第24話 跳ねる足音と街の声

 ザッフェルバル最果ての都市ルタン。

 石塔都市とも呼ばれるそこは、帝国の東端にある領国ザッフェルバルの更に東の果てにある都市である。その興りは、魔の世界との境界線を守る最前線へ、物資を供給する拠点であった頃にさかのぼる。

 訪れるものの目を引くのは、異名の由来ともなった石造りの大きな塔。魔の者どもとの境界線に異常があれば、すぐに後方に知らせるために造られた見張り台だという。

 現在のルタンはその役目を細々と繋ぎつつ、住む者達の意地と誇りによって立っている街だ。

「あの、それで……都市ルタンの視察というのは解ったんですけれど……」

 アカリとユズホに手を引かれ、航空船トビウオに乗ったところまでは良かった。

 目的地について二人が語るうんちくも、知ってること知らないこと織り交ぜなかなか興味深い。

 けれども。

「……視察って、こんな変装してまでするものなのですか?」

 空飛ぶ船の中でティルの姿はすっかり様変わりしていた。

 あれよあれよというまに、豪奢な総督代行の正装は、粗雑な生地で仕立てられた地味なワンピースへ。

 後ろにまとめていた特徴的な銀髪は二つに分けて前へ流すだけでなく、染髪剤のようなもので茶褐色へと色を変えられていた。

「ふふ……どこからどう見てもただの町娘スタイル。これぞあかりちゃんプロデュース。支配者の城下視察の王道。オシノビ・スタイルですよ!」

「ナイスカモフラージュです。ティル様。身奇麗でありながら絶妙な庶民っぽさにあふれてます」

「な、なるほど……」

 何故かテンション高めに親指を立てて言い切るアカリとユズホに圧倒されながら、ティルはふむふむと頷く。

 多分彼らの中のそういう文化なのだろう、と納得し『オシノビ』という言葉を後で調べようと記憶しておく。

 しかしその前提に立って考えると、ティルの中には一つの疑問が浮かぶ。

「そうおっしゃるお二人は、あけぼしの制服のままでよろしいのですか?」

 さんざん自分をいじりまわしたアカリ、ユズホは共に黒髪で黒い制服のままだ。

 一点異なるとしたら、普段の制服の上から、裾が膝よりも長い外套コートを着込んでいるという点だろうか。

 精巧なあけぼしの艦記章やI.D.E.A.の所属章が付けられた、ほつれ一つない美麗な装束。彼らの肌の色もあわせれば、異国情緒にあふれる貴族か何かに見えることは間違いない。

 自分にあてがわれた『町娘スタイル』とは天地も差があるその姿は、間違いなく町中では人目を引くだろう。

 だが、アカリは自信に満ちた様子で人差し指を立てて見せた。

「大丈夫。空港ができてからこっち、ルタンの近くには“ざんげつ”が停泊してるし、結構クルーが出歩いてて街の人は慣れてるから」

 なるほど、とティルはぽんと手を打つ。空港ができて以来、彼らも街に馴染みつつあるということなのだろう。

「最初は遠巻きにされてたみたいなんだけど、ここのところはわりと“変な来訪者”で馴染んできた感じがある……って話だし」

「ですです。逆に弱そうな町娘三人では要らぬ問題を呼び込みかねません」

「要らぬ問題というのは……?」

「世の中というか、人間はろくでもないからね。用心に越したことはないってことだよ」

 アカリは少し自慢げにI.D.E.A.記章をぽんと叩いた。

《まもなくルタンだ。これより着陸する。席についてベルトをつけてくれ》

「おっとと、もう着くみたいだね。席に戻ろ!」

 アカリの言葉から察するに、パイロットは間もなくの到着を告げたようだ。

「もう着いたんですか……」

 領都からルタンまでは馬で一週間近くはかかるはずだ。それがいま、半日とかかっていない。驚くべき速度だった。

 ……ザッフェルバルに来る時も、そうでしたっけ。

 皇帝陛下の勅使も一緒に乗せ、あけぼしは一晩で帝都からザッフェルバルまで着いてしまったのだ。こちらも馬車で一月、早馬をどんなに飛ばしても二週間はかかる距離だというのに。

