第4章 サムデイ イン ザ ペイン

第4-1話 閉じた夜に疼け痕の痛さ

 モノトーンで塗り分けられた教室に、中臣と俺は向かい合う。


 窓の外では、青の《神人》と、赤の『機関』の、欠落者のうりょくしゃがぶつかり合う。


 《神人》が勝てば、世界の卵へいさくうかんは孵り、中臣の目論見通り新たな世界が生まれる。


 『機関』が勝てば、俺たちは帰り、今日の続きの世界を生き続けることになる。


 遠目には、青と赤の戦いは拮抗しているように見える。

 俺か、中臣。どちらかが加勢すれば、それが決定的な勝負の分かり目になりかねないほどに。


 中臣の左手に赤の光が収束する。ソフトボール大の『弾丸』が発生、射出された。

 俺は同じく左の掌に『防護』を集中させ、『弾丸』を逸らす。重たい衝撃。なるほど、自分に向けて発射されたことはなかったが、森さんの『弾丸バレット』っていうのはこのサイズでもかなりの威力があるんだな。


 一つ呼吸の後に、中臣が踏み込んでくる。格闘の間合いであれば、俺が有利……と言いたいが、そうもいかないだろう。様々なサイズの《神人》との戦いで、俺はさんざ手の内を晒している。俺に鶴屋の受けの型、流しと崩しを主体とした体術があることを、中臣とて把握しているはずだ。にも関わらずこの慎重な男が飛び込んでくるのだ。無策であるはずがない。


 『弾丸』の勢いに宙を泳ぐ手は使えない。むしろその威力に身を任せるようにして後退しながら、俺は右の手を構え、中臣の挙動を確認した。


 身を屈め、駆けてくるその態勢は、想像した以上に隙がない。こいつもまた、何かの心得をあるということか。そういえば、「姉さん」を見かけて駆け寄ろうとしたときにも、注意していなかったとはいえ俺や森さんの意識の合間を縫って飛び出していたしな。


 右の手には、無骨なスタンガン。護身用として売られているレベルだとしても、身体の自由を失うだけの効果はあるだろう。たしか、1~2秒の接触であれば激痛、それ以上で筋肉の萎縮、接触部位が頭部や血流の要の場合意識の混濁……だったか。脅威ではあるが、それが決め手ではないはずだ。


 もしもスタンガンが奥の手だとすれば、わざわざこちらに警戒させるようにスイッチを入れるか? 意識をそこに集中させ、集中力を奪って精神的に消耗させるための牽制と見るのが妥当だろう。


 ならば、カウンターを狙うよりも守りに徹し、相手の手の内を晒す――


 と、そう思った瞬間。後頭部に、衝撃が走った。


 っっっっっ!?


 中臣は眼前にいるまま。右手には、スタンガンを構え、そして左手は、

 手のひらを上にして、人差し指と中指を自分に向けてくい、と曲げていた。まるで、「こっちに来い」というジェスチャーをするかのように。


 その合図はいったい何に対してのものだ? 俺ではない。俺の後ろに「いる」……否、「ある」、何か?


 俺の後ろにあって、中臣の意に従いうるもの……

 ……最初に射出された、『弾丸』か! 『飛行』の応用で軌道を操作した?


 背後から炸裂した赤い光に意識が鈍化する。が、流されている暇はない。中臣は今まさに耳障りな音を立てるスタンガンをこちらに向けて突き出している。辛うじて右手が動く。赤の手甲をまとわせ、受け止める。


 バチン。


 衝撃。痺れ。熱。手の自由が喪失しかける。体躯を軸から振るうことでその接触面を外し、俺は机の上に身を投げ出すように転がると、無理矢理に中臣と距離を取った。


 さしものの『防護』も、電圧を完璧に遮断する効果はないらしい。そりゃあそうか。元々これは《神人》の圧倒的な謎攻撃から身を守るのが本質のものだからな。まっとうな物理法則に基づいたダメージは専門外なのかもしれん。くそ。


 だが、態勢を整える間もなく、『弾丸』が襲ってくる。く、そ。ここで弾いたらさっきの二の舞だ。

 ぎこちない両手から放つ赤い光で包み込むようにして、手のひら大の光球を掴み取った。


 一秒。二秒。三秒。赤の光越しの摩擦熱と衝撃の後、『弾丸』は消滅した。


 中臣は? まだ間合いは遠い。また『弾丸』による追撃か?

