第24話 どうやらお義父様もいらっしゃったみたいです

「奥様っ!」


 その午後、血相を変えて部屋に駆け込んできたのは、領主に仕える役人の一人だった。

 ちょっと休憩するにしたってちゃんとどこに行くか言付けて行きなさいよと、随分前にロウリィを諭してから、彼らが私のいる居住区まで来ることは、めっきり減っていた。

 久方ぶりの出来事につい身構えてしまう。

「何かあったの?」

「ロウリエ様は」

「こちらには来ていないけれど……」

 そう答えれば、彼は「ああっ!」と悲壮な呻き声をあげながら両手で顔を覆った。

「自分たちは帰りにたまたま居合わせてしまったのですが……」

 彼の語るところいわく、屋敷の門前で喧嘩が繰り広げられているらしい。隣領への視察の帰りに喧嘩に出くわした彼は、うっかり巻き込まれそうになったところを、同僚を犠牲にしてここまで逃げてきたという。

 隣にいたケフィに、ロウリィを探すように伝え、項垂れる彼を仕事場に戻ってよいからと諭す。

 足早に玄関を抜け屋敷を出れば、彼の報告通り、門の先で壊れた馬車が横転していて、その前で二人が言い争っていた。

 犠牲になった彼の同僚は止めようにも止められなかったようだ。それどころか時々二人から意見まで求められ、右往左往しては半泣き状態になっていた。

 私は手に額を当てて、空を仰ぐ。壊れた馬車も気になるけれど、それよりも。

 乾いた冬の青空に、よい大人二人の「帰ろう!」「帰らない!」はどこまでもすっきりとよく響いた。

 一人は今日も元気なお義母様。ただし盛大に顔をしかめて怒る様は、普段の愛嬌のよさからは想像もつかない様相だ。

 対するもう一人もまだ数回程度しか会ったことはないものの、よく見知った顔だった。

 体型をしなやかにすっきりさせて、もっと賢そうに気難しそうに、もっと貫禄をつけて近寄りがたそうにした上で、年齢を重ねさせれば、瞳と髪の色こそ違うけれど、目の前の人物とロウリィは、なんだかとてもよく似かよっている。

「もういい加減、気がすんだだろう」と嗜めるその人の手を振り払い、「あなたって本当にいつもそう! わかってないくせにっ!」とお義母様は嘆く。

 お義母様の時も思ったけれど、せめて事前に連絡をくだされば、と私は心のうちで肩を落とす。

 どうやらお義父様もいらっしゃったみたいです。


***


 ケフィに呼ばれてやって来たロウリィは、「ようやく来ましたか」と、どこか疲れた声で言った。

 ロウリィは、巻き込まれて半泣き状態だった部下に詫びをして屋敷へ戻し、一緒について来た警備のバノに馬車の修理の手配を頼んだ。

 その間も言い争いをやめないお義父様とお義母様を尻目に、ロウリィは私の背を押す。

「さぁ。カザリアさんも戻りますよ」

「え、だって、あれ」

「ほっといていいですよ、今回もどうせただの痴話喧嘩なんで」

「今回も?」

「今回もと言いますか、しょっちゅうです。そうですね……いつもは母さんが飛び出して、行くあてがなくてその日のうちに結局帰ってきていたんですけど。今回は身を寄せる先ここができちゃったから、まずかったのはまずかったですね」

 父さんもなかなか迎えに来なかったし、とロウリィは私の手を引きながら歩く。

 肩越しに振り返っても言い争いの熱はいっこうに冷めそうにない。

「……あれ、止めなくて本当に大丈夫なの? お義父様のことお迎えもちゃんとできていないし」

「構うだけ時間の無駄ですし、いいんですよ。放っておいても、そのうち二人とも疲れて屋敷にやって来るでしょうし。屋敷に来てからで構いませんから」

 もういっそあのまま連れだって帰ってくれると助かるんですけどね、とロウリィは困ったように苦笑する。

「まぁ、あの様子だとまだ無理そうですし。ほっときましょう」

「……そういえば、ロウリィ。お義母がいらっしゃった日も同じこと言っていたわよね」

「長年の経験上、です。あの勢いに巻き込まれる側は大変なんですよ。カザリアさんも知っているでしょう? 毎回、母さんのあれに付き合っている点では、素直に父さんを尊敬します」

