第9話 祝祭の中で

 ティルが天の御遣いのもとへ発って、幾日か経ったある日。レファは帝都はずれにある湾を一望できる岬を訪れていた。

 灯台が一つあるだけで、そこへ至るまでの道は獣道程度という、以前までは辺鄙へんぴと呼んで差し支えない場所。

 お世辞にも人が好んで訪れる場所ではなかったそこは、魔竜撃退から様相を一変させていた。

「らっしゃい、らっしゃい! “天空の包み揚げ”だよ! そこのお嬢さん、お一ついかが!?」

「エスキマの串焼き、旨いよ旨いよー!」

「聖地巡礼の記念に、国法庁公認のお守りはいかがですかー!」

「ランダ家も御用達の、硝子細工はいらんかねー!」

 邪魔な木々は切り拓かれ、代わりに人と露店の群れがそこを覆い尽くしていた。露店に並べられるのは色とりどりの食べ物に土産物だ。

 人々は混雑の中で好き勝手に動きまわり、それをわずかでも引き留めようと客引きの声が飛び交う。

 目に耳に賑やかなその場に、半ばうんざりしながらレファは思う。

 ……これでは、感傷も何もあったものではありませんね。

 侍従として仕える巫女がいなくなり、次の“献身の巫女”の選定が終わるまでの間、レファは僅かばかりのいとまをもらっていた。

 敬愛していた主――ティルがいなくなったショックからようやく立ち直ったレファは、何をすればいいか考え、そしてこの岬へ足を向けた。

 ティルをせめて自分自身の目で見送りたいと思ったからだ。

 レファは儀式に帯同することが許されなかった。だからせめて、ティルが最期に踏んだあろう地に立ち、彼女が旅立った先をこの目で見たいと思った。

 追悼――とは考えたくなかったが、似たようなもので、それはレファ自身の感情に区切りをつけるためにも必要なことだった。

 そして訪れた岬には、既にあの夜の静寂も荘厳もなく、ただひたすらに人々の賑やかしい騒ぎだけがあった。

 儀式が行われた場所は帝国国法庁が聖域として一般人の立ち入りは禁じているが、未だ湾に居座る天の御遣いをひと目見ようという人間は途絶えなかった。

 むしろ人はその数を増し、周辺にはそれを当て込んだ商売人たちが木々を伐採し、無秩序に露天を立ち上げて混沌とした様相を呈し始めていた。

 そんな群衆と露店の群れに、どこか釈然としない思いを抱きながら、その間を縫うように歩いてレファは岬を目指す。

 ……本当に、誰も彼もが浮かれきった笑顔で……。

 魔竜が撃退されて以降、帝都の人間は戦勝ムードに湧いている。

 港では魚の水揚げが再開され、交易船も撃退の報が届いた近傍の港から順に戻りつつある。そんな次々と好転していく状況の中で、絶望と悲嘆に暮れていた人たちはその反動とも言わんばかりに浮かれきっていた。

 ここ、“聖地”は中でも連日のお祭り騒ぎの中にある。

 献身の巫女が“天の御遣い”に導かれた地であり、同時に岬から天の御遣いが最も近く見えることもあって、噂は噂を呼び、今では帝都にいた者達にとどまらず、ここには物好きが帝国全土から集まってきていた。

