第23話 誘ったのは私でしょう!?

「なんだか今日は疲れたわね」


 寝台の縁に腰かけて、息をつく。すると思いがけずあくびになってしまった。意外そうにこちらを見たロウリィが、なにやらほやほやとおかしそうに蒼い目をまるくしている。その色味が帰りの道すがら、馬車の窓から見えた夜の川面に似ていて、なんだか憎たらしく思えた。

 私たちはあれから結局、大事をとるという形で暇をこい、会の終了を待たずに屋敷に引き返してきた。

 宣言通り持ち込んだ商品をすべて売り切った上で、新たな注文までとってきたルカウトは、ほくほくと上機嫌で。珍しく嫌みもなく「そうですねぇ。もうこんなところに用はないですからね」と、一も二もなく賛成してくれたおかげだったのか、帰路は行きに比べるとあっという間の道のりだった。

 馬車に乗り込んだとたん、動き出した車輪の振動の心地よさに、ほっとしたのは自分でも予想外だった。屋敷近くまで続く川は、澄んだ月と星明かりをまとってさえざえと浮かびあがっていた。戻るにつれ、見慣れ親しんだ場所が増えていく。ただ、歩き慣れた道のどれもが今は夜に沈んでいて、いつもと異なる景色に思えて不思議だった。

 すっかり夜が更けていたにも関わらず屋敷につくとすぐお義母様が玄関先まで迎えに出てきてくれた。

「あらあら、まぁまぁ! やっぱりカザリアさんのドレス姿って何度見ても綺麗ねぇ! 着飾らせがいのあるこんな娘がほしかったのよ。今度こそ! 今度こそっ! 私にドレスをつくらせてね」と、相変わらずの元気のよさで、くるりくるりと私とロウリィのまわりをまわっては、お付きの侍女としめしあわせたように頷きあっていた。

 ケフィが用意してくれた湯で身体を伸ばし、冷えきっていた手足を温める。数滴多く香油を垂らしてくれたのか、いつもに増して湯気と一緒に立ち上がる香気が華やかで、胸いっぱいに吸い込めば、心地よい溜息が漏れた。

 コック長のジルが用意してくれた夜食のスープは、今日食べたどの料理よりもお腹の中心にすとりとおさまって、心がなごむ味がした。

 肌に馴染んだ変わらぬ日常が返ってきたことに思いのほか安心感が募っていく。指の先までゆるゆると身体から余計な力が抜けていく。そんな気分になる。

 今はもうすっかり寝仕度も整えていて、今夜の仕事はもうあとは目を瞑るばかりだ。

「疲れましたか」

 隣に腰をかけたロウリィは、あくびを重ねた私に笑いながら問うた。

 あぁ、なんだかいつもと立場が逆だわ、と頭の片隅で思う。

 私が答えるよりも早く、ロウリィが目の前に手を差し出してきた。意図がわからないものの手を重ねてみると、ふにふにと指先で掌を揉まれた。くすぐったいのか気持ちがよいのかよくわからない心地になって、つられるように笑ってしまう。

「ちょっとね。こういうの久しぶりだったから」

「ほら。言ったでしょう、行かない方がいいって」

「だけど、ちゃんと無事にこうして帰ってこれたでしょ。毒は飲まなかったし、毒は飲ませなかったわ」

「ソウデスネー」

 ロウリィは片言で頷いて目をそらす。

 目をそらさない、と私は空いている手でロウリィの頬を軽くつねった。

「そういえば、帰ってきてからは珍しく毒も刺客も見ないわね」

「遠慮したのでしょう。随分と落ち込んでらっしゃいましたし」

「私の足を踏んでしまったこと?」

「ベルナーレさん、よくも悪くも単純で素直な困った方ではあるんですけど。本当に……本来は人前に立つ場では、なんと言いますか……きちんと自分の見せ方も立場も心得ていて、お上手なんですよ? 自負もあったでしょうし。今はこの領地のことがあって、状況が状況ですけど」

「……こんなことで落ち込んでくれるんなら、もっと踏ませておけばよかったかしら?」

「カザリアさん」

「わかってるわよ。反省しているから、本当に。もう仕掛けない」

 どこかまだ疑わしげに見てくるロウリィの手を、約束の代わりに握り返す。

 本当にそんなことで刺客がとまるのならそれに越したことはないけど、そうはならないのもわかっている。正直、今日出会ったチュエイル家の面々は、想像していた人物像と違いすぎていて、彼らを理解していない私には仕掛けようにも仕掛け方に迷うというのが事実だ。

「会自体は、あまり危険なことはなかったわね」

 ひとりごちるように言えば、ロウリィは困ったように眉尻を下げた。

「それでも何が起こるかは、いつも最後までわかりません」

「そうね」

 ロウリィの言い分に、私は素直に応じる。

 一緒に出席していたとして、常に一緒にいられるかは別だ。ああいう場では、どうしたって、別々の相手と話をしなければならない時間があるし、今回も実際にあった。手渡されるものには気をつけてと言われていたけど、その他に予想外の細工がされる可能性だって皆無ではなかったはずだ。