「喧嘩になっても?」

「喧嘩になっても、です」

 だけど、と私はロウリィの横顔に向かって言った。

「勝手に決めちゃうところなんか、ロウリィとお義母様はものすごくよく似ているわよ?」

 え、とロウリィは嫌そうな心外そうな顔になった。

「折れたのは僕のほうなのに?」

 呆れ混じりの問いかけに、私は素知らぬふりをして視線をそらす。

 屋敷の玄関扉を、スタンが開けてくれている。離れた分、喧騒はいくらか遠くなって、でも相変わらず勢いは衰えそうにない。

 まぁ、いいですけど、とロウリィは不服そうにうそぶいた。


「今日はもう僕の分の仕事も、切りあげさせてもらってきたので、ジルたちに頼んで何か作ってもらいましょう。喉が乾いたらあの人たちも、さすがに切りあげるので、それまで僕らはお茶でも飲みながら待ちましょうか」


 ロウリィの推測通り、息を切らしたお義母様は「喉が渇いたわ」と言いながら居間に入ってきた。

 消耗し切っているらしく、よろよろとした足取りのお義母様に私は慌てて駆け寄って身体を支える。

「大丈夫ですか、お義母様」

「ありがとう、カザリアさん。うううん、大丈夫って言いたいけど、ちょっと大丈夫じゃないわぁ」

 支えながら長椅子に座らせると、私は腕をお義母様にぎゅっと抱きしめられた。抱き締められた格好のまま、私もお義母様の隣に腰かける。

「ありがとう、カザリアさん! やっぱり持つべきものは、かわいくて親切な嫁ね! それに比べて私の息子ときたらっ!」

「母さん、わざとらしいですよ」

 ロウリィは冷ややかな声で指摘しつつ、それでも茶を淹れてくれるようケフィに頼んだ。

 喉が渇いているのは嘘ではなかったらしく、お義母様は憮然とした表情でお茶を一気に飲み干した。

「あのね、聞いてよ、カザリアさん。うちの人ったら、ひどいのよ」

「おい、やめないか。嫁に呆れられて、逃げられたらどうする」

 お義母様を追いかけるように入ってきたお義父様は、顔を出して早々嗜めるように言った。

 その姿に、挨拶しようと私は腰をあげる。

「あ、いいよ。そのままで」

「いいわよ。あんなののために立たなくったって」

 義両親に同時に制され戸惑う。ロウリィを見れば、彼も「いいです、いいです」としか言わなかった。

 気にしないの、とお義母様は、ますます私の腕をぎゅっと抱きしめる。

 そういえば父さん、とロウリィはお義父様に向かって話しかけた。

「ケルシュタイードの家紋が入った馬車はダメですよ。襲ってくれっていっているようなものですから」

「のようだな。いや、途中で他のに相手は任せてきたけど、車輪もやられていたみたいでなぁ」

「屋敷までもったことは、よかったですね」

「そうだな。直らなかったら、馬車は買えるだろうか」

「その時は手配しますけど」

 息子と父の間で飛び交う会話を目で追いながら、置いていきぼりにされたお義母様は、私の隣で、むっ、と眉間に皺を寄せた。

「もう本当に。今回は絶対に許さないから」

 ぎゅっと私に抱きついたまま、キッとお義父様を睨みつけたお義母様は不穏な言葉を口にする。

「きっとカザリアさんは私の味方だからね!」

「え」

 思わず漏れた驚きは、果たしてお義母様の耳に届いただろうか。

「ほらほら、嫁を巻き込むな」

「カザリアさんを巻き込まないでくださいよ」

 そうして、息子と夫の双方に窘められたお義母様は、さらにいっそう私の腕を抱きしめたのだ。

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