第6話 その生命を

 ――誰か助けて お腹すいたよ 僕はまだ死にたくない――

 ティルが感じたその声は、他の誰よりも明白に言葉としての体を保っていた。

 強烈な感情をもって迫る声。巫女としてのティルの感覚を揺さぶり続けるその源は、ゆっくりと海の底へ沈んでいっている。

 そして、ティルは直感的に理解する。それはおそらく魔竜の声だと。

「アカリ様、カズキ様、魔竜はどうなりましたか!?」

 それを確かめたい欲求に駆られ、ティルは思わず声を上げていた。

《え、えと、ですね――》

《今、確認を取ります!》

 戸惑うアカリだったが、カズキはすぐに応えを返し、しばらくの間。誰かに尋ねているのだろう。慌ただしく向こう側で動きがあった後、

《ダメージを与え、魔竜は海中に沈んだそうです。現在は動きを止めているため、警戒を続けているということで――》

 カズキからの返答は、ティル自身の感覚と同じ答え。

 それはティルが得た感覚――その推測を裏付けるもので、

「ありがとうございます」

《しかし、どうしたんですかティヴィシェーナ様? まさか、さっきの声のようなものが――》

「カズキ様にも聞こえていらっしゃったのですね。――おそらく、そのとおりだと思います」

 傷つき沈む魔竜。それが、理性を感じさせるように痛み苦しみ、嘆きを訴えている。

「もし、本当にそうならば……魔竜に、退去するよう説得できるかもしれません」

 それは、帝国にいる誰もが想像し得なかったこと。

“動物”が言葉を持つと信じる人間などいない。犬は人間の指示を理解する――そんな次元ではなく、交渉が可能な言語と、それを操る知能の存在。

 海を割り、船を食い荒らし去っていく魔竜がそれを持つなど、誰が想像しただろう。

 しかし、仮にそう察し、呼びかけた者がいたとしても、魔竜が答えることなどありえなかったはずだ。知能があったとしても、魔竜と人間の関係は、捕食者と獲物でしかない。

 獲物が慈悲を訴えたからといって聞く狩猟者などいるはずがない。例えば、海岸で出会ったあの魔物たちと、ティルのように。

《……できるのですか?》

 半信半疑、と問いかけるカズキ。

 ティル自身も確信はない。けれども、

「わかりません……けれど、今なら」

 知能を持ち、弱々しい恐怖と、慈悲を求める感情を流している、今なら。

「できるかも、しれません!」

 一つの決意を持ち、ティルは深呼吸とともに、感覚で得た方向へ正対。シャン、と手にした仗を振る。

 続けて足裏で床を叩けば、やや硬質な音。

 それで、周囲の“大地の御遣い”はティルに意識を向ける。

 海の上、船の中であるが、その存在感は失われていない。

 奇跡を起こす祝福の力――あるいは魔物が好んで食らう力、“魔力”。

 身に馴染んだ力の感覚が再びティルに満ち、

「呪われし竜、魔の海竜エシャ・クァヴァルラよ――!」

 言葉を織りながら、同時に力に乗せて意思を送る。

 魔竜がそうしたように、あるいは自分が命乞いをした時と同じように。

「人を喰うことをやめ、ここから去れば討たない!」

 シャン、と儀礼仗を鳴らしながら“大地の御遣い”との接続を保ち、呼びかける。

 ……私の声は聞こえているはず。

 言葉が異なるために複雑なやりとりは難しいだろうが、シンプルな意思の交換なら。

「聞こえていますか、魔の海竜よ!」

 ――聞こえている――

 再びティルの頭に響く声。それは確かに知性のある応答だった。

「ならば問います。あなたは私を喰らおうとした海の存在で間違いないか」

 ――そうだ――

 さらなる応答。それが示すのは、声の主が魔竜であること。

 ……なら!