「それに、あまり楽しいものでもないでしょう?」

「それは、みんなの態度のこと?」

 私の問いかけに、ロウリィは肯定は返さず曖昧に口を閉じる。それでもロウリィが、あの場で私が確かに感じた違和感を指したのだとわかった。

 とても親しげにすり寄ってきた人たち。あからさまにチュエイルの主家を悪し様に言う者もいた。チュエイル家を取り巻く状況が状況だけに、領主の――強いてはその背後にいる王の庇護や繋がりを得たいと思うのは、どうしようもなく人のさがだ。

 私は苦笑する。

「よくも悪くも私はリシェルの傍にいた分、ああいうのには慣れているから特に何とも思わなかったわ。久しぶりだから、疲れはしたけど」

 今回の程度は、むしろかわいいくらいだ。

 私が出会う前からもうずっと現王の王妃候補で、なおかつ王国の一二を争う大貴族の一人娘であるリシェル私の親友は、その分、望まぬ媚や鋭い反感を受けることが常だった。彼女の友人として、ここに嫁ぐ直前まで王宮にあがってリシェルの傍らにあった私が、この手のことで臆するわけがない。

「そうですね。王宮でエリィシエル姫王国の宝石を守るカザリアさん宮廷の花は、有名でしたよね」

「そうよ。だから、どうってことないのよ」

 ふふふん、と、私は得意気に顎をそらしてみせる。だから心配ないわ、とロウリィにうまく伝わればよいと思った。

「でも、そうね。この土地を貶める言い方は少し不愉快だったわ」

 私よりもずっと昔からこの地に近しかったはずなのに、エンピティロが持つよいところに目を向ける気もない。ただただ己の不運を嘆いたり、こんな辺鄙へんぴな土地とは縁を切りたいと望み続ける。それでいて、特に動かず、自らは離れられずにいる彼らを腹立たしいとすら感じる。

「そうですね。その点では、あのお二人のほうが、よほどこの土地の価値を理解している点で好感が持てます」

 彼の評価を意外に思って顔をあげると、ロウリィは促すように首を傾げてくる。

「ロウリィって、実は結構、あの二人は好きなの?」

「皆さんへの危害の件さえなければ、おもしろい人たちではありますよね」

 毒の選択も毎度素晴らしいですし、と漏らしたロウリィを睨めば、今度はほややんとのんびり笑って、かわされてしまった。

 きっとできることなら毒談義でもしたいと考えているんだろう。

「この土地を美しいまま、今日まで守ってきた功績は、やはり歴代のチュエイル家のものですよ。それに彼らが、この土地を手放せない理由もわからなくはないんです」

「手放せない理由?」

「あの、聖堂のせいですよ。それこそ歴史的価値のある立派な建物でしょう。大事に受け継がれ守られてきたんです。ただ古い分、建っているだけで維持に莫大なお金がかかるんですよねぇ。あぁ、あと、家の歴史が長い分、頼ってくる親族が膨大なのも原因の一つでしょうね。おかげで、ここの領民の皆さんの負担は膨れあがるばかり。ですがその割に、正規の税すら国にも納められていなかった。元々この国の中では寒く、他に比べると作物が育ちにくい豊かとは言い難い領地です。とられるものがあまりに多くては、冬を越すのも、翌年の作物を育てるのもままなりません」

 ロウリィが語るのは、ここに来たばかりのころルーベンから教えてもらったことだ。あまりに横暴だと声をあげた領民の嘆願は王の元に届いた。領主の地位が、剥奪されたのはそれが理由だと。

 その理由の最大の要因が、美しく荘厳な、皆の平和を祈り捧げる場所にあったというのは、皮肉な話だった。

「ロウリィはいっそあの聖堂を壊してしまった方がよいと思っているの?」

「そういうものでもありません。でも、残したいのなら工夫はすべきですよね。あの人たちのやり方は、あまりにも単純なんです。きっともうずっと昔から変わらない手法を通してきて、でも今の時代にはあわないんですよ」

 ロウリィは、息をつく。

「それでも、もう、特に後継のベルナーレさんにとっては深刻な問題になってしまっています。正直なところ、チュエイル家自体があの聖堂のせいで破産寸前です。言うなれば、この土地だけが、彼らに残された唯一の財産だったんです。だからあとには引けないんです。ただそれでも手放せない、守るべき価値を、あの聖堂は持っているんでしょう。なのでこんな状況を背負わされたベルナーレさんの立場には、少しだけ同情します」

