第44話 決断

 かげつが展開する北のザッフェルバル戦線から南に下った中央戦線。

 ここはあけぼしとおおとりを中心に最も手厚い布陣が敷かれている。

 状況に応じてかげつ、せいげつの両戦線へ援護を回せるようにとの意図もあり、とにかく確実かつ速やかな敵殲滅を第一に攻撃が行われていた。

「第五次砲撃終了。弾着、効果確認中」

 交渉の呼びかけは行われず、宣戦布告は既に済んでいるため開戦は唐突だった。

 第一次砲撃であけぼし、おおとりの両艦主砲が放った対魔族榴弾は敵の防御のことごとくを破砕し、次いで大量に放たれた対地・対魔族ミサイル群は山林ごと生き残りを打ちのめした。

 その後はちりぢりになった小集団それぞれにピンポイントでミサイルを撃ち込みながら、そこから逃れるように洞窟や岩陰に固まり隠れた敵は艦砲による極超音速徹甲弾による力業で障害物ごと叩き潰した。

 現在はほとんど掃討戦同然の状態だ。五千ほどいた敵はもう百も残っていない。

「……これなら、もはや負けはないな」

 おおとりに設けられたイデア軍・帝国征伐軍統合作戦本部で、征伐軍を預かるガイタス大神将は湧き上がる興奮を抑えきれずにつぶやく。

 全天を覆う光と言葉の文様たち。それらが全ての戦場への窓となり、地図となり、情報全てを集約している。そこに飛び込んでくるのは、各地において味方が優勢であるという情報。

 かつてのガイタス大神将には想像もできなかった光景に、彼はただただ身を震わせていた。

「『閣下。五度目の攻撃を完了しました。残った敵の探知を願います』」

 通訳の少女が、イデアのトバ将軍の言葉を訳して大神将へ伝える。

「うむ」

 ただちに、大神将は気を研ぎ澄ませて戦場を探る。

 魔の者どもが放つ邪気の探知は、法官であれば大なり小なり可能であるが、大神将の探知範囲の広さ、精度の高さは指折りのものだ。その類稀なる才能があるからこそ、彼はこの地位に就くこととなったのであるが。

 ……残りは……。

 あれほど重みを持って迫ってきていた気配は、面白いほど綺麗に吹き飛ばされていた。今となっては、広い森で落とした小袋を探すような仕事だ。だからこそ慎重に、漏れのないよう集中して探る。

 死して散っていく邪気の中で、生きてまだ残るものは――。

「ここが、最も敵が多く残っている。おそらくは五十はくだらないだろう」

 機械によって光る作戦地図を指差しながら、大神将は残った敵の位置を指差していく。通訳の少女がそれをイデアの言葉に直し、イデアの将兵がさらに兵たちへ指示を伝達していく。

 現場の“目”が動き、まもなくそこを探し当てた。正面の光る窓のいくつかに、崩れた崖にあいた洞穴が映し出される。やはり勘が告げたとおり、五十ほどのトカゲがそこに隠れていた。

「他にもまだ残っている。ここにも数匹のトカゲが隠れている。微弱だが、こことここにもはぐれものがいるやもしれぬ……今わかるのはそれで全てだ」

 続けて少女がイデアの将兵たちに告げると、

「『わかりました。確認でき次第、六度目の攻撃を実施します』と」

 滑らかな帝都方言で、通訳の少女がイデアの指揮官、トバの回答を告げる。

 戦局はもう決定的だ。あとは、残る魔の者どもが後方の村々を脅かさぬよう、綺麗に掃除するだけ。

 その時、

『聞け、人間どもよ!』

 ガイタス大神将は、不意に言葉を頭に叩き込まれる感覚を得た。

 ……なんだ?