「ならば、再び告げます――」

 一息。

「人を喰うことをやめよ。そして、ここから去りなさい! なれば、あなたに危害は加えない!」

 食うな、去れ。なれば攻撃せぬ――それを明確に、意思として送る。

 それに対して返される意思は、

 ――本当か?

「本当です。人を喰らわず、ここから去るのなら危害を加えません。約束しましょう」

 ――でも、空腹。動けない。痛い、苦しい。

 ……それは……

 心へ直接訴えかけるような切迫した訴えに、僅かな憐憫を抱く。

 魔物に襲われ、同じく命の危機への恐怖にさらされた身として。

 形は違えど、死ぬのは怖いと、実感した身として、

 ……できれば、殺したくはないけれど――

 提案を飲んでほしい、と思いながら、どうにか救うための代案を探し始めると、

 ――お前、食べたい。

 唐突に投げられた意思に、ティルの背筋が凍った。

 それは、あるいはどこかで想像していた言葉。

 ――そうだ。お前を食べたらきっと満腹になる。傷も治るから、ここから去れる。

「え……あ……」

 ――お前を食べたら、二度と来ないし人も食べない。ぜったい。

 畳み掛けられるように続く、それは悪魔の囁き。

 ティル一人が犠牲になれば、すべてがうまくいく。――それは図らずも、つい先ほどまで“彼女自身が乞い願っていた”結末。

 少女の願いを、これほどなく完璧に叶える方法。

 ――だから、お前、食べさせて。

 悪魔の誘惑に、少女は小さく息を呑んだ。



 断片的ながら、和貴はそれらのやりとりを理解していた。

 イメージの応酬にすぎないが、それでも単純なやりとりだ。

 だからこそ、ガラス越しの少女がその提案に目を見はり、息を呑んだ理由も解り、

《なら――》

 そして和貴は直感した。

 あの子は、それを飲むと。

 優しく、けれども死を恐れぬほど愚直な一途さをもったあの子は。

《――もし、本当に――約束――》

「聞くな!」

 だから叫んだ。

 それができるのは、おそらく自分しかいないから。

「聞いちゃダメだ、ティルヴィシェーナ!」

 瞬間、弾かれたようにこちらに振り向くティヴィシェーナ。

 驚くように明里もこちらを見る。思わず敬称を付け忘れたことに気づくが、構わず続ける。

「そもそもその取引は成立しない。相手のわがままに付き合うな!」

 畳み掛ける和貴の言葉に、ティヴィシェーナも驚き、半ば呆然としている。

 そんな彼女に言い含めるように、和貴は知りうる限りの帝国語を駆使してティルに伝える。

「よく聞いて、ティヴィシェーナ。君が死なずとも、帝国は救われる。僕達は、ヤツにとどめを刺せる状態にある」

 それは間違いだと。

 優しさを誤るな、と。

「そんな相手になぜ君は命を差し出さねばならない? 敵の命と引き替えにしていいほど君の命は軽いの? ……そんなことはないはずだ」

 相手が持ちかけてきたのは交渉ですらない、死に際のわがままに過ぎない。

 そんなものにかける温情で、命を捨てるのはバカバカしすぎるのだと。

《そう、なのでしょうか……》

 だが、少女は弱々しく――しかし、反論する。

《私の命は、帝国のために捧げられる、そのためにありました。ですから、ここで捧げても、間違いではないはず――です》

「――ッ!?」

 返された言葉は、完全に破綻していた。

“死なずとも帝国は救われる”と和貴が言ったばかりであるのにもかかわらず、帝国のために死ぬという。論理を放棄した言葉。

 その言葉を聞いて、和貴は直感で理解した。

 ……この子は、死に場所を探しているのか。

 少女は理性的に死を選んだのではなく、“意味ある死”を求めているだけなのだと。

 真に帝国や世界、あるいは魔竜の為を考えたものですらない。ただ死神の誘惑に乗りかけているだけだ。