 歳も似たり寄ったりですしね、とロウリィは言う。

 背負うべきその価値も、その難儀さも、想像でしかなく、実際のところは当事者にしかわからない。

 あの物腰が柔らかいながらも強引だったその人が、正しくロウリィの言う通りの人物かどうかも私には知れない。

「だからって、毒やら刺客やらを送ってきていい理由にはならないでしょ!」

 思わず憤然と言えば、ロウリィは珍しく吹きだした。

 そうですね、と、ほやほやと形だけは頷いてみせたロウリィも実のところ、どう考えているのかなんて、私にはわからないけど。

 目線を落としたまま、私は繋いだままの手をぎゅっと握る。

「本当に今日も、これまでも、ちゃんと無事でよかったわ」

「そうですね」

 静かにそう返したロウリィと目を合わせないようにして私は頷く。

 握り返された掌がふわふわとしていて、知らず騒ぎだした胸の不可解さに、落ち着かない気持ちになった。いつの間にか眠気まで去ってしまっている。

「……そういえば! ロウリィって踊れたのね。びっくりしたわ」

「そりゃあ。踊れますよ。だって習うでしょう?」

「そりゃあ、そうだけど」

 平然と返されて、私の言葉は尻窄みになる。確かに社交の手段として必要な以上、習うのは当然と言えば、当然だ。ただ、あまりにもイメージになかったから驚いてしまったのも事実なのだ。

「なら、……一曲ご一緒してください?」

 繋いだままの手を持ちあげて、言う。

 答えを待つように首を傾げれば、「えっ」と声をあげたロウリィは、そのまま目をまるくした。

「踊るんですか?」

「そんなに驚くようなこと?」

「だって、カザリアさん、踊るの嫌いでしょう?」

 聞き返された内容に虚をつかれ、今度は私が声をあげる。

「知っていたの?」

「そんなの、みんな知ってますよ。王宮でのカザリアさんは有名でしたからね。ああいう場では、ご自身の分も、エリィシエル姫の分も、誘わせすらしなかったでしょう。エリィシエル姫の隣に陛下がこられたら、いつもさっさと会場を後にしていたじゃないですか。だから、誘いにのっていたのだって本当に驚いたくらいで。ベルナーレさん、きっとご存知なかったんでしょうけど」

「リシェルに変なのを近づけるわけにはいかなかったのよ。誘いを受けて私が相手の足を踏んじゃったら、リシェルの顔を潰してしまうから、それはそれで困るし」

「まさか今日、足を踏んでいたのはわざとじゃなかったんですか?」

「さすがにわざと何度も足を踏むほど性格悪くはないわよ。ただ、単純にどの先生にも匙を投げられるくらいには、私は下手で才能がないだけ」

 だから今日も嫌だったのに、と私はごちる。

「領主の妻として招かれた立場上、安易に断れなかったのよ」

「え、なんか、すみません」

「しかもあの人、自分が美形だからって、私のこと誘惑できると思ったのよ!」

「それはベルナーレさんらしいですけど。さすが勇気がありますねぇ」

「どうして、そっちは心配しないのよ」

「えええー」

 ロウリィが非難めいた声あげる。いや、だって、と続けた先を結局、彼は飲み込んだらしかった。えーっと、と変に途切れた言葉の先を考えあぐねてしばらく、観念したように私の顔を窺い見てくる。

「今からです?」

「今からよ」

「でも、寝巻きですし、音楽も何もないですよ」

「ドレスと音楽があっても、私は下手だもの。むしろあったら、きちんと踊らないといけない気がする分、ロウリィの足を踏んじゃうだけだわ」

「踏んじゃうんですか」

「たぶん、ステップを考えなければ、大丈夫よ。うん、たぶん」

「たぶん?」

「そうね、たぶん」

 答えながら、なんだか愉快になってきて、私は笑う。

「嫌いだったんじゃないんです?」

「でも、いつもみんな楽しそうじゃない?」

「そうです?」

「そう見えたのよ」

 談笑まじりに繰り返される踊りは、決して楽しむためのものだけではないと私は知っていたけれど。届かない場所は外にいる私たちには眩く美しく、愛おしい人たちを見守る先で、何も知らずに輝くリシェルを、あの時ばかりはほんのわずか恨めしく思った。

「嫌じゃないです?」

 性懲りもなく問いを繰り返すロウリィを睨む。

「もうっ、しつこい! 誘ったのは私でしょう!?」

 そういえばそうでしたか、と呟いたロウリィは、やおら私の両手をとって、私の目の前に立ちあがった。

「……えっと、じゃあ、僕とも踊ってください?」

 見上げた先で、ロウリィはいつもと同じようにほややんと笑んでいる。

「はい。喜んで」

 私は笑って頷く。繋いだ両手に引っ張られるまま寝台から立ち上がった。

 組み変わった指先は、なぜか少しだけ緊張をもたらした。

 向かい合って、寄り添って並び立つなんてそうそうなかったから、これだけ近いと、あまりに顔も近くって、なんだか笑いが込みあげてくる。

 一度そう思うとどうしたっておかしくって。

 ふはっとふきだすと、真ん前にあるロウリィの目が不思議をはらんでまぁるくなった。

 やおら、視線を右にちらりと反らしたロウリィは何かを共有するようにひそやかに笑い声をたてた。

 ゆらゆら揺れて、踊り、踊る。

 時には、寝台の縁に、敷物の織り目に爪先を引っ掻けてよろけながら。

 踊りというには拙い仕草は、それでも気分を高揚させて、額を寄せたロウリイの肩はいつもの通りふかふかとして温かかった。

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