第10話 その輪の中へ1

「外出申請……ねぇ」

 あけぼし艦長、村瀬孝久は艦長室でため息を付きながら、一件の申請書に向き合っていた。

 電子データで届けられた申請書。それは悪名高い外交部からだった。

 厄介事が山積みになった状況でさらに厄介事を上乗せしてくる外交部は、村瀬にとっては聞くだけで頭を抱えたくなる相手だが、今回も例に漏れず厄介な案件だった。

「閉じ込めてた銀髪ちゃんをついに部屋から出すのですね。楽しそうじゃないですか」

 それを横から覗きこんでくるのは村瀬弓香――孝久の妻であり、第二〇一揚陸飛行隊の隊長。

 互いに責任ある立場の二人は、業務との兼ね合いの中で限られた休暇をどうにかすり合わせなければ、会うこともままならない。

 降下後初めての二人きりの時間も、ある程度の書類仕事を並行することで、やっと手に入れたものだった。

「そりゃ、上手くいきゃ楽しいだろうがな……」

「医療防疫部の承認も出ていますし大丈夫ですよ。孝久さんは変に悩みすぎです」

「だといいんだが……一歩間違えれば艦内まるごとダウン、あるいは貴重な協力者がお陀仏だからな」

 涼しい顔で言う弓香に、孝久はため息を付きながら書類に目を通していく。

 職業柄もあるのだろうが、弓香は一度考えて結論に至れば悩まずに突き進む。

 孝久も同様に決断を要する立場にいるものの、書類仕事のような緊急事態から離れた場で考えこんでしまうと長いのである。

 ……俺も弓香のように多少は思い切りで動ければいいものだが。

 そう思うも、理屈っぽい自分は変わらない。

「でも、もう打てる限りの手は打ったのですよね? それがダメなら降下計画がそもそも無理だったってことでは」

「……確かにな。そのための“第一次”降下隊ということだが」

 降下隊には、事前調査で判明したこの星の基本的な疾患や重篤な感染症に対する予防接種は全て打ってある。

 さらに“銀髪ちゃん”こと異星の客人、ティルヴィシェーナへの予防接種も先日ようやくすべて完了したということだ。

 また同時に、限りなく生体に近いアンドロイドとの共同生活の中で相互に目立った発症が見られない事をもって、ティルヴィシェーナも未知の感染症を保持している可能性はほとんどない、と医療防疫部は判断したのだろう。

 いくら医学が発達しようとも、病に絶対はない。症例を積み重ねていく中で経験を蓄積し、確からしいとしたものを積み上げていくしかなく、結局、最後には“やってみないとわからない”のである。

「こっちと向こう、閉鎖空間で一挙に人体実験ができるなら良い話、ということですよ」

 弓香の発言は過激ではあるが、正鵠を射たものでもある。

 この接触で何もなければまずは成功。何かあっても被害はあけぼしの中だけで収まる。

 乗員千人が全滅したとて、宇宙……衛星軌道上にはまだ一千万を越す人員が軌道上の“ゆりかご”にいるのだ。

 仮にあけぼしの乗員が全滅しても、バックアップ用の人工知能や機械化アンドロイド達がゆりかごに情報を送り、宇宙に残った人員がその新たな疾病に対して次に備えた対処をすることができる。

 医療防疫部の報告書も、露骨に書いてはいないものの、結局はそのような意図のもとで書かれていた。

 人事は尽くした。後は天命を待つのみだ、と。

「というわけで、どうぞサインを」

「……オーケーだ。どうにでもなりやがれ……っと」

 報告書を読み終え、孝久は意を決して電子データに静脈認証とペン型端末でサインを入れた。軽く装った言葉とは裏腹に、動かす手はどこまでも重かった。

 それらの作業を終え、小さく息を吐き出しながら天を仰ぐ。慣れたはずの決断という行為に、しかし未だに鈍いものが胸の奥に響く。

 ……さて、吉と出るか凶と出るか。

 未知との遭遇。綱渡りのごときその歩みの先を思いながら、孝久は次のデータへと目を通しはじめた。



 ティルとカズキたちの間に協力関係が成立してそれから幾日かの間、さらに両者の交流は続いた。

 ティルはあいかわらず白い部屋からは出ることはできなかったが、カズキやアカリが代わる代わる話に来てくれたので幸いながら退屈とは無縁だった。発明発見の歴史を辿りながら、カズキたちが持つ技術について学ぶことはティルにとって大きな楽しみだった。

 中でも、ルコが“人間を模して作られた道具”であることを聞かされ、目の前で手や足を外して付け直して見せられた時は天地がひっくり返るほど驚いた。

 食事もエスキマの風味のする流動食ではなく、魚料理が出るようになっていた。調理方法は少し独特で刺激の強い味がしたが、それもまたティルには新鮮で美味しく食べることができた。

 そうした日々がいくらか続いたある日。

《ティルヴィシェーナ様。そろそろ、外に出てみませんか?》

 唐突にカズキがそう言ったので、ティルは一瞬聞き間違えかと耳を疑った。

《ほら、出たくありません? 外》

 けれども、アカリも促すように言うものだから、冗談でも何でもない本当の提案だとティルも理解し、思わず聞き返す。

「えっと、出ても、いいのでしょうか……?」

 互いが病気にならないため、という理由でここに閉じ込められていたはずだが、もう大丈夫なのだろうか。いぶかしむティルの問いに、

《はい。もう大丈夫です。やっと許可が降りたんです!》

 弾む声でそう言うアカリ。隣のルコを振り返ると、

「ええ。もう大丈夫だそうですよ」

 太鼓判を押すように言い添えるルコ。

「私の身体は分解整備がしやすいように一部機械化されてはいますが、基本的には人間の構造が再現されています。私が大丈夫だったということは、この艦の皆さんも基本的には大丈夫だと思います」