「んじゃあ、ルタンについたらまずはお昼ごはん食べよう。ゆずぽん、オススメある?」

「下調べは抜かりありません。お任せあれ、です」

 もとよりお調子者の気のあったアカリはともかく、大人しそうなユズホも乗り気な姿を見て、ティルは思わず笑みをこぼしてしまうのだった。



 空から見下ろした空港には、先客がいた。

 灰色をした長大な人工物。それでもあけぼしの三分の一ほどもないというそれは、

「“ざんげつ”ですね。待機のためにここに降りていると」

 はるか高い空の上で街道の警備にあたっている“かげつ”。

 その同型艦である“ざんげつ”はここで待機し、“せいげつ”はあけぼし艦内のドックで待機しているという。

「かげつは任務期間を終えたら整備に戻って、代わりにざんげつが上がり、せいげつがここに来て待機する……そんな感じでローテーションを組んでるそうです」

「大きいですね……こんなものを三隻もあけぼしは抱えていたんですか」

 驚きとともにその艦を見ながら、トビウオは“空港”と呼ばれる広大な空間に着陸した。

 トビウオを降りると、迎えの自動機械(鉄の樽のような形をしていた)の誘導で、仮設の建物へ案内される。そこでまた様々な自動機械に手続きを要求され、久々の機械文明の洗礼に少し目を回しながらティルはなんとかその手続きを終えた。

「着いた! ここがルタン――」

 建物を出て、すぐにアカリは手を伸ばして広げる。

 確かに狭い船内から出られて解放感があるのは確かだが、

「――の隅っこですね。むしろ市街地は果てに見えるあっちの方です」

 ユズホが指差すように城壁に囲まれた市街地は、広く続く田園地帯の向こうにあった。

「おのれ政治的事情め……」

 ぐぬぬ、と手を握るアカリ。

「政治的、というのは?」

 ルタンの空港も、ティルは建設の承認を出すことは出したが、自分から注文をつけた覚えはない。どんな事情があったのだろうか、と疑問に思い聞いてみれば、

「あー、騒音や重力変調があるかもしれないから、空港は人家からは離しましょうっていう大人の事情で」

「そうだったんですか。民のために、お気遣いいただいていたんですね」

「あと近すぎると用地買収がめんどくさいと。権利関係もはっきりしてないしお金かかるし」

「あ、あはは……」

 それもまた臣民の土地をむやみに取り上げないようにという配慮なのだろうが。最後の理由はぶっちゃけ過ぎであった。

 おそらく、彼らの組織の中でそういった気遣いと利便の葛藤が様々にあったのだろう。

「んで、ゆずぽん。まさかここから徒歩ってなわけではないよね?」

「往復用の無人オートタクシーがあります。だいたい十分かからないぐらいで南門に着きますですよ」



 ユズホの言葉の通り、“御者と馬のいない機械馬車”に乗れば、あっという間にティルたちはルタンの南門へと着いていた。

 門兵はこの車を見ただけで理解したようで、恭しい態度とともに手続きを済ませティルたちはルタンの中へと入ることができた。

「今度こそ――ルタン着ー!」

 大きく手を広げ宣言するアカリに、「今度こそ、ですね」と頷くユズホ。

 周囲を見回せば、帝都や領都には及ぶべくもない、慎ましやかな町並みが広がっていた。

「これがルタンの街……なのですね」

 観光と考えれば、拍子抜けもいいところだ。帝都の模造品たる領都の、さらに模造品。けれどもこの存在が背後に持つ歴史を知っていれば、その重みは格段に増して感じられるだろう。

 帝国樹立以前から最前線として度重なる魔の者からの襲撃に耐えながら、今も最前線のための補給拠点として、意地と誇りによって立っている帝国最果ての都市。

 この都市が、人間の営みが、どんな形であれ現在も放棄されずこの場にあるということそのものが、先人への畏敬と、現在この場を支えている人間たちへの感謝をもって向き合わねばならない偉業であるのだから。

 ……この機会を逃さず。しっかり見て回ろう。

 そして、少しでもここの人間の役に立てるような施政をできれば、と。そう決意を新たにし、ティルは二人に尋ねる。

「最初は、どこを回ればいいですか?」

「まずはお昼ごはんの調達だよね。ユズホ、どこに行く?」

「市場ですね。行きましょう」

 ユズホが指した街の中心部。南門から歩いてすぐの広場では、いくつかの露店や馬車が店開きをしていた。

「お、ざんげつの人たちもけっこう来てるね」

 アカリの言う通り、露天の賑わいの中にはざんげつの乗組員と思しき青服や白服、緑服など少なくない人たちが敷物に広げられた商品を物珍しげに眺めている。

「さあさ、よってらっしゃいみてらっしゃい。どれも領都ザッフェルバルのものに負けず劣らぬ一級品!」

 景気良さげに行商人たちの手が並ぶ品々へ向けられる。

 地元で採れた帝国麦のパンや家畜の肉、工芸品、遠方から運んできたらしい干し肉、保存果実。そのどれもが一級品であるかのように謳い上げる行商人たちの口上はいずれも見事ではあるのだが、

