4.

4.



 ――突如、視界の外から飛び込んできた小さな二足歩行の体が、自動人形・オリオンにすがりつくように、その丸い手を掴んだ。

「わぁーっ、この子、かわいい!」

 黒い防塵マットの上でぴょんぴょんと跳ねているのは、せいぜい背丈がオリオンの半分程度の少女だった。九、十歳ほどに見える。流行のエメラルド・グリーンのセーターに白い装飾ボタンが目立つ擬似デニム生地のキュロット。少女がジャンプする度にブロンドの三つ編みが揺れた。「かわいい、かわいい」と呪いのように繰り返しながら、オリオンの大きな手を小さな手で取って、その無表情を見上げている。

 満面の笑みが、こぼれていた。

 オリオンは白いでっぷりした体躯を巧みに動かして、少女に、ちか、ちか、とシグナル・ライトでサインを送り、可動領域の大きくはない首を頷かせて感情を表現した。

 握手では物足りなくなったのか、少女は「んー……」と唸って、オリオンの硬質のボディに抱き付いた。後ろにまとめている前髪の残りがぴくんと揺れる。

 しばらくオリオンを抱いていた後に、少女は首を巡らせて、ルーメンスを見た。

「この子、おじさんが造ったの?」

 ルーメンスは、意外な来訪者を前に、小さく頷いた。

「ああ」

「すごい! この子、かわいいね! 変わってる! お名前は!?」

「オリオン」

「かっこいい!」

 かつてはルーメンスもこの名称を気に入っていたが、今では少しだけ後悔していた――二ヶ月前に、オリオン座方面の観測基地で『干渉』が発生し、防宙領域が拡張されたという記事を目にしてから。自らのオートマトンに、血なまぐさいイメージなど付けたくはなかった。

 時事など退いて、少女はその名を好んだらしく、何度も、オリオン、オリオン、と白色のオートマトンに名前を告げている。何かを語りかけている。

 オリオンは、左目の下のライトを点滅させて、少女に頷いていた。

 ――それにしても、子どもが単独で来るのは珍しい。

 ミュージアムの一般客だろう。児童用の学習ブースや企業展示を散策している内に月例展覧会に迷い込み、出会った風変わりなハンドメイド・オートマトンたちと触れ合っている――と、ルーメンスは推測した。

 もう一度思い切りのハグをして、体を離しながら、少女は自動人形・オリオンに手のひらを振った。

「オリオン、いいんだよ、うん。ありがとう……じゃあね、またね!」

 手を止めて、少女はきょとんとした顔で、ルーメンスを仰いだ。

 自らも気づかぬままに、彼は笑い出していた。

 少女が黙念と見つめている――どうして、笑うの、とでも言いたげに。

「話が、できるのか」

「えっ……」

「オリオンと、話ができるのか」

 少女は納得したような面持ちで、うん、と楽しげに頷いて、

「もちろん、できるよ! おじさんも、もちろん、できるでしょ?」

 曖昧な微笑で、ルーメンスは返答した。

 オリオンに、一切の対話機能は備わっていない。制作者のルーメンスが基幹ソフトウェアの奥底まで弄っているのだから間違いない。音声発話機能は勿論のこと、「言いたいこと」を言語として処理する能力すらオリオンは有していない。