 皇帝陛下からの勅言と同じ方法だ。だが陛下ではない。あのお方は臣下に呼びかけるために“人間ども”などと下品な言葉を口にされるはずはない。

『聞こえる者がおれば答えよ、人間よ! この者の命が惜しければ、すぐに攻撃を止めよ!』

 繰り返しの呼びかけに、これは間違いなく自分へ向けられたものだとガイタス大神将は理解した。

「おい、外の様子はわかるか。この辺りだ。風景を映してくれ」

 地図を指差して言えば、トバ将軍たちも慌ただしく周辺へ指示を飛ばす。

 そして、正面の大きな窓に、まもなくそれは映された。

 人間の女を抱えた、トカゲ型の魔の者。

 首にその剣を突きつけ、空を仰いでいる。また念が飛んできた。

『聞こえているか! この者の命が惜しくば、攻撃を止めよ!』

 


『答えよ、人間どもの将軍よ!』

 クノス・バル・カルトーは、生き残りのわずかな兵たちを集めて必死の形相で叫んでいた。

 彼にはもう、そうする他に思いつかなかった。

『聞こえているだろう! 人間の将よ!』

 クノスは、カルトー族の末端、どうにか貴族と認めてもらえる程度の家格を持つバル分家の長子だ。

 しかし、目立たない家柄にすら釣り合わないクノスの無能さは、しばしばカルトー一族の中でも物笑いの種だった。

 幼少より臆病者と笑われ、剣技では勝ち知らず、戦術は一手先すら読めないと評判の、正真正銘の無能者。

 それでもバル分家の代表として彼がこの場に送られたのは、厄介払いだということを察する程度の脳みそはあった。

 しかし、幸か不幸か、クノスは死ななかった。

 恐怖に突き動かされるように逃げ回り、偶然がそのことごとくを成功させたからだ。

 残された兵たちも、もはやそのような者ばかりだった。

 指揮官を喪い、偶然に生き残り、逃げたくともどうすればいいか分からない者ばかり。

 腕の中の人間の雌は、密偵に使えとの命令だったはずだ。だがその命令を受けた分団長も、託された将軍もみな死んでしまった。クノスの行為を咎める者はもう誰もいなかった。

『こいつの命が惜しくないのか! 同胞を救いたくば、我が呼びかけに答えよ!』

 戦場で残された装備を漁っている中で、奇跡的に残った彼女を拾った時、もうクノスはこうする以外に生きるすべを見つけられなかった。

 まごうことなき大博打だ。山の向こうの彼らが、自分たちのように同族を愛するのか。取引に応じるのか。そもそも、念話が届くのか。届いたところで、通じるのか。兵法もろくに頭に残らなかったクノスは何も知らない。知識も知恵もないまま、振り絞った自分の考えに縋るように必死で叫んでいた。

 応答が来るまで、ただ必死に。



「『敵がこう言ってきている。貴殿らの考えを聞きたい』と」

 通訳の伏原明里が、大神将の言葉を訳し鳥羽とば佐織さおり大佐をはじめとした降下軍作戦本部幕僚へ伝える。

 敵が人質を取り、攻撃を止めるように交渉を持ちかけてきている、と。

 第二偵察中隊の無人機たちは、確かに人間の女性と、彼女の首に剣を突きつけるトカゲの姿を映像として送ってきていた。

「厄介ですね……」

 降下軍陸戦隊、第一旅団長の鳥羽大佐は思案する。彼女が本当に人質ならば救出が必要だ。

 敵の思惑にバカ正直に乗ることはできない。だが、

「帝国民であれば救出が必要でしょう。……艦隊司令は、どうお考えか」

《外出禁止令は出ていたはずだが》

 降下艦隊司令代理、あけぼしの艦橋から通信で村瀬少将はそう問い返す。

 鳥羽大佐は眉をしかめる、

「出ています。ただ、ザッフェルバルならともかく、ここはミルトダースです。どこまで徹底できたか」

 ミルトダースは、ザッフェルバルの南方と接する領国だ。

 帝国東方、魔族の領域と人間の帝国を隔てるベファン山脈には、三つの領国が縦に並んで接している。

 北のザッフェルバル。

 中央のミルトダース。

 南のトルディンゲン。

 ザッフェルバル領内であれば、これまでのI.D.E.A.の指導が行き届きつつあり、連絡用の無人機や、その運用のための無線設備も順次設置されつつある。

 だが、南方の二領国は帝国政府や征伐軍を通じての要請という形でしか関与ができない。要請に応じてミルトダース総督府は外出禁止令を出したらしいが、どこまで実施されたかの確認まで手が回っていないのが実情だ。

