第3次選考 これって戦争なのよね、とあの人も言ってました。③

「なんか変な感じですね」


 鳴子先輩に連れられてやってきたのは、学校の文化棟の片隅にある文芸部の部室だった。

 今日は臨時休校のため校門は閉まっていたのだが、守衛に「忘れ物を取りに来たのだ」と告げるとあっさりと入れてくれた。


 校舎の方を見ると、職員室と会議室に明かりが点いていた。教師達が真面目に職務に取り組んでいるのがわかる。明日には、保護者への説明会もあるようだ。


 文化棟には、当然ながら人っ子一人いなかった。俺達と一緒で、こっそり部活動をしている部があるかと思ってはいたのだが、そこまで熱心な部員はここにはいないらしい。と言っても、部室でお菓子を食べながら、本を読んだり、他愛もない話をしている日常系クラブが言えた義理でもないのだが。


 日傘が雨傘になってしまった鳴子先輩は、部室の鍵を開ける。ぶちぶち今日の天気予報の文句を言いながら明かりを付けた。お気に入りらしい日傘を丁寧にしまい、俺は濡れた体をハンカチで拭った。幸い降り出したのは、学校に入ってからで、あまり濡れてはいない。


「紅茶でいいか?」


 ポットにお湯を入れながら、手にはすでにティーバックを持っていた。いつもはよみの役目でもあり。「俺がやりますよ」と言うと、「睡眠薬でも入れるつもりか? 変態め!」と強く断られた。ここまではいつもの文芸部だった。


 お湯が沸くまで、先輩はハンカチで袖を拭い、俺は椅子に座って待った。


 沈黙が流れた。


 長い長い。この時ほど、自然の摂理を無視してでも、お湯が一瞬で沸いてくれないかと願ったことはなかった。


 思えば、こうして鳴子先輩と二人っきりになるなんてことはあっただろうか。考え出した瞬間、すでに俺の思考は一つの単語で持ちきりになっていた。


 二人っきり…………。


 そっと先輩の方に視線を向けた。物憂げな顔で、優しく自分の髪についた水滴をハンカチに染みこませている。どこかへ行く予定でもあったのだろうか。それとも行った後なのだろうか。


 淡いページュのロングのワンピースに、上から袖口と身頃にフリルがついたGジャンを羽織っている。ウェスト部分には小さなベルトが巻かれており、くびれを強調していた。首筋からは甘いバニラのような香りが漂う。


 わずかに心拍数が早くなっていくのを感じた。


 今さらだが、嶋井鳴子という人物は美人だ。実際、学校に隠れファンが多く、噂によるとファンクラブなるものも存在するらしい。ただどこか人を寄せ付けない雰囲気と、きつい性格で男はおろか同性と仲良く喋っている姿すら見たことがない。


 クラスで孤立しているのだろうか、と思わないわけではないが、本人は至って普通だ。

 不思議なのは、そんな先輩が押し掛けてきた新入部員二人とは、割と早く打ち解けてしまったことだ。共通の趣味があるから、と言うこともあるのだろうが、初めは部室の外の先輩と中の先輩のギャップに少し戸惑ったものだ。


 だが、俺は別の意味で困惑している。数日後には殺し合いを始めなければならない相手と、一体何を話すのだろうか。どうして文芸部に連れてきたのか。


 ポットが湯を沸かした事を告げた。


 手慣れた手さばきで、紅茶を入れると、俺の前にカップを置く。対面に座り、自分もカップを置くと、一口つけた。


「どうした? 温まるぞ」


 俺を見据えて言う。慌てて飲むと、舌に直接熱湯がかかった。


「あちゃちゃちゃ」


 悲鳴を上げながら、なんとかカップをもとの位置に戻した。

 何をやっているんだ、と呆れながら、先輩は淡々と紅茶を口に運んでいく。俺もフーフーと息を吹きかけながら、口をつけた。今なら「紅茶の味はどうだ?」と尋ねられても、返答に困るだろう。それほど緊張していたのだ。


 半分ほど飲み干したところで、先輩はやっと切り出した。


「お前の嫁に怒られてな」

 お前の嫁って、よみのことか?