「……ユズホには何言ってるのかさっぱりです」

 いかんせんザッフェルバル訛りの強い帝国語である。

 ティルやアカリならまだしも、ユズホや大多数のざんげつ乗員たちにはなんと言っているかわからないだろう。

 けれども、その活気の良さ、威勢の良さは人を惹きつけるらしい。

 乗員たちも買い物のための簡単な帝国語は知っているらしく、片言ながら取引は活発に行われているようだった。

「さあさあそちらの神様がたも。ここらの食べ物はどいつもこいつも一級品。とれたて肉からしっかり熟成させた保存肉まで……。神様がたに大人気の、買ってすぐに食べられる肉類も種類豊富に取り揃え――」

 アカリたちにも向けられた唄うような口上は、やはり相手の応答を期待していない祝詞のように感じられる。

 だが、息継ぎの間がやや長めに取られているのは、そこで相手が注文を出しやすくという気配りからだろうか。言葉が通じなくても、それはそれとしてやりようはあるというたくましさを感じられ、ティルは思わず笑ってしまう。

「なんかおっちゃんがお肉がいいよ的なこと言ってるけど、ユズホ的には何がおすすめなの?」

「ざんげつの乗組員さん情報ですが、やはりお肉のようですね。香辛料を利かせた乾燥肉が手軽でそこそこイケると」

「そこそこか……。まー、旅行者の多い帝都ならまだしも、辺境ザッフェルバルの東の果てで、そこそこ以上は求めちゃいけない水準だよねぇ」

 アカリが苦笑い。ティルもそこは頷かざるをえない。

「ザッフェルバルは――農民と軍人の領国、ですもんね」

 最前線を命がけで開拓し、支えている誇り高き民。質実剛健の彼らには、露店での買い食いは確かに縁がないといえばそうなのだろう。

「そう考えると、ざんげつの人たちに目をつけて外食用の食べ物を売るようになったってのは、商人さんたちの慧眼かと思いますです」

「たしかに、たくましいですよね」

 などと三人でやや失礼な文化談義を交わしながら、めぼしい商品を見繕っていく。

 先だってこの市場を利用されたざんげつ乗員の皆さんの評価を参考に、いくつか目当ての物を決める。そして併せて記載されている参考価格を目標に、価格交渉を挑むこととなった。

 代表は、

「お兄とミツバ姉と練習してきたからね。任せて!」

 そう言って、小さな胸を叩いて、アカリが一つの露天へと歩いて行った。

 ティルも、その様子が気になってこっそり後ろから聞き耳を立てる。

「おっちゃん、羊の干肉三つと干し果物三つね」

「お、そちらの神様はえらく言葉がお上手ですなぁ。よし! 美人でもあらせられますから、ここは特別にデッセン銀貨五枚でご奉仕いたしましょう!」

 銀貨五枚。ティルもたまに予算で見るレベルの大金だ。総督府で最も下位の使用人なら一ヶ月分の給料に相当する。

 流石にそれはないだろうと思って聞いていると、アカリも笑い飛ばすように返す。

「あはは。冗談きついなぁ。そこはベルダ銅貨三枚っしょ」

 ベルダ銅貨三枚。帝国で流通する最小の貨幣単位がこのベルダ銅貨だ。一人分を銅貨一枚でよこせと、相手に負けずアカリも豪快に下げてかかったようだった。

「いやいやいや、何をおっしゃいますやら。それじゃあ俺たちは商売あがったりです。……まけにまけて、一デッセンでどうでしょう!?」

 “解っている相手”と悟ったのだろうか。商人は一気に半額以下に下げてきた。

 だが、アカリはそれでも折れずになおも食いつき、二人の攻防は続く。

「神様からも根こそぎぶん取ろうと言う根性はお見事ですけど、甘く見過ぎじゃあないですか――六ベルダ」

「いやいやいや、これもまた俺たちが魔物や盗賊の危機を乗り越え、命がけで領都から引っ張ってきたもんなんすよ。そんなに下げられちゃやってけないが、仕方ねぇ。三十ベルダならどうです!?」

