第3次選考 これって戦争なのよね、とあの人も言ってました。④

 三日後。


 十月二十九日。〇時ちょうど。

 天気は快晴。南南西の微風。空は大きく。雲は小さく。

 月は新月。辺りは真っ暗で、街灯がなければ何も見えない。市街に灯った明かりが、薄く夜の闇を照らすのみ。


 俺たちは二次選考会を戦った神社に集結していた。今さらだが、真月神社というらしく軽く一千年ほどの歴史があるらしい。魔導との関わりも深く、日本独特の魔術である陰陽道によって葬られた鬼を奉ったのが始まりなのだそうだ。


 俺は玉砂利をならし、決戦の場に足を踏み入れた。フルカスとともに。


 すでに試合会場は整えられ、四本の大きな篝火が焚かれ、一帯をオレンジ色に染めている。


 能舞台には二次選考の倍以上のギャラリーで溢れかえっていた。舞台に座れない人間もいて、かなり離れた場所から観戦している。おそらく出版関係者だろう。お目当てはフルカスに違いない。


 勝っても負けても、フルカスは異界に戻ってしまう。前者は契約の達成を意味し、後者は契約が失敗に終わった結果として……。ともかく戦いが終われば、彼女を現世で見ることが叶わないかもしれない。ならば一度でいいから目に焼き付けておこう。ギャラリーの考えはそんなところだろう。


 今一度、俺はフルカスを見つめた。


 白い髪が雪柳ゆきやなぎのように揺れ、剣を固定する帯をなびかせている。前方に向けられた紅玉の瞳に澱みはなく、しっかり前方に見据えられ、試合に集中している。彼女は勝利することしか考えていない。それが契約であり、主君たる俺に対して忠節を尽くす最大の機会なのだから。


 時々、そういう生き方が羨ましく思う。


 俺はまだ迷っている。

 書鬼官になる。三日前に言った言葉に嘘偽りはない。


 けれど――。


 フルカスと別れることは別問題だ。彼女にはもう自分の小説を読んでもらえない。次に会えるのはいつになるかはわからない。一生、会えないかもしれない。今際(いまわ)の遺作によって、彼女が召喚されることもあるかもしれない。


 ――円環は、そのフルカスを現世に留めておく技術を提供したいと考えています――


 今ごろになって、円環の誘いが甘い蜜のように魅力的に思えてきた。


「主――」


 気が付くと、フルカスの顔が目の前にあった。

 俺は驚いて、一歩退いた。


「大丈夫ですか? 体調が優れないようですが。……お顔が――」

「だ、大丈夫だ。ちょっと緊張しているだけだ。じきになれるさ」


 俺は広場の中央へと足を進める。二次選考会の時と同じ。足は鉛のように重かった。


 対戦相手はすでに所定の位置についていた。


 文芸部の部長にして、高校生小説家。文壇の才女。

 そして文色冥というペンネームを持つプロ書鬼官嶋井しまい鳴子なりこ


 契約悪魔は、ソロモンで九柱しかいない――「王」――ザガン。


 鳴子先輩は相変わらずのゴスロリ衣装。

 黒一色のドレスを着込む鳴子に対して、ザガンは水のような肌を露わにし、南海の海の如く髪をなびかせている。黒と白のコンビは、お互いに強烈な個性を光らせて、俺達の前に立ちはだかった。