「“帝都の危機に、巫女はその身を捧げ生贄となり、天より来たる巨大な御遣いを動かし、魔竜を打ちのめした”――ですか」

 そんな人々に、戯曲の英雄譚のように嬉々として語られるその物語は、レファの胸に鈍い痛みを思い出させる。

 あの夜、ティルが浮かべた、どこか清々しすぎる笑顔を。

 臣民を助けたいとどこまでも真摯に悩んだ顔を。

 厳粛な儀式の場で、物怖じ一つせず堂々と舞ってみせた姿を。

 そのくせ寝起きは悪くて、朝はぼやぼやの甘えん坊だったことを。

 一度だけ、特に寝起きが悪かった日に儀礼装束の裾を踏んづけて派手にひっくり返ったことを。

 最後にもなって、自身の装飾を引きちぎって形見に渡してくるような子だったことを――

 ……っ……。

 とめどなく溢れる思いに涙が零れそうになったのを、レファは慌てて拭い、服の上から首に吊った“お守り”に手を当てる。

 それは、あの日ティルが差し出したマントの装飾。天と地、二つの御遣いの形象をあしらった銀細工。

 そこに込められたティルの魔力の残滓から、心にしみるような暖かさを得て、レファの心は少しだけ平静を取り戻した。

 ……本当に、私はダメですね……。

 ティルは望んで旅立ち、見事帝都の人々に笑顔を取り戻してみせた。

 おそらくは、その生命と引き換えに。

 だが、救われた当の人々の関心はそこにはなく――ただ、降ってわいたような幸運と、形として見える“天の御遣い”に夢中。

 そしておそらくは、少女がどれほどの想いを背負って帝国のために消えたかなど想像もしないで、無邪気に語るのだ。「伝説通り、献身の巫女が生贄となって天の御遣いを動かした」と。

