鬼山

despair

鬼山

 辺りは木々が生い茂るように気高い山で囲われた、緑豊かな田園風景が広がる小さな小さな村の中。空き地のように広がった、なんにもない、とても大きな村の広場。そんな場所で、村に住む子どもたちは毎日泥んこになるまで遊んでいました。

 ある日、子どもたちが元気いっぱい遊んでいるところへ、遠くから「ポン、ポン」と甲高く、村いっぱいに響き渡る音を鳴らす何かを叩きながら、大きな荷物を背負い、太い木の棒のようなものを両手にひとつずつ持ち歩いたひとりのおじさんが、子どもたちの遊び場へとやってきました。

子どもたちは怖がる素振りを見せず、むしろ「いつものおじさんだ!」と喜ぶようにして、やっていた遊びを切り上げておじさんのところへ駆け寄ったのでした。

「いい子たちだから、すぐに広場に行くから押さないで」と、おじさんが子どもたちをあやすと、懐に忍ばせておいた水飴と手に持っていた木の棒を入れ替えて、子どもたちにひとつずつ配りました。

すると、子どもたちは喜んで受け取り、すぐに口へと頬張ったのです。


 おじさんが広場に着くと、さっそく大荷物の中から小さなちゃぶ台のようなものをひとつと、革手提のような入れものをひとつ。それと、先ほど懐にしまい込んだ太い木の棒や笛などを取り出して、何やら準備を始めました。

ちゃぶ台の上に、先ほど出したものをおっぴろげ、そのうちの革手提のようなものを子どもたちが見やすい角度に調整したのです。

 おじさんがしていた準備はすぐに終わり、子どもたちのほうに向き直ると、ふたつの木の棒を両手に持って掲げると、両手で大きく振り上げて「ポン、ポン、ポン」と、三回、棒と棒を叩き合わせました。

すると、下を向いていた子どもや、土や砂いじりをしていた子ども、友達とおしゃべりをしていた子どもたちも顔を上げ、おじさんが次に何をするのか、わくわくしながら前を向きました。

 おじさんは、その様子をしっかりと見ていたのか、みんなが前を向いてから一拍を置いたところで、開口一番に大きな声でこう言ったのです。

「ワカおじさんの紙芝居。はじまりはじまり」


 むかーしむかし、この村にある小さな旅籠屋はたごやに、きりりとした顔立ちをした旅のお侍さんが訪れたんだ。

「女将さん。小生、あの大山を越えねばならねぇ。一晩泊めてはもらえまいか?」

 お侍さんがそう女将さんにそうは言うけれど、みんなが知ってるように、この村に外から人が来るなんて珍しい。

だから、女将さんはそのお侍さんのことが気になって、これから大山を超えてどこへ行くのかを聞いてみたんだ。

するとお侍さんは、女将さんにこんなことを言ったんだよ。

「風の向くまま気の向くまま。けんど、どちらにせえあっこの大山を越えねばいづこへもいけねぇ。だから一晩休んであん山を越えてぇ」てさ。

まあ、たしかにこの周りには山しかないから、お侍さんは歩いて越えないといけない。

だけど、そのお侍さんが通らないといけない山には、恐ろしい鬼がいっぱい住んでいるのを女将さんは知ってたんだ。

だから女将さん、そのお侍さんに注意したんだ。

「旅のお侍様や。あの山は『鬼山おにやま』と呼ばれてまして、あの山ん奥には鬼がおるんです。ですんで、ここらの人もいっさい立ち寄らない場所でして、行かないほうが……」