「答えは出たか?」


 真っ暗闇だというのに、日傘を差したままの先輩は、影になった目を光らせる。


「それなりに」とだけ、俺は答える。


「その割に、顔は優れないようだが」

「緊張しているんです。……この戦いの場で、ファッションにこだわれる先輩ほど剛胆ではないので」

「これは私の戦闘服だからな」


 開始前から俺達は舌戦を繰り広げる。

 片やフルカスとザガンは、お互い視線を逸らすことなく、無言で睨み合っていた。


「秋月く~ん! 頑張ってぇ!」


 能舞台から激励の声がかかって、俺は翻った。

 見ると、水無月みなづき白羽しらはが手を振っていた。変わらず白いエプロンが眩しい。今日は肌寒いせいか、首にマフラーを巻いて観戦していた。


 期待に応えるように手を振る。隣に座っている傘薙よみが、頬を膨らまして怒っているのが見えた。げ! やばい! 慌てて前を向いて、見なかったことにした。


「よろしか?」


 いきなり聞き覚えがあるイントネーションが聞こえてきた。

 俺達の中央に立っていたのは、ソロモン出版編集長の神海律子ではなく、痩身長躯の男だった。よれよれのスーツ。だらしのない無精ひげに、蛇のように細い目。


「な! おっさん!」

「おっさんやない! 館川たてかわ巽也たつやや。いい加減にしぃや、ボーズ」


 二次選考で敗れたはずの館川が、レフリーが着けているような白い手袋をして立っていた。


「あんた、なんでこんなところに!」

「バイトやバイト。最終選考言うたら、極限のバトルやからなあ。さすがに編集長にやらすわけにはいかんやろ?」


 能舞台にもう一度目を移すと、しっかりとギャラリーに混じって編集長が座っていた。仮にも主催者なんだから、もうちょっと存在感を表したどうなんだ。代表挨拶とかさ。


「ほれ、はじめんで。最終選考のルールはわかっとんな」


 最終選考は二次選考と対して変わらない。相手の書鬼官へと攻撃もありだ。


 一つ違うのは、あらかじめ持っておける王錫書スペアブックの冊数が限られていること。 アマは二冊。プロは一冊に限られている。また戦場の中で王錫書を加えるのは問題ないが、五十万文字までに収めることが決められている。これは文庫本なら5冊程度の分量になる。


 実質アマの方が1冊多いということになる。

 プロがアマに勝つのが条件だ。さすがにそれぐらいのハンデは必要なのだろう。


「問題ねぇ」

「よろしい。ほな、お互いの“君主の読物マスターブック”を」


 俺と先輩はそれぞれ自分たちの君主の読物を掲げた。俺は青い魔導書を。先輩は赤い魔導書を、お互いの胸に突きつけるように見せた。


 館川が合図すると、俺とフルカス、先輩とザガンは両端へと歩いていく。

 離れていく俺の背中越しに、関西弁の声が聞こえた。


「ぼーず。頑張りや」


 ポツリと呟かれた言葉に、俺は振り返る。


「あんたも、ちゃんとレフリーしろよ」


 にやりと笑って、向き直った。

 館川のおかげかどうかは知らないが、少しだけ身が軽くなったような気がした。


 二十メートルぐらい離れたところで、俺達はほぼ同時に振り返った。対戦者を見やる。篝火が映し出す大きな影のせいだろうか。いつもより鳴子先輩が大きく見えた。


 瞬間、察した。それが嶋井鳴子の殺気であることを……。戦慄した。


 ここからは俺が知らない先輩だ。


 飲まれるな――!


 自然とへその下に力を入れ、頭に浮かんでくる不安をうち払う。

 ポンと俺の肩に、手が置かれた。フルカスだ。


 対戦者から目をそらさずに、悪魔の騎士は言った。


「大丈夫です。手はず通りにすれば、我々は勝利できます。それに……主はこの十日足らずの間で大きく成長なされています。ご自分の力を信じて下さい」


 百万の激励よりも、俺を鼓舞させた。


「フルカス……ありがとな」


 礼を言って、再び先輩に目を向けた。

 印象こそ変わらないものの、幾分自分の心に余裕が出来ていることを感じた。


「ほな」


 さっと館川の腕が、地面と平行に伸ばされた。


 焚き火が爆ぜる。


 秋風に煽られた木々がしなり、開戦を歓喜するように音を鳴らす。


 そして一瞬――ほんの一瞬だけ、


 オペラの開演直前のように。


 世界はミュートした。


「筆鬼開始!」


 館川の叫びは力強くこだました。



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