 その言葉の裏を返せば、ルコはある種の実験台、人柱として使われたことを示しているが、ルコは気にした様子もない。

 人間のようでいて、ふと自身を物のように言うルコに、ティルは以前に見た“腕を外したルコ”の姿を思い出す。自分は人間ではなく艦の備品なのだと言う彼女。自分の人格は遠いところにあるので、この身体がダメになっても大丈夫なのだ、とも言っていたが、やはりティルにはルコは人間にしか見えないのだった。

《ルコちゃんもそう言ってますし、ね。出てみません?》

 アカリが重ねて催促する。ティル自身も好奇心はあるし、狭い部屋に疲れを感じている面も否めない。 

「もしよろしければ、出てみたいのですけれど……」

《よし決まり!》

 ティルの本音にアカリは即座に手を叩いて言った。カズキも既にそのつもりのようで、

《では行きましょう。――ルコ、手伝ってくれ》

「承知いたしました。では、ティルヴィシェーナ様。準備をいたしましょう」

「は、はい。よろしくお願いします……」

 初めての“外”。ここへ連れて来られた時の記憶を思い返しながら、ティルは胸を高鳴らせながらその姿を想像する。

 そんな間にもルコはてきぱきと“外出”の準備を整えていき……



「わぁ、ティルヴィシェーナ様、すごく似合ってますね!」

 ルコに背を押され、扉を開けておっかなびっくり踏み出すやいなや、ティルはそんなアカリの歓声に迎えられた。

「……そ、そうでしょうか」

 ティルは思わず赤面しながら顔を逸らしてしまい、身体を両手で隠すような仕草を取る。

 ――外出のため、という理由で、ティルは今までにない服を着せられていた。

 一張羅だった儀礼服はルコにすっかり脱がされ“ティルのために仕立てた”と言う服に着替えさせられたのだ。

 それはカズキやアカリとお揃いのデザインの服。それはこの船における正装、ということだったが、

 ……なんだか、恥ずかしい……です……

 パンツスーツをベースにデザインされたシンプルなダークグレーのボトムス。白いシャツの上から赤いネクタイを締め、下と合わせたダークグレーのジャケットを着せられたティルの姿は、幼げな風貌と銀髪も相まってアンバランスで独特な魅力を醸し出していた。

 だが、ティル本人にとっては、細くスラっとした足のラインが出ているのが、ものすごく気になってしまう。

 普段の外出では分厚いスカートを重ね着して、足のラインが見える服など着たことがなかったティルには、どうしても足元が頼りなく感じてしまうのだ。

 そんなティルを見たのか、アカリは目の前に踏み込んでくるとティルの両手を掴んで、

「大丈夫です! 私が保証します! ティルヴィシェーナ様、すっっっっごく可愛いですから!!」  

「え、あ、その……」

「ティルヴィシェーナ様に比べたら、私なんかミジンコレベルというかむしろダストシュートに頭突っ込んで粉砕されるべきレベルですよ!?」

 ……みじんこ? だすとしゅーと? 

 未知の単語を織り交ぜてまくし立てるアカリの剣幕に、すっかり固まってしまうティル。

 そこへ割って入る手があった。

「ああ、はいはい落ち着け。――彼女にはミジンコもダストシュートも通じんだろ」

 苦笑いを浮かべて言いながらアカリを引き剥がしてくれたのは、聞き慣れた声。

「カズキさん……」

「はい。ようこそ、ティルヴィシェーナ様。……アカリの変な物言いは置いておくとしても、僕もよくお似合いだと思いますよ」

「そ、そうでしょうか。みっともないと思われたり、しないでしょうか」

「まさか。この艦の人間は多かれ少なかれ、男女問わずだいたいそんな服装ですから。問題なんかありません」

「……でも」

デファルにあっては面を上げよ郷に入っては郷に従え……ですよ。大丈夫、僕らも同じ服を着ているのですから」

 カズキが引用したのは帝都の古い言い伝えだ。

 帝国の使者が異民族に自国流の礼の姿勢をとったら、敗北を認めたと勘違いされて奴隷にされた上、両国は長きに渡る泥沼の戦争に発展したという故事。このことから、広い領土と多数の民族を擁する帝国においては金言として長く伝えられる言葉だ。

「は、……はい」

 耳慣れた言葉で説得されると、ようやくティルの心も平静へ戻っていく。

 たしかに頼りない服だが、カズキもアカリも着ている。こういうものなのだ……そう言い聞かせる。

 そうしてようやく落ち着くと、ティルの前にゆっくりと手を伸ばされた。

「改めまして、カズキ・フシハラです。ティルヴィシェーナ様」

 眼前にした青年は笑みを浮かべて、そう名乗った。

 ティルとは異なる人種であると理解させる黄色い肌に、何もかもを吸い込むような黒い短髪に黒い瞳――そして黒い服。

 感じるのは、出会って以来、ようやく耳にした彼の肉声。

 改まって告げられた彼自身の名前に、ティルはまるで本当に彼に“初めて出会った”ような錯覚を覚えて、

「ぁ……」

 少しだけ、その姿に見とれてしまった。

「ようこそ、“あけぼし”へ。歓迎いたします」

 続く言葉に、我に返ったティルは、慌てて差し出された手を取った。

 カズキはその手を優しく握り返すと、ゆっくり上下に振り、ニッコリと微笑んだ。

「さあ参りましょう。なにぶん艦内は広いですから」

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