶対俺はこの本の事を知っている。


 でも、思い出せない。

 これが何の本なのか。このまるでのような本が一体何なのか。


 俺は一旦本を置いた後、考え込む。


 しばらくして一つの方策を思いついた。

 携帯電話を取り出す。幼なじみの電話番号を呼び出すと、迷わず通話のボタンを押し込んだ。


 何回かのコールの後、よみは無言のまま応じた。


「よみか! 落ち着いてきいてほしい。今日、今な。不思議な本が届けられたんだ」

「ふ――――」


 わずかな息づかいが聞こえてくるのみだったが、よみが緊張しているのが伝わってきた。


「なんだか知らないが、俺は何かの賞に応募したらしくって。それで、この本が送られてきた。本の特徴はそうだな。かなり古そうな――でも売ったら高いような皮の装丁で、表紙になんか模様――そうだ。なんか魔法陣みたいな紋様が描かれているんだ。お前、なんか心当たりないか。きっと俺は一ヶ月前にこの本に出会っているんだ」

「ゆーちゃん」


 突然、よみは声を上げた。数年ぶりに聞くのに、何故かそれほど懐かしい感じはしない。


「携帯電話をスピーカーモードにして、その本に向けてくれる」

「お前、何か知って――」

「いいから」


 強い口調で言われ、俺は従った。


「いいぞ」と合図すると、よみが大きく息を吸い込むのがわかった。



「ふぅぅぅうぅうぅうぅうぅううちゃあああああああああああああああんんん!」



 携帯の最大音量を突破し、その声は大きく部屋にこだました。


 途端、部屋は真っ白に染まった。


 空気が渦を巻き、そこかしらの物を吹き飛ばす。


 中心にあったのは、テーブルに置かれた本。


 俺は「あ」と思い出していた。


 な本の正体!


 間違いない!


 これは魔導書。グリモワールだ。


 覚えがある。そう一ヶ月前――。俺はこれを手にしていたはず。そして戦った。


 今から生まれる悪魔とともに!


 魔導書を中心に魔法陣が描かれる。

 二重円に、魔術文字ルーンを六角に均等になるように配した陣。中心には秤と九柱の柱に支えられた扉の印章。さらに二対の十字を敷く。それはまさに堅牢な城のイメージを表していた。


 真っ白な円は何度と瞬く。呼応して、空気が吠える。


 それは今から生まれるものの、目覚め。


 それは今から出でようとするものの凱歌!


 白き色は、そのものを表す証。


 胸が苦しくなるほど、心臓が脈打つ。

 目が痛くなるような光であるのに、俺は魔法陣の中心から視線を外すことが出来なかった。


 輝きが最高潮に達した時、一つの言葉を宣言していた。


「めくれ!」


 魔導書が言葉通りめくり上がる。


 何千行、何万文字という文字が刻まれていく。


 そこから浮かび上がったのは、一騎の騎士――。


 純白に輝く白い髪。繊細でありながら、力強さを感じさせる長い手足。絞られた腰には、甲冑が備えられ、加えて肩、腕、足に鈍色の無骨な鉄の塊が巻かれている。

 淡いルージュが引かれた口元を引き締め、ルビーよりも深い赤色の瞳を、俺の方へと向ける。雪原のような白い肌は、一片の綻びもなかった。


 俺はすべてを思い出していた。


「フ――――」


 名前を呼ぼうとした瞬間、先制したのは彼女の方からだった。


「我が名は悪魔騎士フルカス」


 自らの胸を叩き、傅いた。


「東の王の一鍵いっけん。ラジエの知恵ゲーティアの72の一柱にして、20の悪霊を束ねし、唯一の騎士にございます。どうか、貴殿の知恵の泉の中にお加え下さい」


 仰々しい態度は、どこか懐かしい。


 だが一抹の不安を覚えないわけではなかった。


 この悪魔が俺の知っている悪魔かどうかということ。いや、秋月勇斗そのものを覚えていないかもしれない。俺もそうだったのだ。忘れてしまった可能性はある。


 俺は手を伸ばす。

 確かめるべく……。


 だが、それを拒否するかのようにフルカスは言葉で遮った。


「主の真言に感銘し、馳せ参じました。どうか我が望みを叶えるべく、主の望みを何なりと申し出下さい」


 ぴしゃりと言い放つ。


 俺の望み。そうだ。俺の望みだ。


 一体なんだろ?


 ラノベ作家になること?

 書鬼官か?

 それともよみの声を治す。

 先輩と再戦し、今度こそ勝つことだろうか?


 色々な望みが錯綜する。そのすべてを叶えてやりたい。

 

 だが、俺の一番の望みではない。


 俺の一番の望みは――――。




「もう叶ったよ」




 俺はフルカスの頭を撫でた。


 悪魔は何も言わなかった。何もしかなった。

 ただ少しだけ反抗した。


「悪魔に会いたいがために、あなたは悪魔を喚び出したのですか」


 声は震えていた。


 泣き虫な悪魔の目には大量の涙が浮かんでいた。


「な、なんと…………。強欲なお方だ」

「おかえり……」


 俺は笑顔で言った。


 悪魔は何度も籠手で瞳を拭った。何度何度も口を動かした。


 だけど、口が震えて何も言葉に出来ない。

 拭っても拭っても、止めることが出来ない。


 それでも少女は抵抗を止めない。


 必死になって、明確に、自身を確かめるように俺の言葉に応えた。



「ただいま」



 フルカスはぼろぼろと涙を流しながら、努めて笑顔で答えた。


 立ち上がり、俺の首に腕を回した。


 わんわん泣きながら、フルカスは何度も「ただいま」と言い続けた。




 俺の名前は秋月あきつき勇斗ゆうと。華赤坂高校1年生。


 趣味はラノベを読むこと。夢はラノベ作家になること。


 しかし俺の夢はいまだ叶えられていない。


 でも、1つ望みを叶える事ができるなら、ハッピーエンドを迎えたい。


 悪魔に願うなら、こんな大団円がちょうどいい。


                 〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺のラノベは魔導書じゃない! 延野 正行 @nobenomasayuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