「それでもまだちょっと厳しいなぁ。十二ベルダぐらいなら出せるんだけど……」

「ええい、なら二十一ベルダでどうです!?」

「んー、もう一声。十五ベルダ」

「~~っ! いいでしょう! ほれ、もってけ神様!」

「どうもー」

 互いに粘りに粘り、なんとか決着。アカリは手元からきっちり銅貨を十五枚差しだし、笑顔で商品を受け取った。



「はーい戦利品」

 戻ってきたアカリが購入した商品を配る。

 麻布に包まれたかたい肉切れと、糖蜜に漬けてから乾燥させた干し果物。 ティルもそれを受け取る。

「アカリちゃん、お疲れです」

 ユズホもアカリに労いの言葉をかけながら品物を受け取る。ブライトワンドで写真を撮り、品物を見分しているようだ。

「いやぁ緊張したなー……お兄と満葉さんと練習しといて正解だったよ」

「すごいですね。アカリさん、全然そんな風には見えませんでしたが」

「それこそ練習の賜物だぁね。しっかしこれ、言葉がわかんない皆さんはだいぶぼったくられてるんだろうなぁ」

「意外にそうでもないみたいですよ。あの、あっちのホワイトボードで交渉してる人とか。ポストオフィスネットでも、ルタン市場ぼったくり対策の特集ページができてますです」

「おおっ、みんな意外にちゃっかりしてる」

 白服の人が代表になって数人の人の買い物をまとめてしているようで、しきりに白い板に字を書いたり消したりしている。文字が読める商人相手なら、あれで価格交渉ができるのだろう。

 ふと気になって、ティルはアカリに問いかける。

「結局のところ、十五ベルダって安かったんですか?」

 銅貨の細かい価値まではいまいちティルもわかっていない。どのあたりで二人の交渉が妥結したのか興味があったのだ。

「どうかな。そもそも外食系加工食品って、地元の人が買わないから、幾らが適正っていう正解はないんだけど……」

「経済調査担当官のコメントですと、物価水準からの推定価格は肉一切れで約一ベルダ、干し果物は二ベルダぐらいとありますですね」

「あわせて九ベルダ、ですか……」

 アカリも頑張っていたようだったが、それでもけっこうしっかり上乗せされたようだった。

 それに対してアカリはあっけらかんと言う。

「まあ神様価格はしょうがないね。こっちもどうせ経費だし、銀貨一枚までは妥協するつもりだったし」

「け、けっこう出せるんですね……」

「自分の懐じゃなければ痛くないもんね。うちらはうちらでけっこう儲けてるし、印刷機で絵を刷ってばらまくだけで金銀財宝ががっぽがっぽだもんね 」

 聞けば、アカリたちI.D.E.A.は、帝都を始めとした帝国全土で貴族相手に絵画を中心とした美術品を売りさばいて大量の貨幣をかき集めているのだという。

 彼らの先人たちが積み重ねてきたネタは莫大なものがあり、帝都近郊の風景を写真に撮り、絵画風に加工して印刷したものもまた高値で売れるのだとか。

「まさかこっちの艦内電子通貨を両替してくれというわけにもいかないかんね。でも、ウチらが動きまわるのにもお金は要るから」

 そうして集めたお金は、I.D.E.A.の活動資金となるという。

 総督府にも援助金として莫大な金額が寄付されており、空港や浄水施設などのI.D.E.A.からの要請があった施設の建設資金は大半がそこから賄われている。

 アカリも今回の視察のために、左手に持った鞄の中にそこそこの金額を預かっているのだとか。

「芸術は人を狂わせるですね……美の力は偉大です」

 ユズホもうんうんと頷く。

「それは……」

 ティルも、例えばあけぼしであったり、空港の建物であったり。そういう巨大で先進的な建造物に心惹かれるものを感じてしまうのは確かだ。

 帝国一の巨大建造物である帝城の中で育ったからだろうか。そういったものに自然と関心が向いてしまうのである。

「……そうかもですね」

 自分も大金持ちなら、きっと糸目をつけずになにか建てて欲しいなどと言い出していたに違いない、とティルもユズホの言葉に思わず頷いてしまうのだった。



 広場の隅、公共の場に備え付けられた椅子に座って、三人で揃ってささやかな昼食をとった。

 肉は硬いが、前評判通り辛味が効いて、そこそこ美味しかった。パンと一緒に食べればより美味しかっただろうに、とティルがつぶやいたら「ここのパンは食えたもんじゃないそうなので」とユズホに一刀両断にされた。