 ならば――

「――甘ったれるな!」 

《!?》

「キミが捧げるべきその生命は、僕らに捧げられた! ――ならば、もはや君の勝手で棄てることは許されない!」

 海岸での儀式を思い出しながら和貴は一気に啖呵を切る。

 あけぼしの外部望遠カメラで見ていたあの儀式……ティルヴィシェーナが岬に置き去りにされたアレは、おそらく生贄の儀式で間違いない。

 ……なら、その論理に乗っかってしまえば――

「いいかティルヴィシェーナ。君は“僕”のものだ。ならその生命は僕らのために使われるべきだ」

 ……あ、複数形にし損なった。

 口にしてから気づいた凡ミスに思わず頬が引きつる。だが訂正するのもバカらしいのでとりあえず押し切ることにした。

 ……大丈夫、意味は通る。

 明里が隣で『うわぁ』と言わんばかりの顔で見ているが、気にしない。

「魔竜はここで殺せる。こちらに従わなければ殺すと脅していい。だからキミはここで死ぬ必要はないし、死ぬことは認められない。――どちらも死なせない道があるなら、探ってみてもいい」

 だから、 

「ティヴィシェーナ。君は生きろ。僕らとともに、生きるんだ」

 和貴はどうにかそこまで言い切って、一息。

 上手く説得できただろうか――と思いながらティルヴィシェーナの顔を見る。

 そこには、先程までの決然とした悲壮さはなく、

《……はい! ありがとうございます!》

 何かを得たような、明るさのある返答。その目に輝きが戻ったことに安堵を覚える。

 そして同時に、

《私はカズキ様のモノとして、皆様のために生きます!》

「ちょ――」

 どうやらこのやりとりで、和貴はとんでもない爆弾を抱えることになったようだった。



 ……そうだ。生きるんだ。

 ティルは、和貴の言葉に身を打たれるような衝撃を感じていた。

 それは無意識に死を望んでいたティルのエゴをも看破し、叩きのめすような強引な言葉で、

 ……でも、不思議と心地いい。

 それは、自分自身を否定された痛みではなく、迷い込んだ袋小路が叩き壊されたような、痛快感。

 ……そうです。もう私は“天の御遣い”に捧げられた身。

 なればこそ、もはや自分の勝手でそれを棄てることは許されない。カズキはそれを思い出させてくれた。

 そして、彼は自分の、自分たちのために生きて、この命を使えと命じた。

『――君は僕のものだ――』

 言葉を胸の内で反芻させ、改めて身に刻む。

 ……応えます。この身はもう、あなたのもの。

 死を覚悟し望んだ自分に、なおも自分に生きろという人がいる。まるでレファのような、優しい、声とことば――

 懐かしく愛おしいそれを思い出しながら、

「カズキ様のため――私は、生きて、役目を果たします……!」

 決意を小さく声にして、自身を鼓舞するように意思を固めると、ティルは顔を上げる。

 向う先は、白い壁――その向こうに沈む、魔竜の存在。

 ――食べなきゃ、助からない……動けない……

 断続的に訴える声は弱々しいが、いまだそれは途切れていない。

 ――ねぇ、食べさせて、君を、食べさせてよ……

 助けてあげたい。けれどもそれは、自分たちの命があればこその話。

 ……だったら――

「なぜ、食らうのが人である必要があるんです!?」

 問うべきは、そこ。

「貴方達、魔のものは! いつも!」

 魔物は魔力を使って生きている。だからこそ“奴ら”は、魔力を貯めこんでいる人間を食らうのだ――と、ティルはいつか教わった覚えがある。

「魔力なら、“大地の御遣い”から分け与えられる恵みがある! それがありながら、どうして――」

 ――たりない。それじゃ、全然、たりない――

 問いに返されるのは、不足を嘆く声。

 多くを食べなくては、生きて行けぬ――と。

 ……一体どれだけの魔力が必要なの?

