第3-6話 終末のスケジュールは

 眩む感覚。消える色彩。この感触を、知っている。


 ――閉鎖空間。


 色彩の消えた教室の中には、涼宮はいない。俺と、中臣だけが、モノトーンの学校に残されていた。


 視線を中臣に向けたまま、腹部の異常を手で確認する。

 痛覚に反応なし。腹部を濡らす液体に触れた指先に刺激なし。

 指を濡らした雫は赤。足元に転がるナイフを一瞥する。なるほど。

 涼宮に気を取られた俺は、中臣が投げたナイフに腹部を刺され、血を流して致命傷を負った。


 ……そういう風に、涼宮に思わせようと、こんなオモチャを持ち込んだってわけだ。


 足元でナイフの刃を蹴ると、赤い液体がその衝撃で染み出した。おそらく、手品グッズか何かなのだろう。


「ご明察だ。この町は妙に「細工」の持ち込みに過敏でね。この程度の子供だましが限界だったが」


 涼宮、子供だましだってよ。くそ。

 しかし、子供だましだろうと何だろうと、中臣のたくらみは成功した。


 目の前で、しばらく不登校だった生徒に、前の席に座ってるクラスメートが刺されたら、いくら涼宮であろうとも精神的に平静でいられるわけはなかろう。その程度にあいつは常識的で、しかも、良心的であったということだ。


 少なくとも、世界のありように理不尽を感じて、世界の作り直しを考えてしまう程度には。


 ……って、ちょっと待て。涼宮から見ると、今、何が起きたことになる?


 閉鎖空間に突入したとき、たしか俺たちは現実世界からは消えてしまっているはずだ。


 つまり。


「ああ、そうだ。涼宮ハルヒからすれば、殺人現場から忽然と人が消失したことになる」


 中臣は、そう言って鼻を鳴らした。


「『機関』は、涼宮ハルヒの常識を守ることを重視していたようだ。世界を捻じ曲げる力を持つ涼宮がいるにも関わらず、自然法則がおおっぴらには覆っていないのは、彼女がある意味で強固に常識を確信していたからだと。だから、世界を作り変える閉鎖空間に存在する《神人》も、打倒できる範囲の存在に留まっているのだと。ならば、突き付けてやればいい。この世界なんて、常識なんて、消し飛ばせるものだと。好きに作り変えられるのだと」


 そして、中臣は窓の外を顎で指し示した。


「そら。あれが、涼宮ハルヒの「本気」だ」


 窓の外には、巨人がいた。


 今まで戦った、どんな《神人》よりもデカい、規格外の巨体だった。繁華街の高層ビルだって、軽く見下ろしてしまいそうな、そもそも人間が生身で向き合うのがバカらしくなるような、そんな姿だった。


 少なくとも、俺の『防護』なんざ、軽く踏みつぶしてしまうような圧倒的な質量の塊。


 《神人》の一歩が、振動を起こす。校舎からは随分離れたところに立っているにも関わらず、その揺れは震度3くらいの衝撃を引き起こしていやがった。


 勝てない。俺一人では。


 だが、もしも、古泉一樹と、他の『機関』の仲間たちが来たとしたら。

 あの『共有』による総員パワーアップモードならば、なんとか勝ててしまうのではないか。


 この前の戦いだって、他人の能力に慣れない状態にも関わらず、圧倒的な勝利ができた。

 たしかに今回の《神人》は規格外の大きさだが、『飛行』で攪乱して、森さんの巨大『弾丸』をぶちこめば、何とかできるのではないだろうか。


「……古泉たちなら、来ないぞ」


 どういうことだ、中臣。そこまでおまえに仕込みができるほどのツテがあったってことか?

 『機関』と、『情報統合思念体』とかいうのが、おまえのバックについてる『学派』とやらを牽制してるんじゃなかったのか?


「『学派』の構成員は、政財界との繋がりが強い。閉鎖空間で行動できる人間を『機関』に占められているという点で後手に回っているが、外の世界での影響力は遥かに『機関』を上回る。たとえば、荒事に長けた人間を町に送り込む、というような野蛮な手段をとるだとか、そういうことは『学派』の得手だ。閉鎖空間にさえ入れさせなければ、新川や古泉はもちろん、森園生だって現実世界ではただの人間だ。20倍以上の人数を覆せるようなバケモノじゃない」


 ……ちょっと待て。それを古泉が牽制してたから、これまで俺が『学派』の人間にちょっかいをかけられることもなかったんじゃないのか?


「厄介なのは、『機関』に対する『情報統合思念体』の支援だった。だが、奴らの一部が、こちらの説得に応じた。骨は折れたが、その甲斐はあったさ。奴のこれまでの涼宮ハルヒの観測結果からも、『世界の再構築』は実行可能な確率が高いということだそうでね。彼女に、『穏健派』と『主流派』に対する時間稼ぎはしてもらえることになったというわけさ。少なくとも48時間の間、この町の『機関』の防衛線は丸裸だ」


 これがアニメの中の話であれば、勝ち誇ってで自分の優勢を語る悪役の慢心といったところだろうが、中臣の表情にそんな様子は見えなかった。ただ、淡々と、必要があるから説明しているまで、といった印象だ。だったら、わざわざ状況を俺に開示することに、どんな意味があるのか?