 ……これは、あなたが望んだもののはずなのに。

 ティルが命を賭けて手に入れたものであるはずなのに、レファはどうしてもこの光景を手放しで喜ぶことができなかった。


 *


 そうしてレファは人の群れをかき分け、ようやく岬の端までたどり着いた。

 ティルが生贄の儀式を行ったという聖地からは離れていたが、“天の御遣い”の全貌を見ることのできる場所だ。

 けれど、押し寄せる人に対して圧倒的に広さが足りていない。一般人が巡礼できるようにと国法庁が展望台を急造していたのだが全く焼け石に水も同然だった。

 国法庁の法官や帝都警備兵が誘導にあたっていたが、多すぎる人数を転落などの事故がないように捌くので精一杯のようだった。

 結局、レファも他の巡礼客同様、押し合いの混乱の中ですぐに後ろへ押しやられてしまい、わずかしか“天の御遣い”の姿を見ることは叶わなかった。

 ……これでは、なんのために来たのでしょうね……

 祈ることすらろくにできなかった失意のまま、レファは帰路につかざるを得なかった。

 そうしてレファが人の群れに流されながらいくらか歩いたころ、

「お姉さん」

 どこからか呼ぶ声が自分を呼び止めたものだと気づいたのは三度目だった。

 肩を叩かれてようやく振り向けば、そこには見知らぬ少女が立っていた。

 ティルよりも二つ三つ年上だろうか。浅黒い肌に暗い赤の髪をした短髪の少女だ。

 見ない肌の色に、西方、あるいは東方辺境から来た子だろうかと思うも、言葉の訛りはなく限りなく帝都の標準語に近い。

「こんにちは。お姉さんはどこから来た人?」

「えっと……」

 堂々と、いきなり脈絡もなく話しかけられてレファは困惑する。

「あ、アタシはメネット。この近くに住んでるんだ」

 レファの困惑を見て取ったのか、それとも全く意に介していないのか、少女は自己紹介を始める。

「ウチが近いからよく遊びに来てるんだ。最近の趣味は面白そうな人を見つけたら声をかけること」

「それはまた、何というか……」

 レファはどうやら彼女にとって面白い認定をされたらしい。

 そのことに内心ため息をつき、真面目に相手をする気力もわかず、レファは適当にいなして追い払うことにした。

「……参考までに聞きますが、どのあたりが面白かったんですか?」 

 目を細めて、半ば嫌味でレファはそう言うと、メネットと名乗った少女からは意外な答えが返ってくる。

「お姉さん、少し周りと違う匂いがしてさ」

「匂い……?」

「うん、そうそう。露店目当てや、物見遊山って感じでもないし、真剣な巡礼とかでもなさそうでさ。よかったら、どうしてここに来たのか、教えてくれない?」

「……大した、理由ではありませんよ」

 図星をつかれて、レファは少し眉をひそめる。

 確かに周りの人間とは異なる理由だが、それを眼前の失礼な少女に教えてやるのも癪で、レファはそっけなくそう言うのみにとどめた。

「そうかな? そう言う風には見えないんだけどなー」

 レファの冷たい答えにも、メネットはうーむ、と考えこむ。

 もう行ってもいいだろうか、とレファが迷惑げな顔で視線を向けると、不意にメネットは顔を上げ、

「お姉さんは、献身の巫女様って、知ってる?」

「え――?」

 口にされたその単語に、レファの心臓が跳ねた。

「かわいそうだよね。天の御遣いに捧げられちゃった――ティルヴィシェーナさま、だっけ」

 どうしてここでそんな話を、とレファは目を見開いて、改めて少女を見る。

 明らかに動揺しているレファの目を、メネットは真っ直ぐ覗きこんでいた。

 丸々とした金の瞳を向けながら、何気ない世間話のように、――しかし、まるで心の中を覗きこむようにメネットは言葉を続ける。

「あのおっきい島みたいな天の御遣い様を叩き起こした奇跡の巫女様。神話と同じように捧げられちゃったそうなんだけど……」

 そして語るのは、無邪気な疑問。 

「アタシ、ちょっと気になるんだよね。“捧げられた”って言うけど、結局あのお方は、どうなっちゃったんだろう、って」

「神話にもあったでしょう。天に導かれたのでは――」

 伝承によれば、四百年前の天の御遣いは、差し出された生贄を連れて天球の裏へ隠れたという。

 天球の裏へ導かれた生贄の少女は、生と死を超越した神の御子として御遣いと並ぶ神話的存在になったと解釈されている。

『私は皆のための翼になって……そして、いつでもあなたのそばにいますから』――別れ際にティルが言った言葉も、その伝説を前提としたものだった。

「それは、昔は天の御遣い様と一緒に天球の裏に隠れたからじゃない。一緒に連れて行かれたから……でも?」

「…………」

 それは、レファも抱いていた疑問。レファがここを訪れられずにはいられなかった、もう一つの理由だ。

 未だ天の御遣いが沈黙を保ったままこの湾内に浮かんでいる中で、“ティルは、どこへ行ったのか”。

 既にこの世にいないのか、もしかしたら、――

 どうしようもなく不安に感じたレファは、魔術の使えない自身を呪いながら、僅かな手がかりでも掴めればとすがる思いでここに来たのだった。

 だが、結局なにも得られずじまい。

 その他の巡礼客と同じく、遠目から湾に浮かぶ巨大な黒い塊を見ることしかできなかった。

「そもそも、あの“天の御遣い”様って何なんだろうね?」

「何……って、あなたは神の御遣いに対して――」

 あまりに不躾ぶしつけで、不敬な言葉に、レファは思わず聞き返す。