 それはティルの想像を絶する量だろう。大地の恵みに浴し、その上人間を三桁喰らって、まだ足りぬという――

 もし本当にそうならば、きっと彼の存在は自分たち人間とは相いれぬ存在。

 ……やはり、ここで討つべきなのでしょうか。

 捕食関係にある相手ならばそれで当然。むしろ慈悲をかけようとしている自分が間違っているのではないか……改めてティルの心にその思いが浮かぶ。

 多くの商人、漁民、討伐に向かった将兵――数々の臣民があの腹の中に消えていった。

 あるいは、ここで手を下さずとも、このまま見逃せば、自然に死ぬだろうか。迷い思うも、それはとどめを刺すと同じだと気づく。あるいは、回復して再び帝国や“天の御遣い”を襲えばより悪いだろう。

 一体どうすれば……と、思考の袋小路に入り込んでしまったようでティルは弱って頭を抱えていると、

「カズキ様……私は、どうしたら……」

 ふと、無意識に口から言葉が漏れてしまった。

 慌てて口を抑えるが、もう遅い。カズキは少し考えるようにして、

《……やはり、とどめを刺すのが一番だとは考えます》

 そんな答えが返ってきた。

《彼らと人間は捕食関係にあるようですから……交渉での和解などは、おそらく不可能でしょう》

「です……よね? いえ、失礼なことを――」

《それでも救いたいとおっしゃるのでしたら――》

 少しの思案の間を置いて、カズキは続ける。

《知能はあるようですし、泳げる程度の傷の手当てをして、多少の食料を与えた上で、一時的に追い返すことは可能でしょう。……しかし、人間以外に魔竜は何を食べているのかわからなくては……》

「あの、本当に、大丈夫ですから――」

 思いの外、真剣に答えが返ってきたことに恐縮しながら、その言葉にふと引っかかるものを感じた。

 ……傷の手当て……?

 ふと、思い出す。

 戦で、致命的な傷を負った英雄の手当をしたことがあったことを覚えている。

 周囲に満ちる“大地の御遣い”から力を集めて注ぎこむことで、失われる生命力を維持し、同時に傷の治りを促進する術だった。

 巫女の地位に就いて初めての仕事だったので印象深く覚えている。それから、ティルは国民に巫女として認められ、その存在を頼られるようになり、また、医者や司祭では治せない病人を幾人もその術を使って手当していたのだが。

 ……力を、集めて、注ぎこむ――

 そこで、ふと思考がつながる。魔物は、魔力を喰うために、人間を――

「そうだ……力を……力を、注ぎこめばいいんだ……」

《……ティルヴィシェーナ様?》

 魔力がエサなら、何も人を食わせることはない。

 自分自身をくれてやる必要など、全くない。

 直接送り込めばいいのだ。

「ありがとうございます。カズキ様。少し、可能性が見えたかもしれません」

《可能性……というのは》

「少し、考えがあります。聞いていただいてもよろしいでしょうか」



 ――帝国では、神なる力、奇跡の力と呼びならわされる魔力。

 この惑星における魔力の行使に必要なのは、ただ祭祀と“近さ”だけ。

 祭祀によって大地の御遣いたちを歓喜させ、その力の流れを読み、意志の下に呼び起こされたその力を収束し、形と為す。

 祭祀者に求められるのは、大地の遣いへの近さと、ただその意志の力。

 力の流れを読む能力に長ける――大地の御遣い、ひいては神そのものに最も近いもの。“天の御遣い”に捧げるに相応しい存在として選ばれたのがティルだ。

 シャン――

 杖をひと振り。涼やかな鉄の音が響き、ティルは大地の遣いの“身震い”を感じる。

 それはあるいは演舞を前にした観衆の息遣いのようなもの。

 これから始まる見世物への、期待の吐息。

 ……大丈夫。

 それらを前に、ティルも胸に手を当て、小さく息を吐く。

 ……カズキ様と打ち合わせたとおり。

 ティルは持ちうる限りの魔力をもって魔竜の傷の手当と、空腹を癒す。その代わりに、彼にはすみやかに遠洋に退去してもらう。

 魔竜にはその提案を伝えた後、『さもなければ今度こそ袋叩きにして、我々がお前を生きたまま捌いて喰う』……と、カズキが考えたらしい脅し文句を伝えたら、心底怯えた感情で『了承した!』と返って来た。