 手早く食事がすむと、三人は今回の目玉である石塔へ向かった。

「これを見ないとルタンは語れない」とユズホは言うが、なるほど確かに細長く高さだけなら総督府を超えようかという高さだ。

「おお、画像で見るよりも迫力あるなぁ」

「エスニックな良さがありますですね。歴史の風情を感じます」

 アカリとユズホはティルよりも興奮した様子で、ブライトワンドを向けてしきりに写真を撮影していた。

 石塔の下は警備の兵たちの詰め所になっており、魔法使いたる法官やそれに従う一般人の準法官たちが守っていた。

 帝国にとってはれっきとした軍事基地であり、魔の者どもに最前線が破られた際の第二次防衛拠点でもある。

 ここはそんな重要施設であるのだが。

「申請を出してたフシハラアカリ他二名です。見学したいので通してください」

 と、アカリがI.D.E.A.の記章を指して言うだけで通れてしまうのだから、この地における彼らの存在感の強さが伺えるというものだった。

 町娘スタイルのティルの存在についてはやや咎められたが「私達が雇った秘書です」というアカリの笑顔にそれ以上の追求はなかった。

 さらにダメ押しとばかりに手元に握らせていたのは、おそらくは金貨。本当にアカリのしたたかさにはティルも驚いてばかりだった。

「こういう時に役立つんだよね。この服装」

 なるほど、確かに三人とも町娘だったらこうはすんなりと行かなかっただろう、とティルは苦笑する。

さて、そうして長い長い石段を登ってたどり着いたのは、石塔のてっぺん。

 見張り台には兵士が一人いたが、アカリとユズホの服装ですぐに理解したように一礼し、やはり何も言われることはなかった。

「ほら見て大きな塀。あのダムみたいなのが城塞だよね?」

 アカリが指差す先には、谷を塞ぐように建てられた石の壁があった。

 ティルが学んだ歴史によれば、かつてはあそこから魔の軍勢が押し寄せ、幾度も初代皇帝率いる帝国軍と決戦を繰り返したという。

 ここは、その谷と城塞が一番良く見通せる場所なのだ。

「昔はここで敵が来るのを見張り、今はアレが破られていないか監視するのが、丘の上に作られたこの石塔の役目……なのですね」

「おおー! 三百六十度街が見渡せる! パノラマ撮影したらいい感じにできそう!」

「なかなか入れない場所です。バッチリ撮って帰るですよ」

「……あはは」

 観光気分丸出しの二人に少しだけ肩身が狭くなる思いを感じるティルであったが、

 ……これが、最前線、か。

 遠くそそり立つ石壁の城塞を目に、ティルにとっては未だ伝聞でしかない異民族である“それ”の存在が真に迫って感じられるような気がした。

 現実に、あの向こうに。敵は存在するのだ、と。



 戦勝彫刻。そう書かれた石碑は、塔の駐屯所のすぐ側に堂々と立っていた。

「城壁で谷を塞ぐことができた。とりあえずこれで勝ったことにする、って書いてあるね?」

「けっこう適当ですね古代帝国人」

「違いますよアカリさん!? 後半は『戦いは未だ続くだろうが、これを一つの勝利として、戦い散っていた者たちへ捧げたい』ですって!」

「……そうとも言うね?」

「もー!」

 アカリの冗談にちょっとムキになって返してしまうが、それも一面では真実ではあった。

 帝国が今現在得ている勝利は、ある意味で暫定的なものだ。

 建国戦争においてあの城塞を築いて以来、魔の者どもが正面から攻めてこないから。だから今現在のところにすぎない。

 逆侵攻する戦力はおろか、魔竜騒ぎで戦力の大半を喪失した現在は境界線山脈付近の散発的な戦闘でも敗北続きだという。

「……もしかしたら、ここもまた戦場になるのでしょうか」

「多分、ここの人たちはその覚悟があってここにいる……って、噂はよく聞くけれど、ホントのところはどうなんだろ」

「じゃあアカリちゃん、そこの人とかに聞いてみるですか?」

「あ、ユズホそれナイスアイディア。行ってみよう! ――すみませーん!」

 ユズホの言葉を聞いてアカリは即座に行動に出た。

「えっ、ちょっ、アカリさん!?」

 その素早さにティルが驚いている間に、アカリが捕まえたのは手近にいた休憩中らしい若い男性の法官。粗末な軽装に申し訳程度に光る鉄製の三等法官徽章は、法官の中でも最も下の位階に属することを示していた。

