第46話 だからこの絵はここから出したくないの

「見られたくなかったのよ」


そう言い捨てると、紗季は部屋の中に入った。

続けて入って来た又吉に


「あの絵どうかしら」


唐突に壁に掛かった絵を指さした。


「応募する作品ですよね」


絵画展に作品を応募すると言っていた紗季の

作品が出来上がったのだろう。

壁には40号のキャンバスが掛けられていた。


「これって、滴橋から見た真理蛙湖ですよね」


画面の中央に滴橋がネックレスの鎖のように描か

れ、その真ん中には真理蛙湖が宝石のように光っ

ている。


その上には淡くバックに溶け込んではいるが、目

を凝らせば人の顔が描かれている。

紗季だ。

雰囲気からこの女性が紗季であることは間違いない。


紗季がネックレスを下げている絵だとはイメージ

を働かせないとわからない。いわゆる隠し絵。

全体的な構図は、滴橋から見た真理蛙湖の絵だ。


全体が紫のトーンで、独特な気品を感じる。


「凄いよこの絵、入賞間違いないですよ」


お世辞ではない。

心に飛び込んでくる何かがこの絵にはあるのだ。


「この絵は出しません」


又吉は紗季を見た。

紗季は笑っている。


「どうして、この絵凄いですよ」


「この絵はここに飾ります。その為の絵です

 から」


首をひねる又吉に


「この絵は私と姉貴の合同作品ですから」


いよいよ意味が分からない。


「絵の左端を見てくれる」


言われて又吉は絵の左部分を見た。

特に何も見えない。


「左端全体をぼんやりと見てくれる」


言われた通り、絵の左部分を注視して見た。

特に何も感じない。

目を細めぼんやりと眺めてみると


「あっ!」


又吉は小さく声を上げた。

左部分全体にだけ意識を集中すると人の顔に

見える。

もっと、注意深く見れば雰囲気はあの人だ。


「姉貴に見えない」


「見える、見える、確かに見えるよ」


驚く又吉に


「姉貴が教えてくれたことがあるの。人間が持って

 いる習性って面白いんだって。例えばエスカレー

 ターを降りたあと、目的が無ければ左右どちらへ

 行く人が多いと思う、シンリは」


突然の質問に困る又吉を無視して


「このことを詳しく調べた研究者がいてね、8割の

 人が、左に行くそうよ」


陽子の顔は左半分に描かれている。


「姉貴が見る人を誘いこんでいるの、いらっしゃ

 いって」


「よしてくださいよ、怖いじゃないですか」


「姉貴の顔を意識して描いたんじゃないのよ左側は。

 描きあげた時気づいたの、姉貴だって」


もう一度絵を見た。

今度ははっきりと左半分に陽子の顔が見える。


「姉貴が私に画かせたんだと思うの」


紗季もジッと絵を見ている。

何か思うところがあるんだろうか、ぼそぼそ独り

言まで呟いている。


「だからこの絵はここから出したくないの」

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