 ……うん。きっと大丈夫。

 カズキ達の仲間には渋られたらしいが、最終的に許可はもらえたらしい。なんでも、魔竜を殺すのを嫌がる仲間がたくさんいるのだとか。

 古くから帝国に伝わる神話でも“天の御遣い”は、国を襲った魔竜を殺さずに追い払ったという。

 殺さずに済む結末を、おそらくみんなが望んでいる。

 ……そのために、お役に立てるのなら!

 魔竜も、一度死にかけた以上、きっと約束は守ってくれるはず――ティルはそう信じて、決意とともに両の手で杖を保持する。

 そして高く突き上げ、

 シャン――!

 振り降ろし、構えとする。

 正対する何者かを見据えながら、先端の模造刃を突きつける構え。

 それは槍の構えだ。

 大地の遣いは舞や歌を始めとする祭りを好むが、同時に武勇も好む。

 それに応えるように、巫女の舞にも多く武芸の型が取り入れられており、手にする儀礼杖もまた、槍が転じた祭具である。

 ……海岸での踊りは、儀礼、祭りと祝福を意識した踊りだったから――

 一日に何度も踊っていれば見る側も飽きる。特に大地の遣いは“飽きっぽい”観客だ。

 なんとか趣向を変えて、飽きさせないような舞いとしなければいけない。

 ゆえに、ティルが選んだ次のモチーフは、槍を用いた演武。

 それを軸に即興で組み立てようと決め、周囲の“観客”に問う。

 槍の構えに、周囲の反応は上々。

 力が波打ちざわめき立つのを感じ、ティルは

 ……いざ!

