第43話 踊る影

 ベファン山脈。標高二千メートルの尾根に竜人たちの一団がいた。

 先の戦闘時、オベルムの指揮下から離れたクルフト族とナメン族の二部族の混成部隊。その竜人兵たちが長い列となって山々の稜線に沿って歩いている。

 古くから親交の深いこの二部族は、敵の未知の攻撃を目の当たりにするやいなや、オベルムに独自行動を進言。許可を得て、いまは人間たちの防衛が手薄であろう北を目指していた。

 さすがに主戦場から遠く離れれば魔術妨害は緩み、周囲に魔力の気配もほぼなくなっていた。

 だが、そこに不意に念が届いた。誰かに宛てられたものではない。あの戦域から、魔術妨害を越えて届く死に際の怨念の一つだった。

 強力な妨害を越えてまで届いたその念は、オベルム分団長のものだった。

 クルフト族のガザン将軍がぽつりと念を漏らす。

『分団長が死んだか』

 ガザンの言葉に、ナーメ族のメブル将軍は静かに答える。

『勇戦であったことだろうな。囮を引き受けてくれたこと、感謝せねば』

 オベルムは、重要な任務を敢えて自身ではなく、この二人に託していた。それはある意味武人としていくさに殉じたいという意図と、かつて共に戦った二人の能力を信用してのことだ。

 そのことに感謝と敬意を評し、ガザン将軍は歩を止める。

『オベルム分団長が戦死なされた。――全隊、停止』

『停止。全隊、停まれ!』

 ガザンとメブル両将軍の令に、二百人強の歩兵たちが一斉に足を止めた。

『翼と、火と、海の神龍に導かれし戦士、オベルム分団長と、彼に従った戦士たちに敬意と哀悼を捧げる。念、送れ』

『…………』

 略式の追悼の念を冥府とされる大地の底へ送る儀式。

 許されるならばガザンは本式の追悼をしたかったが、それで自分たちの居場所が敵に気取られれば意味がない。静かに自身の中のオベルム分団長を送る。

 目を閉じる者、じっと大地を見つめる者、ひざまずいて大地にこうべを垂れる者、それぞれの送り方で、風の音だけが流れる。

 やがて、

『念、止め』

 ガザン将軍が告げれば、一様に注目する。

 一団に感傷の空気はもはやなく、再び彼らは戦士の目となっていた。

『本隊が壊滅した。さすればこちらにも追っ手が来るだろう。負傷者はここから本陣へ帰還。残りは針路を西へ。敵領内へ侵入する!』



《すみません伏原くん。実は、少しまとまった数の敵が北へ逃げているようなんです》

 和貴が手元の端末で作戦の進行を見守っていると、不意に村瀬弓香少佐からそう切り出された。

 本隊をほぼ壊滅へ追い込み、それを知って浮き足立った別働隊も各個撃破されつつある中で、どうも逃げ延びた部隊があったらしい。

《初期に戦線を離脱して、山脈の尾根を北上していたようです。統合作戦本部は逃走か侵入か判断を保留していたそうなのですが、こちら側へ侵入する動きが見られたとのことで、迎撃が命じられました》

「少佐はその追撃へ向かう、ということですね?」

《航空隊の手が足りないようで。申し訳ありません》

「いえ。必要なことでしょうから。よろしくお願いします」

《三宅くんの小隊も連れて行きますが、そちらは交代が来るそうで――あ、来ましたね》

 峡谷を徒歩で走ってくる山岳迷彩の一団。三十九機の機械歩兵たち一個小隊だ。

 彼らは間もなくフーダ城塞に到着。引き継ぎは、現場では傍目からではわからないほどスムーズに行われた。

 これまで三宅中尉の指揮下の機械歩兵たちが立っていた場所に、入れ替わるように別の隊の機械歩兵が寸分のズレなく収まっていく。

 現場での会話は一切ない。なぜなら人間の小隊長はどちらもかげつの中にいて、管制室の中でやり取りするだけで足りるからだ。

第二歩兵中隊第一小隊イクスレイ1・アルファ。三宅です。護衛任務をハンド1・チャーリーへ引き継ぎ、敵部隊への攻撃へ向かいます》

第一歩兵中隊、第三小隊ハンド1・チャーリー初台はつだい少尉です。イクスレイ1・アルファより総督代行閣下および外交部の皆様の護衛任務を引き継ぎました。よろしくお願いします》