「へ? なんですかい――って、その格好は、神様?」

「どうも神様です。休憩中に失礼しますが、ちょっと三等法官様にお尋ねしたいことがございまして」

 ブライトワンドを手元で操作しながら、アカリは三等法官に問いかける。

「ああ、はい。なんっしょ」

「出身はどちら?」

「ああ、メル村っす。南の外れの、小さな村なんですが」

「お、それでもけっこうルタンから近いですね。法官になられた経緯は?」

「親父が運良く“天啓”を受けて法官になれて。息子の俺も訓練受けさせてもらったんっす」

 天啓。それは訓練によらず自然に奇跡の力を扱える力に覚醒したことを示す言葉だ。

 そうして法官として採用された人間の子供は、幼少期に特殊な訓練を経て法官としての力に覚醒する権利が与えられる。

 現在の帝国では大半の法官が世襲法官であり、彼もその中の一人だった。

「法官のお仕事に、やりがいは感じますか?」

「やりがい……って言われても。まあ仕事なんで、言われたことをするだけっすよ。あー、でも、最初……ちょっとありまして」

「ちょっと、というと?」

「うちの村、昔一回盗賊に焼かれたんす。でもその後、まだガキだった俺も討伐隊に混ぜてもらえて。自分の手で、仇が討てたんす」

 ザッフェルバルでは、比較的多くあることだという。

 乾燥し雨の少ないこの土地では農地の収穫量は常に生活水準ギリギリであり、そこを割り込めば貯蓄も十分にない彼らは餓死するか他所からの略奪に走るほかない。

 よって、生活苦から盗賊化する農民は後を絶たず、西の大河から離れた村では隣村同士の水をめぐった抗争もしばしば起こるのだという。

「ああ……それはもう、なんとも言えないお気持ちでしたよね」

「っす。よくわかんねーっすけど、それがいまもこんな仕事してる理由かもしんねっす。なんつーか。うまく言えねっすけど」

「いえ。ありがとうございました」

「どもっす。こんな話が役に立つなら。ま、神様がたも、こんな俺らをどうぞよろしくっす」



「ということで、一つの例だったけど、どうだった?」

 聞き取りを終え、離れた場所でアカリは問いかけた。

 聴き逃しがあったらもう一度聞けるけど、とワンドを差し出し言う。どうやらワンドを手にしていたのは先ほどの会話の音声を記録するためだったらしい。

「いえ――大丈夫です。貴重な言葉は、しっかり刻み込んでいますから」

 思えば、ティルは働いている人達の何気ない言葉を正面から聞いたことがなかった。

 いつも耳にしているのは臣下たちの意見や、カズキたちの助言。

 巫女時代に臣民たちの嘆願は多く聞いてきたが、それも神へ救済を求める願掛けに近いものだ。日々どんなことを考えて生きているのか、なんてことは聞く必要もなかったし、聞こうと思いつきもしなかった。

「でも、これは。――すごいですね。こんなに簡単に、聞けてしまうんだ」

「けっこうタメになったかな?」

「それは、そうですね」

「よっし、オーケー。次行ってみよう!!」

 そんな調子で、アカリたちは次々と街の人へ話しかけていった。


 次に話しかけたある壮年の女性いわく。

「最近市場のモノがみんな高くなって困るわ。旦那は商売下手で、周りが儲けてるのにてんでだめで」


 道の傍らでぼんやりとしていた老いた男性は。

「おお、神様がお声を下さるとは……! ありがたやありがたや……――もしよろしければお守りにその御髪を一房だけでもお恵みを」(髪の毛は丁重にお断りした)


 西門の警備責任者に、魔の者との戦いについて聞いてみれば。

「いずれ戦いになることはあるでしょうね。けれども我々とて訓練を重ねています。誇りにかけて、この地、この街は我々が守り抜きます。その時はどうか神様も我々をお守りくだい」


 中央広場の商人。

「神様のおかげで商売繁盛でございますよ。街道も随分と安全になって感謝しております。どうぞ今後ともよろしくお引き立てを……あ、魔の者どもの? ええ、たまに噂は聞きますが。しかし、仮にそんなことがあったとしても、可能な限りまで商売は続けさせていただきたいと思っております。そういう覚悟がなければ、こんなところで商売なぞやっておりません。商売は信用が第一と考えておりますので。よろしければそういった際におきましても、是非ともごひいきにしていただければと……あ、申し遅れました。我々はゲミールム商会と申すもので――(以下宣伝文句が続く)」


 一通り、いろんな人から話を聴き終わって、ティルたちはまた中央広場に戻ってきていた。

 今度は生でも食べられ、甘酸っぱくて美味しいと評判の特産果物“デンドル”を市場で買い、ついでに「食えたもんじゃない」と酷評されたパンも一つだけ購入した。デンドルは評判通りとても美味だったが、三人で分けたパンは食べるのに苦労する程度には固くてパサパサだった。