 ない知恵を絞って頭を回転させる。


 理由、一つめ。こいつはまだ俺を説き伏せようとしているのだろう。

 今、この空間にいるのは、《神人》と中臣、そして俺だけだ。万が一にも俺が中臣と《神人》をぶっとばせば、奴の計画は御破算だ。限りなく可能性は低い話だが。


 そして何より、あいつは、俺に自分を重ねている。身近な人間の喪失を経験した、同年代の男として。

 一度手を振り払ったにも関わらず、それでも、喪失を取り戻す可能性を俺に提示しているのだろう。


 結局のところ、こいつの根は、どこまでも救いがたいくらいに純粋な善人なのだ。

 俺のように、いい加減になれない、ヒーローの素質を持った、純粋培養の英雄予備軍。


 けれど、それだけか。否。

 きっと、あいつは、俺を証人、あるいは共犯者にしようとしているのだ。


 もしも、このまま《神人》が暴れまわって、世界が作り替わったとする。

 そして、どういう方法かを使い、中臣の超絶美人な姉さんが蘇った、新しい世界が誕生したら、どうなるか?


 おそらく、世界は最初から「作り替わった状態が正しい」ということになるのだろう。

 そのときに、中臣の記憶も全て作り替わってしまえば問題はない。だが、もしもそうはならなかったら?

 元の世界のことを認識しているのが自分だけになったとしたら?

 それはひどく、ホラーでサイコスリラーなことではなかろうか。

 世界がどこまでも不安定で、涼宮の気持ち一つで変化して、それを利用して全てを作り変えた罪悪感を、たった一人で抱えることは、どれくらいの重圧かは、俺なんざには想像することもできない。


 ……いや、できないわけはないだろう。その罪悪感、重圧はたぶん、俺が中臣の手を振り払った理由と、よく似ているはずだから。

 だから、あいつは、俺を必要としている。その重荷を分かち合える相手として。


 そして、理由、二つ目。単純な時間稼ぎだ。

 別に中臣は、俺を叩きのめす必要などない。ここに足止めしておけば後は勝手に《神人》が暴れまわってタイムアップだ。足止めの手段が暴力でなくても、お喋りでいいのならコストパフォーマンスはそちらの方がいいに決まっている。


 それで、どうする。俺。


 おまえは、周防七曜を諦める、と言ったんだ。世界をこのままにすると、選んだんだ。


 ならば、この状況を覆すために何ができる?

 このまま中臣に襲い掛かる? 巨人に立ち向かうために? 余力を残したまま、俺は中臣に勝てるのか? 閉鎖空間での中臣は『遡行』で自分に不利な未来をなかったことにできるというアドバンテージがあるというのに? 『共有』の強化を受けていない俺の『防護』は、持続時間に限りがあって無防備になる瞬間があるというのに?

 くそったれ。相性は最悪だ。中臣は時間を稼ぐだけでいい。だが、俺の『防護』は、そして学んだ鶴屋の技は、基本的に守りに特化したものだ。防戦ならばともかく、攻め手には向かない。


 今までの情報を思い出す。


 『機関』。『学派』。『情報統合思念体』。


 中臣は、涼宮を巡るその三つの勢力を手玉にとり、この状況という王手をかけた。


 『情報統合思念体』は内部で拮抗しあい、『機関』と『学派』は潰し合って、中臣は自分の目的で涼宮に接触した。


 中臣は相変わらず油断なく立ったままだ。あらゆる状況を予想し、二重三重に布石を打つ用心深さが、こいつの『機関』と『学派』の間でコウモリみたいな動きを成功させてきた理由なのだろう。


 ……だとしたら。


 中臣よ。万が一、あの《神人》が世界を壊し続けても、世界が変わらなかったら、どうなる?

 俺たちの脳内に流し込まれた情報が、信用できるたあ限らんのじゃあないか?


「決まっている。そうであれば、涼宮を拘束して、その力の機序を解明するまでだ。『学派』には、『機関』を無力化するのと並行して涼宮を拘束するように指示してある」


 なるほど。用心深いこって。

 本当におまえが同年代か、心配になってくるぜ。頭の作りが違う奴っていうのはいるもんだ。


 いや、師匠を見ていて前々から思っていたことだけど、本当に俺は世界の脇役なんだってことを実感させられるぜ。師匠、古泉一樹、中臣、おまえ。そういうのが、きっと物語の主人公になるんだろうな。


 俺は、手近な椅子を引くと、足を組んでどっかと座り込んだ。


「……諦めたか。それとも、消極的にならば、新しい世界を受け入れる気になったか。それはそれでいい。世界を変えた責任を僕に押し付けて、おまえは被害者面をして新たな世界を享受しても、別に責めはしないさ」