「最近、メールを打ってもまともに返事をよこしてくれない。おかげで、私のは下がる一方だ」


 よみりょくってなんだよ。


「――で、何を悩んでいるんだ、少年。私のよみ力のために、特別に聞いてやろう」

「今さら、そこを尋ねますか? 先輩もご承知のことだと思いますけど」

「知らんな。男の悩み事なんて大概くだらないものだ」


 女性の悩みも大概くだらないことだと思うがな。よみ力だし……。


 とは思っては見たものの、改めて問われてみると自分が何に悩んでいるのか、実は自分自身もよくわかっていないことに気付いた。


 家にいた時はネチネチと悩んでいて、考える案件が多すぎて頭が重かったのに、どういう訳か今は些細な事のように思えてくる。密室空間で、嶋井鳴子とこうして二人っきりにいる状況の方が、よっぽど大事件なような気がしてきた。


「大方、君の悩みはこんなところだろう。今でもラノベ作家を目指したい。けど書鬼官になることを諦めれば、フルカスとは会えなくなる。しかし、フルカスの存在は魔術界に混乱を招くかもしれない。それでも彼女がほしいと思う。……変態な君が考えそうなことだ」


 概ね間違いではない。むしろ先輩の説明は、こんがらがっていた思考を、ピンと一文にし、クリアにしてくれた。


「でも、ラノベ作家はもう……」

「方法がないわけではない。私が一般文芸で本を出している事を知らないわけではなかろう」


 じゃあ、と俺は身を乗り出すと、先輩は手で制した。


「ただし、やはり書鬼官としての訓練と、文字に魔力をこめない特別な集中力が必要になる。君の驚異的な速筆能力は完全に失われると思っておいた方がいい」


 最低三ヶ月に一冊という刊行ペースを要求されるラノベ作家にとって、もはや速筆は重要なファクターだ。それが封じられれば商業的に厳しい。大御所作家ならともかく、新人としては致命的な能力の欠如ということになる。


 諦めろ、と暗に言われているのと同じだ。


 ただただ俯くしかなかった。


「せ、先輩は……どうしたらいいと思いますか?」


 口を付けたカップを元に戻した後、鳴子先輩は厳しい口調で言った。


「人に判断を委ねるのは、一番愚かな選択だぞ、秋月」


 言うと思った。俺は自嘲気味に笑みを浮かべる。


 そこまで秋月勇斗は追い込まれていた。


 人に決めてもらうというもっとも安易な方策を選んでしまうほどに。


 今までなんの迷いもなくやってきた。

 ラノベ作家になる。ただそれだけ考えていればよかったのだ。


 だが、俺は知らなすぎた。ラノベ作家になれないという選択肢がこの世にあることを。そうした時、一体何をすればいいのか、ということを。


「この数日で君は変わったな。少なくとも、以前の君ならそんな質問はしなかったはずだ」


 先輩の言うとおりだった。


 一人お通夜のように落ち込む後輩を見かねて、先輩は立ち上がった。

 もうそのまま呆れて帰ってしまうのかと思いきや、部室にある用具スペースへと潜り込んだ。そこは生徒会が管轄している場所だ。主に長椅子やパイプ椅子が置いてあって、文芸部が使用することは滅多にない。


 先輩は一旦用具スペースの中にあった椅子などを出すと、埃を被った段ボールを二箱取り出し、机の上に置いた。


「なんですか、これは?」


 室内に舞った埃を払いながら、俺は尋ねた。


「開けてみろ」


 俺はぐるぐる巻きにされていたガムテープを取って、中を開いた。

 入っていたのは、清書された大量の原稿用紙だった。


「これは!?」


 原稿用紙に書かれた名前を見た瞬間、俺は叫声を上げた。


 秋月勇斗――。


 俺の本名であり、ペンネームがタイトルとともに刻まれていたのだ。


 軽く読み流す。覚えがある内容だ。おそらく数年前に書いたファンタジー。こちらは日常系。変化球をつけた推理物。厨二病全開の能力物に、近年書いたラブコメや世界系まである。