「クイーン00、了解しました。よろしくお願いします」

三宅中尉イクスレイ1・アルファ。こちらライトニング1。私たちは換装を完了しました。そちらは?》

《完了しました。コンテナ内、全機収容完了。儀式の方ですが――》

 三宅中尉の隊は、フーダ城塞の屋上に置かれた、巨大な持ち手ハンドル付きの機械歩兵小隊輸送用のコンテナに収まっていた。その上から、先ほどまで法官たちの霊力付与儀式が行われていたが、それも終了したようだ。

 外交部、和貴の同僚が儀式をしていた法官たちと二、三やりとりをして、それから《儀式、完了したとのことです!》と通信を送る。三宅中尉と村瀬少佐が《了解》と返すと、不意に和貴の上に影が差した。

 村瀬少佐の迅雷だ。右手には先ほどまでの複合シールドではなく改三十ミリレールガトリング砲が抱えられていた。先に補給のトビウオが運んできたものだろう。

 次いで無人機らしき随伴機が右手にデュアルライフルを手にしたまま、輸送用コンテナの持ち手に左手をかける。

《それでは。行ってまいります》

 少佐と、その無人僚機。四機の迅雷が重力制御で浮かび上がり、フーダ城塞を飛び立っていった。



 急峻な下り坂は、竜人にとって降りるには容易い。

 魔力は食うが、跳躍で得られる速度はその分段違いとなる。最低限の訓練を受けてさえいれば、そこでは行軍速度の大幅な上昇が見込める。

 そして、ガザンとメブル両将軍に付き従う兵たちは当然のようにそれを叶えた。

 北西へ斜面を跳び降りていき、積雪の深い高山地帯を抜け、低木林から、一気に針葉樹が生い茂る森林地帯までたどり着く。

 魔力の気配は遠く、やはり魔力妨害もほぼ届かない距離。安全な場所までたどり着いたと判断し、ガザンは背中の麻袋を下ろした。

『おい、名誉市民。貴様をここで下ろす。よいな?』

 念を飛ばすが、返答はない。

 袋を地面に置き、口を解けば、頭に赤い毛を生やした人間の雄がのっそりと這い出てくる。

 その目が、ぎょろりとガザンを見る。不気味なツラだ。とガザンは率直に思った。

 竜人からは人間の内心は読めない。舌を出さない、尻尾もない、種族の考えていることは解らない。

 目の前の“名誉市民”は、敵からの感知を避けるために魔術的な能力の一切を封印している。今の彼は竜人たちにとっては本当にコミュニケーションの取れない化物同然だ。

 ……下等生物が。

 内心で侮蔑の念を抱きながら、ガザンは名誉市民へ呼びかける。

『手間のかかることだ。我々にここまでさせたからには、相応の成果を上げてもらうぞ?』

 人間は独特の鳴き声での返答。竜人がよく使う肯定の身振りを示したので、念を聞くことはできているのだろう。

 彼は必要な荷物を確認すると、そのままふらっと森の中へ消えていった。

『よし。仕事は終わりだ。我々は駐屯地へ戻る』

『よいのですか? 計画では……』

 本来の計画では村を一つ襲い、壊滅した生き残りとして密偵を村の住人と入れ替えてしまう手はずだった。

 だが、人間の密偵ごときのために、いつまた空から鉄の暴風が降るか解らない状況で、ガザンは敵領内に長々と逗留する気にはなれなかった。

 それに、『まとめて殺されるぐらいなら、ここで放した方がまだ成功の確率は上がるだろう』という言い訳を思いついたことも、理由の一つだった。

『分団長が死んだのであればこちらが無事で済むとも思えん。全軍このまま山を越え、帰還するぞ。命あってこそだ』



「敵の人間、ですか……」

 偵察隊の無人機が録画した映像からだという画像は弓香のコックピットにも送られてきた。

 三十~五十代程度の赤毛の男性。ぱっと見はザッフェルバルの領国民とにも見える。

 その彼が、トカゲ人間の一団に麻袋で背負われて運ばれ、森の中に放置された動画。

 何らかのやりとりが交わされたのかどうかは判然としないが、両者はそのまま別々の方向へ移動をはじめたのだという。