 《神人》の破壊が引き起こす振動が、机をカタカタと揺らす。

 その中で、俺は、早くなる鼓動を押さえつけながら、無理やりに長い息を吐いた。


 焦るな。今俺がすべきは、待つことだ。


 『情報統合思念体』との連携を崩された『機関』は、『学派』に制圧されている。

 この国における、通常の世界での影響力は、『学派』の方が上だから。

 ああ、きっと、それは覆らない。『機関』は『学派』には勝てない。だから、古泉たちは閉鎖空間に辿りつけない。物理的に排除され、この校舎まで来る事は叶わない。


 『機関』の人間が揃わなければ、あの超巨大な《神人》は倒せない。世界の卵は育ち、元の世界は涼宮の産む新たな世界へとめくり返される。


 決まり切った結末。チェックメイト。王手。詰みというやつだ。


 ……このゲーム盤の勢力が『学派』、『機関』、『情報統合思念体』の三者である限りにおいては、な。


 ところで、確認だが、中臣よ。

 予防線として、涼宮を確保しろと、『学派』に指示をしたんだな?


「それが、何か?」


 ああ、心配だったんだ。

 あの人にとっては『機関』も『学派』もどちらも、よそ者だ。


 あの家の役目は、この町を守ること。よそ者同士の小競り合いとみなされれば、介入されない可能性もあったからな。俺は町の人間だが、自分の意志でよそ者に協力しているわけでノーカンだろうし。


 よそ者同士の小競り合い、身内同士の争いは、あの家の管轄外だ。だからこそ、七曜の件に介入できなかったことを、あの人は悲しんでくれたりもしたんだが。


「……何を、言っているんだ?」


 けれど、涼宮は、この町の人間だ。そして、あの人は、涼宮を守ると、約束してくれた。

 だから。これは、この町を、外から守るための局面。あの家が、真に動き出す条件は揃った。


 『学派』の強みが、この国における動員できる人数の強さ、政治的影響、権力の大きさだとするならば。

 こと、この町においてだけは、それを覆せる勢力が、存在するんだよ。

 反則みたいな、俺とは違う、世界の主役になりかねない、そんな一族が。


 だから、俺はこう言ってやろう。


 ……古泉たちは、来るぞ。


 『学派』が、この町の中で荒事をしようとするなら。この町の人間すずみやを狙うなら。

 『機関』が、この町に平穏に溶け込もうとするなら。この町の人間すずみやを守るなら。


 『鶴屋の家』が、どちらに手を貸すかなんて、決まり切っているんだからな。


 《神人》が閉鎖空間を広げる時間を稼いでいたつもりだろう、中臣。

 けど、悪いな。時間を稼ぎたかったのは、俺の方だ。


「ブラフだ」


 ああ、そうかもな。だから、待とうぜ、中臣。

 お互い、信じているんだろう。時間稼ぎが最良の手段だって。楽して《神人》が世界を変えてくれるかもしれないぜ。



 ◆  ◆  ◆



 鼓動が早まる。それから、どれほどの時間が過ぎ、幾つの建物を《神人》が破壊したのか。


 遠くで、赤い光が、瞬いた。


 一つ。二つ。三つ。光の『弾丸』が、《神人》の表面で弾ける。

 乱入者の証。古泉たちが、森さんが、辿りついた印。中臣の目論見が一つ、崩れた証拠。


 中臣が、懐から黒い手のひら大の機材を取り出した。ばちり、と耳障りな音がして電光が爆ぜる。


 これ以上、互いに語る言葉はない。

 中臣が俺を説得しようとしたのは、自分の目的が阻害されない限りにおいて、という条件の範囲でだ。

 このまま漫然と話し続けていれば、閉鎖空間に飛び込んできた古泉たちは、《神人》を殺すだろう。


 俺を排除して、《神人》を守る。それが、中臣にとっての唯一にして最適解。


 だから、あとはただ、拳を握るだけ。なんて愚かで、単純な結論。

 そして。遥か彼方から、赤い光の糸が、俺と中臣の胸元へと伸びた。


 それが、合図。


 俺と中臣は、『共有』によって獲得した、赤の輝きを身にまとう。


 『弾丸バレット』『飛行フライ』『共有シェア』『治癒エイド』。借り物の欠落ロストの性能は同じ。

 『防護プロテクション』『遡行リセット』。本来担う欠落ロストの性能は互いが有利。

 あとは、基礎身体性能と、反射速度、状況判断能力、戦術構築能力の違い。

 それをぶつけ合い、相手を叩きのめした方が、我を通すだけ。


 ああ、いつか、夢中になったもんさ。空を飛んだり、謎の光の玉を飛ばしたり、光の剣で壁を一刀両断! 傷ついても傷ついても立ち上がる不屈のヒーロー! 男の子のロマンここに極まれりというやつだ。ある日突然そんな力に目覚めて、同じような力を持った仲間たちと出会い、正体を隠して世界の平和を守るとか。何度想像したことだろう。そんな夢の舞台が、今まさに目の前にある。くそったれ。


 とにかく、だ。中臣よ。


 テメェのたてた終末の予定は全部まるっとキャンセルにさせてもらうぞ。


 こちとら、家で揚げたてのトンカツが待ってるもんでな。

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