 鬼の話を聞いたお侍さん。

ズバッと腰に付けてた鞘から一振りの刀を引き抜き、ブンブンと木でもこるかのように素振りをしながら女将さんに言い放ったんだ。

「なぁに。鬼退治くれぇ小生にお任せあれ」


 翌朝、旅籠屋で一晩を明かした旅のお侍さんは、スキップをしながら、意気揚々と鬼山へと向かおうとしたんだ。

すると、そこへ女将さんがやってきて、真剣な顔をしてお侍さんにこんなことを教えたんだ。

「お侍様、どうかお気を付けて。もしも、もしも山中で、カツンと、硬い物がこすれ合う音がなされたら、絶対にそちらへは向かわれないように」

 お侍さん、女将さんのその言葉をしっかり聞いたかどうかはわからなかったんだけど、右手を挙げて「理解した」と女将さんへ伝え、そのまま鬼山へ向かったんだ。


 鬼山へさっそく向かったお侍さんでしたが、すぐに女将さんが言っていた音が聞こえてたんだ。

カツン、カツン、カツンと、それは杖で石を突くような音だった。

お侍さんはすぐに気付いて鞘から刀を引き抜くと、いつでも鬼を斬れるよう刀を構えて奥へと進んだんだ。

 だけど、行けども行けども鬼なんて生き物は出てこず、やがては鬼山の山頂に辿り着いてしまった。

「はっはっは、鬼なんていねぇわい。所詮は噂話ってことかい」

 お侍さんはすこしがっかりしたんだけど、安心して山を下りはじめた。


 ……と、ここまでは良かったんだが、あいにく山の天気は変わりやすい。

お侍さんが山を下りている途中、ボツンと一滴の水が空から降ってきたんだ。

それを皮切りに、どんどんどんどん、空から雨が降ってきたんだ。

「こりゃまじぃ。どっかで雨宿りでもしよう」

お侍さんは山を下りながら、どこかに小屋がないかを探していると、ちょうとぽっかりと開いた岩屋をひとつ見つけたんだ。

「ちょうどえぇ。あっこで休もう」

そう思ったお侍さんは、急いで岩屋へ向かったんだ。


 お侍さんは岩屋の中に入ったんだ。

中は真っ暗だったが、どうやら深くて奥まで続いているようで、奥から何かが動く音が聞こえたんだ。

ごそごそ、ばきばき、かつかつ。

 岩屋の中を響く何かの物音はお侍さんの耳にもすぐ届き、ぞくぞくと体が震えた。

「く、クマでもいるのか?」

 怖くて怖くてびくびくと体を震わしながら、お侍さんは岩屋の奥へ進んでいく。

 すると、おや不思議。

なんと、赤い体をして立派な角を生やした、大きな大きな鬼が眠っていたんだよ。

「うわぁ」

 お侍さんはびっくり仰天。

女々しい悲鳴を上げて、その場で尻餅をついてしまったんだ。

ドシン。

「何者ぞ。儂の眠りを妨げる奴は……」

 どうやらお侍さんの悲鳴で、今まで眠っていた鬼が起きてしまったようだ。

「ひぃ、冗談じゃねぇ。ここから逃げなければ」

お侍さんは、急いで立ち上がり一目散に岩屋の外へと逃げ出そうとした。

 と、そのとき。

岩屋の入口のほうから、かつ、かつという音とともに、ドシン、ドシンといかにも大きそうな生き物がこちらへやってくる音が聞こえたんだ。

「なんだなんだ。小生は急いでるのに」

 お侍さんは走って入口へ向かうと、そこにいたのはなんと、青い色をして、金棒を持った鬼だったんだ。

「こ、こんなことになるなら、最初からこなきゃよかった。別の道を歩いていれば……」

 後悔先に立たず。

お侍さんは逃げることを諦めて、鬼と話し合えないか、最期の挑戦をしたんだ――。


「ワカおじさんの紙芝居、今日はここでおしまい。みんな聞いてくれてありがとう。それと、くれぐれも鬼山には近づくんじゃないぞ? 本当に鬼が現れて、人を食ってしまうからな。ははは」

 おじさんが紙芝居の終了を伝えると、「これから面白くなりそうだったのにと」と思った子どもたちから、口ぐちに文句が出てきました。

しかし中には文句を言わず、拍手でありがとうと伝える優しい子どもも何人かいました。

そんな様子を見ておじさんは、「本当に申し訳ない。明日、明日この話の続きをしてあげるから、ぜひとも来てね!」と言うと、ちゃぶ台や紙芝居の入れものなどの荷物を、荷物入れへ片付けはじめました。