《情報部が過去の録画をさかのぼって解析しています。彼がどこから来たのか、どこでトカゲに捕らえられたのかが解れば、その正体も推測できるでしょう》

 だが、と第一航空隊本部オペレーターは続ける。

《統合作戦本部では、彼は十中八九工作員であるだろう、という見立てです》

 あけぼし艦内に侵入者が飛び込んできた事件は、未だ乗組員たちの中で記憶に新しい。

 ティルが人質にされたことも、機械歩兵たちの対歩兵用通常兵装がまともに通用しなかったことも。

 今回の戦闘のどさくさで、その要員の補充を図ろうとする意図は十分に推測できる。おそらくは本隊を陽動として、自分たちの意識を引きつけ

「それも、彼に聞いてみないと解りませんね」

 どういう聞き方をするか、適度に想像は巡るが、弓香は言わずに内心に留める。

《はい。ですので村瀬少佐ライトニング1、および三宅中尉イクスレイ1・アルファには可能な限り、彼の身柄を確保するように、と指示が出ています》

「了解しました。では――」

 サブモニターに目をやる。表示はデジタルマップ。近隣には偵察隊の情報が反映された敵アイコンが二つ。攻撃目標であるベータ301群と、確保目標A。相互の距離はどんどん離れている。確保目標を機銃掃射に巻き込む心配はなさそうだ。

「トカゲさんたちを先に潰してから、目標の確保に移ります」

《よろしく願います。以上、イエローフラッグ》

 そして、間もなく敵部隊――ベータ301群が射程距離内へ近付く。

「ライトニング1、3、4マスターアームオン。重力制御、推力最大。第一大隊第一偵察中隊ドッグス1。こちらライトニング1。退避可能な観測機は、着弾予測エリアから至急退避を」

《こちらドッグス1。着弾予測データ確認。観測機の退避は完了した。いつでもやってくれ》

「感謝します」

 通信終了と同時に弓香はスロットルを最大。僚機も続き、一気に最高速で戦域に突っ込む。



 三十ミリガトリング砲の装弾数は、機体背部に懸架した巨大なドラムに二千発。景気よくぶちまければ一分かからずに撃ち尽くしてしまう。

 敵はおおよそ二百匹。ライトニング2がぶら下げるコンテナに収まった味方歩兵はたった三十九機。弓香がしくじれば包囲殲滅も追撃も困難になる。

 初手の不意討ちが全てだ。だから、弓香は推測し、推量し、想像する。

 戦域マップを、自機と僚機の位置を、速度を、自機と僚機の発砲までのタイムラグを、風を、重力を――

 手元にある全ての数値を叩き込み、訓練と経験で掴んだ勘を走らせ、

「今……!」

 味方機にタッチパネルで射撃指示。一呼吸に満たない間をおいて弓香は自機のトリガーを引いた。

 三機同時に発砲。弓香の機体にも轟音と反動が襲う。

 ガトリング砲が吐き出した三十ミリ弾の濁流は、樹木のことごとくを叩き折りながら地面をえぐり返し、それらごとまとめて敵歩兵をなぎ払った。

 データリンクの情報が一瞬で欠損まみれになる。発信機代わりの観測機は退避の対象とはならず、敵兵ごと叩き潰すのがセオリーだからだ。だが、その中でも敵の生存を示す信号を送る観測機がいくつもいる。

 ……やはり一度では……!

 データの欠損は単に敵兵の死を意味しない。観測機だけが損傷した可能性もある。慎重に狙い撃ったならまだしも、今のように雑に薙ぎ払った場合は撃ち損じの可能性を考慮する必要がある。

 弓香は敵がいると思しきエリアの外周へ、勘で一秒未満の連射を断続的に叩きつけていく。有効打を狙ってのものではない。敵に逃走を躊躇わせるための心理的な圧迫だ。逃げ道を塞ぐように砲弾を叩き込み、樹木を撃ち倒していく。

 間もなく、退避していた偵察隊の観測機、および予備機が到着。データの欠損が埋まっていく。死にかけと死にたての見分けはすぐには難しいが、立って動いている数はすぐに把握できた。五十三。

 中央と左右を薙いだ結果、ボウリングのピンの左右が中途半端に残ったような形だ。集団は三つに分かれていた。

 ……ここと、ここと……それなら……!