 まさしく、人形遊びか。

 子どもらしい想像力に、つい笑ってしまったのだ。

 少女に、さよならを告げようとした。

 口をすぼめて、彼女は独り言を放っていた。

「あーあっ、だから『コントラスト・セブン』の演奏なんかより、ハンドメイドの展示会の方が楽しいと思うって言ったのになあ。ミックったら、どうしてああかなあ」

 ぶつぶつ言いながら、まるで踊るような歩調で、三つ編みの少女は近づいていった。

 オリオンの右隣に展示された、一体のオートマトンへと。

「ねえ、ペリィ?」

 その、青く背の低いオートマトンの顎と思しき箇所を、指先で撫でながら。

 ルーメンスの方に顔を向けて、少女はやや自慢気に、言い放った。

「この子はね、ハイペリオン。わたしは、ペリィって呼んでる。かわいいから」

 ――ぐっと背を伸ばして、悪戯っぽくウインクして。

「わたしと、同じクラスのの鼻ったらしのミックと、ジュール先生と一緒に、造ったの。わたしもね、造ったんだよ。すごいでしょう?」




 ルーメンスは、その細かい挙動を観察しながら、オリオンの隣に展示されていた薄青色のオートマトンに歩み寄った。

 四足歩行の獣型が、ルーメンスの接近を認識してゆっくりと体を向け、尾を立てる――モチーフはトラかヒョウか。大型ネコ科動物のいかつい顔立ちが、ルーメンスに静かな凝視を注ぐ。カラーリングやデザインは野生の気配を思わせるが、頭部から尻尾の先に至るまでの、外装のメカニカル・コンポーネント的装飾からは相反する意匠が感じられた――ギア、バネ、ゼンマイ、ネジ、ナット、シャフト。すべてこのオートマトンの動作には無意味な装飾だ。大昔の「機械仕掛け」への、ある種の憧憬。

 側面に、少女のものと思しきひどい筆致で、大きく「PERRy(ハート・マーク)」とスプレー・タギングされている。

 「おもしろいな」と、ルーメンスは呟いた。

 でしょ、でしょ、と三つ編みの少女は高らかに同意する。瞳をきらきらと輝かせて。

 実際のところルーメンスが興味深いと思ったのは、彼がこのような型の汎用ライセンスの基礎構築セットを知らない事実だった――このハイペリオンは、初期の段階から構築した、純然たるオリジナル・ハンドメイドだ。

 少女は、ハイペリオンの隣で自らの腰に手を当てて、キャラクターの描かれたスニーカーをつま先立ちにした姿勢で、ルーメンスを見上げている。ふふん、と鼻を鳴らさんばかりだった。

 ルーメンスは、表情を崩さない。

 少女と同級生だけでこのオートマトンを造ったのであれば、迷うことなく天才的と断言できる。だが、どうやら真相は異なるようだ。彼女が言及した「ジュール先生」とやらが一枚噛んでいるのだろう――とルーメンスは推測する。ここまで精巧なシステムを一から構築するのは、大の大人でも困難を極める。オートマトン工学をかじった教育者なのだろう。恐らく算数か理科か情報工学担当の。

 周囲を軽く仰いで、少女に尋ねる。

「先生は、ここにはいないのか」

「いないよ。ミックと一緒に、あっちの『コントラスト・セブン』のコンサートに行ってる。展示会の方が楽しいって言ったのに! ひとりぼっちのペリィがかわいそうだよ!」

 少女は自分たちで構築した自動人形に向けて、いたわるような語調を使って、何らかの小声での対話を開始した。

 ルーメンスの見たところ、ハイペリオンにも言語機能は備わっていないだろうに、構わず少女は人形遊びを続けていた。


 

 ――それにしても、オリジナル・スタイルは、「先生」にも険しい課題だったらしい、とルーメンスは冷静に判じた。

 この教師と生徒の合作オートマトン・ハイペリオンの動作を認識した瞬間から、内部ソフトウェアにありがちな問題が生じているとは、即座に理解していた――擬似筋肉への電圧調整情報解釈プロセスが、明らかにおかしい。ルーメンス程度の人形屋でも、中を確認せずとも挙動を見れば即座に分かる段階の問題だった。

 一言で断ずれば、ハイペリオンの各種動作は”ぎこちない”。

 まるでからくり人形にサイズが微妙に合わないギアを嵌めこんで、無理に動かしているかのようだ。歩み寄ってくる時に、がくり、と上下に大きく揺れることすらある。ドライヴシフト・トランスレイションの非同期的問題。

 思わず――近年の構築技法においてまことしやかに囁かれる『流行』――電圧調整プロセスに作為的なラグを混じらせることで、「オートマトンの非自然物的実在」を表現するとされる、テクニックなどと呼ばれるものが、ルーメンスの意識に浮上してしまう。

 反射的に、内心で首を横に振った――「不自然」にして、一体どうするというのだ。

 人形屋の常識中の常識――オートマトンの擬似筋肉は外的発散における中核器官である。故に基礎行動段階に準じた精緻な流動性こそが最重要課題なのであって、その電荷モジュレーションに人為的な不具合を与えるなど、言語道断だ。挙動の美しさを損ねるばかりか、総体的な故障のリスクすら生じうる。