「結構みんな腹くくってるなぁ」

 パンをかじりながら、アカリはこれまでの聞き取りの内容を大雑把にそう評した。大筋においてティルも同意見だった。

「帝城ではこんな緊迫感はありませんでした。総督府もそうですが、やはりザッフェルバルは空気が違いますね」

 市民はともかく、法官が戦いを目の前に揺るぐ様子がない。そういった姿は、帝都ではあまり見られない。飄々と礼を尽くし、裏で権力争いに終止するのが大半だ。

「ユズホは何か気になったところはある?」

「神様神様と、思ったよりみなさん信仰度高いですね。もっと雑に扱われてるかと思ってたのですが」

 ……むっ。

 ユズホが何気なく口にした言葉。それが、ティルのずっと気になっていた点に触れてしまった。

 言うまい、と思っていたのだけれど、ティルの口はそれでついに滑ってしまう。

「そうでしょうか。“神様”という呼称に畏敬の念が感じられない人間が多かったですよ。ただの愛称や民族名のような呼びようでした」

 思わず不満が口から溢れると、止まらなかった。

「そもそも“神様”という呼び方がそもそも乱暴ではないですか。皆様の建前は天球の裏にお隠れになられた創世神が天より人々のために遣わされた“御遣い”であって、創世神そのものではないのです。だからせめて臣民たちはともかく法官は皆様のことを御遣い様とお呼びするのが最低限、武力だけでなく祭祀も司る者として当然の……」

 と、そこまで口にしたところで、ようやくティルは二人が呆然としていることに気づき、思わず赤面した。

「……だから、その。ちょっと気になって、ですね?」

 ティルにとっては、末端とはいえ総督府に属する臣下である。法官は軍警であり裁判官でもあるが、同時に神官でもある。広く臣民に法を教導するべき人間がその程度の信仰心だなんて、とつい愚痴りたくなってしまったのだ。

 けれど、実際に天の御遣いでも何でもないアカリたちにとってはわりとどうでもいい話でもある。

「すみません。こちらの勝手な話でした」

「あははっ。宗教家としては、そこはこだわりポイントだよね」

 アカリがフォローするように気楽そうに笑う。

「すみません。幼少から叩きこまれたものは抜けなくって……」

 帝国の宗教的象徴として立つべく、勉強漬けの幼少期を過ごしたティルは、国法の教えはもはや自身の血肉に等しい。

 そして周囲の人間もまた教導官以上の位を持つ高位の法官ばかりであったので、そういうゆるっとした信仰に触れるのは初めてだった。

「でもさ、ティルちゃんのその視点も面白いよね」

「私の視点、ですか?」

「うん。私達の今の待遇が“厳密な国法の信仰に基づいていない”ってポイント。意外にみんな見落としてたかも」

 ティルが首を傾げていると、ユズホが納得したように手を叩いた。

「確かに、ですね。ここの人たちは、帝都でそうだったようにそこまで私達を絶対視していないみたいです」

 言われてからティルは思い出す。

 I.D.E.A.の提案を翻案して臣下に伝えるとことごとく難色を示されるのは、ティル自身のカリスマの無さが原因だと思っていた。けれども、彼らもまた国法とそれに基づく神話への信仰が極めて薄い、としたならば。

 ……I.D.E.A.の存在は、私を操ってザッフェルバルで何事かを成そうとする異民族、とも考えられる。

 その仮定を事実として考えれば、I.D.E.A.は皇帝を言いくるめ、ザッフェルバルにティルを送り込むことでこの地を自分たちの好き勝手にしようとしている――総督府の家臣たちはそう警戒している、という推測が成り立ってしまう。

 ティルにとっては、それは帝国の人間としては疑ってはならぬ前提を疑う、天地がひっくり返るような話だ。

 総督代行たる自分の言葉が、どうしてこうも通じないのか。成人したての若造だから、という仮定では説明がつかない状況に、それらの仮定は明確に答えを示しているように思えた。

「そうか。なるほど、それなら――」 

 就任以来、ずっと引っかかっていた悩みのタネ。

 今朝もまた思いを馳せて悩んでいた一つの点に、ようやく何かが見えたような気がした。

「ありがとうございます! 私、なにか掴めた気がします!」 

「アカリちゃん。ティルさんがいきなり壊れました」

「え、えっと……なんかわかんないけど、わかったなら良かった……のかな?」

 答えはまだわからないけれど、解くための方法を考える、ヒントは得られた。

 そして考え始める。そもそも自分たち帝都の人間はなぜ、彼らを信仰するに至ったのか――



 ルタンの正門は、決して開くことはない。

 それは比喩ではなく、物理的にそういう構造だからだ。

 山脈に向いた東側の石壁に、門扉そっくりに仕立てられた偽装扉は、敵の侵攻を遅らせるため、偽の門を攻撃させて本物の門を持たせる意図があるのだと、南門の警備にあたっていた一等法官が教えてくれた。