「ふーん、そっか」

 おじさんの紙芝居が終わったとき、みんなは拍手をしたり、不満を言ったりしていたのですが、その中でひとりだけ、拍手をせず、また何を言うこともなくただ立ち上がり、そして自分のおうちに帰ろうとする、タロウという名前の男の子がおりました。

 タロウは知っていました。

あのおじさんは、実は村長に頼まれて話を作り、そして子どもたちのの前で紙芝居をしているというのを、たまたま見てしまったからです。

なので、タロウは純粋に話を楽しむことができずにいたのでした。


 タロウが紙芝居を見て、すこしだけ時間がたったとき、ふとあることを思いつきました。

「そうだ。鬼山に行こう」

 タロウはさっそく、誰にも見つからないようひと気のすくない林道を歩き、鬼山へ向かいました。

 森の中は、タロウが思っていたよりは雑草がぼうぼうと生えてはおらず、むしろ人が歩きやすくなってるように整地されておりました。

不思議だなと、タロウは思いましたが、気にせずその道をまっすぐ進みました。


 タロウが山の中腹辺りまで、鬼山を登ったころです。

遠くで、ガサゴソと、何かがこちらへやってくる音が聞こえたのです。

「もしかして、鬼か?」

 タロウはすぐに音のするほうへ顔を向けました。

しかし、そこには誰も、何もいません。

「んだよ。リスか何かの動く音か。驚かせんなよったく」

 タロウは内心ビクビクしながら、さらに山の奥へと進んでいきました。

すると、空は見る見る暗くなり、しまいには、ゴロゴロという雷鳴とともに、雨が降ってまいりました。

「まずいな、服が濡れたらかーちゃんに怒られてしまうぞ」

 タロウはキョロキョロと周りを見て、どこかにいい雨避け場所がないかと探していると、たまたま近くに岩屋のようなものがあるのを、タロウは見つけました。

「あそこで雨宿りして、雨がやんだらすぐ帰ろう」

 タロウはそう思い、雨で濡れないよう急いで洞穴の中へと入りました。


 タロウが岩屋の中に入ると、不思議なことが起こりました。

今まで降っていた雨が、今まで雨なんて降っていなかったかのように、すっかりと晴れてしまったのです。

「なんだなんだ? もう雨が晴れちった」

 タロウは不思議に思いながらも、岩屋の外へ出て、そそくさと家へ帰ろうとしました。

すると、そのときでした。

 ガサガサ、ガサガサと、草木を掻き分け、何かがこちらへとやってくる物音がタロウには聞こえたのです。

「誰だ?」

 タロウは物音の正体を確かめるため、大きな木の裏に隠れて、こちらへとやってくるのを待つことにしました。

ガサガサ、ガサガサと音はどんどん大きくなり、ついにタロウはその正体を知ることとなります。

「あれは……紙芝居のおじさんか?」

 そう。

そこに居たのは、大荷物を背負ったおじさんだったのです。

「なんでこんなところにいるんだ? もうすこし様子を見てやろう」

 タロウは、おじさんに気付かれないよう息をひそめておじさんの様子を観察することにしました。


 おじさんは、さっきまでタロウが居た岩屋へと近づくと、おじさんは背伸びをし、そして岩屋の中に入っていきました。

しばらくすると、背負っていた大荷物を置いたのか、背中ががらんと空いたおじさんが、岩屋の外へ出てきたのです。

 タロウは、「おじさん、なんで鬼山の、あんな岩屋に住んでるんだ?」と思いましたが、気にも留めずに山を下りようとしました。

そのときです。

グシャリと、足元にあった湿った落ち葉を、タロウは踏んづけたのです。

「誰だ!」

 タロウが立てた大きな音を、おじさんは聞き逃すことなく、タロウが居る方角を睨みつけたのです。

「しまった。早く逃げなきゃ」

 タロウはおじさんがこちらを見ていることなぞ露知らず、一目散に山を下りて行きました。


 タロウが全速力で山を下りていくなか、後ろから、ドスドス、ドスドスと大きな足音を立てておじさんは迫ってきました。

「おじさんが後ろから迫ってきてる! 後ろを確認して距離を見よう」