 馬鹿馬鹿しい――ルーメンスはこの『流行』とされる、一部の人形屋の態度に、否定的態度を有していた。

 そもそも、この緑色のネコ科動物型人形・ハイペリオンの不調は単なる調整ミスであって、そうした流行に乗っかった意図的な構築でさえないのだが――。

 そう信じていたのが、間違いだった。




 まるで、心を読まれたかのようだった。

「このペリィの『がくがくする』のはねえ、流行ってるんだよ」

 と、三つ編みの少女は、無邪気そのものの瞳で、ルーメンスを見つめて。

 続けた。

「……ええっとね、先生はね、こうした「不自然さ」が、これからのお人形さんの主流になるだろうって、いっつも言ってる。なんだっけ――『オートマトンは結局、『本物』には絶対になりえないから、実物再現を目指す時代は終わりつつあって、これからの人形屋は、不自然な動作を、意図的に構築するようになっていく』んだって。わたしには、よくわからないけど――」

 そこで言葉を切ると、ハイペリオンの躯体に歩み寄って、再びその顎を撫でながら。

 告げた。

「わたしは、ペリィが『ぎこちない動き』をするの、好きだなあ」

 妄念じみた、喧騒の残響が響くホールの中で。

「だから、わたしが、もしこれから、ひとりでお人形さんを造ることがあったら、こうしようって思う」

 輝かしいまでの静寂の光が、ふたりの間を、貫いていた。

「……そうか」

 少女の言葉は、その声音も表情も、やはり無邪気そのものだった。

 それが、ルーメンスには劇毒だった。

「――わたしはね、『お人形さんがぎくしゃくする』のに、ずっと見慣れていたから、おじさんのかわいいオリオンを見て、すごく不思議だなあって思ったの」

 少女は、うふふっ、と笑って、ルーメンスが展示した、ルーメンスのオートマトン――白く丸い体のオリオンを振り仰いで。

「だってオリオン、すごく動きがスムーズなんだもん。スムーズすぎるよ! ああいうの、わたし、あんまり見たことなくて。だから、変わってるなあって思った」

 ルーメンスは。

 そうか、と繰り返して、小さく頷くと。

 ブロンドの三つ編みの少女にささやかな感謝と別れを告げて、再びブースの中央回廊へと、歩き出した。

 その歩調は確固としたようで、実に頼りない。

 ――まるで、肉体の中にあったすべての臓器と肉が、まるごと抜け去ってしまったかのように。




 目を凝らす必要すらなかった。

 再度、月例展示会に並ぶオートマトンたちを観察すれば。

 ルーメンスが意識にすまいと無意識に閉じ込めていた、ある事実が浮き彫りになる。

 多かれ少なかれ――擬似筋肉の調整プロセスに『ぎこちなさ』を意図的に与えられているオートマトンは、今回の展示会の半数を超えていた。




 ルーメンスは思う。

 彼らは――かつての人形屋仲間たちは――どうしただろうか。

 遊び好きの富豪であり人形構築の天才・フランツ兄妹は、『流行ってるから、面白そうだから』という理由で、安直に『ぎこちなさ』を導入しただろう。そしてやはり成功する。迷いなどせずに。

 若き修行僧の気配を有するハロン・マーシュビッツは、自らの人形の『魂』なるものに奇怪な手法で詰問し、その返答に応じて導入の可否を速やかに決定していただろう。やはりそこに迷いはない。

 旧時代的ドレスの婦人ミス・ハピネスであったら。是も非もない。絶対に取り入れない。彼女はある種の古風なオートマトン像の信奉者であり実行者でもあった。彼女も、迷いすらしないだろう。

 彼らには、それぞれの信念があった。

 彼らには、迷いがなかった。

 では、ルーメンスは。

 ルーメンスは。




 梟のナビゲーション・グラフィクスをコールし、人形屋の展示会からの外出およびオートマトンの展示終了に関する同意書に音声シグナルで応えて、ルーメンス・ライヴシフトはティアサイド・ホールを後にした。

 速やかな足取りだった。

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