 弓香は細やかな加減速、反動制御をこなしながら敵集団の上空を旋回。断続的な対地攻撃を継続する。

 質量も反動も重いガトリング砲を撃ちながらの空中機動は、ひとたび操作を誤れば機体がバラバラになりかねないワルツだが、弓香は精緻な操作で綱渡りの舞いを続ける。

 外周にはぐれた数匹のトカゲを叩きつつ、敵を追い込み密集させるように砲撃で圧迫をかけていく。

 時折弓や剣が飛んでくるが、弓香は難なく避け、近接防御レーザーで迎撃。

 仲間を撃ち殺した攻撃を見せつけるように振りまきながら、弓香は残った敵の恐怖を引き出し、全体の動きを制御下に置いていく。

 三つだった集団を二つにまとめ、見えない包囲網を狭めていき、

「こんなところですか。これと、ここと……」

 十分に敵が固まったところで、サブモニターのタッチパネルで無人の二機に攻撃エリアを指定してやる。

 飛んできた弓矢を回避しながら操作を終えると、上空に待機させていたライトニング3と4がガトリング砲を構えた。

 合わせて弓香はスロットルを最大に。二機の射線上から一気に待避する。

「ライトニング3、4、対地掃射開始」

〈L-3:了解。指定エリアの掃射を開始〉

〈L-4:了解。指定エリアの掃射を開始〉

 二機AIが同時に返答し、ガトリング砲が火を噴いた。

 先ほどのように不意打ちを企図した撫で撃ちではない。上空に滞空し、頭を抑えて徹底的に叩き潰す対地掃射だ。

 バレルの加熱も厭わず、たっぷり三秒間の掃射を二度。それで敵の反応は全てなくなった。

「イクスレイ1・アルファ、こちらライトニング1。一通りのお掃除は完了しました。こちらは万が一に備えて上空待機。コンテナは指定通りポイントJジュリエット2-1に投下。後始末は任せます」

《イクスレイ1・アルファ、了解。これより小隊全機を展開。残敵の掃討、ならびに不明人物の確保へ向かいます》



「いーち、にい……死体ばっかりか。さすが少佐は仕事が丁寧だ……」

 魔女の掃除は驚くほど徹底的だった。

 薙ぎ倒された木々の上を無人観測機が縦横無尽に飛び、走る。だが動いている敵の姿は確認できないようだった。

 三宅も慎重に自身の機械歩兵を展開し、残敵を探していく。

 七三式電磁加速ライフル部隊と、近接刀装備の改三型部隊を使って、三十ミリで耕された針葉樹林だった場所を漁っていく。

 だが、現在のところ残敵掃討とは名ばかりの死体探しだ。

 まだ死にたてで、体温の残っている死体が多い。首と胴が繋がっているものは念のため改三型の高周波ブレードで切り離して回っているが、やはり動いている敵はいない。

 これほど障害物だらけの地形に隠れた敵を、航空攻撃でここまでさっぱり掃除できるのはあの人ぐらいだろう。

 ……だが、さすがに百パーは――。

〈AX1-22:動体確認。回避運動〉

 ありえないだろう、という三宅の内心を読まれたように手元の管制卓にアラートが飛んでくる。

「だと思った!」

 砲弾で耕された土砂の中に隠れて観測機から逃れたらしい。泥まみれのトカゲが剣を振るってレールライフル装備の夜叉改へ襲いかかる。

〈AX1-22:画像認識、敵性生物類型Aに該当。自己判断で交戦を開始〉

 AIが敵味方識別を瞬時に行い、敵と判断。この場では自己判断での交戦を許可してあるので、機械歩兵二十二番機が回避運動を取りながら自動で反撃を開始する。

「距離を取れ! 四機以上でフルオート射撃。蜂の巣にしろ!」

 音声とペンデバイスで指示を飛ばすと、他の機械歩兵たちも即座に反応。

 狙われた二十二番機は後方へ逃げながら片手で七三式ライフルを応射。

 同分隊の十九、二十一番機が援護するように七三式で射撃。そこへ二十番機がKM-4軽機関銃をぶちまける。

 蜂の巣にされたトカゲ人間はまもなく魔力を失い、数十発の銃弾に斃れた。

 再び静けさを取り戻した自分の管制卓に、三宅は一つ安堵の息をつく。

「ったく……やっぱ重機でも持ってきてこの辺全部ひっくり返さないとわからんだろうこれは……」

 ぶつぶつと文句を言いながら三宅は引き続き残敵探しへ戻ると、新たに通知が来る。

 差し向けていた別働隊が、工作員と思しき男に接触したのだ。

 