《彼女が帝国民であるのなら、私も彼女の救出の必要を認める。救出部隊の編成はできるか。鳥羽大佐》

「第二大隊はまだ余力があります。征伐軍の法官隊も待機中です。航空団は?」

「……必要であれば、二〇二飛行隊ゲイルズはすぐに回せる」

 第一航空団司令、浅野あさの治敏はるとし大佐も頷く。

 意見は一つにまとまった。

「――大神将閣下。我々は、彼女が帝国民であるのならば救出し、それから敵を討つべきと考えます」

「『そうか』」

 少しの間をおいて、大神将はポツリと呟いた。

「――――?」

 自問のような言葉。通訳の少女は翻訳するか戸惑ったようだが、

「『彼の者は臣民か?』と」

 それは、画面の向こうの人質が、帝国民ではない可能性を問うている言葉。

 彼女が臣民ではない――即ち、敵国の所属、あるいは、敵国から連れてこられた人間であるという仮定。

 疑うのも当然だ。いくらミルトダースの外出禁止令が不完全だと言っても、ここは征伐軍の管理区域。そこまで狩りや採集に来る人間はごく少数だろう。ましてや、戦場の只中、竜人の軍勢を五度にわたり叩きのめした艦砲とミサイルの雨の中で、いまだに“生きている人間”など。