 気迫とともに、突きの動作を打ち出した。

 大気を切り裂くように踏み出した突きから、跳ね上げるように穂先を振り上げ、一回転。

 杖が舞いながら、シャン、シャン、と鉄房が鳴り響く。

 そこへさらに舞の動きを取り込んで、踏み込みと同時にターン。

 右足を軸に、刃で周囲を薙ぐような動き。

 左足で地を叩いて回転を止め、三度の突き。引き抜くような動作とともに後ろに振りかぶり、そこから刃を振り下ろす。

 歓声にも似た魔力の収束に、ティルの動きは止まらない。

 さらに横に払う動きとともに、

弾く音カッツオルダ来たれフェーラウト――」

 呟く言葉は、呪文。

 言葉とともに、収束した魔力の一部が言葉の通りに現象となる。

 キン――と、鈴を打つような音。

 連続して、畳み掛けるように、弾くような金属音が儀礼杖の鉄房から上がる。

 それらは、続いてランダムに房の一本一本を叩きながらも、気まぐれなテンポで音を刻む。

 そうやってばら撒かれる音の羅列は、ティルの意思ではなく、

 ――大地の遣いの音。

 そのテンポは、完全に観客に任せた音の羅列。それに合わせるようにティルは舞う。

 デタラメに打ち鳴らされる音の流れ、意思を読みながらステップを踏む。

 ひとつ、ふたつ。収束する魔力の流れから音のテンポを先読みし、合わせて動作を作る。

 激しい連続音には、細やかなステップを。

 ゆったりした音には大きくうねるような槍舞を。

 時に思い通りに、ある時は予想外に応えるティルの舞に、観客は大きく歓喜にうねり、さらなる魔力をティルへと送る。

 収束する魔力を捉えながら、ティルはさらに術を呼び出す。

共に踊れフェリゥ・エッテ雷よヤ・ゼスト――」

 瞬間、雷光が周囲に跳ねるように走る。

 連続して、物理法則を無視しながらティルに追随するように踊る紫電は、大地の御遣いによる業。

 ティルによって舞台に迎え入れられた“観客”だ。

 雷はティルに合わせて宙を踊り、ティルもそれと手を取るように杖を踊らせ足を踏み込む。

「――さあ!」

 騒がしくも鮮烈に飾られた舞台に、ティルは声を上げる。

「共に舞い、共に歓び――」

 刃を雷光に煌めかせ、透き通る音の連続とともに武を演じ、歓喜を踊る。

「至福の舞台に、至高の祝福を――!」

 ティルの呼び声とともに、魔力は加速度的に集まっていき、しかしティルはなおも舞い続ける。

 音に合わせて足を踏み、裾を振る。

 紫電にのせて刃を突き、杖を回す。

 そしてティルは力を集めていく。大きく、遥か世界すらねじ曲げる、力を。

 観客とともにティルは舞台を跳ねながら、集まる力は膨れ上がっていき、やがて限界を迎える。

 ……たぶん、これで――!

 ティルの意識下で繋ぎ止められるだけの、限界の魔力。

 ティル自身、扱ったこともないほど巨大な力の渦が、自分の周りで膨れ上がっているのを感じる。

 それどころか、次々と送り込まれる魔力は、徐々にティルの制御を離れて霧散していっている。

 ……行ける、はず!

 魔竜の巨大な存在感を支えるだけの力にはなった……ティルはそう判断し、

我が祝福はリィム・シェンディル汝が生命ツゥル・アルク――」 

 言葉を紡ぐ。

 それは、大地の御遣いと取り決めた言葉。

大地の歓びはレアルフェ・ランジュディル汝が活力ツゥル・カウェ――」

 自らが集めた祝福の力を、他の物へ注ぎ込むための、言葉――

祝福と歓びをもってゼ・ディント・シェンド・エム・ランジュ汝が生命は活かされんツゥルアルク・ディラ・アレヴ――!」

 