 と、次の瞬間、赤の光が右の目を焼いた。


 どんな能力? 違う。辛うじて光を避けた左目で、俺は中臣がいつの間にかスタンガンから持ち替えている黒い棒状のものを視認した。レーザーポインター。塾の講師がスクリーンを指し示すのに使うようなアレだ。たまにスポーツ選手を妨害すべく悪質な観客が使ったりするというのを聞いたことがあるが、なるほどこいつは凶悪だ。ぎりぎりで目は閉じたから失明には至っていないだろうが、右目は急遽その機能をストライキして、遠近感が掴めないのなんの。


 中臣の戦い方は、多彩だ。『学派』のツテを通じてかき集めた道具と、『共有』で得た能力を使い分け、日常サイド、非日常サイドの暴力を隙なく連結してこちらの裏をかき続ける。


 真正面から殴り合えば、中臣は俺には勝てないだろう。


 だから、そのための不足は、あらゆる手段で外からかき集める。足りないこと。届かないことが日常で、その無理を覆すために、あらゆるものを利用する。卑怯と謗られようと。卑劣と蔑まれようと。


 それがきっと、中臣という男の戦術いきかたなのだ。

 死んだ姉を取り戻すという不可能。道理を爆破して、無理を押し通すために、他の全てを犠牲にする意志を固めた愚直なまでのヒーローの在り方。


 それは、俺がいつか、なりたかったもの、そのものだった。

 それは、俺がいつか諦めてしまったもの、そのものだった。


 指揮者のように左手でレーザーポインター、右手で軌道を制御された『弾丸』を操り、中臣はこちらを一方的に攻撃し続ける。


 俺にも『弾丸』は使えるだろう。だが、中臣の真似をしたところで、多分俺は奴には届かない。

 あらゆる手段を外からかき集めるのが中臣の戦術が、奴の生き方の具象だとすれば、それは俺が焼き直しをできるものではない。


 拮抗。責め続ける中臣。守り続ける俺。窓の外では《神人》を赤い光が取り囲んでいる。

 一見すると、赤い光が優勢のようにも見える。つまり、じり貧のようでいて、このままの戦況が続くのであれば、むしろ俺に分がある。

 そう、判断したとき。窓の外を一瞥した中臣の口元が、つり上がった。


「――しかし、森園生ってのは、つくづくバケモノだな。背中に穴を空けてよく動く。新川の『治癒』は、閉鎖空間で負った傷にしか効かないってのに」


 何を、言ってる?


「ああ。ここに来る前、僕が刺した。おまえに使ったみたいなオモチャじゃない。本物だ。森園生の『弾丸』は《神人》相手のジョーカーだ。排除しようとするのは当然だろう? 数日ぶりに顔を見せただけであからさまに油断したからね。簡単なものだった」


 ……森さんは、おまえを、心配していたんだぞ。

 自分では、姉の代わりになれないが。それでも、子どもを巻き込んだ責任があるって。せめて自分が守りたいって。それこそ、姉みたいに、気遣っていたんだぞ。


「知っているさ。森園生は僕の姉代わりを務めようとしていた。本当に献身的に。……それが、どれだけ、僕に対する侮辱かも気づきもせずに、一生懸命に! ははは、代わりなんていない。いちゃあいけない。赤の他人が! 姉さんの代わりなんて!」