 箱にあった全てをチェックしてみたが、どれもこれも見たことがある話ばかりだった。


「なんで俺の投稿作品がこんなところに?」

「前にも説明したろ。……新人賞に投稿された原稿は、すべて私が回収している、と。一部は実家にあるが、今は寮暮らしだからな。置く場所がないから、ここに間借りさせてもらっている。もちろん生徒会には許可をもらってだ」

「これ? 先輩、全部読んだんですか?」


 と指差す。

 先輩は机にもたれかかるように手を置いた。


「なあ、秋月勇斗。……君はなんで小説を書く?」

「はあ?」

「私は正直わからなかったよ、この小説を読むまではな」


 先輩は溜まりに溜まった原稿をパラパラとめくった。


「私の家は書鬼官の家系でな。父は才能がなく、編集の方に回ったが、物心ついた頃から、私に書鬼官になることを強要した。私もそれが当然なのだと思っていた。甲斐あって、九歳の時に書鬼官の新人賞を受賞した。だから、私にとって書鬼――つまり小説を書くことは、仕事であり、義務であり、家のためだった」


 顔を俺から背け、先輩は続けた。


「程なくして私はスランプに見舞われた。……今の君と似たようなものだ。なんで私は書鬼官になったのだろう。なんで小説を書いているのだろう、と」


 そんな時だ、と言って、先輩は段ボールの中から一冊の原稿を取り出す。それだけは特別で、原稿のそこかしこに赤線が引かれ、チェックが入っていた。


「この原稿に出会った。初めは疑問だらけだったよ。文章も満足に書けない。構成ははちゃめちゃ。設定は破綻し、キャラに感情移入出来ない。……そんな小説を書いて、何をしたいんだとな。……でも、ある時ふと私は笑ってしまった。不覚にもな。でも思ったのだ。私の作品で、人は笑ってくれるのか。泣いてくれるのか、とね」


 秋月、とさらに先輩は続ける。


「私が小説を書くのは、読者のためだ。もっと言えば、読者が自分の作品に一喜一憂するところを見たいがためだ。……秋月、君はどうだ?」


 どうだ、と問われた俺は、即答できなかった。


 読者のためだ、と言われるならそうかもしれない。応援してくれるよみのため。忙しいなかで、原稿を直してくれる先輩のため。そう言う気持ちもある。


 でも、何か違う。はめるピースの形が違うというか――しっくり来ない。


 ラノベ作家になるため。お金のため。将来のため。様々な理由が錯綜するが、どれも当てはまらない。


 俺は一体、何故小説を書くのだろう。


 ぷすぷすと頭から煙を吐き出す後輩を見ながら、先輩はせせら笑った。


「私が言えることはそこまでだ。その原稿を見ながら、ゆっくり考えろ」


 先輩は空になった茶器を流し台へと持っていく。軽く水洗いした後、広げたふきんに並べた。そして立てかけていた日傘を持ち、部室の入口へと足を向けた。


 俺ははっとなって、頭を下げる。


「先輩。ありがとうございました」


 ドアノブを握った先輩は、少し不敵な笑みを浮かべた。


「願わくば……。最終選考の舞台で会おう」


 そして出ていった。

 俺は一通り原稿を見渡した後、どっかりと腰を据え、一つ目の原稿に取りかかった。




 学校を出た時には雨も止み、綺麗な星空が広がっていた。


 通い慣れた通学路を歩きながら、俺は考えていた。先輩が出した質問の答えを。


 全部というわけではないが、原稿を見て思った事は、先輩が言った言葉と変わらない。文章は滅茶苦茶。構成は完全に無視の伏線投げっぱなし。設定は穴だらけで、キャラは奇抜なだけで人物像が浮かんでこない。