 力は流れ、脈打ち、遥か彼方を目指す。

 主となった少女の意思のもと、駆け、疾走り、飛び込む先は傷ついた竜。

 魔の海竜と呼ばれた、巨大な竜だ。

『オオ……』

 そこへ、膨大な力は流れこむ。

 魔竜にとってすら十分に満足させる、力の奔流。

 人を喰らうよりも遥かに純度の高い力が身体中に満たされ、魔竜は歓喜に震える。

『オオオ……』

 身体に満ちた魔力は、瞬く間に魔竜の傷を癒していく。

 砲弾に砕かれた胴はみるまに内臓に至るまで綺麗に再生し、引きちぎられた尾は瞬く間に新たなものが生える。

『ありがとう、ありがとう、ありがとう……』

 空腹感は既になく、死の淵まで追い落とされた魔竜の感覚は生に満たされていた。

 ……これは、奇跡だ。

 自身が奇跡の体現者である魔竜は、それでもそう思った。

 食べなければ得られなかった力が、こんな形で――しかも、はるかに効率よく得られるなど。

『この恩は忘れない。決して、忘れない』

 そして思う。ヒト――彼女自身がそう言った“餌”自身の名――その、力を。

 自身を殺すだけの力を持つ、巨大な力。

 彼らはもはやそれを手に入れ、自分たち竜神族も知らぬ、魔力を自在に操る術を持つ。

『二度と人は食わぬ。約束、約束しよう、人の子』 

 それは約束であり、彼の決意でもあった。

 仮に約束を破ったとて、喰うことはできないだろう。それだけの力を彼らは手に入れたのだ。

 だから、魔竜――そう呼ばれた彼は、約束を守ると決意する。

 どうにかして、腹を満たす方法を考え出さねばならない、との意思も込めて。

『さらばだ、やさしい、餌の子――』

 そして彼は泳ぎだす。

 人の住む大陸から離れ、はるかな大海原へと。



「やっ、た……」

 言葉とともに遠く離れていく存在。

 魔竜が彼女の言葉に応え、泳ぎ去ったことを感じ、

「よかったぁ……」

 ティルは自分の試みが成功したことに、大きく肩を下ろしながら、息を吐く。

 極度の緊張と集中の下で激しい動きを続けていた身体が、酸素を求めて二三度大きく息を吸い、

「ありがとう、ございました」

 シャン――シャン――シャン!!

 力を貸してくれた大地の御遣いへの礼とともに、終演の合図として、三度杖を振り鳴らす。

 すると、大地の御遣いも慣れたもので、名残惜しそうにしながらも静かに、しかしあっという間に“去って”いく。

 金属音と雷光はぱったりと消え、ティルの周囲に渦巻いていた膨大な魔力は人間が保持できる限界分を残して静かに霧散していく。

 静寂が帰ってきた空間に、ティルは改めて、あるいはようやく戦いの終わりを身で感じていた。

 ……成功、したんですよね。

 自分は命をひとつ救い、ひとつの戦いを止めた……そんな手応えが胸のうちに静かに広がる。

《やりましたね、ティルヴィシェーナ様。成功ですよ》

《素晴らしかったです、ティルヴィシェーナ様! 踊り、とっても格好よかったですよ!》

 カズキとアカリの賞賛の声。

「はい……カズキ様とアカリ様……みなさまのおかげです」

 二人の声にティルはありったけの感謝の気持を込めて笑顔で答える。

 本当に、彼の――彼らの力がなければ、魔竜を追い払うことはできなかった。そのことにティルは改めて思う。彼らは本当の救世神なのだと。

「ほんとうに、ありが――」

 改めて礼を言わなければ――と言う思考に、しかしティルの身体はついてこなかった。

 視界がぼやけ、ぐらつく感覚。

 ……おや?

 自覚のない変調に思わず疑問を浮かべるティル。儀式は大掛かりだったが、いつもなら大丈夫なぐらい……と思ったところでふと気づく。

 ……そういえば今日は生贄の儀式のため、大分と夜更かしをしていたんでした。

 踊ったり、食べられそうになったり、助けたり――ただでさえ眠いであろう時間帯に、さらに高揚感のままに色々やったものだから、安心した反動で猛烈な眠気が襲ってきていたのだ。