 中臣は、走り続ける。目的のために。それ以外を全て削ぎ落として。純粋で、濾過されて蒸留された全く揺らがない「姉さん」への慕情。


 弾く。弾く。左目。掠める。弾く。掴む。一歩。また一歩。距離を詰める。


 ああ、わかっている。拮抗し続ければ俺に有利。敢えて踏み出すことには何の意味もない。

 けれど。俺は踏み出さなければいけない。中臣の姿は、いつかの俺だ。師匠に会う前の俺がそうなりたいと願っていた理想の姿だ。


 だからこそ。だからこそ。だからこそ。


 踏み出す。『弾丸』が掠める。踏み出す。『弾丸』を受け止める。


 あと三歩。再び『弾丸』。掠める。衝撃。歯を食いしばる。


 あと二歩。再び『弾丸』。避けられない。衝撃。脳に火花が散る錯覚。


 あと一歩。激痛。『弾丸』? 違う。痛みは足の裏から。何かが突き刺さっている。画鋲? そんな小さなものじゃない。マキビシ、という単語が頭をよぎる。踏み込んだ相手の足を狙う隠し武器。時代劇で忍者が使うような古典的な道具だが、視界の悪いモノトーンの世界では有効だ。特に相手が安い挑発に乗って踏み込んできた近接しか能のないバカならばなおさら。くそ。さっきの台詞からして布石だったというわけだ。


 中臣の左手から、ポインターが落ちる。俺が何か仕掛けたわけではない。ならば、その左手にはまた新たな何かが――


 吹きかけられる液体と強烈な異臭。護身用の催涙スプレー……! 平衡感覚が攪乱される。中臣の右の手に『弾丸』が生まれる。倒れ込んで机の下に潜り込む。頭の脇の床を、『弾丸』をまとった中臣の掌打が襲う。教室の床にぽっかりと穴が開いた。


 鉄パイプ製の机の脚をくぐりぬけ、椅子を中臣に投げつけながら膝立ちになって……中臣が、右手の指を上にくい、と突き立てた。「上がって来い」と指示するように……


 次の瞬間、太ももに激痛が走る。床を貫通してきた『弾丸』が命中したのだ。先ほどの攻防で床に『弾丸』を叩きつけたのは今の布石だろう。『弾丸』は着弾しない限り、が発生してから消滅するまで、3~5秒ほどの猶予がある。その時間を使って、催涙スプレーからの攻防で階下に叩き込んだ『弾丸』を操作して、足元からの奇襲を成功させたってわけだ。


 『防護』は、呼吸を阻害しない。つまり催涙スプレーは防げない。『防護』は基本、俺の意識が向いているところに厚く配分される。つまり、足元などは手薄になりがちである。だからマキビシや、階下からの奇襲には効果が薄い。


 よく研究してやがるな、くそ。完璧じゃないか、中臣ヒーロー

 それでも。俺はまだ倒れていないぞ、中臣よ。

 自慢じゃないが、師匠にこてんぱんにされて身体の頑丈さには自信がある。そも、『防護』は俺を、あの《神人》からだって守ってくれた能力だ。


「……古泉の言葉を借りるなら、能力ギフト欠落ロストは裏表だ」


 中臣の左右の手から『弾丸』が踊る。


「閉鎖空間における能力特性には、当人の心の欠落、喪失、悔悟が反映される。森園生が姉さんを助ける『弾丸』を撃てなかったことを悔やむように。新川が孫娘を『治癒』できなかったことを心の傷としているように。谷口。おまえは、守りたかったんだろう。守れなかったことを悔いているんだろう。だから『防護』なのさ」


 『防護』展開。爆ぜる。爆ぜる。


「おまえには意味がないはずだ。俺に反対する理由が。動機が。思い出せ。いつかの日の痛みを。悼みを。周防七曜を。掴めなかった手を。失った笑顔を。この閉じた空間は、心の傷を剥き出しにする告解の場だ。ここには、世界を塗り替える卵すずみやはるひの中には、世界に唾するどうきを持つ者しか迎え入れられない」


 じくり、と痛む。


 『弾丸』ではなく、中臣の言葉こそが、抉り込むように突き刺さる。かさぶたになりかけた、いつかの痛みを呼び起こす。


 その悼みは、きっと、周防七曜という名をしていた。

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