 その思索を破るように、作戦本部通信員が至急の電文を読み上げた。

「かげつ――第一大隊より入電です! 敵国の密偵を捕捉。法官隊により確保を試みるとのこと。ファドル・リフオン城塞臨時捕虜収容所へ密偵の送致許可を求めています」

「敵国の――」

 それで、答えは出た。

 通訳の伏原がその旨を大神将に伝えれば、その口角が静かに吊り上がった。

「『ならば、我の出す答えは一つだ。改めて、貴殿らの考えを聞こう』」

 うなずき合い、鳥羽大佐、村瀬少将、浅野大佐は一言、二言を交わすのみでもう一つの結論に達した。

 鳥羽大佐がそれを踏まえた提案をすると、大神将もI.D.E.A.降下軍の案を了承し、不遜なる人ならざるものへの回答は決まった。



『取引には応じられない』

 敵将の短い一言。それでクノスの浅慮は全て泡と化した。

『ならば、この者は死ぬぞ!?』

『構わん。貴様らもろとも吹き飛ばすまでだ』

『ッ……家畜が……同胞を愛することすら知らぬか!?』

 クノスは精一杯の侮蔑を飛ばすが、所詮は負け惜しみだ。その家畜相手に人質が通じると賭けた、クノスの負けなのだから。

 ……家畜にはやはり、情などはなかったのだ。

 破れかぶれの一手が失敗した以上、もう手はない。死を覚悟したクノスに、しかし敵は予想だにしない言葉を告げてきた。

『しかし、貴様らがもし敗北を認めるならば、降伏を認めよう』

『降伏だと!?』

 それは、前代未聞の通告。竜人の戦士たちが人間から告げられるなど想像もしなかった言葉。

 クノスですら、自らが受け取った念が信じられないと問い返すほどの。

『降伏だ。人質を取らねば、その命すら風前の灯の弱き者どもよ。彼女の安全を保証するのであれば、我々は貴様らを捕虜として扱い、命は保証しよう』

 家畜として、自分たちに管理されるはずの生物と思っていた相手からの、屈辱以外の何物でもない言葉だ。

『選べ。ここで人質もろとも吹き飛ぶか、そこにいる者全て我らが虜囚となるかを。これから百を数える。それまでに返答がなければ、攻撃を再開する。……一。二。三……』

『ッ……!』

 敵将は数字を数え始めた。この交渉を時間稼ぎに使うことは許さないということか。四、五……。階段を登るように、数字は進んでいく。

 ……どうすれば。

 クノスは答えを出せずにいた。

 家畜に囚われるぐらいなら死を選ぶ。オベルムが一笑に付して自死を選んだように、その程度のプライドは普通の竜人であれば持っているはずだった。

 だが、今のクノスは迷っている。。竜人として選ぶべきは、迷う余地もなく名誉の戦死であるべきにもかかわらず。

 その伝統を重んじる英雄たちはみな先に逝った。ここに残っているのは、そこに背を向けた卑怯者ばかりだ。

『二十四。二十五。二十六……』

 死んでしまえば楽になれるぞ、とクノスは自分に言い聞かせる。だが、臆病な自分は聞き入れない。それが怖くてここまで逃げ回ってきたのに、と。

 ならば竜人の誇りを捨て虜囚となるのか。家畜の足を舐め、死よりも恐ろしく、屈辱的な目に遭うかもしれないのに。

 ぐるぐる、ぐるぐると思考は同じ場所を巡る。死ぬか、生きるか。

『三十九、四十、四十一……』

 他の兵士たちも、降伏勧告に動揺しているようだった。ざわざわと落ち着かない念が交わされ、あるいは漏れる。戦死か、捕虜か。

 クノスは指揮官ではない。指揮官と呼ばれるような訓練も受けてはいない。だが、家格はこの中で最も高い。名家の落ちこぼれであっても、なお名家の嫡子だ。不幸にも、そうあってしまった。そんなクノスへ、敗残兵たちの視線が集まり始める。

『五十六、五十七、五十八……』

 期待か、あるいは懇願か。すがるような視線の群れがクノスへ押し寄せる。決断を。どうかこの難題に答えを、と。

 その弱々しい気配の群れにわずかに気圧されるが、不意にクノスは一つの事実に気付く。のだ。それが答えだと、クノスはようやく理解した。

 だからクノスは、逆に問いかけた。

『今この場にいる者で、名誉ある戦死を望む者は居るか』

『…………』

 ぽつり、ぽつりと遠慮がちに剣が上がる。

 腕や尾を失った兵士たちだ。

『ならば、お前たちは直ちにここから離れろ。残りは降伏する……それでいいな?』

 異論はなかった。皆、疲れ果てていたのだ。一族の栄光のため、戦士の名誉のためと鼓舞してくれる指揮官はもうおらず、敵はあまりにも強大すぎた。クノスには、そんな彼らを引っ張るほどのカリスマも強さも何もかもが足りなかった。

 クノスは仲間の沈黙を肯定と受け取り、改めてどこか遠くいるらしい人間の将軍へ念を向ける。

『人間。我々は、生きて国へ帰りたい。それが叶えられるのならば、降伏に応じよう。そのつもりがないのならば、殺すがいい』

 精一杯の強がりと、最低限の条件。敗残の虜囚が帰国したところでろくなことにならないのは目に見えているが、人間どもにだってどんな扱いをされるかはわかったものではない。

 待遇のことを言える立場ではない以上、ギリギリの要求だ。

『いいだろう。その条件を受け入れる』

 敵将はクノスの出した条件をのんだ。期限は切っていない口約束だが、降伏した他の兵たちにとって一筋の希望にはなるだろう。

『ならば、我々は貴様ら人間に投降しよう。それを良しとしないものは、直ちにここから離れさせる。見逃せとは言わないが、彼らとは最後まで戦ってほしい』

『承知した。だが、貴君らの武装解除と収容作業を妨害するようならば、降伏の話はなかったこととさせていただく。まとめて吹き飛ばされたくなくば、よく伝えておくことだ』

『わかった。伝えよう……みな、聞こえたな』

 兵たちは一様にうなだれているが、やはり誰からも異論はなかった。

『……それでは、カルトーどの。我々は、これで』

『ああ。どうか武運を』

 戦うと決めた者たちが集まり、クノスへ一礼を寄越す。

 六十人ほど残っていた中で、十七人が死を覚悟したらしい。

 彼らはぞろぞろとこの場を離れていく。

 もう、二度と会うことのない背中を見送りながら、

 ……他の将であったなら、やはり死を選んだだろうな。

 クノスは未だ、自分の決断の正しさを信じられずにいた。愚か者たる自分の判断を。死ぬべき場所で死ななかったことを。

 虜囚となってでも生きるのが本当に正しかったのか。その答えはずっと後にならなければわからないだろう。



 こうして、クノスたちは、記録に残る限りで、竜人としては史上初めて人類に投降した正式な捕虜となった。

 その名と決断は、長くこの惑星の歴史に刻まれることとなる。

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