 ともかく、自分でも落ち込むぐらい未熟な小説だったのである。


 答えもへったくれもない。ただただ猛省するばかりだった。

 帰宅すると、フルカスが待っていた。


「客人がお待ちですよ」


 リビングに俺を呼ぶと、傘薙よみがぽつんと椅子に座っていた。

 明かりも付けず、少し肌寒い日だというのに暖房もつけていない。


 俺の方を見るやいなや立ち上がり、やや俯き加減で近づく。足先を交差させたり、手をモジモジとさせてりしながら、何かを言いづらそうにしている。


「どうした、よみ? 便所か?」


 ふ――と息を呑んで、幼なじみは顔を真っ赤にした。


 ゆーちゃんの馬鹿、と極小さな声で聞こえたような気がしたが、声が出せないはずのよみからだとは思わなかった。


「――――。――――」


 今度は何か聞こえた。

 一瞬「私。私」と言葉が耳に入った。


「よみ殿――あ、いえ。、大丈夫ですよ。今は私が作った結界が効いています。喋っても、外には届きません」


 フルカスから何やら激励が届けられる。

 悪魔に背中を押された少女は、意を決して俺の方に顔を向けた。


「私、ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆ――」


 としばらく「ゆ」を連呼した後。


「ゆーちゃんの事が、ずきん!」

「は? ゆーちゃんの事が頭巾?」


 なんじゃそりゃ? と首を傾げていると、よみはぶんぶんと首を振った。


「もう1回! もう1回!」

「もう1回って何が?」

「だから…………その…………――――」


 告白、と聞こえたような気がしたが、俺の耳には意味をなさない単語だった。


「それよりもよみ。メール、ありがとな。そしてごめん。心配かけた。今日は俺を励ますために来てくれたんだろ」


 俺が言うと、よみは何故か盛大にため息を吐いた。さらに肩まですくめる始末だ。


 そしてまた。


 ――ホントに馬鹿!


 小さな声が聞こえたような気がするのだが、また俺の耳には届かなかった。


 なんだか落ち込んだ様子のよみは、ボードを自分の鞄から出すと、キュキュと文字を書き始める。自分の素顔を隠し、ボードを掲げた。


【御夕飯。何がいい?】

「そっか……。メールもらったんだ。ありがとな」


 俺はよみの柔らかな髪を撫でる。

 ちょっとくすぐったそうにしながらも、幼馴染みに笑顔が戻った。少しホッとする。


 頭を撫でながら、ふと質問した。


「なあ、よみは好きか?」

「え――な、なななな何が!」


 よみは大慌てという様子で、つい口から言葉を発する。耳たぶまで真っ赤っかだ。


「俺の作品だよ。なんだと思ったんだ」


 またよみはため息を吐いた。

 赤くなった顔は、まるで潮が引くように正常に戻っていく。


「好きだよ」


 わざわざ言葉に出して言ってくれた。

 輝きすら発しそうな可愛い声に、俺は感動を覚えた。


「ありがとな」


 幼なじみをまた撫でる。


「フルカスはどうだ?」


 ずっと俺とよみの様子を見ていた悪魔少女は、立て膝をついて奏上した。


「主の作品は、この二千年の中で唯一私の心を打った作品です」

「そんなに持ち上げるなよ。照れるだろ」


 言いながら、実際照れていた。

 2人の言葉を聞きながら、俺は軽く息を吐いた。


 1人満足する俺に、よみがボードを差しだしてきた。


【ゆーちゃん、どうしたの?】

「単純に俺は馬鹿だと思っただけだよ。呪いの作品とか言われて、普通の人は読めないって知った時、すげぇ怖かった。同時に魔導書も恐ろしいものだって思った。静原の一件もあって、これほど人を惑わし、人の人生を狂わせるのかって。そしたら書くのすら怖くなったんだ。――でさ、そう思ったら、自分がやってきた事はなんだったんだろう。俺の存在価値なんてないんじゃないかって思った。こんなに近くに、自分の作品を評価して、価値を訴えてくれる人たちがいたのにな」


 特によみ、と続ける。


「お前は昔から知っていたんだよな。俺の作品が人には読めないことを。お前が一番よくわかっていたのに、無視してごめん」


 よみは何度も頭を振った。


「俺、決めたよ。……鳴子先輩に勝って、プロの書鬼官になる。今度は本気だ。選択肢がないからなし崩し的にっていうわけじゃない。これは俺の意志だ。短い間だけど、ついてきてくれるな、フルカス」

「は――――」


 大きな声で返事をしたフルカスは、深く頭を垂れた。


「さ。そうと決まったら腹ごしらえだ。最終選考に向けて、英気を養わないとな」


 腕まくりし、俺はよみとともにキッチンへと向かう。


 そうだ。これでいい。俺は俺の作品を読んでくれる人のために書く。


 俺の理由はそれでいい。

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