《ティルヴィシェーナ様、大丈夫ですか?》

《もしかして、儀式の反動か何かですか!?》

 心配する二人の言葉に、そうじゃない、疲れて眠いだけ、とも答えられずに、

「あ……ふぁ」

 思わず大きなあくびが出てしまった。

 はしたないと思うも、思ったところでろくに身体は動かない。

 せっかく助けていただいたのに、真っ当なお礼も言えずに……と思うも、先々から積もっていた疲労もあわさって、頭も本格的にぼんやりしてきた。

 まともに立っていられずにその場にへたり込んでしまい、

 ……せめて、ちゃんと寝床で、ねな……

 そんな意識すらも途切れ、ティルの意識はあっという間にまどろみに飛び込んでいった。

 もちろん、倒れ際に頭を床にしたたかに打ち付けたことにも気付かなかった。



《――以上が、顛末になります》

「了解した。……全く、最後までヒヤヒヤさせられる」

 外交部の伏原なる青年からの説明を聞き終え、あけぼし艦長、村瀬孝久はどっと肩を落とした。

 ギリギリの綱渡りで得た勝利だっただけに、外交部が『蘇生させる』と言い出した時にはさすがに承服しかねる思いも浮かんだものの、

「ま、最後に丸く収まったんならいいことだ。希少生物を守れて“上の連中”も満足する結果だろう」

 得られた結果については、村瀬も納得いくものだった。

 人気の幻想動物を降下早々にぶち殺して、上層部や世論から批判が飛んでくる可能性が減ったことはありがたい限りでもある。

「それと、一つ確認だが――次に万が一、ヤツが腹をすかしてもう一度来た場合は、そちらに対処を任せてもいいんだな?」

《問題ありません。彼女もそう言っていました》

「了解だ。頼んだぞ。……では、仔細は了解した。戦闘終了の報告はこちらから支局長にあげておく」

《お願いします。――では、失礼します》

 それで通信は切れ、村瀬は改めて大きくため息をつく。

「ま、終わりよければ、ではあるが……ドラゴン退治はもうこれっきりにしてもらいたいもんだ」

 心底嫌そうに村瀬がそう言うと、隣に立つ砲雷長が苦笑しながら言う。

「そう上手く行けば良いですがね。降りて早々にこれでは、先はどうなるやら」

「まったくだ……」

 言いながら村瀬は今回の戦闘を反省する。

 ……この勝利は、本当に弓香の“魔法”に依る部分が多すぎた。

 軍はシステムとして連携することで、最小の被害と最大の結果を導き出す。そうあるべきであり、一人の英雄の有無で状況が左右されるなら、それはシステムが十分機能していないことを示すことに他ならない。

 確かに弓香は戦力として有用であるが、彼女に依存するようになってしまえば、軍は軍としておしまいだ。

 そして現状、魔竜戦であけぼしは、不意打ちも重なったことで機能不全に陥ってしまっている。

 ……再構築を急がなくてはいけない。

 そのためには課題が山積している。それらはおそらくはちょっとやそっとではどうにもならない問題だらけで。

 こんな状況で再戦を命じられれば――

 ろくでもない想像……そして決して低くはないであろう可能性に思いを馳せ、村瀬は肩を落とす。

「次はどんなビックリドッキリ生物と殴り合うのかと思うと、寿命がいくらあっても足らんな」

「俺は楽しみですがね。次こそは完膚なきまでに粉砕してやりたいものですが」

「トリガーハッピーは頭平和そうでいいなぁ」

「いや艦長、そこ物騒だって諫めるとこですから」

 そんなやりとりの艦長、その、報告ですと戸惑いげに通信士からの呼びかけ。

《……見張り員からなんですが……》

「ああ、どうした?」

《海岸の群衆はまだ解散する様子はなく、人数はさらに増えてきているとか……》

 言葉とともに、モニターに表示されたのは、多数のたいまつと、それに照らされた群衆。

 帝都の市民たちだろう。たいまつの数から推測すれば、百は下らない。

「そういえば居たなそんなの。戦闘もバッチリ見られていたんだったか……」

 戦闘中のドサクサに紛れてちらっとだけ上がってきた報告だったので、村瀬も今までその存在を忘れていた。

 ライトニングスの発艦の後しばらくして現れ、その数は飛躍的に増しているのだとか。

 当然、一部始終は見られているだろうし、

 ……当然、とんでもない噂が駆けまわるのは必然か。

 空から全長一キロ近い物体が降ってきただけでも大騒ぎだろうに、そこから何かを飛ばして魔竜とピカピカドンパチを始めたとなればもはや神話が一個出来上がっていても不思議ではない。

 明らかに今後の外交に影響を及ぼすだろうが、

「外交部に映像を送って事実だけ伝えといてくれ。俺は知らん」

《ですよね……。では、艦としては特に対処はせず、外交部に通告しておきます》

 通信が途切れ、表示されていた映像も消える。

 村瀬は大きく伸びをすると、艦のダメージモニタに目をやる。

 停止した一号抽出炉。貫通された航空甲板――

 さしあたって最も頭の痛い問題が二つ。

「まだまだ、気は抜けんか……」

 ゆっくり休めるのはいつになることやら。そんなことを思いながら村瀬はゆっくりと立ち上がり、歩き出した。

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