「ここで狩りをしていただけだと言っています。村に帰るので解放してほしいと」

 偵察中隊の言語専門官が三宅の機械歩兵を通して会話を試みると、ほとんど都築中佐の予想通りの答えが返ってきた。

 目的もなく自分からスパイだと言い回るスパイはいない。

 だが、はるばるトカゲ人間に荷物のように運ばれてきて、放り出された場所で“狩りをしていただけ”と平然と答えられる一般人がいるはずもない。

 彼はクロだ。自発的に、あるいは魔術的な手段で敵の駒となっているのはほぼ間違いない。

 都築中佐はその前提で、男を穏当に檻に放り込むべく思案を巡らす。

「――男の名と村の名前は? そこまで護衛して送り届けると伝えてみてくれ」

 言語専門官が頷き、都築中佐の言葉を帝国語でマイクへ話す。通信でその声が現地の機械歩兵のマイクから発声。

 それに対する男の回答は、

「名前はディナム。村の名前はメノ村だと。しかし、同行は拒否しています」

「承知した。ならば、総督府よりザッフェルバル西地区、及び征伐軍管理区域には外出禁止の総督令が出ていることを説明。こちらの指示に従わない場合は総督府警衛庁の権限を代行し逮捕する旨を伝えろ」

 あわせて都築中佐は大隊副隊長に告げる。

「情報部へ、メノ村の徴税名簿からディナムという男の名を探せと伝えてくれ。その後、現地での所在確認も頼むと。スカだとは思うが、一応な」

「はっ」

 そのやりとりの間に、男は脅しに屈したらしい。

「メノ村まで、我々が護送することを了承されました」

 逮捕されるよりは、ということだろう。

 この世界、あるいは帝国の常識として、裁判はまともな裁判として機能していない。

 臣民はその場の法官の裁量きぶんで裁かれるのが常態化している。

 取引や民事紛争の処理は多少進歩している印象があるが、それに対しての刑事諸法の未発達ぶりは、現地出身の総督代行すらも頭を痛めるほどだ。

 そんな奴らに捕らえられれば、万が一正体がバレなかったとしてもどんな目に遭うかは想像に難くない。男の判断は次善の策だろう。

「第三法官隊を乗せたトビウオ、まもなく現場に着きます」

「よし。奴は魔法を使うかも解らん。法官たちに密偵の可能性ありと通達の上、取り調べは船内で行え」

 おおとりの統合作戦本部経由で法官たちへ事情を知らせ、男には何も知らせぬまま連行の準備を進めていく。

 その後の取り扱いについて、統合作戦本部や大神将と折衝を行い、

「情報部からです。映像解析から、彼は敵地内から運ばれてきたものと見てほぼ間違いない、と! また、メノ村の徴税名簿にディナムという男は存在しますが、隣町に駐在する自律型機人による現地確認を行ったところ、ディナムという男は!」

 これで彼の取り扱いは確定した。先ほど決まった通り。

「よし。統合作戦本部へ連絡。当該男性を敵国軍の兵士と断定。身柄を確保。捕虜としてファドル・リフオン城塞へ送致する」



 男は自らの不運をただ嘆くことしかできなかった。

 異形の兵隊。その姿、武器にわずかな差異はあれど、先んじて交戦した仲間の密偵たちの記憶で見せられたものとほぼ一致している。

 間違いなく“空船の人間たち”だろう。

 ……こんな早くに出くわすとは、おれも運がない。

 高慢ちきな竜人様がたがまとめて吹き飛んだのはある種爽快ですらあったが、こうなれば自分も奴らを笑っていられない。

「…………」

 四人の兵士は、事前情報では魔力での身体強化すら追い切る目を持つという。男の直感もそれはあながち間違いではないと告げていた。

 その上、手にしている武器もほぼ仲間が見たとおりだ。魔力を持たない杖だろう。離れた場所からでも攻撃ができ、魔力防御がない状態で受ければ人間の手足など軽々と消し飛ばせる武器。

 念入りな偽装のため、魔力の一切を封印した状態で侵入した男の身では、逆立ちしても勝てる見込みはない。

 男はもはや、降りかかった不幸が突然の幸運で帳消しになることをただ祈るほかなかった。

《乗り物が来ました。どうぞお乗りください》

 空船だ。

 だが、情報にあった“島ほどある大船”ではない。補助艇のようなものだろう。

 これほど小さな船が、風に乗るわけでもなく自力で飛行している。

 魔力を宿しているわけではないという報告だが、男には大量の魔力燃料にんげんを乗せて空を飛ぶ自国の空船を思い出し、思わず表情が歪む。

「わかった」

 異形の兵士の声に従い、空船へ向かう。扉が開き、ぞろぞろと屈強な男たちが降りてきた。

 ……ああ、やはりか。

 これもまた、先の密偵たちの報告通りの格好。鈴や鉄の鳴る大仰な剣や杖を携えた帝国の魔術士――法官たちが彼を取り囲んだ時点で、男は全てを理解した。

 祈りも空しく、ここで自身の命運が尽きたことを。

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