「本当にそうなのかな? ……今回のは羽も生えてないし、人型ですらないし……そもそも伝承の、四百年前の“天の御遣い”様と同じなのかな?」

「同じ……ではないのですか。生贄を捧げ、それに応えてくださいましたよ」

「じゃあ取引は終わったってことだよね? 帝国は生贄を渡して、天の御遣い様は魔竜を倒してくださったってことだから」

 そしてメネットはさらに不躾な疑問を続ける。

「これで終わりのはずなのに、なんでまだ帰らないんだろう。他に目的があるのかな?」

「他に……って、魔竜を討ち果たす他に、天の御遣いが何をなされると?」

「例えばほら、降りてきたついでに……東方征伐とか」

「……魔竜のみならず、魔の者どもを討ちにいらしたと?」

「最近、東方がなんか揉めてるって噂を聞くじゃない?」

 それは、レファの耳にも入っていた話だ。

 魔竜の騒ぎが起きる前のこと。絶対防衛線を越えて、魔の者どもの略奪があったという話や、安全地帯だったはずの場所で、隊商が魔物に襲われたという噂。

「もしかして、それもまとめて一掃に来たとか……お姉さんは、そういうのって、あると思います?」

「……解りません。もし“天の御遣い”様が手を貸していただけるなら、帝国にとってありがたいことだとは思いますけれど……」

「…………そっかっそっか」

 そう言うと、メネットはようやくその目をそらし、

「ありがとう、お姉さん。なかなかこんなお話が出来る人はいないから、楽しかったよ」

 打って変わって、人懐っこい笑みを浮かべるメネット。

「それはどうも。……あなた、手当たりしだいにこんな話をして回ってるの?」

「やだなぁ。ヤバそうな人にはこんな話しないよ」

 どこまでも人を食ったような物言いをする少女に、レファは深い溜息をつくと、

「まったく。……では、私は行きますので」

「うん。じゃあね、おねーさん!」

 互いに手を振り合って別れる。

 赤い髪が人混みに紛れて見えなくなったところで、レファはようやくひとつため息をついて平静を取り戻した。

 ……まったく、変な子でした。

 無邪気なようでいて、まるでレファの心底を覗き暴こうとしていたような。

 同時に、神々への敬意も禁忌もへったくれもないような不躾な疑問の数々は、レファの心に深い猜疑心を浮き上がらせてもいた。

 ……“天の御遣い”とはなんなのか、ですか。

 海を――その先にある黒い塊を思い返し、そこへ導かれたティルを思いながら、レファはメネットと名乗った少女がぶつけた疑問を反芻していた。



 岬の周辺、人混みが少しバラけた場で、メネットは小さく手を挙げた。

 それを見て応えるように手を挙げたのは、旅装のマントを着込んだ緑の髪の青年だ。肌はメネットと同じく浅黒い色をしていたが、それを隠すように頭を覆うようなフード付きのマントを被っていた。

 メネットは、喧騒の中でも会話できるだけ青年に近づくと、開口一番ため息とともに“結果”を伝える。

「だめ、はずれ」

「そうか」

 シンプルな言葉に、青年も短くそう相槌をうつ。

 それから目を閉じ、青年は小さく魔術を展開する。念じた相手とのみ言葉をやりとりできる術だ。

 対象をメネットのみに絞って展開が完了したことを確かめると、続けて饒舌に話しだした。

「仕方あるまいな。聞き込みとは得てしてそういうものだ。だが、巫女と直接の知り合いではあっただろう? 微弱とは言え、あれだけの純度の魔力はそうそうだれにでも作れるものではないのだからな」

「確かにそうみたいだったけど……術式で記憶を漁っても、いいとこ巫女のお世話係だったって解っただけだよ」

「なるほど、世話係か。思った以上に近い者を引いたようだったが、それでもダメだったのか」

「うん。あの夜の儀式とやらには参加してなかったみたいだし、あのお姉さんも巫女の最終的な行方を知らなかったみたい」

「ふむ。御遣いの方も、手がかりはなかったか」

「うん。さっぱり。神話伝承と、落ちてきてからの騒動ぐらいしか具体的な記憶は拾い上げられなかったよ」

「そうか……」

 言葉を切ると青年は改めて人混みの方へと向き直る。その先にある海へ――“天の御遣い”へと。

 そして当然のように言い放つ。

「やはり、乗り込むしかないか」

 メネットもそれを予想していたようで驚きはなく、代わりにがっくりと肩を落とすのみ。

「……やっぱりそうなるのね」

「魔犬を瞬時に焼き払った空飛ぶ巨人、魔竜を叩きのめした巨大な浮島……上は相当慌てて急かしてきている。放置できるわけがあるまい。もし奴らの我慢の限度が来れば――」

「わかってる。お袋と妹のためだ」

 一言多い青年の言葉をメネットは冷たく遮った。

「そうだ。何が起こるかはわからんが、準備が整い次第行くぞ」

「最悪死んでも、ってね……」

「ああ。戦死であっても、任務に殉じたのであれば家族の無事は保証される」

「アタシゃ生きて会いたいよ」

「ならせいぜい頑張ることだ。どちらにしろ行かないという選択肢はない」

「はいはい。我らが“翼の主”のために……ね」

「よし。街に戻るぞ。準備が整い次第、突入する」

 青年は会話秘匿の魔術を解除すると、足早に帝都市街へと向かって歩き出した。メネットは遅れて駆け足でその後をついていく。

 不穏な二人組に、しかし周囲は全く気づくことなく彼らを人混みの中へ迎え入れた。

 陽気なお祭り騒ぎは、未だ終わる様子はない。

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