 タロウは走りながら後ろを確認すると、そこには、頭に太くて立派な角をふたつ生やし、墨のように黒い金棒を持った鬼が、こちらへと駆けていたのです。

「本当に、この山には鬼が居たんだ!」

 鬼山の話は、ただ子どもを怖がらせ、山へ行かせないようにするためのおとぎ話だと思っていたタロウは、酷く驚き、取り乱してしまったのです。

「逃げなきゃ! 逃げなきゃ食べられちまう」

 タロウは必死の思いで山を駆け下り、ついに村まであと一歩というところまで辿り着きました。

と、ここでタロウはあるものを発見したのです。

「あれは……鬼だ!」

 なんと、山を下りた先にも、小さな鎌を持った鬼がふたり居るではありませんか。

「どうしよう。前にも鬼、後ろにも鬼」

 タロウは懸命に、この山から無事に逃げ出す方法を考えました。

「そうだ!」

 考えながら歩いたせいで、背後に居る鬼の足音が大きくなったものの、タロウはひとつの策を思いついたのです。


 タロウは、急に立ち止まったのです。

その動作に、後ろに居た鬼は驚き、すぐに歩幅を狭めて、通り過ぎないよう必死に速度を落としました。

しかし、鬼は自身の体や、金棒の重さが災いとなり、タロウが居た場所で止まることができず、そのまま山を転げ落ちるかのようにまっすぐ通り過ぎてしまいました。

「やった、これで帰れる」

 タロウは安心して、鬼に気付かれないよう山を下り終えたのでした。


 タロウが山を下り、村へ着いたころ、村の中で何やら騒ぎがあったらしく、村に住む大人たちがせかせかと村を歩きまわっていました。

タロウは、「きっと自分のことを心配して、鬼山に行こうとしているのだろう」と思い、すこし気まずくも思いましたが、それでも大人たちがタロウのことを心配していると思い、嬉しくなって家へと帰りました。


 タロウがこっそりと家へ帰ると、そこにはタロウの姿を見て安堵の表情を浮かべた母が両膝を地面につけて、気が抜けたかのように地面へ倒れました。

「よかった……タロウが生きていて、本当によかった……」

「かーちゃん、勝手に山に行ってごめん」

 タロウは、自分が思っていた以上に心配していた母に対して、心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいになり、ひたすら謝りました。

すると、外から誰かがやってくる足音が聞こえ、すぐに母は真剣な表情でこう言いました。

「タロウ、すぐに物置の中に隠れて、そのままじっとしてて頂戴。かーちゃんがいいって言うまで、絶対に物置から出てきたり、声を出したりしてはダメよ」

 タロウは不思議に思ったものの、母の言葉に従い、物置の中へ隠れました。

すると、玄関の戸を強く叩く音が聞こえ、母がすたすたと歩いてその戸を開ける音が聞こえました。

「何を話すんだろう?」

 タロウは母が誰かと話す会話が気になり、聞き耳を立てて盗み聞きをしました。


「奥さん、タロウくんは帰ってこられましたか?」

「いえ、まだ帰ってきていませんが」

「そうですか。ですが、まずいですね。鬼山に入ったとなれば、鬼を見てしまったかもしれません。そうとなれば放ってはおけません」

「ですよね。鬼山に入ったのがもし本当であるなら、ただでは済みませんよね」

「……奥さんは、タロウくんが鬼山に入られたのを信じておられないのですか?」

「はい。きっとタロウは鬼山には入ってないと、きっと別の子なんだと信じています」

「……そうですか。またこちらに伺いますが、もしタロウくんがうちに帰られましたら、すぐに村長のところまで、タロウくんと共にいらっしゃってください」


 タロウは幼いながら、気付いてしまいました。

「この村は、人の村ではない」と。

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鬼山 despair @despair

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