 実際に偽門を裏側から見てもただの石造りの壁である。外から見て初めて、いかにも“正門です”と主張する堂々とした門らしき装飾が施されているのが解った。

「ほー、これはまた手の込んだ造りですなぁ」

「何だか笑えるです」

「これも戦いの知恵の一つなんですね……」

 小さなことであるが、帝都や領都にもないこういった点が、ここが最前線であるとティルに感じさせる。

 一等法官の付き添いで偽正門から南門へと戻りながら、

「だいたいの予定は消化したかなぁ。ティル様、他に希望ある?」

 アカリがブライトワンドを見ながら聞いてきたが、ティルも特には希望はない。強いて言えば、

「城壁の上から、景色をもう少し見てみたい、ですね」

「ん、それいいですね。アカリちゃん、このまま南門から上に上がってぐるっと一周しましょう」

「りょーかい! じゃあ次はそっちに行きましょう」

 気楽な客人たちに一等法官は苦笑いを浮かべていたが「承りました」と断ることなく希望を聞いてくれるようだった。

 三人と一人がそうしてぶらぶらと雑談しながら南門に戻ってみると、


「なああんたら、つええんだろ!? 俺たちを助けてくれよ!」


 突然響いてきた声にその場の全員が驚き、声の方へ目を向ければ、南門で喚き立てる子供がいた。

 年の頃は十に届くかどうかという男の子。周囲に親の姿は見えず、ゲフォンが一頭、その場で草をんでいた。

 向かっている相手は、歩哨に立っていた機械兵士。疲労知らずの彼らは見張りに最適として、ざんげつから貸与されているとティルも以前に聞いたことがあった。

「アカリちゃん、ティルさん。あれってなんて言ってるか解るですか?」

「助けて、って言ってるね。なんだろう」

「『予言が出たのだから、敵が来る』……? 何でしょうか。穏やかではないですね」

 三人が首を傾げていると、一等法官が振り向き、一礼する。

「すみません。神様がた。アレの仲裁に入ってきてもよろしいでしょうか」

 他にも法官はいるが、外様の機械兵士が絡まれているところに割って入りたくはないようで、仲裁に入る様子はなかった。

 一等法官は南門の警備責任者ゆえに、貧乏くじを引かねばなるまいと判断したのだろう。

 だが、その申し出を、アカリは手を上げて静止した。

「いえ、大丈夫です。……ここは神様にお任せくださいな」



 明里は周囲の様子を改めて見回す。

 現地の人間たちが遠巻きにしているのはともかく、ざんげつの機械歩兵も、一機が男の子と向かい合うだけで残りは割り込んで静止する様子もない。一様に無視したようにつっ立っている。

 おそらく、ざんげつの管制室の方もどう対処していいのか決めかねているようだ。

 子どもの感情的で断片的な会話は自動翻訳で拾いにくいのだろう。向こうでもハテナと唸り声が飛び交っているに違いない。

「よし。……ぼく、ごめんね。ちょっとどいててね」

 明里はまず、自分の存在をアピールするように男の子と機械兵士の間に割り込む。

 目の前に現れたあからさまに邪魔な存在に、男の子はさらにヒステリックに反発した。

「ンだよあんた! 邪魔すんなよ!!」

「代わりに説得してあげるって言ってるの。待ってて」

「はぁ!? お前みたいな変なカッコのヤツに――」

 続くガキの戯言は無視しながら明里は機械兵士の顔――カメラがあるであろう防弾バイザーの前にブライトワンドで身分証明画面を提示する。

「外交部、文化習俗研究所、言語解析室の伏原明里です。管制室すみません。応答願います」

《こちら“ざんげつ”戦術管制室、小牧少尉です。伏原さん、助かります! その子、どうされたかおわかりですか?》

 すぐに応答があった。知らない名前だが、若い男の声。

 その声色から、やはり向こうもかなり困惑していたらしいことが読み取れる。

「かなり興奮しているようなので、ちょっとまだわかりません。今から事情を聞きたいと思うので、詰め所のようなところがあれば案内願えると助かります」

《承知しました。ご案内します。当機へついてきてください》

 明里の提案を小牧少尉はすぐに了承し、簡単な身振りを挟み、機械兵士が歩き出した。

 それを確認して明里は帝国語で男の子へ告げる。

「キミの話、聞いてくれるって。ついてきて」

「す、すげー! 何だ今の!? あんた法官かよ!?」

 彼にとって魔法の呪文のような外来語で瞬く間に兵士を説得してしまった明里の姿に、少年はいたく感動したようだった。

 明里は先程の幼稚な罵倒への意趣返しのつもりで、少しだけ気取った言葉で自慢してみせる。

「ニホンゴって言葉だよ。私はこれでもちょっとエラいのです。敬いたまえ?」

「おう! なんか地味な顔してるくせにすげーのな!!」

 あ、やっぱこいつ助けるんじゃなかった。一瞬だけそんな考えが頭をよぎった明里だった。

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